2.鈴木さんと樋口と花祭
樋口雄介君。
前期の学級委員長を務めていた人で、私も何かとお世話になりました。
登校してから朝のホームルームが始まるまでの時間。顔を合わせると、樋口君はこうやってフレンドリーに挨拶してくれます。
でも、樋口君とは席も離れている為、わざわざ私の席に来て挨拶してくれるのは珍しかったりします。というか初めてです。
「あ、え、えっと……お、おはよう! ございます……」
私は情けなくも、樋口君を前にするとあわあわと慌ててしまいます。そんな自分が恥ずかしいのですが、こればかりはどうしようもありません。
「あっ、悪い悪い。突然声掛けて、ビックリさせちゃった?」
「う、ううん。全然、そんなことないよ!」
そんな私の状態も知らず、笑顔を向け続けてくる樋口君。男の子の友達に声を掛けられて振り返ると「おう!」と簡単な挨拶を返し、何か話し掛けられています。
私はその間、自分を持て余してしまい視線をキョロキョロさせました。そこでふと、視界の隅で私をじ~~っと見ていたらしい秋ちゃんの視線に気づきます。
「あ、」
「……ふ、ふふ」
視線が合うと、ニヤリと秋ちゃんが笑みを深めました。たまに見せる、悪そうな笑顔です。そのままグッジョブポーズを取る彼女に、私は疑問符を浮かべ、隣で話していたらしい牧ちゃんも、「ん?」と目をパチパチさせています。
「あっ、それでさ――」
私が注意を秋ちゃん達に向けていると、樋口君が視線を私に戻しました。
「あっ、う、うん!」
それに慌てて応じると、樋口君の口からこんな言葉が。
「この前、鈴木さんが言ってた漫画なんだけど」
「え? ま、漫画……?」
何か特別な用事があるのかなと少しドキドキしていた私は、思わずきょとんとしてしまいました。けどある記憶に思い至り、
「あっ、ひょっとして――」
かなり前に流行った少女漫画の名前を口に出します。以前、お姉ちゃんから借りて面白かったと、樋口君に話したのを思い出したからです。
すると正解だったようで、樋口君は「それそれ!」と破顔一笑しました。
「いや~、実は母親が持ってるのがたまたま昨日分かってさ。借りて読んだんだけど、気付いたら夜中になってた。すっげ~面白かったよ! あれって――」
樋口君は語りながら、子供のように無邪気に微笑みます。
その笑顔を認めると、私の心は切なく締め上げられます。ある文学小説のタイトルのように、刹那に切なく、顔が赤くなりそうな程に。だけど何処か、ほわほわとした心地に包まれて。
話は結局、特別でもなんでもなく、学校の色んな所に溢れていそうな他愛のないものでした。だけど私は、少しでもそういうことが話せて満足を覚えています。
「まさか、あの主人公の獣耳がただのコスプレじゃなくて――」
「あ、うん。あれ、お洒落でもコスプレでもなくて」
一学期は学級委員長を務めていた樋口君。学区内でも遠い所から来ているので、中学校の知り合いがおらず、友達が出来るか心配で立候補したそうです。
でも、今では沢山の友達がいるように思います。
男の子の友達もそうですが、何よりも――
「オウオウオウ、武力介入だこの野郎! 朝から仲がいいわねぇ、お二人さん」
私がおずおずと、樋口君が楽しそうに漫画の良かった点について話していると、ハッとするような容姿をした女性徒が視界の内に現れます。
「は……? って花祭!? お前、何を影の如く」
「あ、花祭さん。おはようございます」
そこに現れたのは、花祭香奈さんでした。
スラリと細長い手足。小さな整った顔。ちょっと吊り上った大きな目に、長い睫。頭も運動神経も良くて、自信と行動力に満ち溢れた、私とは正反対な人。
「は~い、二人ともおはようさん。って言うか……樋口、朝からなに鈴木ちゃんを捕食しようとしてるのよ? このスットコドッコイが!」
