政変と青春
六月某日。西条総志は日野沙弥加に誘われて全中バレーの地区予選の応援に訪れた。
「良いけど、なんで地区予選?」
「県大会に入ったら私たちの予選も始まって暇がなくなるでしょ」
とのこと。
「一緒にインターハイに出ましょうね」
「女子バレー部はともかく、うちの男子バスケは予選を勝ち抜けるほどの戦力は」
「そんなこと言っても、ただ負ける気はないでしょ。うちの県は二校出れるんだし」
ちょっと前なら自分ひとりでも勝ってやると思っていたのだが、先の校内球技大会で弟矩総に敗れて落ち込んでいた総志である。
「今日の相手は?」
「北女よ」
中高一貫の女子学校で、地区では最大の強敵である。
観客席に入ると、彼女を見付けた後輩たちが直立不動で挨拶してきた。
「君は人望あるねえ」
と褒めたつもりなのだが、
「人望なのかしら」
と首を捻って苦笑する沙弥加であった。
「相手に随分と大きな子がいるけど。しかもどっかで見た覚えのある」
「刹那じゃないの。昨年はいなかったのに」
沙弥加の従姉妹野田刹那。今年二年生だが、あの上背なら一年からレギュラーを取ってもおかしくない。
実際の試合を見る限り素人臭さが抜けていない。がそのブロックは高くて強力だ。動揺したのか第一セットは取られてしまった。
「何やっているのかしら」
沙弥加は最前列へ駆け寄って、コートにいる後輩たちに向かって何やら合図を飛ばしている。
戻ってきた沙弥加に、
「君ならあの壁をどう破るんだい?」
と総志は興味深げに聞いてきた。
「破るのは私の役目じゃないわ」
「あの高さと反射神経じゃ、君がいくら揺さぶっても効果はないだろうしねえ」
刹那のブロックはトスを見てから跳ぶリードブロックなので、反応できないほどの速攻でもない限りブロックそのものは防げない。後はスパイカーのテクニック次第と言うことになる。
沙弥加は最前列まで出て、後輩に何やら合図を送った。それを受けて第二セットはトスがわずかに早くなり速攻が増えた。と同時にブロックアウトが増えた。どうやらブロックの角度をわずかに変えて外側を狙っているらしい。
沙弥加の後輩たちは第二第三を取り返して見事に逆転勝利した。
「ああいう微調整を出来るのは大したものだけど、それ以上に驚いたのは君と後輩たちの信頼関係だな」
「西条君はなまじ何でもできるから、一人で何でも背負込んでしまうものね」
「一人では勝てないと言うのはこの間嫌と言うほど思い知らされたよ」
と苦笑しつつも納得する総志であった。
「デートですか?」
と二人に声を掛けてきたのは野田刹那である。
「まあそんなところ」
と笑う総志に対し、
「いつの間にバレー部に入ったのよ?」
刹那は二年生なので、去年はどうしていたのかと言う含みがある。
「助っ人です」
と刹那。
「去年も声を掛けられたのだけど、先約があったので」
「先約?」
と聞いたのは総志。席を左に一つ寄って、刹那を座らせる。沙弥加は左右を巨体に挟まれる形になって窮屈そうだ。
「競技カルタ部です」
「ああ。希理華ね」
「久世君、中学ではそんなことやっているのか」
そこに女子バレー部の後輩たちもやってきた。
「日野先輩、ご無沙汰しております」
と一同深々と一礼。その後、
「あのそちらの女性はお知合いですか?」
現主将が代表して聞いてきた。
「従姉妹よ。母同士が姉妹なの」
「あんまり似ていませんね」
沙弥加は細面の狐顔で、刹那は丸い狸顔と評したのは相棒の西条総美だったか。
「そもそも母と叔母もあまり似てないけど、私は母親似でこの子は父親似。と言うか伯母似ね」
「彼女は野田刹那。元五輪代表の野田阿僧祇選手の娘で、と言うよりも水泳の野田なゆたの姪と言う方が通りがいのかな」
と総志が補足する。
「道理で。どこかで見た覚えがあると」
一同が納得する。
「あの。こちらの殿方は先輩の彼氏さんですか?」
「西条総志。男子バスケ部の前主将、と言うより彼女の相方西条総美の双子の弟と言う方が分かりやすいかな」
「やっぱり」
「お二人は付き合っていたんですね」
と声が上がる。
「何よ、やっぱりって」
と沙弥加が頬を紅潮させる。
「西条先輩がそんなことを仄めかしていて」
と後輩の一人。
「OKを貰ったのは高校に入ってからだけどな」
「申し込み時代が高校に入ってからでしょ」
「要するに、昔から相思相愛だったのね」
と刹那が茶化す。
「それはそうと、男子の試合が始まるよ。応援に来たんだろ」
と話を切ろうとする総志。
「今の男子部はどうなの?」
と更に被せる沙弥加。
