7.意味なき世界の無意味に耐えて
友達が出来たことで、花祭は当初の目的を達成したと言える。だが花祭と俺の奇妙な関係はそれからも続き、彼女は自由闊達に振る舞い、俺を全力でぶん回した。
凶暴で凶悪で、ジャイ○ニズムの体現者、花祭香奈。
しかしある時俺は、花祭の別の一面を垣間見ることになる。
「ったく、香奈はいつも自分勝手なんだから! もうちょっと周りの人の迷惑も考えて――」
「ごめん、デコデコ、デコデコ何言ってんだか分かんないわ。ちょっとデコ語じゃなくて、日本語で話してくれる?」
「変な言語を、勝手に作るなぁぁぁぁ!? 日本語だから! 純然たる!」
その日、俺たちは午前中から町に出てショッピング、午後には映画とカラオケという、学生にありがちな休日を過ごしていた。
俺と清水さんの前を歩く二人は、帰宅の途上にも関わらず口論を繰り広げている。お馴染みになった光景。俺たちの何気ない日常の一コマ。
駆け抜けるモラトリアムの――。
「香奈ちゃんはいつも楽しそうで、一緒にいる私まで楽しくなるよ」
そんな二人を止めるでもなく、俺の隣で肩を並べて歩く清水さんは、幸せをかき集めたように笑う。
するとその言葉を耳にした横川が振り返る。
「ちょっと京香! 香奈につき合わされるこっちの身にもなってよ。本当、香奈ってばもうちょっと慎みを持って、人生の意味とかそういうものを――」
「はぁ? 何言ってるのよ? 人生に意味なんてないわ。だったら楽しまなくちゃ損でしょ」
横川の言葉を遮った花祭は、平然とそんなことを言ってのけた。
「人生に意味がない? 何言ってんのよ、そんなことあるわけ――」
その言葉に異議を唱えようとする横川。だがその言葉もまた、花祭に遮られ……。
「全く、これだから自分で物を考えないデコ女は駄目なのよね。いい? 人間はこの星で生れ、勝手に生きて、勝手に死んでいくだけの存在よ。そこに意味なんてないわ」
すると横川は、「は?」と困惑の声を上げて歩みを止めた。それに倣う俺と清水さん。
人生に意味がない?
二人の会話は俺と清水さんにも届いており、思わずお互いの顔を見合った。
花祭はそれに合わせたように立ち止まって振り返ると、口角を片方だけ釣り上げ、悪戯めいた笑みを見せる。
「私たちは、生まれた瞬間に今の社会に投げ込まれてる。つまり、無自覚に今の社会の価値観を当然のものとして引き継いでるって訳。でもね、そんな価値観からは自由にならなくちゃいけないのよ。『人生の意味』っていうのは顕著な例ね。社会は、いや社会的な文脈は、絶えず、何らかの形でそれを生きる人間に問い掛けてくる。求めてくる。それで人は苦しむことになる。悩むことになる。当然よね。だってそんなものは、始めから存在してないんだから。あなた達も、いい加減にその意味から自由になった方がいいわ」
一気にまくしたてる花祭の言説に、俺たちは戸惑いを隠せなかった。
同時に、彼女の言葉に打ちひしがれたように呆然となり、言葉が出てこなかった。悠然とほほ笑む花祭を、まじまじと見つめる。
「……花祭、人生に意味がないなんて……流石にそんなことは――」
質量を伴った意味を消化することは出来ないが、なんとか飲み込ことに成功した俺は、皆を代表するように声帯を震わせる。
だが花祭は、フンと鼻で笑い、
「あなた達は『意味』には敬意を払う癖に、『無意味』には敬意を払わないのよね。私はそれが不思議でしょうがないわ。まぁ、『ある』と信じてるものを『ない』って言うことの方が、『ない』ものを、あたかも『ある』かのようにでっち上げるより、遙かに難しいのだけど……」
そこで花祭は一呼吸置いて、風になびく髪を手で押さえた。だが次の瞬間には、意志が込められた瞳で俺たちを見て、
