他人の恋路は何とやら
「んで〜、正直な所、どうなのよ?」
「どうって、何が?」
慣れないことをしているせいか、少々げんなり気味の茜はため息をつき、オレンジのパックジュースをずずっと啜った。
「どっちから告白したの?」
ぶふぉお!!
漫画の効果音のように盛大な音を吐き出しながら、のどに液体を詰まらせた茜は、吐き出すまいと必死になりながら、手に口を当てて咳き込んだ。
「うわっ!大丈夫!?」
「あ…あ…、あんたが変なこと言い出すからでしょ!!」
「今更そんなこと言いなさんな、『月光の照らす花園で永遠の愛を誓い合う男女、しかしその道のりは苦難のものであった…!!ああ、愛し合う二人の運命や如何に!!』」
「それ次の芝居の台詞?」
楓子は呆れ顔で茜を見た後、首を振った。
「いや、今のあんたたちの状況を脚色してみました!」
親指を立てて自信満々に答えてみせる。
「しすぎだ!…それに、本当に私と温は何でもないんだって。ちょっと今事情があって、二人でいることが多いだけよ」
真剣な表情でそう話すと、楓子は「そういうことか…」と眉をひそめた。
「…何?」
少しだけその表情に不穏の色が見えたことに気付いた茜は訝しげに問いただす。
「ほら、温君ってさ、何かと女子にもてはやされること山の如しじゃん?」
「はっきり『もてる』って言いなさいよ」
「ま、そうなんだけど。それでさ、女性特有のねばねばこってりとした醜い感情を持つ腹黒い乙女があんたを狙ってるのよ」
「…まじで?」
「まじ」
つまりは女子によくある、ひがみ、嫉妬という奴だ。しかも楓子の話し振りから察するに一人や二人ではないらしい。
やはり昨日今日でいきなり、同行動をとったのがまずかったようだ。
「いやー昼ドラもびっくりですなぁ」
完全に他人事のようにふるまう楓子に少々辟易しながらも尋ねた。
「それで、誰なの?」
「うーん、表立ってはそれほどいないけど、特に激しいのは3年の湯木先輩かな」
「誰?」
「あれ、知らない?合唱部のヒロインこと湯木佳奈美先輩」
とはいったものの、学年が違うとなると、茜の知り合いはパソコン部の面々のみということになる。名前を言われた所で顔が浮かぶはずもなかった。
それとは対照的に楓子のほうは、演劇部長ということもあり、部活関連の知り合いが多く顔も広い。
「容姿端麗、成績優秀とくれば、ちょっとやそっとの殿方じゃ満足できないってことよ」
「へー」
なるほどなるほど、と適当に相槌を打っておいた。そういう自分が大好きな人間に茜は興味も関心も無かった。あまり関りあいたくもなかったが。
「演劇部も合唱部とは何かと因縁でね、去年は文化祭の演目で結構やらかしちゃったし」
「あー『オペラ座の怪人』ね」
楓子の所属する演劇部は、どちらかというと硬派で過去の作家の作品を上演するのが伝統となっている。その正統派の演技が高校演劇界でも評価されて、去年は確か関東大会のベスト8の成績だった。そんな中でも1年生ながら準ヒロインを演じていた楓子は茜の目から見てもまさしく、『舞台の女王』といえるだけの貫禄を持ち合わせていた。
事件は去年の9月、秋に行われる文化祭の準備に追われていたときのこと、演劇部の出し物が「オペラ座の怪人」に決定し、演劇部の面々も夏に行われた大会とは違い、比較的自由な環境で活動できる舞台にはしゃぎながらも着々と準備を進めていた。
しかし、そんなある日、生徒会から連絡が来て、「オペラ座の怪人」は合唱部がやる演目だから、他のものに変えてほしい、といってきたのだ。ーーー文化祭まであと1ヶ月を切っているというときに。
もちろん、演劇部は合唱部よりも先に申請していたし、本来「オペラ座の怪人」はミュージカルであり、演劇の一種である。どう見てもおかしかった。
いくら演劇部がくってかかっても、生徒会の態度は一貫しており、演目を変えないのならば出場停止もやむなし、ということにまでなってしまう。
事の真相はわからなかったが、教師たちもやんわりと他の演目を進める始末で、演劇部員たちもここで時間を無駄にして文化祭をふいにしてしまうことも躊躇われたため、演目差し替えという苦渋の決断を下したのだ。
