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そのまま帰ろうとした莉奈に、みちるが声をかける。
「ちょい待ち。こら、ちゃんと先生にお礼言った?」
みちるの言葉に振り向いた莉奈は、しばらく考えて、丸山に向き直る。
「いつもありがとうございます。ごちそうさまでした」
深々と頭を下げると、その両脇にさらさらと長い黒髪が落ちた。それを見た丸山が、音もなく拍手をする。
「まー、倉本さんも成長したこと。つんつん娘が、お礼まで口にするようになって。いい友達を持ってよかったわねー」
「ごめんね、先生。莉奈、相変わらずで」
「ううん、去年に比べたらずいぶん、人あたりがよくなったわよ」
二人の会話に、莉奈は少し不機嫌そうな顔になる。いいように扱われているのが、少々気に入らない。
そんな莉奈を、みちるは笑いながら見ている。さばさばとして姉御肌のみちるは、最初、拓巳が莉奈の世話をやくのを面白がって見ていただけだった。が、それを莉奈が嫌がっていないことに興味がわいた。とっつきにくそうな外見とはうらはらに、世話をやく拓巳を莉奈は拒絶しない。知り合ってみれば恐ろしいほどの世間知らずの莉奈に、様々な一般常識を教えてくれたのもみちるだ。
「お世話になりました。帰ります」
頷きあっている二人に、声をかける。
「明日は朝ごはん、食べてくるのよ」
「食べてますよ」
事実なので、律儀に言い返す。それは嘘ではないのだが、丸山が言うところの成長期の女性に必要な栄養には、全然足りていないのだそうだ。
莉奈にしてみれば、ただ体がついていかないだけ、とわかっているが、それを詳しく説明するのも面倒なので言われるがまま素直に聞いておく。
「七難隠す色白も、あなたのはちょっと白すぎね。もう少し色をつけて、にっこり微笑んだらきっと、もっときれいになれるわ」
「莉奈の笑顔ねえ……。先生、それは難易度高いかなー。誰もが見てわかるほどの笑顔って、めったないもんねー、あんた」
「……そんなことないもん」
口を尖らせた表情は、一年近く世話になった丸山や仲のいいみちるたちだからこそ、見ることの出来るものだ。気を許してない人に対しては、莉奈はこんな顔をしない。
「じゃあね」
「失礼します」
挨拶をして、三人で保健室を出る。歩き始めると、由加里が言った。
「拓巳が校門で待ってるからあ、一緒に帰ろうって」
「拓巳、クラブじゃないの?」
拓巳は陸上部に所属していて、朝と放課後は毎日練習があるはずだった。それは始業式の今日も同じだと、莉奈は思っていた。
「明日実力テストあるから、今日は休みだってさ。私と由加里、今日これから模試があるから送っていけなくて……ごめんね」
申し訳なさそうに言う二人に、莉奈は大丈夫と首をふる。二人は、同じ進学塾に通っている。
莉奈と拓巳の家は、駅とは反対方向に歩いて15分。校門を出れば、電車通学のみちるや由加里とは逆方向になる。ちなみに拓巳は、その近さが高校を選ぶ決め手となった。そんな理由で、県内でも難関の鷹ノ森に入れるくらいの頭を持つ拓巳である。入学式の時、新入生代表で挨拶をしたのは彼だ。普段へらへらしていても、拓巳は学年一、二を争う頭脳の持ち主である。