拉致
「はぁ」
部活…といっても半分お遊びだがーの帰り、茜は夜道を一人歩いていた。学校から家までは電車と徒歩であわせて30分ほど。平均的な距離だろう。今の高校を選んだのも家から近いということもある。今は駅から家に帰る途中だ。等間隔に並んでいる街灯があたりを照らし出す。
閑静な住宅街ということもあってか、物静かだ。茜のほかに通行人はいない。
「今日はメール来てるかな」
母親の万樹が居るとき以外に自宅で会話することのない茜にとって、メールは唯一のコミュニケーションの源といえた。
ふと、手に持っていた学制鞄ともうひとつ、青のタータンチェックの手提げ鞄を見つめた。中には空から送られてきたPCが入っていた。電化製品店などで見かけるノート型のPCとは異なり、かなり軽量化されているらしく、あまり重さは感じない。
時計を見ると、7時を少し廻ったところだった。
「スーパー空いてるかな…」
「糸井原茜さんですね」
無機質なまでに特徴というものを剥ぎ取ったかのような声。囁くようにふっと聞こえてきた声の主をたどるかのように、茜は後ろを振り返った。
黒の背広に、サングラス姿の男が3人、横に広がるようにして立っている。30代くらいだろうか、辺りが暗いせいで顔の判別は難しい。危機を感じ取ったかのように、茜は半歩後ろへと下がった。裏道のためか人気もなく、逃げ込めるような場所もない。
「…ご安心を。我々はアスタルテ社の者です」
中央に立っていた男が、最初に口を開いた。どうやらこの三人の中では一番筆頭らしい。
「アス…タルテ?」
世界中でも知らない者はいないだろうというほどの、IT業界でトップシェアを誇る会社ーアスタルテ
「はい。海棠主任の従兄弟の糸伊原茜さんですね?」
「…」
答えようとはしない茜に対して、男は肩をすくめ、手帳を差し出して見せた。そこには日常的によく目にするアスタルテのロゴマークとともに、目の前にいる男の写真が貼られていた。
「海棠主任が貴方に会いたがっています」
「え…空兄が…」
おもわず返事をしてしまった茜はしまったというふうに顔をしかめた。
「はい。彼は今、社の大きなプロジェクトを成功させるため、日本に滞在しています」
「日本に…帰国しているの!?」
「はい。しかしそのプロジェクトの機密性からご家族には秘密でした。しかし、どうしても、貴方にだけは会いたいと強く望んでおられますので…」
全身に電流が走ったかのようなショックだった。体中が震えているのが嫌でもわかる。
「お手数ですが、よろしければ私どもと一緒に来て頂きたいのです」
「そらに…空さんに会わせてもらえるんですか?」
「ええ」
やっと会える
その気持ちに引きずられるようにして、茜は恐る恐る前へと歩を進めた。しかしその時ーーーー
「うぉっ!!!!」
ピリピリとした放電と共に周囲の街灯が一気に破砕した。防犯灯の破片が周囲に霧散し、警戒態勢に入った男は懐に手を入れると黒い、細長い物体を構えた
(「−−−−−け…拳銃っ!?」)
茜が目にしたそれは紛れもなく、映画や漫画などでよく見る、小型の拳銃であった。
咄嗟に危険を察知した茜は、飛び出すようにその場を走り去ろうとする。ーーーしかし
ビリッ
首筋に鋭い痛みが走ったかと思うと、目の前に暗闇がやってきた。
(「空兄・・・」)
気を失う直前に見たのは、幼い記憶の中におぼろげに残っている、自分に対して微笑みかける、空の姿だった。
「ーーーどうして手荒な真似をした、橿原」
先ほどの筆頭格の男が、部下らしき青年に対して苦言を呈した。
「しかし、あのままでは抵抗される一方です。−−あの状況下で説得に応じる可能性は限りなく低い」
青年ー橿原は手にしていたスタンガンを懐へとしまうと、茜を軽々と抱き上げた。
「…っ」
部下に正論を吐かれ、男ー喜田川は言葉に詰まった。
「しっかし、こんな美人ちゃんをかどわかすなんて、俺たち軽く犯罪者じゃないっすかぁ?」
そう軽口をたたいたのは、3人の中で一番大柄の男ー小野坂だった。
「もしかしなくても、法には抵触しているさ。。…しかし、さっきのは何だったんだ。…じきに人も来る、早く本社へと戻るぞ」
