弁当のおかず
−−そんなこんなで4時限目が終り、教室内は一気に昼食モードに早変わりする。茜はため息をつきながら、カバンの中から弁当を取り出した。
夏代が作り置いてくれたおかずをつめたスペシャル弁当だ。
「茜、今日弁当?」
いつも一緒にお昼をとる楓子が茜の席へと寄ってきた。手には財布が握り締められている。
「あんたは学食?」
「うん、母さんが寝坊しちゃってさ」
といっている割に嬉しそうだ。それもそうだろう。この学校の学食は都内でも1、2位を争うほど美味しい、と評判なのだから。
「オムライスか、生姜焼き定食もいいよねぇ」
「いや、和定食も捨てがたいよ」
と話し合っていると、一つの影がこちらに近づいてくる。−−−温だった。
「…今日、学食?」
「え…?あ、うん」
気だるそうな目をして、ため息をついた後、温は信じがたいことを口にした。
「一緒に食おう」
「………は?」
眉間に思い切り皺を寄せた茜の返事に、不服そうに温はもう一度声を出した。
「一緒・に・食おう」
今度はご丁寧に単語ごとに区切ってくれた。
「あらまあ」
呆気に取られている茜を尻目に楓子はにまにまといやな笑いを浮かべている。
(「絶対誤解されてる…!!」)
けれどもそれを否定すれば、色々と面倒くさいことを説明せざるを得なくなる。
「いいよいいよ、私他の子と一緒に食べるから。んじゃねー」
誤解したまま上機嫌で他のクラスメイトたちの元に駆け寄ってゆく。茜は内心で必死に呼び止めたい気持ちを抑えながら隣にいる温を恨めしげに睨んだ。
「行くぞ」
沈黙に耐え切れずしてか、温は早足に歩き出す。その手には弁当の包みと、お茶の入ったペットボトル。茜は絶句したまま手提げと弁当袋をむんずとつかむと後を追った。どうしてもクラスメイトの視線が気になる。
廊下を歩いていても、どうしても周囲の視線が気になった。黙ってみていれば「美形」と取れるほど整った顔立ちをしている温は昔からとにかくもてた。その普段の性格からか周りの女子からは「毒舌」な彼の性格を「クール」なのだと勘違いしてしまうらしく、告白しては温の目の前で玉砕していく女の子たちを見て、茜はどうしてこんな奴を好きになったのだろう、と不思議でならなかった。
本人曰く、「顔だけで選んでるんだろ」と言っているが、必ずしもそうではないと茜は思っている。茜の場合、母親譲りのこの容貌のため勘違いをして告白してくる男子は多いが、大抵は一言口を滑らせただけで敬遠して、後は寄ってこない。たまに自分に対する愛情の裏返しなんだとか言って、更に迫ってくる勘違い野郎が出て、自分でも驚くくらいの罵詈雑言を並べ立てて追い払ったりするが、大抵は最初のいくらかのコミュニケーションで茜自身に幻滅して去ってゆく。
しかし温の場合、少なくとも性格を見て選んでくれている部分もあるのだろうから、もっと真剣に向き合ってみてもよい気がする。
他人の色恋ごとに首を突っ込んでもろくなことにならないのは茜も重々承知しているが。
(「って、考え事に浸っている場合じゃ…)」
気がつくと、温の背中は廊下の遙か彼方だった。それを見失わないように必死に追う。
温と茜がたどり着いたのは、裏庭から伸びる細い道の先にある広場のような場所だった。日光が良いぐらいにあたって花壇からは色とりどりの花が咲き乱れており手入れが行き届いているのが伺えた。
温は下段の淵に腰をかけると、弁当の包みを解き始めた。
「…どういう風の吹き回し?」
「なにが?」
茜の2倍ほどもある大きな弁当箱の蓋を開けた。白ご飯、焼きジャケ、おひたし、からあげ、玉子焼き…。夏代の手作りなのだろう栄養バランスも考えられているらしかった。
「だって、今までそんなに一緒にいることなんてなかったのに、急に今日から2人で行動なんて…絶対色々噂になってるって。現に目立ってたし」
「茜ってさ、そういうの気にするタイプだった?」