その花祭さんがご機嫌に挨拶したかと思えば、両腕を前に組んだ態勢で半眼を樋口君に向け、食って掛かるように言います。
「はぁ? 捕食って、普通に話してただけだろ。って言うかお前、い、今どきスットコドッコイって……くっ、ど、どんな言語中枢してんだよ?」
それに樋口君が最初は困惑し、次第に笑いをかみ殺したような声で応じ……。
「なっ、うるさいわね!? あんたなんてスットコドッコイすら勿体ないわ。このドッコイ野郎!」
「なんだよドッコイ野郎って、それ完全に意味不明だからな!?」
「ならドッコイ太郎ね。樋口・ドッコイ太郎・雄介。洒落オツな名前になったじゃない。表記されるときは、樋口・D・雄介ね。Dの由来を知った人間は腹をよじらせて笑い、ミドルネーム界に激震が走るという伝説の……」
「絶対に走らねぇから! 勝手に変な伝説にすんな!?」
そうです。二人が揃うと、いつもこんな感じになります。私はその間で、「あ、あはは」と弱々しく笑うことしか出来ません。本当に二人は仲良しです。
仲良し……そう、仲良し。
自然と目線が下がります。二人の仲の良い遣り取りを見ていると、先程とは違った理由で、胸が苦しくなる私がいます。チクチクと痛むのです。飼い馴らすことの出来ない何かが、静かに存在を主張するように。
「っていうか、お前との下らない遣り取りで鈴木さんが困ってるから」
「ん? あ、ごめんなさい。そもそも樋口が――」
その言葉で現実に立ち返った私は、慌てて否定します。
「え、そ、そんな全然ですよ!」
「本当? ならいいんだけど……ところで鈴木ちゃん、今日も可愛いわね」
そこで花祭さんが落ち着きを見せたかと思えば、途端に目を光らせ、「フヘヘ」と怪しく笑い出しました。う……嫌な予感。
「ちょっと抱きしめていい? ねぇ、ハァハァ、ほら、痛くしないから」
「えぇっ!? あっ、そ、その――」
そう言って手をワキワキさせながら、花祭さんが私に近づいてくるのを、
「だから止めろって言ってんだろ」
樋口君がチョップして止めます。自然光で一条のキューティクルが浮かび上がる程のサラサラ髪の頭に容赦なく。凄いです。真似出来ません。
「ちょっ!? 何すんのよアンタ!?」
それに対し、装飾品のように形のいいツヤツヤの唇で抗議する花祭さん。
「お前が俺の目の前で、犯罪行為をしようとするからだろ」
「テメコラ樋口、犯罪行為じゃねぇって言ってんだろ!? お前の頭は……ん……しかし待てよ、なら人目に着かない所ならOKという――」
「ちょっ、なに警察が緊張するような危ないことを呟いてんだよ!?」
「あ、あはは」
花祭さんは入学当初は大人しくて、漫画などで見る良家のご令嬢さんのような人でした。聡明で意志が強そうで、凛とした佇まいをした、所作が美しい人。
それがある日を境に樋口君を手下のように従え、とっても暴走する人に。
私も執拗にボディタッチをされたりと、困惑することも多々ありました。しかしどうやら、花祭さんは単に友達を求めていただけだったようです。
(当時は誰もそのことを知りませんでした。いえ、花祭さんは確かにそう言っていたような気もしますが、色々な物に圧倒されて、気づくことが出来ませんでした)。
そんな花祭さんも、樋口君の協力もあって別のクラスで仲の良い友達が出来ると、変わっていきました。徐々に落ち着き始め、クラスメイトとも仲良くなっていきます。樋口君を連れ回し、いつも楽しそうに笑っていたのを覚えています。
『いよぉぉし、樋口ぃ! 今日の放課後は――』
『はぁ!? ったく、仕方ねぇなぁ』
だけど一学期が終わると、ご両親の都合で花祭さんは海外に転校することになりました。それを直前になって知らされた私たちは、とても慌て、驚いたものです。
