プリンのゆううつ
サブタイトルはこんなんですが、中身はいたって真面目(?)ですのでご安心下さい。
「それで、彼女は例のAIとは接触できたのか?」
ここは、都内のとあるビルの最上階。重役らしい男性とその秘書がなにやらひそひそと話を進めている
「いえ、まだです。しかし、時間の問題かと」
「…向こうも何を考えているのだ。わざわざ接触をはかれなどと」
「私にも向こうの本意は図りかねます。しかし、これはまたとない好機。ラドクリフ財団といえば、クロイツァー財団とも拮抗する力を持つ唯一の存在。いまや世界の経済を左右する存在といっても過言ではありません」
「…それ相応の見返りが得られる…か」
男は片方の口の端を歪めるようにして笑い、イスにもたれかかった。
「それでは、少しばかり強硬手段に出させていただこうか」
その言葉を聞いた秘書の青年は、一礼をするとドアノブに手をかけその場を後にした。
「あらあら、まぁまぁ。こんなに卵と牛乳買ってきてもらっちゃって」
温と空兄の母親であり、家族の生活ラインを握っている海棠夏代は、茜がむきになって買い物カゴにつめこんだ大量の卵と牛乳を見て頬に手を添えて可憐に微笑んで見せた。とても20代の息子がいるようには思えない若々しさで、私も時折ぽうっとしてしまうことがあるくらいだ。おそらく茜の中の「理想のお嫁さん」ナンバー1だろう。
「それじゃあ、今日は茜ちゃんも好きなホワイトソースのオムライスにしましょうか」
「わぁい」
茜は諸手を上げて賛成した。レストランのシェフとして働いていたという夏代の料理の腕は確かだ。彼女の母親である万樹にも見習ってほしいと常々思っていた。
「そうそう、空くんから茜ちゃんに小包が届いてたわよ」
「え」
うきうきと、台所の前で腕まくりをしている茜に向かって夏代は言った。
「勝手に見ちゃ悪いと思って、そのまま玄関の隅に置いてあるの。帰りに持って帰ってね」
…何だろう。今まで要件といえばメールばかりで、こういう風に物が送られてくることはめったにない。
「誕生日…じゃないよね」
「さぁ、何かしらね。そういえば空くん今年の夏休みも帰って来れないそうね」
「…」
「そりゃあ、もう子供じゃないんだからしょうがないとは思うけど、一年に一度くらいは顔出してほしいわ」
夏代は余り表には出さないが、7年前にアメリカに行ったっきり帰ってこない空のことを何かと心配している。今でも月に一度はお米や味噌などの日本の味を詰め込んだ特製ダンボールを送っていて、空兄からのメールを見る限り、こってり系の食事が多い向こうでは日本食がとても恋しくなるとのことなので、重宝しているらしい。茜は一度空からのメールで日本食の名前が羅列された件名を見て「末期だ…」と感じたこともある。
「兄貴はこっちにいるより、向こうにいる方が楽しいんだよ」
先ほどの温の言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。もしそうだとしたら、空にとって、自分や温は不要な人間なのだろうか
「ごちそうさまでした」
「茜ちゃん、プリン食べない?今日お隣の奥さんから頂いたの」
「いただきます!!」
右手を勢いよく挙げて狂喜している茜の後ろを、食器を持った温が通る。
「あら、温くんいらないの?」
「…いつも言ってるだろ、甘いのは苦手だって」
ため息をつきながら、台所に食器をつけると、リビングを後にしようとする。
「茜が食べれば。まぁ、太ったとしても俺には関係ないけど」
「温くん、もう2階上がっちゃうの?」
夏代の言葉に、温は苦笑しながら答えた。
「明日、数学の小テストがあるんだ。そこでプリンで狂喜乱舞している奴もだけど」
痛い所をつつかれた茜は、温を睨みつけてふい、と横を向いた。
「…いいのよ糖分を脳内にいきわたらせてから、家でやるんだから」
