1.鈴木さんの朝
本編終了後、十月頃のお話です。
あっ、どうも初めまして。鈴木です。
(*イラストレーターさんが花祭とは違うため、制服が異なっています)
花祭さんたちが送っている、賑やかで楽しそうな日常。その背景に隠れがちな私ですが、今日はそんな私の一日をご紹介することになりました。
えっと、私自身、実はよく事情を呑み込めていなかったりするのですが……ど、どうぞ宜しくお願いいたします。(ぺこり)
ちなみに樋口君や花祭さんからは「鈴木さん(ちゃん)」と呼ばれている私ですが、お父さんとお母さんから貰った名前がちゃんとあります。明治の文豪の猫さんみたいに「名前は未だ無い」という状態ではないです。本当です。うん。
「んぁ……ん……ふわぁぁ」
先ずは一日の始まりです。朝は大体、六時前に目覚めます。
目覚まし時計に起こされるのが昔からなんとなく好きではないので、寝る前はベッドの近くだけ、カーテンを閉めずにおきます。すると朝日が肌に差し込む時間帯になると、私の場合は自然に目覚めることが出来ます。
「…………」
お、お恥ずかしながら、寝起きはあまり良くない方です。目覚めてしばらくは、目をしょぼしょぼさせながら、ベッドで上半身だけ起こしてぼ~~っとしてます。
「ん……トマトジュース……トマトジュース飲みたい」
でもそうしていると、私の中にトマトジュースを飲みたい欲求が次第に高まって来ます。大学生のお姉ちゃんには「トマトメーター」と馬鹿にされていますが、それにつられるようにして、ベッドから起き出して部屋を後にします。
部屋は洋風の一人部屋。白い壁紙に、モスグリーンのカーテン。ベッドに勉強机、洋服ダンス、お下がりの小さな化粧台。ファンシーでもなければ、アイドルのポスターが貼ってあったりもしません。特徴のない、なんてことない内装です。
テレビはありませんが、部屋の中央にある紺色のローテーブルの上に、入学祝に買ってもらったノートパソコンがあります。他にも部屋の所々に、ちょこちょことした小物が。ぬ、ぬいぐるみさんも少しだけあります。
「トマト、トマト……」
二階の自分の部屋から一階のダイニングキッチンへ、眠たい目を擦りながらパジャマ姿でのろのろと移動です。隣の部屋のお姉ちゃんは、まだ起きていません。一階に寝室があるお父さんとお母さんも、同じく眠っています。
「よいしょ」
誰もいないダイニングキッチンの冷蔵庫から、百パーセントのトマトジュースを取り出し、トマトのイラストがプリントされたグラスに注ぎます。
このグラスは大のお気に入りで、百均で見つけました。運命の出会いだと確信しています。背こそ低いですが、二百ミリリットルは入ります。お母さんが前に調べていましたので間違いないです。実用的です。
「わぁ……今日も綺麗だよ、うふふ」
注いだ後は、うっとりとした目で見事な赤色を眺めます。人前でやると、とっても変な目で見られるので気を付けています。それからグラスに口を着け……
「ん、ん、ふはぁ……幸せ」
胃の在り所を知る美味しさ。生きててよかったと思える瞬間です。
ちなみにトマトジュースは、「無塩」派です。爽やかで、瑞々しくて、鮮やかで、なのにどっしりとした甘酸っぱい美味しさがあって……。
そんなトマトジュースが小さい頃から大好きです。
保育園の頃から好んで飲んでいた記憶があります。でも、放っておくとトマトジュースばかり飲むので、調理師の資格を持つお母さんから一日三回に制限されています。量も一回に二百ミリリットル程度。
「ん、んっ、んっ……」
なので朝のトマトジュースタイムも、決して疎かに出来ません。
ゆっくりと、噛むように味わいます。私の細胞にトマトジュース成分が行きわたるように。これは私の体とトマトジュースの戦いでもあるのです。
「はぁ、美味しかったぁ」
ここで私の目はシャッキリします。
洗面台で顔を洗って部屋に戻り、部屋着に着替えます。化粧台に設えてある鏡を覗きこみ、ブラシで寝癖を直してっと。化粧台の椅子に腰かけるのが、なんだか好きです。ちょっと大人っぽい感じがして。えへへ。