「…あんたと違って繊細なのよこっちは」
「繊細…ねぇ」
玉子焼きに箸をつけながら、温はつぶやいた。言外に「そんなわけない」という意味をふくませながら。
茜は憤慨しながら温の隣に腰を下ろすと、弁当の包みを解き、蓋を開ける。普段は朝時間がないこともあって、冷凍食品の詰め合わせになっていたが、やはり手作りのおかずはほっとするというか、何だか嬉しい気持ちになる。
「大体私の身が危険だって言うけど、ここは法治国家日本なのよ?それにここは学校!そりゃあ、あんなことがあった後じゃあ不安にもなるけどさ…」
ニュースを見ながら、どこか「こんなことは自分とは関係ないんだ」「こんなことに遭遇するのは『例外』なことなんだ」と思って、完全に傍観者だった自分が、いつの間にかその危険の渦中にいたのだ。今でも自分が「例外」に陥った時の恐怖をありありと思い出せる。
茜は感情の残滓を取り除こうとして軽く首を振った。そして、傍らにおいていた手提げからPCを取り出した。
「ーーーサイ」
「イエス。アカネ」
スリープモードに入っていたため、SIKEはすぐに返事をした。
「ただ今の時刻午後12時15分、天気、東京都、晴れ時々くもり、気温28度、湿度67パーセント」
「おはよう。いや、こんにちはかな」
「はい、おはようは通常人間の使う『朝』という概念の通じる時間帯に使われる挨拶です。今は昼ですのでそれは当てはまらないと思われます」
「はは…」
コンクリートほどに硬いSIKEの説明文に、茜は苦笑した。
「どう、空兄について何か思い出せた?」
温は日本にいるーーそれはこれまでの経緯で唯一明らかになったことだ。もう彼はアメリカにはおらず茜たちの暮らす日本のどこかにいるのだ。しかも追われる身という立場で。
「海棠博士についての情報は今のところ私にアクセスの権限を与えられておりません」
「こっちからハッキングを仕掛けるってことはできないのか?」
そう聞いてきたのは温の方だった。見ると弁当の半分以上を食べた後で、お茶を口に含ませていた。
「それは、いくらなんでも物騒なんじゃあ」
「…お前…、諸悪の根源は兄貴だってこと忘れてないよな?」
「…はい?」
「いいか、お前が『アヴァロン』の連中に囚われたのだって、こうして俺と一緒に行動しなきゃならないのだって、すべては兄貴がこのAIを茜のところに送り付けてきたからだろ?腹立たないのか?」
たしかに、傍から見ればそうかもしれなかった。けれども茜は恐怖を味わったと同時にかけがえのないものに気付いたのだ。だからあまり空のことを責める気にもなれなかったし、それよりも彼のことを心配する気持ちのほうが遥かに大きかった。
「それは…そうかもしれないけど。でも、どうして空兄は私のところにサイを送ってきたんだろう?」
「さあね、あの人の考えることは理解の範疇を超えてるから」
単に誰でもよかったということでは無い気がした。もしそうなのだとしたら、海棠家に荷物が届けられているのだから、海棠家の誰かに宛てるはずである。
「…」
考え事をしている茜の眉間に何かが触れた。温の人差し指だ。茜の額を押えていたそれをぐりぐりと押さえつけるようにまわし始める。
「な…何?」
「あんまり考えすぎてもしょうがないこともある。特に茜の場合は」
そう言って茜の表情を読み取るかのように、顔を覗き込んだ。紺色とも取れるような深い深い烏色の瞳に、茜は少しだけどぎまぎした。
「…何か急にそういうこと言われると、悪寒がするわね」
「そうか?ほらよく言うじゃないか」
「え…?」
「馬鹿の考え休むに似たりーーーって」
「なっ…!」
どこか得意な調子の温に拳骨をお見舞いしてやりたい気持ちを必死にこらえて、とりあえず意識をまだ半分も食べ終えていない弁当箱のほうに集中させることにしたのだった。
弁当のおかずは私の好きなものを適当に入れてみました(笑)