「実を言うとさ、あれ、湯木先輩の差し金だって演劇部員が噂してるんだ」
「え!?」
「…多分映画とか演劇を見て触発されたんだろう、って。それでやりたくなったんじゃないか、とかさ。生徒会の方は当時の彼氏が会長やってたからーーーま、噂は単なる噂であって真実ではないけれどもーー」
釈然としない表情を浮かべるところをみると、そのことでいまだに引きずっている部分があるのだと茜は見抜いていた。
「楓子…」
「だから、茜も湯木先輩には気をつけなさいよ。あんたのことだからさ、また色々つっかかっちゃうんだろうけど」
「ーーーそりゃあ…」
そこまでで会話は途切れた。6時間目の始まりを告げるチャイムがなると同時に教師が入ってきたのだから。
すべての授業が終りHRが終わると、生徒は各々部活動か帰宅か掃除かに散ってゆく。
「帰るぞ」
何の前触れもなく、茜の席まで歩み寄ってきた温がぶっきらぼうに茜に言い放つ。
(「こんなやつのどこがいいんだか…」)
茜は改めて温の顔を見た。通った鼻筋に整った端正な顔立ち、深い琥珀色の瞳。染めていないのに色素の薄い髪。
(「ま、顔はいいわね」)
「人の話を聞く気はないのか?」
「あ、ごめん」
急いでカバンの中身に教科書類を詰め込むと、後を追いかける。
「ねぇ」
教室前の長い廊下を二人並んで歩くのは少し違和感があった。幼稚園や小学校に通っていた頃には当たり前の距離だったのに、今ではそわそわして落ち着かない。
「…何だよ」
「温ってさ、女子にもてるじゃない?付き合おうとか思わないの?」
「別に」
「別に…ってことは、『いいな』って言う子から告白されたら付き合うの?」
「ーーーっっっ!そんなことどうでもいいだろ!お前は自分の心配でもしてろ!」
「なっ!」
温はそのまますたすたと昇降口めがけて歩いてゆく。歩幅が茜とは段違いのせいか追いつくだけで精一杯だ。
「お、海棠。ちょうどいいところに」
職員室の前を通りかかった時と同じタイミングで中から出てきたのは、茜のクラス担任の桜井だった。
担当教科は現代国語、年のころは40を過ぎたところだろう、すらっとした立ち姿に奥さんが選んでくるというアニメ柄のネクタイがとてもよく目立っている。子煩悩で生徒に自分の愛娘(5歳)の写真を見せて回っては、顰蹙を買っていた。
「…なんですか?」
「いやいやそんな身構えんなって。ちょっと委員会のことでな?…何だお前ら付き合ってたのか?」
珍しく二人でいるのを見かけてか、邪推するように顎に手を当てるとにやりと唇をゆがませた。
「違います!」
茜は誤解を解くべく力いっぱい否定する。
「…だそうです」
「ふぅん。それはそうと、この前海棠が出してくれた決算報告書の件なんだが…時間取れるか?」
温は4月から図書委員会の委員長を任されていて、予算案を組んだり決算を出したりと忙しいらしい。
「…」
ちらりとこちらを見る温を見て、茜は苦笑した。少しだけ悲しそうな顔をしていたから。
「いいよ。行ってきなよ。私待ってるからさ」
茜が気を利かせてそう言うと、温はわずかに頷いて桜井に続いて職員室へと入っていった。
(「さて…と」)
テスト2週間前なのだから教科書でも広げて少しでも公式や単語を覚えるべきなのだろうけれど、教科書に手を伸ばす気にはなれなかった。
(「どれくらいかかるんだろ」)
SIKEでも出して暇つぶしに話すか、とも思ったが人通りが多いのでやめた。パソコンの前でぶつぶつつぶやいていては変な女と思われても仕方がない。
(「うーーーむ」)
「糸伊原さん?」
名前を呼ばれ、思考の世界から帰ってくると、すぐ目の前に見知らぬ女生徒が立っていた。短めのスカート丈に、ウェーブのかかった長い髪、綺麗だが化粧の濃い顔にリップクリームがきらきらと輝きを放っていた。
周りには何人かの女子がいて、その面々から見て察するに3年生のようだった。
友人というよりは女王様とそのお付きの侍女といった方がしっくりくる組み合わせだった。
すっと女生徒が近づくと、香水の匂いが鼻先を掠めた。万樹が愛用している男物とは違い、濃いフルーツの香りが咽る様に迫ってくる。
「ちょっといいかな?」
茜は瞬時に、この人が例の「湯木先輩」なのだと察知した。