そうこうしている内に寝癖直しが完了です。
「よし!」
一階に降りて、パジャマをお風呂場横の洗濯籠に。玄関で運動靴を履き、玄関扉のロックを解除して外へ――同じ敷地内にある、お爺ちゃんの家に向います。
合鍵を使用して中に入ると、我が家とは対照的な純和風な家の廊下から、モップのような生き物が駆け寄ってきます。初めて見る人が驚く程のモップっぽさです。
「ヒャウン! ヒャウン!」
「ふふ、おはよう、つぶあん」
そこで、地に伏せると輝くモップみたいになる(ごめん、モップって三回も言っちゃった)、ヨークシャテリアの「つぶあん」と挨拶をします。
つぶあんの名前は、亡くなったお婆ちゃんの好物から取られています。今から四年程前のことです。お婆ちゃんが心疾患が原因で鬼籍に入った後、お爺ちゃんが飼い始め、そう名付けました。
絹糸のように繊細で、光沢のある柔らかな毛質のヨークシャテリアは、毛のお手入れが大変だそうです。でもお爺ちゃんは手入れを欠かしません。休日には縁側に座り、つぶあんを膝の上に置いて丁寧にブラッシングしたりしています。
つぶあんは気持ちよさそうに目を細め、されるが儘になっています。お爺ちゃんも口元を柔らかくしています。私はその光景を黙って眺めるのがとても好きです。
そんなお爺ちゃんは元銀行員で、今は近くの繁華街で趣味でBARを経営しています。しかもかなり、お洒落なお店です。びっくりです。だから朝はぐっすり眠っているので、私がお爺ちゃんに代り、つぶあんの散歩を担当しています。
「それじゃ行こっか、つぶあん♪」
「ヒャウン! ヒャウン!」
お散歩セットを持って、近隣の公園まで向かうのがいつものコースです。ランニング中の隣に住んでいる奥さんと挨拶をしたりしながら、仲良く向かいます。
「あっ、おはようございます」
「ヒャウン! ヒャウン!」
「あら、おはよう。ふふ、二人とも今日も元気ね」
人の少ない朝の時間帯の空気は、言葉にすることが難しい独特の清々しさがあります。私の意識しない心の部分まで新鮮な空気が通じ、色んなものを綺麗に洗い流してくれるような、そんな素敵な感じです。
「気持ちいいね、つぶあん!」
「ヒャウン!」
あっ、言い忘れていましたが、つぶあんは女の子です。頭のてっぺんに赤いリボンを付けています。また、彼女は頭が良くて、円らな瞳でアイコンタクトを取り、人の言うことをよく聞きます。
私は時々、つぶあんとアイコンタクトを取っていると、本当にお喋りしているような錯覚に陥ることがあります。
散歩から帰った後は、つぶあんをお爺ちゃんの家に戻し、自分の家でシャワーを浴びます。さっぱりしてお風呂場から出ると、お母さんがダイニングチェアーに腰かけて珈琲を飲んでいることが多いです。そこで朝の挨拶をします。
「あっ、おはようお母さん」
「今日も早いわね。おはよう」
それから部屋に戻り、朝食の時間まで今日の授業の予習をします。
勉強は比較的得意な方ですが、頑張って入った進学校の授業は中学に比べてやはり難しいです。真面目だけが取り柄な私には、復習と予習が欠かせません。
「よ~し!」
一通り今日の予習を簡単に済ませた後は朝食です。
ダイニングキッチンに向うと、椅子に腰かけたお父さんが新聞を開いています。その向こうのシステムキッチンでは、お母さんが朝食を食卓に運ぼうと……。
「あっ、お父さんおはよう」
「ん? おぉ、おはよう」
「さっ、もう準備できてるわよ」
「うん」
お母さんに促され食卓へ。朝食はご飯とみそ汁が基本で、それに昨晩の残り物のオカズや、季節の野菜を酢で漬けた漬物。海苔。時折、だし巻き玉子が付きます。
あ、家族構成がまだでしたね。四人家族で、父と母に娘が二人。四つ離れた大学生のお姉ちゃんがいますが、お姉ちゃんは朝はなかなか起きてきません。両親は共働きで、お母さんは調理師さんとして市民病院で、お父さんはサラリーマンで印刷会社に勤務しています。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったよ」
「ふふっ、お弁当。ここに置いておいたからね」