正直に言うと数学はかなり苦手だ。この間の中間テストはひぃひぃ言って、平均点すれすれだった。せめて小テストでは挽回しなければ。できれば目の前にいる私よりも数学が段違いにできる男に明日のテストのヤマを聞かせてもらいたかったが、それはすなわち茜自身のプライド傷つけてしまうことのように思えた。
(…家でやろう)
がっくりと肩を落とした茜を見て、くすくすと夏代は笑った。
(ちくしょう、可愛いなぁ)
「ねぇ、茜ちゃん」
考え事しながらプリンをスプーンでつついている茜を呼び起こすかのように、優しい声で呼びかけた。
「もし、茜ちゃんさえよかったら、こっちで暮らさない?」
「…え?」
予想外の言葉に茜はスプーンの上に乗ったプリンを落としそうになった。
「万樹ちゃんー茜ちゃんのお母さん、今とっても忙しいでしょう?最近家には帰ってる?」
「…いえ。前に帰ってきたのは4日前…かな」
「でしょう?いくらセキュリティがしっかりしてるからって、年頃の女の子一人でマンション暮らしはいくらなんでも無用心だと思うの。何より茜ちゃんも寂しいでしょう?」
茜はスプーンから手を離すと、夏代のほうをじっと見つめた。
「…大丈夫ですよ。1人は慣れてますから。それにお母さんズボラだし、一人にしておくと危なっかしくて見てられないんですよね」
好意はありがたかったが、甘えるわけにはいかない。こうして夕ご飯をご馳走になるだけでも本当にありがたいのに。
「でも、茜ちゃんも来年受験でしょう?こっちとしては子供が1人いても2人いても同じだし」
ね、と夏代は茜の手の甲に触れてきた。それはとても温かくて、いつも恋焦がれてきたぬくもり。
その後茜はまんじりともせずに、せっかくのプリンの味も理解できないまま、その日の夕食を終えたのだった
茜が夕食の後片付けを手伝って、帰宅の準備をしていると玄関のドアが開く音がした。
「あらあら、まあまあ。冬麻さんが帰ってきたわ」
心なしか嬉しそうにぱたぱたとスリッパの音を立てながら、夏代はリビングを後にした。
「ただいま、夏代」
「今日は早かったのね」
慣れた手つきで、夏代は冬麻の背広を受け取るとハンガーにかけた。
海棠冬麻 海棠家の大黒柱であり、空と温の父親でもある。それだけに切れ者らしく普段は人のよい笑みを浮かべていても、ずばりと物事を言い当てたりすることの出来る「直感」の持ち主だ。海棠兄弟の外見はどちらかといえば父親似である。
「ああ、思ったよりも早く仕事が片付いてね。おや?今日は茜ちゃんが来てるのかい?」
玄関にきちんと並べられてある、小さめの革靴を見て冬麻は言った
「ええ。お夕飯一緒に食べたのよ」
「そうか。…ついでだし、車を出すよ」
「そうね。もう遅いしそうしましょう。呼んでくるわ」
腕時計を見ると、もう10時を廻っていた。少し長居し過ぎたかもしれないと反省しながら、茜は車の窓からネオンに彩られた街を眺めていた。先ほどの会話が何度も何度も頭の中で反芻される。
「茜ちゃん」
「はっ…はい!」
勢い余ってか大きな声で返事をした茜をみて、冬麻はくすりと笑いを漏らした。
「いや、今日は何だか元気がないみたいだなぁ、と思ってね」
「いえ、そういうわけでは。…すみません、お仕事が終わったばかりだっていうのに、家まで送ってもらうなんて」
「…子供が大人に遠慮するものじゃないよ。…同居の話、夏代から聞いたんだね」
しばらく訪れた沈黙の後、最初に言葉を切り出したのは冬麻の方だった。
「実を言うと、ずいぶん前から茜ちゃんと一緒に暮らしたいって言い続けていてね。まぁ男所帯だから寂しいというのもあるんだろうけど」
「…そうなんですか」
全然気付かなかった。
「万樹…君のお母さんとも一度話し合わなくちゃいけないとも思うんだけどね、僕のほうも人の事言えない有様でさ」
茜の母親である万樹は、早くに夫を亡くし、女手一つで茜を育ててきた。もとより英語が得意なだけはあり、今は通訳業務に携わっている。冬麻からみれば実の妹に当たる。
そうこうしている内に、車は茜の暮らすマンションの前へと到着した。