Final Hour
モータースポーツを題材とした短編小説です。
創作要素を含みますので、そういうものだと理解された方はどうぞ。
「残り1時間です」
涼やかな声で残り時間を告げてくるディレクター。私は最後に控えるであろうスティントに備えて、可能な限り追い上げてくるライバルとの距離を稼ぐ。
既にトリプルスティントに突入しているが、ハードタイヤを装着していた上に前半のダブルスティントはペースを上げずにキープしていたおかげもあってか、タイヤの摩耗度はそう高くはない。まだ行ける。
コントロールラインを越えた瞬間から、自分の中のギアを1つ上げる。さあ、勝負だ。
『ル・マン24時間耐久レース』
それは、世界中が注目する最高峰のレース。世界三大レースにカウントされる、モータースポーツの黎明期から続いてきた伝統的な一戦。
ル・マンの栄光は他の追随を許さず、完走そのものが名誉、参加するだけで人生に影響する程の価値がある。
だからこそ、参加する全ての自動車メーカーは己の威信を賭けて全力で挑む。ル・マンでの優勝は即自動車マーケティングに多大な影響を及ぼす。手など抜けるはずもない。
近年のル・マンは、幾つものレギュレーション変更がなされてきた。
GTLM1とGTLM2の2クラスを『LM-GTE』クラスに統一、更に『LM-GTE Pro(プロ)』クラスと『LM-GTE Am(Amateur=アマチュア)』クラスに分割された。
最強のクラス『LMP1』が『LMP1-H(Hybrid=ハイブリッド)』と『LMP1-L(Light=ライト)』でワークスとプライベーターに分けられた。
環境規制の動きを受けて、燃料流量の制限や電力エネルギーを用いたマシンへの義務化が進められた。
そして、参戦メーカーにも変化が訪れた。アウディが席巻するル・マンにトヨタが参戦し、数年の後に耐久王と謳われたポルシェが戻ってきた。
その翌年は日産が参戦し、その更に翌年にはプジョーとマツダの復帰宣言。かつてLMP1はジャガー、ザウバー(プジョー、マツダと同年復活)、メルセデスワークス、フォード、シャパラルと撤退が相次いだものの、近年徐々に参戦するメーカーが増えてきたのは景気の問題か。はたまた、レギュレーション変更の成果か。
LM-GTEクラスは数年前、前代未聞のレギュレーション大変更が行われた。過去GT2と呼ばれていたLM-GTEクラスと『GT3』規格がレギュレーション統一を行ったのだ。細部のレギュレーションにかなりの違いがあったこの2クラスだが、基本をGT3側で合わせることによって難題を次々とクリア。最終的にFIAにてレギュレーション案の採択がされたのは協議開始から僅か3ヶ月後のことだった。
これにより、ル・マンに参戦したくても財政的に厳しく断念せざるを得なかった世界の各チームが、比較的廉価で買えるGT3マシンを調達しシリーズに参戦することができるようになった。
このレギュレーション変更の成果はすぐに出始めた。ル・マンですら50台前後、シリーズには30台程度しか参戦していなかった『WEC(World Endurance Championship=世界耐久選手権)』が、シリーズで最低50台、ル・マンに至っては100台を超える事態になり、ル・マンに久し振りに予選落ちのルールが戻ってきた。
それでも決勝進出台数は80台オーバー、初年度こそ83台の決勝レースだったが、今年は全104台が出走する異例の事態に。ピットもニュルブルクリンクを連想するような1ピットを複数のチームで使うような状態に発展。しかし、LMP1とGTE Proのワークスチームだけは通常運行だった。プライベーターチームがその分押し込まれたことになる。
さて、レギュレーション変更の説明はここまで。今年行われているル・マンのスタートから23時間分の要点をピックアップ、ダイジェストで振り返ろう。
スタートは晴天。決勝進出は104台。内LMP1が6ワークス12台(LMP1-Hybrid)と4チーム6台(LMP1-Light)。LMP2は22台の出走。GTEはワークスを含む63台(Pro26台、Am37台)が決勝に出た。残り1台は新技術試験用参戦枠『ガレージ56』からの参戦。総合的なポールポジション(決勝日のスタート列での一番前をこう呼ぶ)はアウディが獲った。その他LMP1のマシンのグリッドは以下の通りである。
1番手、アウディ R18 e-tron quattro(2号車)
2番手、トヨタ TS040 Hybrid(7号車)
3番手、ニッサン GT-R NISMO prototype(10号車)
4番手、マツダ LM55 hybrid(5号車)
5番手、トヨタ TS040 Hybrid(8号車)
6番手、アウディ R18 e-tron quattro(3号車)
7番手、プジョー 908 HDi Hi:BRID(16号車)
8番手、プジョー 908 HDi Hi:BRID(17号車)
9番手、ポルシェ 919 Hybrid(14号車)
10番手、マツダ LM55 hybrid(6号車)
11番手、ニッサン GT-R NISMO prototype(11号車)
12番手、ポルシェ 919 Hybrid(20号車)
以上がLMP1-Hybridクラスの12台である。表記だけを見ると戦力図が見えそうだが、実際のところは判断できない。ストレートスピードならポルシェがダントツだ。ブレーキ性能ならトヨタに軍配が上がる。レスポンスの良さならアウディがトップだし、トルクの安定性ならニッサンになる。どのマシンにも個性があるため、一概に速さの評価はできない。