「人間は生きて死ぬだけ、そこに意味なんかない。意味なき世界の無意味に耐えなさい、そして突き抜けるのよ。そうすると無意味も、いや無意味だからこそ楽しいってことに気づけるわ。だって世の中には、こんなにも楽しいことが溢れてるのよ? 立ち止まってる暇なんてない、もっと楽しまなきゃ。踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損ってね。言っとくけど、踊らされてんじゃないわよ!? 自分で踊ってるの!」
その時。俺は夕日を背負う彼女に、眩しいような何かを感じ、目がくらみそうになった。
俺が人生に参加してから、まだ十五年しか経っていない。その時々に嬉しいことや、悲しいこと。腹立たしいことは沢山あった。
でもそれは、日常の中で溶けて入った。立ち止まって真剣に何かを考えるという経験もなく、人生における自論なんて、当然持ち合わせちゃいない。
しかし花祭は……そうじゃない。
何が切っ掛けなのかは知らないが、彼女は彼女のなりの自論を持つに至り、今こうして自信満々に言い放っている。
『人生に意味なんてないわ』
『あなた達は”意味”には敬意を払う癖に、”無意味”には敬意を払わないのよね』
『意味なき世界の無意味に耐えなさい、そして突き抜けるのよ』
その日以来、俺の花祭を見る目が少し変わった。いつも言うように彼女は凶暴で凶悪で、ジャイ○ニズムの体現者だ。
しかし花祭には、邪気というものがなかった。
口は悪いが、本当に人が踏み入れて欲しくない心の領域には、その聡さからか、決して土足で踏み込んでこなかった。心の傷を、指でなぞるような真似もしない。
彼女は人の悪意や、醜さ、汚さに当然気付いていたんだと思う。でもそうした中で、辛いことも悲しいことも肯定する、健全な強さがあった。
そう、無邪気だ。
悲喜こもごもな人生を丸ごと受容し、その上で楽しもうとする人生への態度。そういった物が、彼女には見られた。
そして考えた。
花祭がこうした態度を持つに至った経緯を。
『意味なき世界の無意味に耐えなさい』
彼女は養子として育ち、様々な経験をしてきたんだと思う。色んなことに耐えて来たんだと思う。
それと共に、多分、色んな意味に苦しんで――。
不意にいつか見た、夢の中の彼女。泣きじゃくる女の子の姿が脳裏を過る。
彼女にあったんだろうか、そんなことが……と思った後。
いや、多分あったんだろうな、と打ち消す。
一人膝を抱え、部屋の窓から夜空に浮かぶ月を眺めるような、そんな寂寞たる経験が。
鋼のような精神を持つ彼女も、一人の人間であることに変わりはない。それが幼い頃であるのなら尚更。
『そして突き抜けるのよ』
しかしその中で、彼女は突き抜けた。意味の中で、もがき、苦しみ、時には怨嗟の声を上げて。
花祭の持つ思想というのは、多分、そんな経験からしか生まれてこないものだと思う。言葉の重さが違った。
人一倍、何かに苦しみ、それと真剣に向き合った中でしか生まれることのない、深い響きを湛えていたように俺には思えた。
『そうすると無意味も、いや無意味だからこそ楽しいってことに気づけるわ』
『踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損ってね』
『言っとくけど、踊らされてんじゃないわよ!? 自分で踊ってるの!』
彼女の人生には、きっと底しれぬ悲哀が横たわり。その中で彼女は突き抜け、そして今、踊っているのだろう。
意味の無意味さを知るからこそ。
純粋に、無邪気に、無限にも思える楽しいことを探して、彼女は――。
その中で彼女は見つけた。醜いところも綺麗なところも含めた、ありのままの彼女を受け止めてくれる存在。
友達と呼べる人間を。
