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地下六階 闇への帰結 2

 この国に生きる人間は、本当に幸福だろうな、とプレイグは思った。

 疑った事なんて無い。

 疑う理由なんてものも無い。

 人間の根源には、性欲と暴力欲が眠っていて、それは深層心理と表層心理を行き来する。

 かつて、バーチャルの世界の中でのみ果たせなかったありとあらゆる性行為を、クラーケンにおいては再現する事が可能になっている。

 人の欲望を完成させるという事は、人を掌握出来るという事だ。

 更なる完成を目指す為には、暴力欲も満たすべきだろう。現在においては、合法的に殺人や殺戮を行う為の区域が設置されていない。これからの過大は、人間の暴力衝動の方を切除していく必要があるだろう。そうすれば、反逆者の芽は今よりも格段に減少するに違いない。

 その為には、まず国民の為に、合法的に的となる人種を作るべきだろう。ハンターには、つねに、生きた的となる獲物を供給しなければならない。そして、獲物達には、自分達が人権が存在するのだと、思いこむように、この国を模した地区の中で暮らして貰おうと考えている。

 他にも、アイディアは尽きる事は無い。

 ……いっそ、脳と性器だけ残してみる人種を作ってみるか? 女の場合は、子宮も必要だろうな。

 色々と、空想と、それを実行する為のアイディアが浮かんでいく。

 プレイグはキーボードを押す。

 スクリーンの一つが移り変わる。

 そこでは、儀式の映像が流れていた。

 プレイグは、その映像を見て微笑していた。


 プレイグは、自らの行っている行為の偉大さに酔い痴れる。

 眼の前には、完全なる調和へと向かう過程が存在していた。

 見事なまでの、調律の世界がそこにはあり、一つの交響曲のようだった。

 その厳かなメロディーに、プレイグは浸っていたいと考えている。

 スクリーンの映像が途切れる。

 プレイグは、顔を顰める。

「何だ?」

 部下達が焦った声を上げていた。

 みな、混乱していた。

「動力炉の反応がありません……っ!」

 部下の一人が叫んだ。

 プレイグは苛々し始める。

「おい、お前ら、大失態だぞ。まとめて首を切られたいのか?」

 彼は、半ば怒鳴り散らしながら、部下達に向かって声を上げ始めていた。


 ……何で、こいつらは、こんなに使い物にならないんだ?

 ぶっ、ぶっ、と、スクリーンが切り替わっていく。

 プレイグは、どうやら、何が起こっているのか分からないみたいだった。

 彼の体験上、まるで理解不可能な出来事だった。

<あ、あー、えっとですね。暴君が三つの太陽を壊したので、今、俺はですね。貴方の電脳ネットワークを通じて、此処にいられるんですよ。せいぜい、懇願する事ですね>

 ざざっ、ざざっ、と、声が響いていく。

<後ですね。プレイグ、貴方、偽者ですよ。只の詐欺師だ。ウォーター・ハウスさんと、グリーン・ドレスさんはですねえ。それはそれは美しいのです。彼らの破壊が煌びやかで、狂った世界を創り出すんです。後ですね、貴方、能力者としても偽者だなあ。だって、その身体、老いないのは、専用の薬打っているからでしょう? もうイイ年のご老体なんだから、超変態なプレイ見て喜んでいる、そのスケベジジイっぷりは恥ずかしいなあ>