以下はLMP1-Lightクラスの6台のグリッドだ。
13番手、レベリオン TOYOTA R-One(12号車)
14番手、レベリオン TOYOTA R-One(13号車)
15番手、LOTUS P1/02(9号車)
16番手、LOTUS P1/02(15号車)
17番手、ペスカローロ ジャット CV7(1号車)
18番手、ザウバー メルセデス C11(19号車)
ここまでがLMP1クラスのマシンのスターティンググリッドになっている。
余談だが、近年のル・マン24時間の予選では『予選時に計測された2人ラップタイムの一番速いタイムと二番目のタイム、計4ラップの平均ラップタイム』でグリッドの順番が決まる。ゆえに、1周だけ速いようなマシンとドライバーではより上位のグリッドは得られない。耐久性と速度の両立が求められる。
更に燃料流量を3周ごとに制限されているため、毎周毎周飛ばして走ることもできない。環境規制を考慮した新レギュレーションである。
話を戻そう。ル・マンは伝統的に現地時間の15時にレースをスタートさせ、翌日の15時にゴールとなる。まさに24時間絶え間なく走り続けるのである。WECはル・マンを除く全戦が6時間耐久なのを考えると実質4倍の時間を走ることになる。その別格さは言わずとも分かるだろう。
スタート方式はローリング、2列ローリングスタートになる。ダミーグリッドに整列後、オープニングの時間を経てフォーメーションラップが開始される。ル・マンの舞台となるサルト・サーキットは全長13kmの半常設サーキットであり、テルトル・ルージュからポルシェコーナーに至るまでが一般公道を利用した区間、その反対が常設式のブガッティ・サーキットの一部になっている。
公道区間とサーキット区間では路面のμ(摩擦係数)や舗装具合が大きく異なっている。通常のパーマネント(常設)サーキットでの耐久レースと異なりマシンへのダメージはかなり大きく、最悪リタイアに追い込まれることもある。
レースがスタート、まずは安定したスタートとなったが、トヨタの7号車がダンロップシケインで一気にアウディの2号車を抜きトップに出る。しかし、2号車はテルトル・ルージュでインサイドを突いて抜き返す。
ユノディエールの区間は本来シケインが設置されていたが、公道路面の改善に伴いシケインを撤廃している。そのため最高速が伸びるようになり、ポルシェの14号車が予選で413km/hを記録している。このユノディエールで再び7号車が2号車をオーバーテイク、そのままミュルザンヌの立ち上がりとインディアナポリスまでのストレートで引き離しにかかった。
その2号車は、ストレートエンドでマツダの5号車に抜かれ、インディアナポリスで日産の10号車にもインサイドを突かれ抜かれる。それでも意地を見せた2号車は、次のアルナージュカーブまでアウトラインを強引に保持することでインを突き返し10号車の前に出る。
前のマシンのスリップに張り付き、ストレートを挟んだポルシェカーブでサイドバイサイドに持ち込む2号車。しかし、その後の2連続左コーナーで5号車に頭半分を出し抜かれ、続く回り込むような右コーナーで完全に前を塞がれる。マツダのマシンはロータリーエンジンの関係上低重心化が可能であり、マシンの重心が低いとコーナリング中の安定化と速度向上が可能になる。
7号車、5号車、2号車、10号車、8号車のトップ5で1周目を終え、7号車と5号車の差は早くも1秒半まで開く。
5周が終わり、LMP1-Hは依然7号車がトップ。続いて7秒4遅れて5号車、2号車、10号車、11号車、8号車、17号車、14号車、6号車、3号車、20号車、18号車。7号車を除く11台が8秒以内に収まる超接近戦が展開されている。
LMP1-Lはレベリオン12号車が先頭、4秒後後続は13号車とロータスの2台(9号車、15号車)にペスカローロのジャットCV7(1号車)が7秒以内で激しいバトルを繰り広げている。
LMP2は46号車のアルピーヌを追いかける格好でリジェの41号車、Gドライブの32号車、『ガレージ56』参戦枠の0号車デルタウイング、エクストリームスピードの27号車が連なっている。
GTE Proクラスはワークスのインファイト、もはやワークス戦争が起こっていた。数珠繋ぎにZ4(BMW)、C7(シボレー)、911(ポルシェ)、R8(アウディ)、V12(アストンマーティン)、GT-R(日産)、458(フェラーリ)、MP4-12C(マクラーレン)、SLS AMG(メルセデス)とほぼ全てのワークスGT3マシンが隊列を組んでトップ争いをしている。1ヶ所のカメラにほぼ全車が映るくらいの近さを延々と維持していた。
GTE Amクラスも随所で接近戦が行われていた。
8周目、LMP1トップのトヨタ7号車がGTE Amのマシンの最後尾に追い付いた。ここからは順位争いに加えトラフィック(周回遅れのマシンのこと)の処理に追われることになる。案外簡単に思われがちだが、実際はトラフィック同士もバトルをしている場合が多く道を譲れないかもしれない。接触でもしようものなら大抵は上位クラスのマシンに問答無用でペナルティ判定が下る。一瞬たりとも気が抜けないものだ。
