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10/30

10.ターミナルの中心で


 夏休み初日。俺たちは朝早くから、電車で空港まで赴き、国際線ターミナルで花祭を待った。


 そして正午を少し回った頃、キャリーバッグを引いた花祭が、父親と共に現れた。


「み……皆さん」


 花祭は視界に俺たちを認めると、驚愕に目を見開き、戸惑いに震えた声を上げる。


「おや? ひょっとして、香奈のクラスメイトの方ですか?」

「はい、私たち香奈ちゃんのお友達なので、お見送りに来ました」


 父親の問い掛けには、清水さんが笑顔で答えた。ここ一番で本当に頼りになるのは彼女だと、俺は昨日まざまざと思い知らされた。


「香奈の……友達。そうですか、わざわざ有難う御座います。おや、君は確か学級委員長の――」


 花祭の父親は、ちょっと驚いた声音で応じた後、俺を視界に認め、声を掛けようとして来る。だけど俺は父親には構わず、射るような視線を花祭に向け、


「花祭……」

「は、はい」


 大きく息を吸い込んだ。冷静になろうとする努力とは裏腹に、急き立てられるように俺の感情は昂った。


 きっと、これが最後の機会。この機を逸したら、俺たちと花祭に掛けられた関係性は――。


『樋口ぃ! お前の頭はハッピーハッピーセットかよ!?』


 どうして今、その言葉が思い浮かぶのだろう。だけどそれは、暖かい感慨を伴って俺の意識に浮かび……。


 思わず微笑が零れた。そのことで俺の精神は、若干の落ち着きを見せる。


 そして俺は叫んだ。


 今まで散々彼女に言われた続けた言葉を。

 清水さんに託された思いを込めて、力の限りに。






「お前のぉ! お前の頭はぁ、ハッピーハッピーセットかよぉぉぉぉおおお!?」






 ターミナルに俺の声が響き渡る。周りを行く大人たちが、何事かと俺に視線を集めた。だけど、今の俺にはそんな視線なんか痛くも痒くもない。


 花祭に伝えたい、いや伝えなきゃいけない言葉が、あらゆる感情を伴って嵐のように渦巻いてる。


「ひ、樋口くん? 何を?」

「樋口くんだぁ? 上品ぶってんじゃねぇよ! 花祭……お前、転校するの嫌なんだろ? なら、なんでそのことをハッキリと両親に伝えないんだよ!? なに大人ぶってんだ? ふざけんなよ!? お前はまだ、十五歳の子供なんだぞ! ならちゃんと――」


 俺の思わぬ強い調子に花祭は面食らい、慌て、一度父親の顔色を窺った後、再度、俺に向き直り、


「い、いきなり何を仰るのですか?」


 と、まだお上品な態度を崩さない。

 そうか、お前がそういうつもりなら……。


「いいかよく聞け! 俺たちはお前を見送りに来たわけじゃない!」


 そこで俺は、前後の見境も忘れたように興奮し、花祭に宣言する。


「え? な、ならどうして?」


 そして狼狽する花祭を前に、意地悪そうに方頬を窪ませ、ニヤリと笑う。昨日、花祭がいなくなった教室で、清水さんは俺に言った。



『大人が出来て、子供が出来る唯一のこと……それはね』



「決まってるだろ? 俺たちはお前に、『我儘』を言わせにきたんだぁぁああ!」


 花祭はそんな言葉が俺の口から出るとは思わなかったのだろう。呆然とした表情で「我……儘?」と呟く。


 多分、花祭香奈の辞書には「我儘」なんて言葉は存在していなかった。彼女は今までそうやって生きてきた。両親に我儘を言わず、ただ従順に。


 だけどあの時、花祭は俺だけに我儘をぶつけてきた。



『樋口ぃ、私が友達を作るのを手伝え!』



 そうだ。あの日、こいつは俺にだけは我儘を言ったんだ。

 恐らく、生涯初めての我儘を。



「なぁ花祭、俺たちは友達になったんじゃなかったのか?」

「そ、それは……」


「なのに、なのにお前は簡単に友達を諦めるのかよ!? 欲しかったんだろ? ありのままのお前を受け入れてくれる友達が!? なぁ、お前みたいなのと友達になってくれる奴なんて、俺たち以外に、そう簡単に見つかるもんじゃないぞ! だから、だから――」