 部屋全体のスクリーンに、一人の顔の男が映った。眼鏡を掛けていた。

 男は不敵に笑っていた。

<ええっとですねえ。街中に監視カメラあるでしょう? どうも、貴方はまるで事態を掴めていないみたいなんで、ちょっと、ちゃんと理解して欲しいなあ?>

 プレイグは、今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

 一つの画面を残して、眼鏡の男は、今、クラーケンで起こっている映像を見せる。



 アブソリュートは機能不全に陥っていた。

 フロイラインの方も、グリーン・ドレスに完全敗北していた。


 クラーケンの敗北色はとても強かった。

 それぞれ、天空の動力炉は完全に破壊され、国土の一部は完全なまでに腐蝕の荒野と化していた。しかし、プレイグはその事実を、よく理解出来ずにいるみたいだった。

 それを見て、絶望の余り、泣き叫ぶ部下達もいた。自分達の人生は終わったんだ、と、叫ぶ者達もいた。責任の所在を考えたくない、と、叫ぶ者もいた。

 アブソリュートは、彼を維持する半壊の動力炉を剥き出しにして、大地に横たわっていた。

 フロイラインと、彼女が創り出した多頭の巨大蛇は、腐り落ちて、空の水兵隊達も、蛇に喰われて死んでいった。

 金属の最終兵器も、生物の最終兵器も、見るも無残に転がっていた。

 クラーケンを守護する、ガーディアン達は、どちらも機能していなかった。

 スクリーンには、嫌になる程に、その光景がまじまじと映し出されている。

 プレイグは部下達が騒ぎ立てている為に、何名かを、手にした銃で頭を撃ち続ける。いい加減にして欲しかった。これ程までに無能だとは思わなかった。

 プレイグの中にあるのは、純粋な怒りのみだった。

「それで? これでクラーケンを滅ぼせると思ったのか? 制圧出来たとでも?」

 プレイグは、淡々と、眼鏡の男に告げる。

<逆に言えば、貴方はもう詰んでいるんですよ? 首から下は無いでしょう? 暴君と緑の悪魔さんはよくやってくれました。貴方の情報ネットワークも、私が掌握しました。これから、クラーケン中に住まう者達の洗脳を解き放とうと考えています>

「お前、馬鹿か?」

 プレイグは困ったような顔になる。

「何故、そんなに人を不幸にしたがるんだ? お前のやっている行為は悪なのだぞ? 何故、それ程までに狂った行動が出来るのだ?」

 プレイグは、抑揚の無い声で、ボーラに訊ねていた。

 プレイグにとっては、ボーラこそが狂人だった。本当に理解不可能な人間であり、まともな脳構造をしていない者だった。

<そうでしょうね……。処で、プレイグさん、貴方の年の離れた実の妹である。フロイラインは死にましたよ。ネットの中から映像を見ていたのですが、見事な戦いでした。グリーン・ドレスさんも、きっと心の中で、賛辞を送っているに違いない。でも、空の水兵隊は全滅ですね。貴方達がガンバッて作ってきた軍隊は、ぐっちゃぐっちゃに壊滅状態なんだなあ。あっはっはっはっはっ>

 プレイグはやはり、無感動な表情のまま、訊ねた。

「そう言えば、お前の名前は何だったか?」

<俺はボーラと言います。暴君の崇拝者で、赤い天使の信奉者です。彼らはとてつもなく、美しい。美しいくらいに、秩序を破壊してくれました。彼らの破壊の美に、俺の思考も正常でなくなっているのかなあ? あははっ、彼らの狂気が俺にも感染していますねえ。それはそれで、素敵な事なのかなあ? ぶはははははっ>

 眼鏡の男の哄笑が響く。

 プレイグはただただ、無感情のまま、クラーケンの映像を眺めていた。

 怒りも、憎しみも、彼には湧いてこなかった。妹の死に関しても、何の感慨も抱く事は無かった。彼が考えていたのは、どのくらいの時間と、どのくらいのコストを割けば、国を元に戻し、研究と完全への過程を続けられるのか? という事だけだった。

 これは天災みたいなものなのだろう、と、プレイグは割り切る。

 仕方が無い事なのだ。完全にも、不完全は存在する。

 クラーケンが、立て直したのならば、今度は外部からの攻撃にもより注意を払っておかなければならない。

「君はクラーケンを完全に機能不全に陥らせる事が出来ると、本当に思っているのかな?」

 プレイグの表情は、陰湿そのものになる。

 彼の全身から、ドス黒い何かが漲っているかのようだった。

「みな、愛国者であるべきだ。国民全体が、この国の弾丸なんだよ。これから、総力戦を開始しなければならなくなるな。しかし、お前を捕らえる事は大きな目で見るならば、この国の未来の発展になるかもしれない」