更に、現在LMP1とGTE Amのクラスの最高速度差が非常に開いているため(400km/hを超えるLMP1と280km/h程度しか出ないGTE Amの差は、実に120km/h以上)、ストレート区間だとしても気を抜くだけで危険に曝されることもありうる。コース幅も全体的に狭く、公道区間はただの2車線一般道。バトル真っ最中のトラフィックに捕まった瞬間綱渡りのオーバーテイクを要求される。捕まり続けていれば後続車に追い付かれるため、1秒でも早く抜き去らないといけない。
もちろん、接触は厳禁である。
レース開始から僅か40分、早速セーフティカーが導入された。セーフティカーはレースが続行できない状態だが赤旗で中断させる程ではない時に出動する。全車がセーフティカーの後ろに並んで低速度で周回数を重ねることによってマーシャルは安全な作業が行える。追い越しは禁止となる。
今回のセーフティカー導入原因は『ユノディエールでの土砂降りの雨』。まるでスコールを彷彿とさせる大雨に危険性を感じたスチュワード(レースの審判委員)がセーフティカー導入を決めた。安全面を考えて正当な判断だった。
ル・マン24時間でのセーフティカーは他のサーキットと異なり、同時に3台出動する。これはサルト・サーキットの全長によるもので、通常のサーキットであれば1台のところを距離とマシンの台数を鑑みて3台になっているのである。
セーフティカー導入中でもピットインは可能。特に雨天である場合はピットインしないと走ることさえ不可能になる。公道区間の排水性能など期待はできない。同じユノディエールでも高低差があるため、ところどころに水溜まりができることも多い。
事実、セーフティカー導入の一因にBMW、フェラーリ、アストンマーティンの3台が絡むクラッシュが発生したことも挙げられる。
大雨によって路面とタイヤの間に水が入り込みコントロール不能な状態になる『ハイドロプレーニング現象』がBMWのマシンをスピンさせ、そこに458が衝突した瞬間に後ろからハイドロ状態のアストンマーティンが激突。458はサスペンション自体が折れてしまったためリタイア。2台は低速でピットへ戻ったが、ポルシェカーブ付近でアストンマーティンの左フロントタイヤが脱落。それでも3輪状態で何とかピットまで戻りきり、40分程度の修理で再スタートした。BMWは20分で修復完了、コースに復帰した。
セーフティカー導入から30分経った16時13分、セーフティカー(以下SC)がピットイン、リスタートとなるが、ピットタイミングで7号車と5号車は1分強(別のSCに付いていた)離れ、容易な挽回が出来なくなった。まだ1時間10分しか経っていないとはいえ、相手も自分とほぼ同速で周回を重ねているのだ。追い詰めるのは至難の業だと思われた。
そんな大衆の予想に反し、マツダの5号車は7号車にラップ1~3秒ほど速いタイムを連発。徐々に7号車との差を詰めていくが、トヨタがタイヤのトリプルスティントを画策、ピットでのタイムロスをギリギリまで削っていたためにコース上で詰めたタイム以上の時間を稼がれる。
作戦は水泡に化したのを受け、マツダは急遽スパートスティントを前倒して持ってくる。1スティントしか持たないタイヤをマシンに装着したことが功を奏し、ラップ5~9秒という猛烈なタイムを刻みながら7号車に急接近、次のピットタイミングには差を10秒まで縮めた。
しかしそのタイミングで、ソフトタイヤでダブルスティントをこなしたアウディの2号車にピットアウト直前で追い抜かれる。更に5号車の背後に日産の10号車が追い付き、スタート2時間半に来て争いが激化する。
抜きつ抜かれつの2位争いを繰り広げている間に7号車との差は40秒まで開く。
レースから5時間半。日暮れを過ぎ、徐々に夜が訪れるタイミングでポルシェの20号車とプジョーの18号車が相次いでスローダウン。
原因は、20号車はエンジンのキルスイッチがGTEのマシンから飛んできたゴムカスによって作動したため、18号車はマシンの底部を擦りすぎ
た影響でセーフティモードに自動変換され速度が出なくなったため。
どちらもピットには戻れたがポルシェは70分、プジョーは45分の修理時間を要し、順位をかなり落とした。
7時間が経過。夜間に突入したサルト・サーキットは7号車が依然トップ独走、2号車、5号車、10号車が同一周回で追いかけ、14号車と17号車、以降の各マシンは周回遅れになりかけていた(8号車、3号車と続き6号車以降は周回遅れ)。
LMP2はリジェがトップ、アルピーヌ、デルタウイング、Gドライブが追走。
GTEクラスはまだワークス戦争9台の戦いは行われている。Amクラスは少し沈静化してきたが、まだバトルしているマシンも散見された。
12時間、つまり半日が経過。未だトップ独走の7号車と、追いかけ続けている2号車、5号車、10号車。差は1分30秒まで開いていた。後ろの17号車と14号車は更に30秒の差がついている。
スタートから18時間。トップを快走し後続を最低2分引き離していた7号車がタイヤバーストに見舞われる。原因はクラッシュしたGTEのマシンのカーボンパーツを踏んだため。
スピンやクラッシュには至らなかったものの、現場はポルシェカーブ。マシンを壊さないようにスロー走行をせざるを得なくなり、ピットに戻るまでに1分30秒、緊急ピットで1分をロスし、計2分30秒のタイムロスで8番手まで後退する。
しかし、ここから驚異の追い上げを見せた7号車は1時間以内にトップを奪還してみせた。
2号車と比較しても毎周3~7秒程度は速かった。
そして、残り1時間。レース開始から23時間が経過したことになる。ここに来て、波乱の予感が走り抜けていた――。