私はその時の花祭さんのことを、印象強く覚えています。それと共に、樋口君のことも……。思い返せばそれが、私が樋口君を強く意識するようになる、切っ掛けであったような気がします。
一学期の終了を告げる帰りのホームルーム。別れを惜しむ同級生たちに、夏休みの間に転校してしまう花祭さんは、悲しそうな眼で力なく笑って応えていました。
それを樋口君は、教室内の離れた所から、無力な自分を眺めるような、それが堪らなく辛いような目で、じっと見つめていました。
――両親の都合なら仕方がない。
普段の二人を知っているだけに、その落差に私は打たれました。仲良くなり始めていた花祭さんが転校してしまうのは、私も辛かったです。しかし自分にそう納得を付け、割り切りました。無理やり。他の皆もそうだったと思います。
でも、新学期が始まると……。
『転校は取り消しになったの。だから、これからまた一緒に宜しく頼むわね』
花祭さんは前と同じ……いえ、それ以上に明るい表情を顔に張り付けて先生と共に教室にやって来ました。そして言ったんです、眩しいような笑顔で。
皆が驚いて迎える中、一人、樋口君だけが全てを心得たような顔で、机に頬杖をついていました。達成感と嬉しさが混じりあった、だけどその感情をそのまま表現することを面映ゆく思うような、そんな表情で。
教室中の皆が花祭さんに視線を集める中、私は一人、その表情に気づきました。同時に、あぁ、と思いました。樋口君がきっと、” 何か ”をやったんだろう、と。口を満足そうに曲げて花祭さんを見る彼を、盗み見ながら。
その直観を裏付けるように、新学期が始まってしばらくした後、花祭さんの転校の取り止めは、樋口君が関係しているという噂が流れました。
他のクラスの同級生が、空港で二人が激しい言い合いをしているのを見たそうです。その場には、二人の他に花祭さんのお父さんらしい人と、いつも花祭さんと一緒な清水さんと横川さんという友達もいて。
また言い合いの最後には……花祭さんが泣き崩れていた……とも。
両親の都合による転校を止めさせるなんてことが、果して子供である私たちに出来るのかは、分かりません。それでも樋口君は積極的に働きかけ、” 私たち ”が出来ないことをやったんだと思います。
その証拠に、花祭さんは御両親に着いていかず、今は一人暮らしをしていると言います。樋口君たちと、毎日楽しそうに学校生活を送りながら。
そして私は気づくと、樋口君を目で追うようになっていました。それは一つの明確な変化でした。だけど、彼の視線の先にはいつも……。
「あっ、そうだ! 重要なことを忘れる所だったわ。樋口に鈴木ちゃん、ちょっとやりたいことがあるんだけど、手伝ってもらえるかしら?」
私が思考の海に潜っていると、花祭さんが樋口君と私にそう声をかけました。
「え? あ、私もですか?」
驚きに目を瞬かせながら、ついお間抜けな言葉が口から出てしまいます。
「おまっ、鈴木さんまで巻き込んで、何する気だよ?」
樋口君が尋ねるも花祭さんは直ぐには答えず、クツクツと喉を鳴らすように笑いながら、スカートのポケットから携帯電話を取り出します。
「へっへっへぇ。まぁちょっと待ちなさいってば、驚くわよぉ」
続いて手慣れた様子で操作し、一枚の写真が映った画面を私たちに掲げます。
「は? これって……」
「え? これは――」
樋口君と私はその写真を目にするも、直ぐには意味が分からず、言葉を無くします。二人揃って視線を、画面から花祭さんへ。
そこで花祭さんはニヤリと、企みを秘めた人特有の形に口元を曲げると、目を爛々と輝かせながら言いました。いつものように唐突に。
「さぁ! マガンコウサッポウの写真を撮るわよ!!」




