断絶の壁、その向こうで
「ユリ熊嵐」
僕らが誰かと向き合う時、その本人とだけただ向き合い、その人を理解するということはどれほど少ないことだろう。僕らが誰かと関係を持ったその瞬間に、たちまちまた他の誰かが二人以外の存在がそこに現れて来る。二人きり、というのは僕らにとってとても難しいことなのだ。
「ユリ熊嵐」は凶暴化したクマと人間とが壁で断絶された世界を舞台に、一人の少女と一匹のクマ、そして、彼女らを取り巻く人びととの「関係」が描かれている。毎話、冒頭のナレーションで語られる「私たちは最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった」の言葉に表現されているような、関係というものが内含する矛盾や複雑性が作品を通じ語られることとなる。
主人公の椿輝紅羽は母を<クマ>に殺された過去よりその存在に異常な敵対心を抱いている。しかしながら、彼女は失った幼少期の記憶の中に<クマ>である百合城銀子の存在があることに気付く。母と三人で過ごした幸福な過去と、自身の<トモダチ>を殺した存在であるという現実。この境界で、紅羽は銀子という存在に苦悩する。
そして、銀子もまた、紅羽の存在に苦悩する。紅羽の失われた過去と自らに向けられる銃口との現実とに悩むこととなるのだ。だが、彼女は<スキ>を諦めず、失われた紅羽の記憶にしか自らが<承認>されないことを知りながらも、彼女に想いを寄せ続ける。二つの苦悩はやがて、一つの結末として衝突する。
彼女らが生きる世界はその互いにとって苦しいものだ。<透明な嵐>が支配する紅羽の世界も、欲望を秩序とする銀子の世界も、そのどちらもが彼女らを<排除>しようとする。しかしながら、その世界の中に二人が幸福であった瞬間が確かに存在したのだ。なぜその時間は失われてしまったのか、ここに物語は終着する。
それぞれの世界が、それぞれの存在を否定するこの残酷な現実の中で、彼女たちは何を望み、そして、奪い、手に入れ、また、失ってゆくのか。物語の面白さはここにある。そうだ、タイトルの「ユリ熊嵐」には、「ユリが熊と出会って嵐が起こる」との意味が込められているそうだ。けれども、ユリだとかクマだとかってのは正直どうでも良いことだろう。二つの存在が出会えば、そこに必ず嵐は起こるのだろうから。