 眼の前の男を捕縛して、脳の中を弄ってみよう。

 そして、情報媒体を抽出する事は出来ないだろうか。

 利用価値は、確かに在る筈なのだ。


<だから、無駄だって言っているでしょう? ネットワークは、俺の能力で封鎖していますし、事前に対策は全て完了しているのですよ? それこそが、俺の能力なんですから>

 眼鏡の男の顔は、呆れていた。


「あの赤い炎の翼の女だが。捕らえれば、この国の未来に貢献出来る。なあ、ボーラと言ったかな? 既に、彼女はウイルスで対処する事にしてある。この国には、どのような強靭な持ち主の肉体をも無力化する細菌が創られている。ウイルスもな。感染源は、フロイラインの死体を使う事にする……」


<だからあ、それも無力化しているんですってば。ウォーター・ハウスさんが、事前に、最初に現れた水兵隊の死体から、彼女達に感染しているであろう、ウイルスの構造を調べて全部、読み解いちゃって、グリーン・ドレスさんや、この俺に感染しないようにワクチンを事前に注入しているんですよお。取るに足らない時代遅れの兵器だな、って言っていましたよお? あの程度じゃワクチンを打たなくても、緑の悪魔さんを封殺する事なんて出来なかったんじゃないですかあ?>

 ボーラの声は、半ば呆れていた。

 プレイグは、無言のままだった。

 彼の背後から、眼の無い、牙ばかり生えた、大きな鉤爪の怪物が出現する。

 これは、彼が『アノーマリー』と呼んでいる力だった。

 そして、その鉤爪は、スクリーンの中へと侵入していく。


<それも、無駄ですよ。貴方の能力は、この国の洗脳によって対象に発動させるに過ぎないんですからねえ>

「やってみなければ、分からないぞ?」



 電脳空間内にて、ボーラは、巨大な鉤爪からの攻撃を避け続けていた。


 何だか、緩やかな気分だった。

 もうすぐ、全てが終わろうとしているのだろう。

 そして、その終焉に、この国の主はまるで気付いていないのだ。

 プレイグは恐ろしい事に、マシーンとしか思えない感情の持ち主だった。

 ひたむきに、事態の対処と、未来の効率のみを念頭に思考している。

 狂気とか、異常とか、それ以前に、彼はそういうものなのだろう、と、ボーラは思った。

 人としての感情が、何処か完全に抜け落ちていた。そして、彼はどうもそれを自覚していないみたいだった。

 自らの欲望でさえも、完全に国の為のツールとしか思っていないみたいだ。

 ボーラは考える。

 この男の心を、へし折ってしまいたい、と。

 ボーラは知っている。

 この男の創り上げてきたものは、全てが大伽藍に過ぎない事を。

 しゅん、と。

 二つの鉤爪の生えた腕達は、彼を八つ裂きにしようと迫ってきた。幾ら、電脳空間と言えども、この攻撃を受ければひとたまりも無いだろう。

 ボーラは、浮遊しながら、攻撃を避け続ける。

 そして、よく通る声で、画面の外にいるプレイグに告げた。


「フルカネリさんは、もうこの世界にいませんよ? 俺もあの人の痕跡を追ったのだけれども、見つかりませんでした。あの人は、クラーケンを見捨てたんですよ」


 ぴたり、っと。

 鉤爪の動きが停止していた。

 そして、ずずずっ、と、鉤爪は画面の外へと向かっていく。



 プレイグは、椅子から転げ落ちていた。


「何だ、と……?」

 彼は、ボーラに言われた言葉を吟味する。何故、この名前が出てくるのだろうか。おそらくは、プレイグ以外には知らない筈なのにだ。

「どういう事だ? おい、どういう事なんだ?」

<だから、クラーケンは失敗作だったのでしょう。だから、見捨てられたんだ。国家としての失敗作だった。『フルカネリ』さんが望んだ、純粋なまでの混沌なんかじゃなかった。ただ、それだけなんでしょうね。何ていうか、貴方のやってきた事は。貴方達がやってきた事の全ては無駄だったんですよ。何故なら、貴方の神は、それを望んでいなかったみたいだし。此処の国の全ては紛い物だったのでしょう>