『レースコントロール。セーフティカー導入、セーフティカーを導入』
私は全車に伝達されるコントロールタワーからの一斉通信に苦虫を噛み潰した。
このル・マンも残り50分というところで、1分以上まで開いた後続車とのマージンが削られてしまう可能性が出てきたからだ。もしトップクラスが大接近をしようものなら優勝争いは戦場と化してしまう。それは非常に危険な事態だった。
とはいえ、クラッシュの具合を聞くに数分で処理できてしまう程度のようなので、セーフティカーランのままチェッカーを受ける可能性は低い。
「賭けに出るしかない、かな」
私は避けられないラストの激戦に思いを馳せながら、SCの後ろを追走する。
『ピットインして勝負に出ましょう』
ドライバーから提案された作戦に思わず溜息をついてしまった。マシンの調子は4000km以上を走っていてもまだ問題ない。なら無理に勝負に出る必要はないんじゃないのか。SCが出動したとはいえ、2号車とはSC1台分の差がついたままだ。マージンを生かせば優勝も不可能ではない。むしろ優勝に一番近いのは私達だ。
このラップにピットインさせればSCに捕まる心配もない。SCの真後ろにいる7号車は、ピットルーティンを消化させても次のSCまでにはピットアウトできる算段だが、今入れてしまうと燃料が危うくなる。もしかしたらギリギリ足りなくなる可能性も僅かながらあった。
燃料マネージメントを強要させる『賭け』に出るか、ここに来て勝負に出させる『賭け』に出るか。二者択一な上に賭けのない要素がない、完全なジリ貧状態に陥っていた。これは私達の油断と慢心が招いた当然のことであることは分かっていても、それでも尚楽観できる要素がなくなった訳ではなかった。
「彼に最終スティントを任せましょう。きっと先頭で悠々と戻ってきてくれるはずです」
そう。このチームには最速の名をほしいままにしたドライバーが参戦している。これが楽観的にならずにはいられなかったが、なりすぎることもなかった。過信はドライバーのプレッシャーにしかならないから。
私はピットクルーに指示を飛ばす傍ら、他のマシンの動向を探り始めた。
『7号車、ピットイン!』
レースディレクターの無線に笑いが込み上げてきた。燃料マネージメントをすれば余裕で勝てるレースなのに、ここまで来て敢えて賭けの要素を採った。アホだと評価されそうな選択だったが、同じ土俵で争ってきた俺は知っている。
7号車の面々はレース再開後にマージンを稼ぐ作戦を行うことで他のチームにも優勝の可能性を残してくれた。同時に、喧嘩を売られたのだ。
『私達の全力に追いつける?』と。
この喧嘩に乗らない手はなかった。俺は即座にマシンをピットインさせるようドライバーに指示を出す。準備は出来ている。ラストスティントは戦争になるだろう。
思わず血が騒いできちまう。そんな緊張感が楽しくて笑いが止まらない。
「……俺らのマシンが追い付けない訳がない。いいぜ、その喧嘩買ってやる」
『7号車、2号車、5号車、10号車も続々ピットイン中!』
ライブ映像の実況を見ながら、自分のチームが採った作戦がようやく効果を現してきた。可能な限りスティントを引き伸ばし、限界までピットロスを削ってきた甲斐があった。今ここでピットインさせれば同じSCに捕まる可能性が出てきた。
「ピットインしろ!」
躊躇わずドライバーにピットインの指示を飛ばす。抑揚ない声だが確かな返事をドライバーから聞き、満足感に息を吐く。
これで、緊迫した崖っぷちの戦いはもう終わった。ここからの1時間弱はテール・トゥ・ノーズの闘いになる。1秒はおろか一瞬でも気を抜けば即座に敗けが迫ってくる、そんなギリギリの攻防。
耐久レースにしてみればエキサイティングなラストスパートに、笑みが零れる。もう何も遠慮する必要はない。エンジンがお釈迦になるくらい攻め込まなければ優勝はもぎ取れない。
「マシンのことはもう気にするな。自分の限界を越えろ」
気付けば無線を入れ、ラストスティントを担当するドライバーを鼓舞していた。
勝っても負けても、たとえリタイアさせたとしても、絶対にドライバーを褒めると心の中で誓いながら。
『さあ、LMP1クラスを始めほぼ全車がピットイン! これは激戦を予感させる!』
隣で実況者の熱のこもった饒舌を聞きながら、感動の波に打ちひしがれていた。近年のル・マンはアウディの独壇場になる場合が多く、大体ラスト1~2時間を迎える頃にはパレードランの雰囲気がピットエリアを包んでいた。
それに比べて今年はどうだ。いまだLMP1-Hクラスはトラブルに見舞われた18号車と20号車、リタイアを喫した3号車、6号車、11号車を除けば全車が同一周回。残り45分程度。これを面白くないとは評価できない。
事実注視してみれば、ピットクルー達の表情も腕白な子供のそれと被るような錯覚を覚えるくらい生き生きしている。誰一人暗い表情を浮かべている人はいない。ディレクターでさえ喜びの表情でラストスティントに向かうマシンを称えている。
国際映像がSCを映している。違う、私達が見せてほしいのはピットレーンエンドだ。早く見せてくれ。
焦れた願いが叶ったのか、ピットエンドが映し出される。瞬間、私は声を興奮のあまり荒らげてしまった。
「来ましたねー、完全に同じSCでリスタートしそうですよ!」
ピットエンドでは赤信号が提示され、7号車から後ろに2号車、5号車、LMP2のGドライブを1台挟んで10号車、17号車、14号車と連なってSC通過を待っていた。
