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かすかな衣擦れの音に気がついた丸山は、手にしていたボールペンを置いて立ち上がった。カーテンの中を覗き込むと、莉奈がベッドの上に起き上がってぼうっとしている。
「目が覚めた?」
声をかけられて莉奈は、ぼんやりとした視線を保健室の主に向けた。
「丸山先生。また私、倒れたんですか?」
「まさか新学期早々に運び込まれるとは思わなかったわ。ちゃんと、朝ごはん食べてきた?」
「一応……」
「だめよー。しっかり食べないと。ただでさえあなた、登校する日も少ないし、来たと思えばここで寝てるし。進級、ぎりぎりだったって聞いてるわよ?」
言いながら丸山は、アンパンを一袋、莉奈に渡す。
「どうせもう、始業式も入学式も終わるわ。それ食べたら帰んなさい」
しばらくそれを見つめていた莉奈は、ゆっくりした動作でベッドから抜け出した。
身支度を整えてカーテンを開けると、丸山がお茶を入れているところだった。
「いただきます」
用意されていたいすに腰掛けて、莉奈はもらったアンパンを素直にかじる。甘い。
なんでいつも、アンパンなんだろう。
去年、貧血を起こして初めて保健室のお世話になった時に、丸山は倒れた原因を調べるために莉奈にいろいろと問診をした。その結果丸山は莉奈の食の細さに驚愕し、以降、ここに運び込まれる度に、必ずアンパンを一つ食べさせてくれるようになった。不規則に訪れる保健室に常にそれがあるのが、莉奈はいつも不思議だった。
「戻ったら、梶原君にお礼言っておきなさいよ。倒れたあんたを、ここまで運んできてくれたんだから。しかも横抱き」
「横抱き?」
「いわゆるお姫様抱っこ、ってやつ」
にんまりと丸山は笑って言ったが、莉奈はその笑みのわけがわからずぼおっとその顔を見返す。
世情にうとい莉奈は、女生徒が喜ぶ行動や仕草にもうとい。丸山の言い方では、教室から保健室に来るまでに二人がどれだけの注目をあびたかなんてことは想像できない。なので、丸山が期待するような「きゃ!」とか「恥ずかしい」という反応は一切しなかった。
ちなみに、熱血陸上少年の拓巳は、莉奈とは別の意味で保健室の常連だ。
「莉奈、具合どう?」
「大丈夫?」
入り口のドアが開いて、みちると由加里が顔を出した。
「入学式まで全部、終わったよ」
みちるの手には、二つのかばん。それを見て、どうやらもう帰ってもいいらしい、と莉奈は判断する。
「また一日、ここで終わってしまったのね」
莉奈はかすかに、ため息をついた。
高校へ転入してきた当初は、他人との接触を出来る限り少なくするようにつとめてきた。けれど、友人が出来、徐々に自分の居場所ができてきてからは、いつのまにか友人との生活もそれなりに楽しくなっていたのだ。できれば、残り少ない貴重な一日一日を、みんなと一緒に過ごしたいと思うくらいには。
だが、慣れない環境に彼女の体はついていけず、結局他の生徒達と同様には高校生活を送ってくることができなかった。
「とりあえず、丸山先生にも新学期のご挨拶できてよかったわね。めまいは?」
「大丈夫。もう平気よ」
「ごめんねえ、莉奈」
ベッド脇の壁にかけられていたジャケットを手渡しながら、由加里が申し訳なさそうに言う。莉奈が病弱だということを、久しぶりに会えた嬉しさで失念していたのだ。悪気がないことを莉奈もわかっているから、気にしてないと首を振る。