俺はそれに巻き込まれる形となった。でも彼女のお蔭で毎日がハチャメチャで気苦労も多いが、それ以上に楽しいのも事実だ。
そして、そんなある日。
夕方のホームルームで意識を飛ばしてしまった俺が、ふと目覚めると……前の席の背もたれを横にずらし、そこに背を預けて座り、携帯電話をいじる花祭の姿が。
俺は目覚めた瞬間、世界の連続性を忘れかけたが、花祭の顔を視界に認めると咄嗟に寝た振りをしてしまった。
激しい動悸を覚えながら、なぜそんなことをしてしまったのかと考える。理由は至って簡単だった。
その時の花祭の横顔が、今まで見たことがないように柔和で、満たされた、幸せそうな顔をしていたからだ。
普段とは余りにも違う彼女の印象に訝しみ、薄目を開けて彼女の顔を盗み見る。
心臓は切ない鼓動を打つ。彼女は間違いなく、幸福そうに、静かな微笑を湛えて携帯電話の画面を見ていた。
花祭がそんな顔で何を見ているのかが気になり、そぉっと首を伸ばす。
するとそこには――。
俺たち四人が並んで映る、プリクラの画像が……。
気配に気づいたのか、花祭は首を動かし、視線を俺の方に転じた。俺はさっと元のポーズに戻り、再び寝た振りを決め込む。
背中から汗が滲みだし、玉となって流れ落ちる。
花祭が……健気にも、友達と映るプリクラの画像を満足そうに眺めていた。
その奇妙とも思える現実性が、俺を酷く打ちのめした。
ある感慨で震え出しそうになる俺を、別の俺が必死に抑える。
すると運よく教室の扉が、激しい音を立てて開かれた。
「って、やっぱり教室にいたし」
「香奈ちゃ~ん、探したよぉ」
睫毛が瞳にかかる程に目を薄く開けると、ハンドボールのユニフォームを着た横川と清水さんが教室に入ってくる所だった。
近づく二人から携帯電話を隠すように、スカートのポケットにしまう花祭。
「香奈、あんた今日の放課後、ハンドボールの練習試合に出るって約束――」
「あ……ヤバッ、忘れてた!」
「あはは、香奈ちゃんでもそういうことあるんだね~」
花祭は珍しく慌てた様子で受け答えし、そして、
「あれ? 樋口寝てるの?」
「あ、ほんとだ~疲れてるのかな?」
「あぁコイツね、オラァ! 起きろ樋口!」
「ブベラッ!」
容赦なく俺の額に空手チョップを打ち込んできやがった。
「な、なにすだー!?」
「プッ! ”なにすだー!”って何よ、”なにすだー!”って、馬鹿じゃないの?」
花祭に怒りの形相を向けると、視界の隅で横川と清水さんが、
「あ、起きた」
「起きたね~」
と呆れたように笑っているのが見えた。
「まぁいいわ、とにかく急いでよ、先に行ってるからね」
「一緒に助っ人、頑張ろうね~」
そのまま、来た時と同じ性急さで教室を後にする二人。
「オラ樋口、何ぼんやりしてんだ!? 早く支度して、グラウンドに行くわよ!」
「はぁ、なんで俺が? 練習試合するのはお前たちじゃ――って、まさか花祭、俺に一緒に来てほしいんじゃ」
何故、そんな悪戯めいた言葉が、俺の口から衝いて出たのか分からない。ただ先程の花祭の印象が、俺の意識に何らかの形で作用し、気付くとそんな言葉が。
「なっ!? お、おおお、お前の頭はハッピーハッピーセットかよ!? ひ、樋口は私の舎弟でしょ!? なら一緒に来るのは当たり前じゃない!? だから……ほら、ぐずぐずしないで……って言うか、さっさと準備しろゴラァ!」
その時、花祭の頬が赤く染まっていたのは夕日のせいなのか、それとも別の要因から来るものなのか、俺には判断がつかなかった。
「はいはい、分かったよ」
でもただ一つ分かっていることは、自由奔放な彼女に振り回される日々が、結構、幸せだった。
そしてそんな俺たちの関係は、例え一時的に雨が降ることはあっても、決して崩れることなんてないと思ってた。
二週間後の、その日までは。