「「アイサー」」
三人は慣れきったように、無駄な動きを一切せず、まるで何事もなかったかのようにその場を後にしたのだった。
「おともだち?」
その言葉の意味の分らない私は首をかしげた。空兄がこれから行くところは、私もまだ行ったことのない異国の地。
「おともだちならねぇ、あかねにはいーっぱいいるよ!!ゆうかちゃんでしょ、まさこちゃんでしょ、あきのちゃんでしょ…」
「そうか、でも友達は、たくさんいた方が楽しみが増えるだろう?」
涙が流れている頬を、空兄は丁寧にハンカチで拭いてくれた。
「これから、僕が探しに行く茜のおともだちはね、とっても恥ずかしがり屋さんなんだ。だから、とーっても遠い所にいるんだよ。本当は茜ともお友達になりたいはずなのにね」
「あかねと…?」
優しげな顔立ちを更に緩めて、誰もが警戒心を解くであろう微笑を浮かべて、空兄は言った。
「うん、だからね、もし僕がその友達を連れて帰ってきたときには笑顔で挨拶できるね?」
私はもう涙の乾いた顔を上げ、空兄のほうを見た。
「うん、わかった。ばいばい、そらにいまたね、すぐにかえってきてね、こんど……」
そこで茜は目が覚めた。しかし視覚が正常に働いていないのか、視野が無い、起きても真っ暗な闇が広がっている。
「お目覚めですか?」
壮年の男の声がした。それと同時に先ほどの光景が思い返され、自分がようやく拘束されていることに気付いた。目には目隠し、そして冷たいイスに座らされ、後ろ手に手錠をかけられている。
「米原、目隠しをとれ」
「しかし」
「大丈夫だ。これからの我々の話を聞いてもらうには、ある程度信用してもらわなければ…だろう?」
暫くの沈黙の後、ようやく光が差し込んできた。急激な視野の広がりに茜は目を細めた。そして段々目が明かりに慣れてくる。
目の前にいたのは、予想よりはいくらか若い、空と同年代位であろう精悍な顔つきをした青年がイスに座していた。それを取り囲むようにして、きっちりとしたスーツを着こなした中年の男性、それから先ほど茜を連れ去った、あの男の姿もあった。
「はじめまして、糸伊原茜さん」
「…」
茜は何も言わず、ただ目の前にいる男を睨んでいた。男と自分との間には長いテーブルがあり、まるで映画のセットのようにぴかぴかに磨かれていた。
「先ほどは部下が手荒な真似をしてしまったそうだね。すまなかった」
茜は何も答えずただ震えていた。おそらく恐怖に体を支配されているのだろう。唇を動かそうとするものの、声にはならない。
「自己紹介をさせてもらおうか。私は柴崎コンサルティングの柴崎渉だ。以後お見知りおきを。こっちは秘書の米原だ」
「柴崎…コンサルティング?…アスタルテじゃないの?」
「ああ、多少便宜上のことでね、悪いとは思ったが社員証を偽造させてもらったよ」
茜の眼光が更に鋭くなる。
「しかし、我々が君に話したことの内には真実も含まれている」
「え…・」
「君の従兄弟に当たる、海棠空は確かに、アスタルテの1大プロジェクトの主任を任されていた。とあるAI−人工知能の開発についてね」
もとより、情報工学の道を志していた空は、大学の研究室において、目覚しい成果をあげ、発表した論文において学会や各企業注目を集め、大企業『アスタルテ』に引き抜かれる形で研究員として入社した。AIについての論文も以前から何本か発表しており、アスタルテというITを専門的に扱う企業内においてAIの開発はさして珍しいことではないはずだ。
「君も知っているとは思うが、AIとは本来『弱い』ものだ。人間の知的な活動を模して作られたプログラムであり、自ら『考え』、『行動』することはまずない。しかしその常識を打ち破ろうとした。情報工学の永遠の課題ともいえる本当の意味での『人工』の『知能』−精神を有する『強い』AIを作り出そうとしたのが、このプロジェクトの主任・海棠空だ」
「AI…、精神?」
言っていることの意味が分らなくなってくる。いくつかの単語が頭の中を巡るが、茜の中でうまく処理できずにいた。
「そして、海棠主任率いるプロジェクトチームはとうとう一つのAIを完成させた。人としての精神を宿したー本物の『人工知能』をね」