地下七階 アノーマリー 1
『アノーマリー』は“異分子”という概念の事だ。
常識などの理論の中で説明出来ないもの、理解出来ない対象を指す為の言語だ。
プレイグは、それを自身の能力の名前にもし、“悪い意味”で捉えて排除、粛清しようとしていたが、ウォーター・ハウスはこの概念を肯定的な意味で捉えている。…………。
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ウォーター・ハウスは、自分自身の毒を生成する能力、そしてウイルスを生み出し、ウイルスを成長させていく能力が、実は“もっと大きな能力の一端ではないのか?”という疑問がある。
自身の能力が、毒やウイルスを生成したり、傷口を治癒したりする能力ではなくて。それは、あくまで現象として引き起こしている事柄であって。
自身の真の能力とは“他人に自分の作り出したものの、影響を受けさせる能力”なのではないのか? という事だ。毒やウイルスどころか、それは自身の発する言葉や行為にさえ付随していくものなのかもしれない。
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……おい、暴君。何故、お前が暴君って言われているのか分からないのか?
ウォーター・ハウスは、若干の倦怠を持ちながら、首を傾げた。
……お前の殺人動機とか、殺戮動機がまったく理解出来ないからだよ。なあ、暴君、お前はどういう理由で、他人を殺したり、壊したりするんだよ。どういう理由で“他人を治療したり”、“他人を救ったり”するんだよ。分からねぇよ。俺には全然、分からねぇ。俺は只の凡人だからな。お前には“物語”が無ぇんだよ。お前が御大層に熱心に読んでいる、小難しそうな小説ってのは、多分、物語が在るんだろ? ちょっと、お前と話す為に、勉強してきたぜ。“起承転結”があるだろ? 物語には始まりがあるよな? その登場人物が、動く理由だ。何が在って、どういう風に動いていくのか読者……この場合は、他人だな? まあ、いい。読者が納得出来るような理由付けをしようとするわけだ。他人は共感しようとして、理解しようとするわけだ。殺人犯は、その殺人に至る理由を知りたがるわけだ。理由が無かったり、理由がマトモな人間には理解出来なかったりするなら、もうそれは、異常者だとか、サイコパスとか、狂っている、とか言って片付けるしかなくなるわけだな? お前のもっとも不可解な部分は、他人を殺したり、壊したりするだけならまだマシなのに、他人を治したり、救ったりする事だ。これが俺には分からない。だから、お前は“暴君”なんだよ。生命を個人の主観で選別する君主みたいに振る舞いやがって。国民……、他人から見れば、どうお前に御機嫌取りをすればいいのか、本当に分からないんだろうぜ?
その男は、長々と、悪態を付き続けていた。
ウォーター・ハウスは、その男に何の興味も無かった。
何の感慨も抱く事が出来なかったし、会話する意味も持てなかった。
「ああ、まあな。だから、俺は精神科医が嫌いだ。頑張って、人格障害とか発達障害とか、DSM-4とか、他にも、その他もろもろの診断名を付けたがるな。論文書いたりして、他の精神科医を罵り合いながらな。そうやってやつらは、病気とか脳の特質とかにして、理由付けたがる。それが“システム”だ。だが、思うんだが。システムの方が異常だったらどうする? ……いや、すまん。俺は正しい事を言うつもりは無かった。しかしまあ、刑務所とか医療機関の閉鎖病棟などに、人類史ってのは、そういった理解出来ない人間を収容してきたよな? システムの維持の為にだ。もっと、昔だったら、知っているか? “ホモ・サケル”っていう概念があるんだが。人であって人で無い者として、人でありながら獣か何かみたいに追放したり、処分したりするわけだ」