「強いですよ。去年の、先輩の引退試合ではうちが2-0で勝ちましたけど。今のチームで戦ったら0-2で負けます」
「でしょうねえ。でかいだけの素人ブロックにてこずるくらいだから」
と手厳しい沙弥加。
「でもブロックの基礎を教えてくれたのはさや姉でしょ」
「あれから全然進歩してないけどね」
さて男子部の試合であるが、
「昔ほど力任せじゃ無くなったわね、春真君」
「だいぶ良くなってきたかな」
と上から目線の兄。
「何かテクを仕込んだらしいわね。去年はまだ未完成だったけど」
沙弥加も総志の入れ知恵は聞いているが、
「あんなこと本当に出来るの?」
「俺には出来ないけど、あいつならやるさ」
男子部の方は危なげなく勝利しともに県大会への出場を決めた。
「さて、俺たちも来週から公式戦だな」
と互いに気合を入れあう二人であった。
インターハイ予選の直前、
「バスケ部の助っ人をしてくれないか」
と矩総は兄西条総志に持ち掛けられた。彼が示した県予選のトーナメント表を見ると、
「うちのブロックにはあの海東高校がいるんだ」
県内最強の王者で、実に三十年以上インターハイ出場を逃したことがないという。
「うちは代表二枠なんだが、決勝リーグに進まないとどうにもならない。つまり海東に勝たないと全国行きはないってことだ」
「無理ですよ。僕の弱点は説明したでしょ」
五分以上全力で動けないのではとても戦力にならない。
「ならばせめて知恵を貸してくれ」
どうやらこれが本命らしい。先に助っ人を断っただけに、追加のお願いは断りにくい。
「僕の献策を受け入れるだけの素地が今のバスケ部にありますか?」
とかなり吹っかけてみたが、
「何かあるんだな、作戦が」
矩総の披露した戦術は、一言でいえば西条総志の力を最大限に生かすことである。総志がボール運びからシュートまで一人で受け持つのは中学時代と同じだが、残りの四人の味方はアウトサイドからの支援砲撃に徹する。
「名付けて四人シューター作戦」
「そのまんまだな」
総志以外の四人をゴールの真横と斜め四十五度に配置して、総志が中で止められた際にパスをもらって外からスリーポイントシュートを狙う。入れば三点、外れたら総志がリバウンドを取ってそのまま叩き込む。要点はそれだけである。総志の突入路通となる中央を空ける、変形のアイソレーションと言えるだろう。
「シュートの成功率は五割あれば十分です。むしろそれ以上は作戦の邪魔になります」
シューターは五本入れたらベンチと交代する。
「四人のシューターがそれぞれ五本入れたらそれだけで六十点。外れた半分は兄さんが拾って入れるからそれで四十点。合わせて百点取れれば大概の試合は勝てるでしょ」
「机上の空論と言う気がするが」
「兄さんが一人でボールを運んで、リバウンドまで面倒を見る。すべては兄さんのスペック頼みの作戦ですからね」
そしてインハイ予選。
「まさか本気でやるとは思わなかった」
試合を見た矩総は他人事のように呟いた。矩総の作戦を実行した南高校はブロック決勝まですべて百点ゲームで圧勝してきた。
「良く先輩たちを説得できましたね」
「球技大会での実績があるからな」
「分かってると思いますけど、この作戦は兄さんが一対一で止められないという前提で組まれていますから」
「重々承知しているさ」
海東にも総志と一対一で戦える選手はいなかった。仕方なくダブルチームを仕掛けてくるが、それでも総志は止まらない。
「良く動くわねえ」
矩総の隣で見ていた沙弥加は感心している。
「人間の筋肉には速筋と遅筋とがあって」
と説明を始める矩総に、
「知っているわよ。赤身と白身でしょ」
と身も蓋もない理解を示す総美。瞬発力を生む速筋は白色で持久力を支える遅筋は赤色である。
「その両方を兼ね備えた中間筋と言うのがあるんだけど、これは遺伝で決まっていて鍛えて増やすことができない。兄さんはこの中間筋の比率が常人の倍以上あるんだ」
中間筋は最大出力では速筋に劣り、持続力では遅筋に劣る。故に多すぎるとどっちつかずになってしまうのだが、総志の場合は三者の配分が絶妙らしい。
「瞬発力と運動量の両方を必要とする競技では無敵ってわけね」
「バレーよりもバスケを選んだのは正解だったのかしら」
「本人は自覚していないだろうけどね」
この日はスリーポイントの決定率が高く、二人がノルマを達成して交代となった。その分総志の出番が減って本人的には消化不良だったようだが。
海東高校の予選敗退は地元ニュースのトップに挙げられる大評判となった。海東高校は監督が辞表を提出するところまで行ったらしいが、