 俺は呆然自失としている花祭に、言葉を叩きつける。今までの生涯で、こんな風に熱くなることなんてなかった。


 ――だが熱くなる理由がある。


 清水さんに希望を示されるまで、俺は必死に見ない振りをしていた。自分自身を騙し続けていた。諦めていた。


 でも……でもっ!!!



『おらぁ、樋口ぃ! ぼさっとしてんな!』

『全く香奈ってば』

『あはは、皆、仲良しさんだね』



 花祭と一緒に過ごした日々は、最っっっっっ高に楽しかった!

 思い出すと、思わず涙が出そうになる位に!


 俺は、俺はその日々を過去にしたくない。

 想い出になんか……してたまるかぁぁ!!


「何を、何を樋口君が入っているのか、私にはさっぱり――」


 俺がこれだけ言っても、花祭は尚も分厚い「良い子」の仮面を外そうとしない。先程から、恐れにちくちくと刺されるような苦悶の表情を浮かべ、父親にばかり視線を向けている。


 そうか、お前がそういうつもりなら……。

 とことん挑発してやるだけだ!


「花祭ぃ! お前はいつまで両親から逃げてるんだ?」


 すると花祭の眉間は、僅かに痙攣し、


「お前は、ずっとそうやって逃げ続けるのか? お前は――」

「に、逃げる? 逃げるですって? 私がいつ逃げたと言うんです!?」


 ついに花祭が俺の土俵に上がってきた。俺は作戦が上手くいったことに、湧きあがる歓喜を感じながら、鼻息荒く言葉を紡ぐ。


「逃げてるじゃないか!? 今も、そうやって! お前は言った。義理の両親の期待する人物像を演じるって。それは確かに素晴らしいことかもしれない。でもな、それじゃいつまで経っても、両親と向き合うことなんて出来ない! 親子って、親子って、そんな上品なものじゃない! 確かに俺たちは子供だ、両親に育ててもらってる。だけど……だけど!」


 そこまで早口でまくしたてると、俺は一呼吸置いた。


「な、なによ」


 花祭りの目が動揺し、泳いでいる。口調も普段通りの俺たちが知る、花祭香奈だ。


 俺はそれが嬉しくて、だから……。


「子供だからこそ、我儘を言う権利だってあるんだ! だって俺たちは、両親の玩具じゃない! 生きた人間だ! そうだろ? そうじゃないのかよぉぉぉ!?」


 そこで花祭は完全に、自分が義理の父親の前にいることを忘れた。


「――っ! あんたの……あんたの頭は本当にハッピーハッピーセットね。それは、それは普通の家庭で育った人の言葉よ! 私にはそんなの無理! 育ててもらってるのよ!? それだけでも有難いってのに、どうして、どうして我儘なんか言えるのよ!? 普通の家庭に育った人には、それが、それが――」


 花祭は怒りと深い悲哀を目に灯し、そう訴えた。


 悲劇のヒロイン。結構だ。

 だけどな、だけど……。


「お前が、お前だけが不幸だと思うなよ!? 俺の、俺の母さんは――」


 そこで俺は、まだ高校の友達には誰にも告げてない、ある秘密をぶちまけた。



「俺が小学生の時に…………病気で、病気で死んだっ!」


 

 瞬間、花祭の瞳が見開かれる。


 恐らく、周りにいる人間も同じような表情をしているんだろう。息を飲む気配が伝わってくるが今の俺には花祭以外は目に入らない。


「当時、すっげぇ寂しかったよ。当たり前だろ? だって当時の俺はまだ小学四年生、マザコン盛りだ。そんな俺を心配して、父さんは直ぐに再婚したよ。だから……今の俺の母親は、義理の母なんだ」