予想では2~3台が連なれば上々だったのだが、実に6台――各ワークスのマシンが全車接近を果たした。最高のラストを期待できそうな状況が、運命のイタズラなのか何なのか分からないが完成した。
しかも全車がエースマシンの方である。
こんな展開はモータースポーツの、ひいてはル・マンの歴史にとってどれほどの価値があるのか、推し測るまでもなかった。2011年のアウディvsプジョー以来の、いやそれ以上の大激戦が起こるのは必定とも言えた。2011年の激戦、その主役の後継マシンがいるのも、感動をより高めてくれる。
レシプロエンジン車3台、ディーゼルエンジン車2台、そしてロータリーエンジン車1台。あらゆるアプローチで作られた独特なエンジンが勢揃いし、個性を除いてパフォーマンスが同等なマシンを超個性的なエースドライバーが操縦することによって限界の先の領域へと至る。
ここから問われるのはマネージメント能力でも耐久性能でもなく、ドライバーの性能とクソ度胸。そして、マシンの性能限界をドライバーの手で引き上げる能力。
最後のドラマを見逃さないように、私はペットボトルの飲料を呷った。
世界中が固唾を飲んで見守る中、レースマーシャルがグリーンフラッグを高々と振り上げる――レース、リスタート。
全く同時にアクセルを蹴り込んだ6台が猛然と加速していく。リスタート地点はホームストレート。前にいるトラフィックを次々と躱していき、ユノディエールまでに集団の先頭に出る。しかし、どのマシンもさっきまでの23時間とは走り方が根本から異なっているため、6台で列を作って激走していた。
……火蓋は切って落とされた。後は運命の女神が誰に微笑むかの問題だ。
レース終了後の取材に備えるため、カメラマンブースのディスプレイに目を釘付けにした。一瞬の転機さえ見逃さないように。
「食い付かれるのは予想済みだ。ここからが勝負所になるぜ」
俺は僅かな一時のグリーンなコースを、まるでガキのように攻め立てていた。クレバーに大人らしく走る、いわばジジ臭い走りの時間はとっくに終わった。今はただがむしゃらに攻めるだけ。
コーナー1つに命を懸けるくらいに。
そのために、俺は今の今まで使わずに封印していた『奥2cmのブレーキ』を解放することにした。
「付いてこれるもんなら付いてきてみろ」
冷静に、しかし激情を持って。俺はミュルザンヌに飛び込む。
「遂に本気で来ましたね」
私は前に見える7号車の背中を追いかけていた。ミュルザンヌで一瞬以上遅いブレーキングを見せつけられ、手を隠している余裕はどこにもないことを再確認した。
でも、7号車に奥の手があるように私の操る2号車にも秘密がある。私はステアリングにある『MGU出力調節』のツマミを迷わず『全解放』のところに回す。そのままアルナージュを立ち上がる。
瞬間、インディアナポリスまでは感じられなかった強烈な加速感に体が軋み悲鳴を上げるが無視、構わずアクセルを踏み抜く。
「……さあ、逃げきれるなら逃げきってみてくださいね」
7号車との差は、コンマ6秒に縮まっていた。
「ふうん……本気ってことね」
私は一層ペースを上げた7号車と2号車を見て、笑みを浮かべる。全身の血が沸騰するような高揚感、これをずっと求めていた。だからこそ、もう遠慮の必要はなかった。
『4WDジェネレート』のスイッチをオンにする。すると、今まで重めな操舵輪としての役割を受け持っていた前2輪が駆動を開始した。ここまでの23時間を「4輪駆動のシステムを備えたMRマシン」として走り続けていただけだ。
「さあ行こう、私のGT-R……吠え上がれ!」
私自身の気力を振り絞るように、前の2台を猛追し始める。残り43分。
「皆全力だね~……これは私もつられて本気を出しちゃいそう」
私のLM55はもうほとんど全開で走っていた。ただ1つ、トランスミッションに狂気の産物を未使用で残したまま。
テルトル・ルージュを越え、ユノディエールに入る。5速から6速へ。そして7速。速度は411km/hを出していた。レブリミット、私はパドルシフトのアップシフトレバーを操作し、8速に叩き込む。
もうロータリーが馬鹿にされる時代は終わりを迎えた。再び伝説を打ち立てよう。
「1991年の再現、やってやろうじゃない」
私のLM55は、最高速度448km/hを平然と叩き出し、先頭集団に一気に追い付く。
正直な話、リスタート後の6台の走り方は狂気そのものと言っても過言ではないくらい、見てるだけで恐ろしい速さだった。
全長13kmのサルト・サーキットを1周3分切りで走る奴等を狂気と表現せずなんて表現すれば良いのか、分からなかった。
「いやもう……見守ることしか出来ませんね。私の理解を越えた領域で走ってますよ」
熱い実況をしている隣で、そう呟かずにはいられなかった。最速を体現したような、一切の躊躇いを捨てたまさに命懸けの走り。それでいて危機感は感じない。
不思議な走りに、ただただ魅了され、魅せられていた。解説すら忘れて。
全世界の視聴者も同じだったのだろう。だからこそ、再び奇跡が起こった。
LMP1の先頭6台がコントロールラインを抜けた5秒後にチェッカーフラッグが振られたのだ。先頭6台以外はフィニッシュ扱いになる。
本来であればオフィシャルがコース上に立ってフラッグを振るのだが、数秒前にLMP1のマシンが全開で通過したため通常のスタート台での振り方に急遽変更された。実際先頭の7号車と2号車の差はコンマ4秒まで縮んでいた。
各チームが結果に一喜一憂しながら、デッドヒートと化しているLMP1の進展に注意を向けていた。
(追い付ける……!)