「中学時代から高く評価されていたあの西条総志を取れなかったこと」
がそもそもの原因だとして落ち着いたらしい。
「たった一人のスーパーエースに、すべての戦略が覆されたんだから仕方ないよねえ」
「だが、全国大会でもこの作戦が通用するとは限らないが」
なおも謙虚な総志であるが、
「この作戦の唯一最大の落とし穴は、兄さんを一対一で止めること。それができる選手が居たらそこまでだね」
「その対策は?」
「そこまでは責任を持てないよ」
総志が止められたとき、他の四人がどのようにフォローするかになる。それは一朝一夕にできることではない。
「一応布石は打っておいたけど、あと一カ月じゃ間に合わないね」
シューターを担当するのは三年生の三人と二年生の四人。これがローテーションでスタメンを務めることになっていた。
六人いた二年のうち一人は背が小さすぎてシューターに向かず、一人は身長は総志よりも高いが高校デビューの素人でそもそもシュートが全く入らない。この二人には一年生とともに別メニューで特訓を施されていた。そして二年生シューターの中でも一人本職のシューティングガードがいて七割以上の成功率を持っていた。
「これが八割九割となれば使えるんだけど、七割ちょいだといささか物足りない」
そこでローテーションからは外されて、接戦になったときの切り札として温存され、結局出番がなかった。
「兄さんは今はポイントガードからセンターまで全部受け持っているけど」
「シューター以外な」
「うん。見た限り一番不得手なのはパス回し」
と言うか、中学時代にはパスをもらうばかりで出すことがなかった。矩総の立てた作戦はパス回しを意識させるという意図もあったのだが、
「パス回しは将来的には他の選手にやってもらって、兄さんはインサイドに専念してもらうのが理想だ」
「阿賀野さんはどうなんだ?」
これが二年生で最も小さな選手だが、
「ドリブルは上手いんだけど視野が狭い。ガードよりもスモールフォワードの方が可能性があるね。シューターの水戸さんをコンボガードにする方が良いと思うよ。あとチーム最長身の佐原さんは、リバウンドだけならかなり使えるようになった。ただ彼をゴール近くに置くと、兄さんの進入路を邪魔しかねないので、今のところ守備にしか使えない」
そこまで責任は持てないと言いながらも随分と入念なアフターケアである。
「うちの方にも助言がほしいんだけど」
と沙弥加が声を掛けてきた。
「バレーは専門じゃないんだけど」
と渋る矩総。
「次の準決勝の相手が厄介なのよ」
と構わずに話を進める沙弥加。
「鎌倉女学院の五十嵐姉妹だね」
百八十センチを超える長身の三つ子姉妹である。
「中学時代にも対戦したことがあるんだけど、あの時はこんなに大きくなかったのよね」
「うちの最長身は蒲生キャプテンだっけ?」
「ええ。キャプテンが百七十八センチで、次がふうの百七十四。殿崎副キャプテンが百七十二よ」
両チームのスタメンの平均身長は十センチ近く違う。
「でもそれはこちらのセッターが極端に低いから」
向こうのセッターは五十嵐三姉妹の一人なので、セッターだけで三十センチの差がある訳だ。これを外せば差は五センチ以下になる。
「双子には二種類あるけど」
「知っているわよ。一卵性と二卵性でしょ」
「よく言われる双子のテレパシー的なものは一卵性の話で、二卵性だと普通の兄弟姉妹が同年齢なだけ」
「だから?」
「三つ子の一卵性ってことはないから仲の二人が一卵性で、残りは別のDNAってことになるよね」
「多分、セッターをやってる真ん中がそうだと思うわ」
「それだったら、ずっとコンビを組んでいる沙弥加さんと姉さんのコンビも決して負けてないと思わない?」
「確かに」
「五十嵐姉妹の二人は同じポジションで対角に配置されるから両方が一遍に前衛に並ぶ事は無い。だったら恐れる必要もないと思うよ。スペックが同じで考え方も同じなんだから、むしろ分かりやすい」
敵味方が入り乱れる競技なら二人がごちゃ混ぜになって分かりにくいが、バレーボールなら二人が役割を入れ替えることはできない訳だ。
「どうやら難しく考えすぎていたみたいね」
「沙弥加さんは感覚派なんだから、あまり考えすぎないことだよ」
西条姉弟は揃ってインターハイ出場を決めた。
「寄付金を求められて大変だったわ」
と矩華。
「断ったの?」
「私は政治家瀬尾総一郎の妻だから」
南高校は総一郎の選挙区内なので、妻である彼女が寄付をすると問題になる可能性があるのだ。