 ボーラは、プレイグのみに通じる話を、延々と続けていく。

 プレイグに粛清されずに、生き残っていた何名かの、彼の部下達は、部屋の隅で震えながら、その光景を眺めていた。

 プレイグは、気付くと、地面に尻餅を付いていた。

 そして、がりがりっ、と、自らの首の後ろを掻き毟っていた。長い髪で隠れた、首の後ろをだ。

「おい、貴様。それが本当なら、俺は何の為に生きてきた……?」

<さあ? 傀儡とか。んん、でも、傀儡でさえ無いかもですね。もう、糸は切れて放っておかれた人形なんだから>

 がりがりっ、がりがりっ、と、プレイグは首の後ろを掻き続ける。

 そして、ぼんっ、と、何かを投げ捨てた。

 まるで、それは虫歯を削った歯の詰め物みたいだった。

 プレイグの首の後ろに深く詰め込まれた何かだったのだろう。それは、彼の日々の怒りを制御する為の装置だった。ストレスが重なって、側近の部下に過剰に残虐性が向かわない為に付けられた装置だった。

 しかし、怒りよりも、彼は別の感情に襲われていた。

 彼は、呆けたような空ろな顔で、天井を眺めていた。

 彼は、このような感情を、百歳近く生きていて、初めて知ったものだった。それはおそらくは、絶望という感情なのだろう。ボーラの言葉に何の嘘も無い事は、電脳ネットワークの波動を通じて知っていた。知っていたが故に、此方が心に受けたダメージも大きいものだった。


「俺は、この俺は、この国の神の代弁者なのだぞ? せいぜい、数年程度で移り変わる、国の表向きの、国家元首よりも偉大なる存在なのだぞ……?」


<違います。貴方は只のクズです>


 ボーラの声は、室内に明瞭に響き渡る。

 ぷっ、ぷっ、ぷっ、と、プレイグの背中から、何か煙のようなものが、噴出していた。

 どんっ、と、銃声が響いた。

 どうやら、部下の一人が、スクリーンを撃つつもりが、間違えて、プレイグを撃ってしまったみたいだった。その男は泣きながら、地面に崩れていた。

 プレイグは撃たれた箇所を見る。

 まるで、完全に予定調和だった。

 プレイグの腹の部分に、孔は空いていた。どくどくっ、と、赤い色の液体が滲み出ているが、それは何も問題では無かった。問題があるとするならば、彼の腹の部分に、老化防止の装置が入っており、彼の全身に特殊なナノマシンを駆け巡らせていた事だった。


「おい、お前、何している? なあ? お前……」

 プレイグを撃った部下は、がちがちっ、がちがちっ、と、頭を抑えていた。プレイグは彼の瞳を覗き込んで理解する。……ああ、既にボーラという男は、事前に、こいつにも仕掛けを施していたのかと。


「俺は、この俺は、偉大なる神の代弁者だ。神そのものに等しい存在なんだぞ? いや、俺こそが、クラーケンの神だったんだぞ? それを……それを……」


<フロイラインさんは、可哀相な人でしたが。もしかすると、彼女は最期にグリーン・ドレスさんに救われたのかもしれませんよ? さて、貴方を救ってくれる人はいるんですかねえ? 命以上に、貴方の魂を救ってくれる人なんているんですかねえ?>


 ぷはあっ、ぷはははっ、はははっ、と、眼鏡の男は哄笑する。

 プレイグは、自らの髪を引き千切っていた。面白いように、引き千切れていく。彼の髪は変色していった。鮮やかな金髪から、傷んだ白髪へと。

 ごりごりっ、と、彼は口の中から、歯を吐き出していく。

 彼の全身は、一気に、五十年以上も、年を取ったような姿へと変わっていく。

 急速な衰微だった。

 ナノマシンの暴走と、そして……彼自身のメンタリティの失調にも問題があったのだろう。べきべきっ、と、彼の腰骨は曲がっていく。

「ふざけやがって、クズは貴様だ。私は崇高だ。私の目的は達せられる。フルカネリ様も、私を認めてくれるだろう。戻ってこられる筈だ」

 そう言うと、プレイグの背後から、再び、鉤爪の怪物が現れた。

 そして、プレイグはその怪物と一体化していく。

 彼自身が、真っ白な怪物へと変貌していく。


 そして、プレイグは自身が、スクリーンを通して、電脳の海へと飛び込んでいく。




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