 そこで脳裏に浮かぶ昔懐かしい母の姿。その温もり。

 大好きだった、俺の……母さん。


「でも、父さんは何も分かってなかった。だっていきなり”彼女が君の新しい母親です”って言われて、誰が”あぁそうですか”って受け入れられるよ!? だから今の母親と打ち解けるまで、すげぇ時間が掛かった。初めは殆ど……憎んでもいた!」


 俺の声は、そう叫びながら知らず湿り気を帯びていた。目頭が熱く、視界がごわごわと歪む。手の甲で目を拭い鼻をすする。


「だけどな、今は仲良くやってる。逃げないって決めたからだ。嫌なことは嫌だって言う。我が儘だって言う。前の母さんのことも忘れない! それで、何でも一人で勝手に片付けないで、諦めないで、向き合ったんだ! それが……それが、家族ってもんだと思ってな!」


 そして充血しかけた目で、怯えたように後ずさる花祭を真っ直ぐ見つめ、言葉を畳み掛ける。


「でも花祭、お前は逃げてる! 本当の意味で両親と向き合おうとしてない。両親が期待する人物像を演じる? それが義務だ? 立派だよ。だけどな、いつそんなことをお前の両親が望んだよ!? それ以上に両親が望んでることがあるのに、お前は気づいてないんだ!」


 そこでようやく、俺の声が花祭に届く。


「そ、そんなこと……わ、わたし」


 花祭は苦悩していた。自分を見失いかけていた。それはまさに、彼女に俺の思いが作用した証拠に他ならない。


「なぁ花祭、それにお前はこうも言ったよな。『人生に意味なんてない』って。でもだからこそ、人生を楽しみたい、お前はそう言ったんだ」


「あ、あ……」


 そこでふと、俺は彼女の言葉の意図に気づいた。


 花祭は、いつも自分に枷を嵌めていたんだ。両親の期待に応えるという、そんな枷を。


 その為に自分を犠牲にして。

 だからこそ彼女は、限られた自由を精一杯楽しむ為に――。



『意味なき世界の無意味に耐えなさい。そして突き抜けるのよ』



 花祭……香奈。十五歳のガキの癖に……なに無理してんだよ。

 俺は言葉にならない感慨を抱え、彼女の名前を胸の中で唱えた。


「なぁ花祭。お前も……お前もいつかは結婚して、子供を持つことになる。その時、お前はどんな家庭を築きたい? 自分の子供にどんな風に育って欲しい? 勉強ができて、上品で、両親の期待に応える完璧な子供? だけど……だけど我儘の一つも言わない、悩みも話さない子供? 俺は、俺はそんな家族はごめんだ! だってさ、言いたいことを言い合って、面倒だけど悩みも聞いて、一緒になって親子で悩む――」