私は前を行く7号車にプレッシャーを掛け続けてミスを誘った。しかし、やはり微塵も動揺しなかった。まあ、元より一発勝負のカモフラージュだから問題ないですけどね。
「ここなら!」
私はテルトル・ルージュでインサイドにマシンのノーズを捩じ込んだ。上手くいけば立ち上がりで前に出れる。マシンのリアタイヤが僅かなスキール音をあげながら膨らんでいく。
違う、コースのレコードラインはそっちじゃない。戻って!
そんな思いが伝わったのか、すんでのところでコースに踏み留まってくれた。
――直後、白に青の7号車が目前を走っていた。
「あっぶねえな……結構賭けてたなアイツ」
俺はインサイドを突いてきた2号車の速度を瞬時に観察し、ラインが膨らむ可能性が高いと踏んでいた。
そこで、ブレーキング重視の走りを立ち上がり重視に切り替え、返す刃でユノディエールでのオーバーテイクを実現させた。
だが、この攻防で背後に5号車が張り付いてしまった。最高速度が一番出るマツダのキリングレンジに入ったことになる。
「なら、その速度を利用させてもらうぜ」
前に出ていくマツダを見送り、その背後に張り付く。勝負はストレートエンドのミュルザンヌだ。
「……速い!」
僕は14号車を制御しながら、徐々に遠のいていく前の4台に必死に食らい付いていた。後ろにはプジョーの17号車がいる。ここが正念場だ。
それにしても、さっきから違和感がある。妙にストレートスピードが伸びてる。430km/hオーバーも叩き出したくらいだから。
テルトル・ルージュを立ち上がって、ユノディエールに差し掛かる。かなりローダウンフォース仕様になっているとはいえ、異常に速度が出る。第1シケインの部分を越えて370km/h。明らかに速すぎる。でもアクセルは抜けないし、水温や油温、電気系にも問題は発生していない。
第2シケインの部分に差し掛かって、速度は415km/hを超えた。その代わり、リアから酷いバイブレーションが出てきた。エンジンの音もおかしい。
「……まさか!」
気付いた瞬間、リアに激しい衝撃が走り、タコメーターが一瞬で0を指した。エンジンが逝った瞬間だった。
不運は続くのか、ブローしマシンから白煙を発て始めたと同時にリアタイヤがロック、挙動を乱したポルシェ 919はスピン状態に陥る。真後ろからはプジョー 908が迫って来ている。
「当たらないでくれ……!」
僕は反射的にスピンしている方向にステアリングを切り、まだ生きているモーターの電力を頼りにスリップアングルを増加させる。マシンは急激に方向転換し、進行方向の反対に向けた。僅か1秒半の出来事。
プジョーは運良く空いた隙間にマシンを滑り込ませてくれたみたいで、無事僕のマシンを抜いていった。
僕が制御できるのはここまで。無理にマシンの挙動を崩したのが原因で完全にコントロール出来なくなってる。後は神様にでも祈るしかないかな。
そんな願いの影響だろうか。マシンはシケインの内側にあるサンドトラップにはまりこんで止まった。何とかコースを塞ぐような事態にはならなくて一安心。残った懸念材料はディレクターやメカニック達に何て言われるか、だよね。
吉兆を感じ取れずマシンをダメにしたんだから。
『よく頑張った。マシンから降りて戻ってこい』
だけど、レースディレクターからは褒められてしまった。僕はマシンを降り、ヘルメット越しに涙を拭いながらコースサイドに満面の笑顔で待っているマーシャルのところに歩いていった。
『ポルシェ14号車はエンブロだ。残念だがな』
「でしょうね……危なかったですが」
私のドライブする908の目の前で、さっきポルシェが白煙を噴き出しながらスピンモードに陥っていた。私はポルシェのドライバーが何とか稼いでくれた隙間にマシンを滑り込ませて難を逃れたが、コースに撒かれたオイルでホイールスピンを起こした間に前の4台に10秒以上引き離された。
もう追い付けない。
『そうだな。だから俺らは完走を目指そう。もう飛ばす必要はない』
「残念だけど、了解」
私はつい1時間前にしていた走りにペースを戻して、同一周回でのフィニッシュを目指すことにした。
まもなく、先頭集団はミュルザンヌに突入する。
「いっけえぇぇぇ!」
もはや女らしくない声をあげてしまったが、ここで前を塞げれば優勝をもぎ取れる可能性があった。攻め込まない訳にはいかなかった。
コーナーのターンインポイントで7号車に並走状態に持ち込まれたが、意地でアウトサイドから大外狩りを仕掛ける。相手は半日以上トップを独走してきたマシンだけに、僅かのミスも許されなかった。
コーナーのエイペックス(コーナーの頂点。別名『クリッピングポイント』)で7号車のラインを塞ぐように立ち上がって、失速させようと画策しても、インサイドを張り付くように回られ立ち上がりで逆に前を塞がれる。
立ち上がるタイミングでのMGUの性能はトヨタが圧倒的に優勢だった。なら低重心を活かしたコーナリング勝負を挑むしかなかったが、それはかなりのリスキーさを伴う。
「……躊躇ってる場合じゃ、ないよね」
私は覚悟を決めて、インディアナポリスにかけてのストレート区間で食らいつくことだけに集中した。
「何かするつもりですね」