……ああ、俺は秩序の側だよ。お前の言っている事は分かるが。お前の行動が胸糞悪いんだよ。お前、本当に正義の側に立つつもり無いんだろうな。お前は悪を解放したがるからな? お前は本当に徹底してやがる。お前の掲げる自由とか、牢獄からの解放ってのは、夢とか希望とか幸福とかを願っている大多数の人類にとって、本当に迷惑なんだよ。みんなな、日々を苦労して、平穏に生きようとしているんだよ。
それを聞いて、ウォーター・ハウスは腹を抱えて笑ってやった。
「まあ。あれだ。正義の味方とか英雄とか、勇者とか。この世界の救世主とか。全人類を幸福にするとか。そういった高尚で清純で高潔で善徳な事は、この俺にはとても荷が重過ぎる。他の奴らに頑張って貰うさ。それにほら、理想主義ってのも、よく人を殺す。他人を不幸にする。頑張って創り上げた正義ってのが、結果として陰惨な結末を迎えるのを、俺はいつも嘲笑しているし。全人類の幸福の結果は、多分、理解出来ない存在の始末とか人類と見做さないものの粛清とか、あるいは洗脳だとか、カルト世界の実現だとか。そういった暴力性によって成り立つんだろうが。まあ大体の人間は、正義の味方にカタルシスを覚えるし、この世界が間違っていると感じると大いなる救世主を求めたがるんだろうな。俺はそいつらの夢とか希望を踏み躙ってやりたいんだ。人間の善性の側で生きるのは、とてもじゃないが、この俺には無理だな。俺は頑張って、絶対的な悪を目指しているんだ。それに、考えてみろよ。俺から見た世界ってのを教えてやるぜ」
……何だ?
「“人間それ自体が邪悪”だ。俺は能力の性質上、植物とか動物とか、そういった人以外の生物との会話もする羽目になるんだ。人間は他の生物を殺して生存している生き物だし、善だの正義だのってのは、欺瞞過ぎる。おそらく、そういった概念ってのは、人間が絶対的な存在だっていう思考回路の下に生まれたんだろうし。人が積み上げる夢ってのは、この世界の資源を食い潰して存続しているんだろうぜ? 文明の歴史ってのは、他者を蹂躙してきた歴史だし、勝利者の歴史だな。そうやって、幸せだの夢だの何者かになりたいだの、理想を追求したいだの、余りにも浅はかで、軽薄で、何よりも滑稽過ぎる。善だの正義だの、自分自身の自己愛に酔うのは醜悪だし、理想を掲げる過程の上で、おそらくは、ありとあらゆる他人を不幸にしてきたとしても、最終的に多くの者達から、偉人だの英雄だの崇められるのは、おそらく自身の邪悪さと対話出来なかったんだろう。正義に酔っている人間程、エゴイズムの塊だし、何よりも、倫理が無い。自身のやっている事を理解していない。何よりも、謙虚さが無い。だから、俺は憎み続けているんだろうな。もう、それはどうしようもない事なんだろう」
一瞬、ウォーター・ハウスの瞳が、獰猛さを帯びていく。
そして、瞬時に、彼は冷静な顔付きに戻った。
……あーあ、耳が痛い。付いていけねぇぜ。お前は本当に話すと止まらなくなるな。しかし、やっぱり俺はお前を受け入れる事が出来そうにない。お前のやってきた事ってのは、殺人と破壊と“反社会的な存在の才能を開花させる事”だったし、お前の言説は、まともな事を言っているように聞こえるからより悪質なんだ。多分、お前はこの俺を殺す対象にしていないんだろうが。お前の創り出した連中が、いつかこの俺を殺しに来るかもしれない。だから……、俺はお前が怖いんだ。お前の狂った思考は、他人に感染していくんだからな。
「俺は思想というウイルスを撒き散らしているんだからな。もし、俺の願いが実現するなら、俺は不死になるさ。俺が死んだ後も、俺の意志がこの世界を破壊するんだろう。まあ、お前もせいぜい、巻き込まれないように気を付ける事だな?」
ウォーター・ハウスは不敵に唇を歪める。
……やはり、付いていけねぇぜ。俺は去るよ。お前のいない場所に行く。人生は短い。お前の狂った思考に構っている時間も無いのだからな。
その男の顔を、ウォーター・ハウスはよく思い出す事が出来ない。
色々な会話をして、友人と思ったような気もするが。やはり、違ったのだろう。
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