 花祭は俺の言葉を拒むように耳をふさぐ。だから俺はそんな小細工が通用しないように、ターミナルに響き渡る位に大きな声で叫んだ。



「俺にはその方が、何倍も人生が楽しいって! そう思うんだよ、この馬鹿野郎!!」



 すると花祭は項垂れ、糸を失った人形(マリオネット)のようにその場にへたり込んだ。


「私は、だって私は……いい子で、いい子でいなくちゃ、だって養子なんだから。我儘なんて、私は、私は……」


 表情を無くし、震えた、虚ろな声で、自分に言い聞かせるように呟く花祭。


 すると清水さんが、その場にそっと歩み出て来た。屈み込んで膝を着き、花祭を正面から抱きしめる。


 彼女を慈しむかのように、優しく。

 人間の体温で脳髄を痺れさせるように、暖かく。


「ねぇ香奈ちゃん。それは多分、違うと思うよ。だって……」

「あ……あぁ……」


 そして花祭を優しく包んだまま振り返り、彼女の父親に含みのある視線を向ける。


「だってね。それはオジサン達が一番望んでることなんだよ。我儘を言ってほしいなって。ね? オジサン?」


「…………え?」


 清水さんの言葉に促され、厳粛な表情を湛えた花祭の父親が、俺たちの前にゆっくりと歩み寄る。入れ替わるようにして、清水さんが花祭から身を引く。


「香奈」

「は……はい、なんでしょうかお父様?」


 花祭と視線を合わせ、抱きしめたかと思ったら……。




「コチョコチョコチョコチョ」

「うぉほ! あはははは!」




 花祭の脇腹を、突如としてくすぐり始めた。


「……は?」


 余りにも不可解な事態に、俺と横川(お前、今回影薄かったなぁ)は顔を見合わせる。そして養女の脇を思う存分くすぐるという、特殊な性癖を余すところなく披露され、言葉を無くす。


「お、あはははは、おとうさま、あははははは、どうなされ、あははははあは」

「そ~らそらそら」


 花祭は必死に抵抗してみるものの、体躯に優れた父親に圧倒され逃げることが叶わない。


「あは、やめて、あははははは、やめてくだ、あはははあはは」

「そらそらそらそら」


 こちらがドン引きしそうになる位執拗に、脇腹をくすぐり続ける花祭の養父。今まで必死になって築き上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようだ。


「こちょこちょこちょこちょ」

「あは! あはは! おぅふ! あはははあは!」


「ねぇ、そういえばお腹すかない?」

「あぁ……そういえば、昼飯まだだもんな」


 その光景に飽き始めた俺と横川は、雑談を始める。ただ清水さんだけが、警備員がチラチラと緊張した視線を投げかけている現場を見守っていた。


「あは、あはは! あ、あなたたち、あは、あはは! 助け、うぉほ、うぇは!」

「そ~らそらそらそらぁ」


 大丈夫だろうか。笑い過ぎた花祭が、若干えずき始めているようだけど……。


 流石に嘔吐リバースは、まずい。虹色の液体を口から吐くヒロインと言うのは、マジでまずい。


 だが俺の懸念もよそに、やがて、


「あははは! うえぇ、やめ、やめ、止めろって言ってるしょうがぁ、ゴラァ!」


 花祭が、父親に向ってキレた。

 まぁキレるだろう。


 これで「もうお父様ったら、うえぇぇ(ボタボタ)」とかやってみせたら、もうそいつは人間じゃない。


 吐しゃ物にまみれた、くそ野郎だ。



 だが花祭のその態度は、瞬間的な物に過ぎなかった。やがて自分が父親に向けた言葉に思い至り、「あ……」と、間抜けな声を上げる。


 父親は花祭の脇腹から手を放し、先に立ち上がると、彼女に手を差し出した。決まりが悪そうに、それに応じる花祭。焦りと戸惑い、不安。


「あ、あのお父様、さっきのは、その――」


 花祭が弁解しようとすると、父親は感慨深げに彼女を見つめたまま、首を横に振る。そして父親の威厳を取り戻し、


「香奈……ようやく、君に会えたね」


 寂しそうな表情で、嬉しそうに言った。


「え? お、お父様?」

「先程、そちらのお嬢さんが言った通りだよ。香奈、君はおよそ完璧と言って差し支えのない子供に育ってくれた。だけどね……私たちはそれがずっと寂しかったんだ」


 忸怩たる思いを抱え、苦渋に顔を歪ませながら父親は告げる。事態を把握し切れていない花祭は、突然の義父からの言葉に狼狽し、オウム返しに尋ねる。


「寂し……かった?」

「そう。僕達の間には……いつも遠慮と言う名の分厚い壁があった。それは簡単に取り除けるものじゃないのは分かっている。でも、僕や妻はその壁を乗り越える勇気がなかった。そして君もまた、そうだった。君だけが臆病だったわけじゃない、僕たちも臆病だった。樋口君の言うとおり、逃げてたんだ……分かるかい?」


 そして諭すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。過去を振り返り、今まで越えられなかった壁の高さと厚さに、寂寥(せきりょう)を感じているかのように。