私は先頭を争う7号車と5号車を1車間分空けて追走していた。どちらかがミスをした時に一撃で抜けるように。
7号車がストレートエンドの右高速コーナーを抜けた瞬間、5号車がアウトサイドから一気に仕掛けた。インディアナポリスは逆向きのコーナー。つまり5号車がインサイドにチェンジするということになる。
事実それを狙っていたのだろうし、かなり成功に思えた。さっきミュルザンヌで仕掛けた時とは打って変わってキレがいい。これは成功するかと思った。
そう、思っただけ。インディアナポリスを並走状態で抜けた7号車が、次のアルナージュで再び前に出た。
アルナージュは右コーナー。また7号車がインサイドに付いたという訳だ。
アルナージュで行き場のなくなった5号車が失速した。私は当たり前のように5号車を抜く。これで前にいるのは7号車のみ。
さあ、ラスト1分。
「……」
俺は段々厳しくなってきたタイヤ調子に舌打ちをしそうなほど苛立ちを募らせたが、まだ末期的じゃないだけマシだ。後1分しかないからな。
とはいえ、後ろに2号車がピッタリ張り付いている時点で安心など欠片も出来ない訳だがな。
ポルシェカーブ、その後のコーナーも果敢に攻めてくる2号車を微妙なライン取りで塞ぎながら、コントロールラインを目指して疾走する。
ピットインのレーンが見えた。残るは最後の左、右、左、右。フォードシケインだ。
シケインに差し掛かりブレーキングをした瞬間、視界に一本のラインが映り込んできた。タイヤがかなり厳しい時はあまりに賭けになる、インホイールを縁石の内側にはめ込むショートカット手段。
迷いはなかった。俺はインホイールを縁石の内溝に引っ掛けるようにして限界まで速度を稼ぐ。シケイン1をクリア。
残すシケインも、縁石に引っ掛ける走りを選んだ。それが、賭けを越えた危険域だということを忘れ。
「そんな技を隠していたとは……誤算ですね」
私は前の7号車がシケインをカットしながら走り抜けていくのを間近で見て、溜息を吐いてしまった。
LMP1のマシンは極限まで空力を追求するため、車高は地面スレスレになるまで下げられている。当然サスペンションも固く、縁石を踏もうものならマシンが浮き上がる可能性もあった。
しかし7号車は、縁石を踏めるだけの車高を残していた尚あのパフォーマンスを発揮していた。余程マシンの完成度が高くないと出来ない裏技だね。私のR18じゃ無理だね。
その分速度も乗るし、タイムも短縮できる。最後の奥の手にしては反則級のものを切られた。もう勝ち目はないと直感した。
でも、フォードシケイン最後の右縁石に乗り上げた7号車がリアを滑らし始めた。カウンターステアは当てているが、LMP1のマシンは切れる蛇角自体が小さく設定されている。一度滑らせたら回復に時間がかかってしまう。
「ここしかない……!」
私は滑ってる7号車のアウトサイドにマシンのノーズを捩じ込んだ。ちょうど、同じファイナルラップのテルトル・ルージュでインサイドを突いたように。
『並んで、並んだままチェッカー!』
私はただ、息を止めてゴールの瞬間を見届けていた。7号車が後続を抑えきってゴールするか、2号車が逆転優勝をもたらすか、5号車が1991年の再現をするか。どのシナリオにしても、隊列を組んだままゴールすると予想していた。
しかしどうだ。フォードシケインでマシンを僅かに滑らせトラクションを無駄にした7号車の隙を突いて2号車が並んだ。かくいう7号車も、1秒にも満たないタイムロスでグリップを戻した。だからこそ、コントロールライン目前でサイド・バイ・サイドに持ち込めたのだろう。
2台がチェッカーを受ける。フォードシケインは低速コーナー、立ち上がって加速しても200km/hには届かないはずなのに、どっちが前なのか判別できなかった。だが、近年のコントロールタワーによるタイム計測は正確そのもの。すぐに結果が出る。
しかし、この考えは脆くも崩れ去った。ゴールし7号車と2号車がパレードラップに入っても、コントロールタワーからの結果放送が流れてこなかった。
やがて7号車がテルトル・ルージュを越えた時、とんでもない放送が流れた。
『レースコントロール。カーナンバー7、2のタイムギャップが1000分の1秒まで一致を確認。これよりスーパースローでの確認作業に入るため時間を要する』
私は耳を疑った。予選で1000分の1秒まで揃う事態なら1997年のF1ヨーロッパGP(ヘレス・サーキット)でジャック・ヴィルヌーブ、ミハエル・シューマッハ、ハインツ=ハラルド・フレンツェンの3人が起こした実例がある。
だけど、決勝の、しかもファイナルラップのホームストレートでそんなことが起こるなんて今までなかった。耐久レースなら尚更ありえないことで、現実味がない話にしか思えない。
もしかしたら1000分の1秒差くらいなら過去起こっていたかもしれないけど、ここまでピッタリ揃うことはなかったと思う。
もしあったのなら記録に残っているはずだから。
『……結果はまだか?』
私の担当するドライバーから無線が入る。
「まだ確認作業中だそうです。もう少し時間が掛かると思います」
『……そうか』
ドライバーの声には色濃い疲労感が漂っている。