「私は出したわよ」
と西条志保美。南高のOGにして出場選手の保護者でもあるので問題はない。
「私も一口」
とやはりOGである不破瞳。
「私たちは直接関係ないからねえ」
と顔を見合わせる希代乃と真冬。
「きよねえの場合、大会スポンサーでもあるから余計に寄付は拙いでしょ」
「全く窮屈だな」
総一郎は呟いた。
そして大会本番の八月。矩総も母矩華とともにはるばる応援に向かったのだが、後から合流するはずだった総一郎と華理那が急に来られなくなった。
「どうしたの?」
「佐倉井総理が倒れたらしいわ」
これにより民自党と公民党との連立は事実上解体する。
「私は帰るけど、あなたはどうする?」
と言われ、
「一緒に帰るよ」
と答えた矩総だった。
その所為とは言えないが、その日総志のバスケ部も総美のバレー部も敗退した。総志は三回戦、総美はベスト8で夏を終えた。
「やっぱり全国は広いねえ」
総志は敵のエースを相手に動きを完全に封じられた。
「身体能力では負けていなかったのに」
動き出しを止められてスピードに乗った動きが出来なかったらしい。
「やっぱりディフェンスは経験が物をいうんだね」
「お前の方はどうなっているの?」
と聞き返してくる総志。
矩総は入学直後から政治研究部への勧誘を受けていた。その時には断ったのだが、今回の解散選挙を受けて再び接触してきていた。
「あれは研究部とは名ばかりで、単なる瀬尾総一郎ファンクラブになっていたから」
しかし瀬尾総一郎が出馬しないと表明したために一部のコアな信者が部を去っていた。辞めたのは全体の三分の一。
「むしろ思ったよりも残ったな、という印象だよ」
矩総は部の集まりに顔を出して一つの提案をした。
「瀬尾総一郎不在の選挙区で誰を押すべきか」
これを研究課題として討議してほしいと申し出たのだ。
候補者は三名。公民党と共労党の現職。当然に比例復活であるが、他に保守系無所属の新人が立った。これは民自党が公民党に対して統一候補として提案し、調整が間に合わなかった人物である。
残っている部員は七名。そのうちの三名がそれぞれの候補者に取材を行い、推薦候補としてディベートを行うこととなった。残りの四名プラス矩総は判定役となる。
それぞれに一長一短があって誰か一人を揃って押すまでには至らなかったが、
「なかなかに有意義な討論でした」
と父に語る矩総。
「父さんが普通に出ていたら、僕もあまり考えずに投票していたと思うので、結果としてよかったと思います」
「それでこそ取りやめた意義もあったな」
「まさかその為に?」
「そんな訳ないでしょ。単なる後付けの理屈よ」
とばっさりと切り捨てる矩華。
総一郎と矩華はマスコミに邪魔されるのを警戒して期日前に投票を済ませ、矩総は兄総志と二人で投票所に向かった。どうせなら開始直線に行ってからの投票箱を見てやろうということになって早朝から出発した。
「姉さんは公民権試験を受けてないの?」
「三年の時は受験で忙しかったらしくて」
「そういう兄さんは?」
公民権試験は十五歳から十八歳までの少年に選挙権を付与するための資格試験である。これは二月と五月と八月と十一月の年四回行われ、十五歳になる半年前から受けられる。資格を得られるのは満十五歳になった後であり、矩総は誕生日前の五月にこれをクリアした。
「八月は大会が忙しかったから、その後の十一月に受けた」
一足先に投票を終えて出口で待っていた矩総は、一人の美少女とすれ違った。
「お待たせ」
と兄に声を掛けられるまでしばし固まっていた矩総。同年代だと思うが、彼の記憶にはない。と言うことは同じ学校ではないのだろう。とそこまではすぐに思考が及んだが、
「どうかしたか?」
と聞かれて兄に聞いてみるという発想がなぜか起きなかった。この投票所に来たということはこの辺の学区内に住んでいるんだろうから、総志が知っていてもおかしくないのであるが。
「二人とも早いわね」
と声を掛けてきたのは日野沙弥加。
「あれ、日野君は選挙権を持っていたのか?」
「私は四月生まれだから。父に言われて最速で、中二の十一月に取ったわ」
「なるほど」
七月生まれの総美や総志はその時点ではまだ受けれれない。
「ふうに連絡したら、彼女はまだ持っていないんですってね」
と苦笑する沙弥加。
「君の受験勉強に付き合って受け損ねたんだと」
「私の所為にされても困るわ」
沙弥加との遭遇で総志に聞くきっかけを失ってそのままになった。
運命のニアミス。
選挙結果については別の場所にて。