「そんな……私、私」

 

 花祭は顎を左右に振った。今まで自分が最善だと信じて行ってきたことが、実はそうではなかったと知り……再び、膝から崩れ落ちそうな感慨に身を浸らせて。


「香奈、君はいい友達を持ったね。正直言うと、君が進路志望の紙に公立学校の名前を書いたと知った時は、そりゃ驚いたもんさ。ひょっとしたら学費のことを心配して、また君に気を遣わせてしまったんじゃないかと思ってね。だけど……そうか、本当の君を愛してくれる友達が出来たんだね。ふふっ、本当によかった」


 最初は重く悲しい調子で、しかし最後には微笑を湛えながら花祭の父親はそう言うと、


「皆さん、本当に有難うございます」


 彼は俺たちに向き直り、深々と頭を下げた。

 佇まいを正し、それに応じて頭を下げ返す。


「お……お父様」

「香奈、まずはその呼び方を変えよう。そして、徐々に色んなことを変えていこう。僕は、僕たちは、本当の君に会いたいんだ。作った君じゃない。ありのままの君にだ。今まで……言えなくて悪かったね。そして色んな無理をさせて……本当にすまなかった」


 そこで花祭は望んだ未来を手に入れたにも関わらず、その未来から後ずさった。


「でも、私、そんなのって――」


 いつだってそうだ。人間はその一歩を恐れる。

 自分自身の新しい言葉。新しい環境。新たな一歩を常に恐れている。


 だけどな花祭、知ってるか?

 お前はもう……一人じゃないんだぜ。


「香~奈っ。何、あんたらしくないこと言ってんのよ? 折角なんだし、今こそ我儘を言う時よ。さぁ、お父さんに言ってごらん」


「え? でも私……我儘なんて言ったことないから、なんて言っていいか――」


 横川の言葉に気弱な、儚げな少女の顔で答える花祭。その光景を目にし嘆息を吐いた俺は、清水さんと顔を見合わせて微笑む。


「難しく考える必要なんかない。なぁ花祭、お前はハッピーハッピーセットが欲しいんだろ? だったら言えばいいんだよ。ほらっ」


 三人で彼女の背中を押し、一歩を踏み出させる。つんのめるようにして、養父の前に押し出される花祭。


「あ、え? お、おとう……さん?」

「ん、どうしたね香奈? ふふっ、お父さんに何か言いたいことがあるのかい?」


 悪戯めいた笑みで、それを迎える彼女の父親。


 父親と正面から向き合い、こちらに背を見せる花祭を見て……。俺はその時初めて、彼女の背中の小ささに気付いた。


 頼りなく震えた、か細い背中。

 でもそれこそが、ありのままの彼女の姿を現していた。


 大人ぶる必要なんてない。強がる必要なんてない。

 俺たちは子供なんだ。未熟な、一つの震えた魂。


 いつか俺たちも、(かつ)ての子供であった今の大人のように未来という重い課題を担い、生きていかなくちゃいけない日が来るんだろう。


 でもその為にこそ、子供時代を疎かにしちゃいけない。根拠なんてないけど、不思議と俺にはそう思えるんだ。


 花祭は暫くの間、父親の前でじっと俯いていた。だがやがて、震えて強張った肩から力を抜くと、ゆっくりと頭を上げて……未来へと跳躍した。



 生まれて初めて、父親に我儘を言ったんだ。



「私、私……転校したくない。ひっく、友達と……友達と離れたくないよぉぉ」



 そして彼女は、一人の女の子となって泣いた。しゃくり上げ、わんわんと声を上げて、さめざめと涙に暮れた。



 ターミナルの喧騒はその泣き声を静かに覆う。

 やがて途方もなく開かれた未来が、彼女をそっと包むと――。



「まったく、なんて我儘を言ってくれるんだ」



 幸福そうな笑みを浮かべる父親に頭を撫でつけられ、花祭の失われた子供時代が、彼女に返ってきた。




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