それもそうだ。耐久レース、ル・マンのLMP1クラスは3人のドライバーで24時間を走りきる。計算すれば、1人4時間(ピットストップ3回、交代時のタイミングは含めない)×3人=12時間。これを2順させれば24時間になる。つまり、1人の総走行時間は8時間にも及ぶことになる。
場合によっては1人2時間(ピットストップ1回)×3人=6時間を4順させる。どちらにせよ、適度な休憩時間はあるものの、気が抜けない状態が休憩中も続くから疲労感は取れにくい。
私達のチームは前者の作戦を採ったが、今マシンに乗っているドライバーは他のドライバーとスティントを調節したため、スタート4時間スティント→8時間休憩→3時間スティント→8時間休憩→1時間スティント(ラストスティント)とかなり変則的。
更にメンバーの経験不足の影響で、かなりの時間をピットウォールスタンドで過ごしていた。当然、睡眠時間など残る訳もなく、体力的にかなりハードなコンディションのままファイナルスティントを担当させてしまった。
それでも、彼は抜群のパフォーマンスを発揮してくれた。最後の激戦で終始トップを維持してくれた。最後の最後で並ばれたが、もしこれで2位に甘んじたとしてもピットにいるメンバー全員は彼を手放しで祝福し絶賛するだろう、と思っていた。
まさか、こんな結果になるとは。
1923年から開催されている、ル・マン24時間レース。数多くの栄光と挫折の物語を紡いできた、伝統の舞台。勝利は窮地を脱して掴むもの、という言葉を歴史が証明している、生ける伝説のレース。
そんな舞台でも類稀なレース結果が出てきた。1位と2位のマシンの差が1000分の1秒まで完全に一致したのだ。ル・マンの奇跡の中でもとびきりのものだ。
「仕方ない、スーパースローカメラで多角的に確認を取ろう。それしかない」
機械に頼れない今、試されるのは人間の視覚。複数の人間による、肉眼での検証。
コントロールルームにある数十台のディスプレイに、コントロールラインのゴール直前の映像があらゆる方面から映し出された。そして、20名近い競技委員や審議委員達と共に色々な意見を激突させた。
それが行われて数分。
「……よし。結果はこれでいいな?」
俺がディスプレイに映っている検証結果の確認を取ると、その場にいた全員が頷く。
「分かった。発表は直々にすることにしよう……多くの人が待っているからな」
俺は結果を印刷した用紙を持って、表彰台に向かった。
『結果を発表する』
スタート台から流れた一斉通信。声はおそらく、このコースのオーガナイザーのものだろう。スタート前の放送で一度声を聴いたから覚えている。ちなみに、オーガナイザーはコースの管理者の呼称。
私は、ピットウォールスタンドからギリギリ見えるスタート台を見ながら、結果発表を待った。
『厳正なる検証の結果、0.0005秒差で7号車が1位、2号車が2位となった』
直後、ガレージの方が大騒ぎになる。ピットクルー達が口々に歓喜の言葉を叫びながら、喜びを分かち合っている。私もそこに飛び込みたい気分だったが、まだ責務が1つだけ残っている。
私はマシンへの無線を入れて、ドライバーが出るのを待つ。数秒後、無線が開いた。
「おめでとうございます! 私達の勝利ですよ!」
『……そうか、勝ったのか』
一気に疲労感が出てきたからだろうか、声に覇気がない。それでも、私は嬉しかった。そこまで苦労したからこそ、勝利の喜びも一入になる。
「はい! 総合優勝です!」
私は嬉しさのあまり、無線を入れたままピットクルー達のところに走っていった。
「……元気な奴等だ」
俺はゆっくりとマシンを走らせながら、苦笑気味に呟いた。至るところでオフィシャル達がコースに出てきて、旗を振って祝福してくれる。
俺は手を振りながら、今にも飛びそうな意識を気力だけで保たせる。もう体力的には限界を越え、今にも視界が暗転しそうなほどに疲労が蓄積されている。とはいえ、この後は表彰式も待ち構えている。最低でもそこまでは持ち堪えなければならない。
無線を切り、オフィシャル達の盛大な祝福を受けながら、俺のTS-040はポルシェカーブに差し掛かる。
『充分すぎる激戦だったが、残念だったな』
「まあ、あれだけ行ければ満足ですよ」
私は無線の向こうにいるディレクター相手に微笑みを浮かべながら、7号車の後ろを追走する。
『差、と言えるほどの状態じゃなかったしな』
「そうですね。0.0005秒っていうと……2.5cmですか」
『2.5cm……もう判別出来ないんじゃないのか?』
「いえ、スーパースローカメラがあれば可能ですよ」
ディレクターと気楽に話しをしているが、つい10分ほど前には話すら出来ないような状態だった。それを考えれば、その分今話をしておくのは無理もないかな、と思った。
『まあ、お疲れ様』
「貴方もお疲れ様です」
互いに労いの言葉を言って、無線は切られた。
「……おめでとう、ディアス」
私は7号車のドライバーに、聞こえないにも関わらず祝福の言葉を送っていた――。
表彰式やその後の話がないのは仕様です。人物名が全然出ないのも仕様です。
実は書き溜めてある小説の一部分を切り取り改稿したもので、その小説自体もいずれ公開を予定しています。