朝食後は部屋に戻って制服に着替え、学校に向かう準備をします。お父さんが一番に家を出て次が私、その次がお母さん。お姉ちゃんは謎です。
「それじゃ、行ってきま~す!」
「は~い、いってらっしゃい」
「ふわぁ~~。ん? あ、いってらっしゃい」
「あ、お姉ちゃん。行ってきま~す!」
学校までは自転車通学です。高校は比較的近くにあるので十五分程度で着いちゃいますが、なるべく早く向かうようにしています。尚、中学生の頃に使用していた自転車を今も使っています。まだまだ現役です。雨風にも負けません。
「よっ! おっはよ~!」
「あっ……!」
学校の駐輪場に自転車を止めていると、背後から元気な声で挨拶をされました。振り返って屈託のないその笑顔を認めると、私もつられて微笑んでしまいます。
そこには、溌溂とした雰囲気の牧村佐織さんがいました。自転車を止めようと、サドルから降りてハンドルを押しています。
没個性的な私ですが、有難いことに友達になってくれる娘もいます。中学で仲の良かった友達と同じクラスになれなかった時は慌てましたが、今は昔の話です。
「おはよう牧ちゃん。今日はいい天気だね」
「ははっ、本当にな~」
ポニーテールが良く似合う彼女を、私は「牧ちゃん」と呼んでいます。
実はその牧ちゃんとは同じ中学ですが、クラスも部活も違ったので、中学時代は話したことがありませんでした。それが高校に入学して同じクラスになると、同じ中学出身ということが切っ掛けで話し始め、大の仲良しになりました。
「あっ、そういや、昨日LINEで話した後にさ――」
「うんうん」
学校ではこの他にもう一人、おっとりとした雰囲気でストレートな黒髪が似合う、別の中学出身の秋月千尋さん。「秋ちゃん」と三人で行動を共にしています。
「おっ!? あの呪われた日本人形みたいな後ろ姿は――」
噂をすればなんとやらです。
「やぁ……おはよう、二人とも」
牧ちゃんと話しながら下駄箱に向うと、上履きに履き替えたばかりらしい秋ちゃんがいました。ぬぼ~っとした独特の話し方が可愛いです。
「秋ちゃんおはよう」
「よぉ秋、相変わらず今日も眠そうだな」
「む……牧……そんなことないわよ」
牧ちゃんが言う通り、秋ちゃんはいつも眠そうな目をしています。でも本人曰く、「これが……通常営業」だそうです。秋ちゃんの言葉選びは面白いです。
「あっ、眠そうといえばさ~」
秋ちゃんを待たせて靴を履きかえていると、牧ちゃんが口を開きました。
「ん? どうしたの?」
「いや、” 絶対に眠くなる授業動画 ”ってのをネットで見つけてさ~」
「相変わらず……牧は話がアチコチに飛ぶわね……」
「そんなこと言わずに秋も試してみろよ! これが、本当に眠くなって―ー」
ハキハキと喋る牧ちゃんに私が応じ、秋ちゃんがボソリと口を挟むのが、三人が揃った時の「通常営業」な感じです。傍から見ると全く共通点がなさそうな私達ですが、何故かとっても気が合います。
そうやって話しながら教室に着くと、一端二人と別れて自分の机へ。私の席は窓側の一番前で黒板は見やすいのですが、入口側の二人と離れているのが残念です。
「えっと、今日は――」
教科書などを机にしまった後は、廊下の窓側に配置されているスチールロッカーに鞄を入れてしまいます。机の横にフックがあって、そこに鞄を掛けられるようになってもいるのですが、女子はロッカーに入れている子が多い印象です。
それからは牧ちゃんと秋ちゃんと合流してお喋りをしたり、席に戻って宿題の確認をしたり、携帯電話をいじったりして朝のホームルームまで過ごします。
『な~にしてんの?』『の~?』
席に着いている場合でも、二人がそんな風に声を掛けてくることが多いですが、ふふ。今日は少し気になったことがあったので、席に戻って携帯電話を……。
「よっ、鈴木さん!」
しばらく携帯電話をいじってると、男性の声がその場に突然降って来ました。「え?」と顔を上げると、
「うっす、おはよ~さん!」
「え……? あっ! ひ、樋口くん!?」
鞄を肩に下げた格好の樋君が、すぐ傍に立っていました。




