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不機嫌な振りをしながらも興味津々を隠せないディルの問いに、拓巳は首をひねる。
「さあてな。俺にもよくわからない。確かに、こんなこと覚えても完全に理解はできないし、お前の方がずっと役に立っている」
「当然だ」
得意げに胸を張るディルを、拓巳は目を細めて見た。
「でもな、何もできないからって、何もしないではいたくない。あいつのためにできることを探すためには、何が起こっているかを正確に知る必要がある。些末な事柄でも、もしかしたら何かの役に立つかもしれないだろ」
「あいつって……」
「莉奈のことだよ。お前だって気になってるんだろ?」
「べ、べべべつに、僕は……」
真っ赤になったディルを、拓巳は笑わなかった。
「俺もまだガキだからさ、惚れた女の前ではかっこつけたいんだよ」
「……お前今、暗に僕のことガキだとか言わなかったか?」
「さすが天才」
「くだらないな。意味がわからない」
「そっか? 普通だと思うけど」
それを聞いたディルは、しばらく拓巳を見つめた後、うつむいて呟いた。
「僕には、多分、普通がわからない」
それは、拓巳を見ていて、最近ディルがよく考えるようになったことだ。
数式の問題なら、どんな難しくても彼に解けないものはない。年上の教授を数時間の議論の末、論破したこともある。彼の周りの大人はみんな、そんな風にディルにとっては常に競合していく相手だった。
だから、わからないことを素直にわからないと言った拓巳に、正直、ディルは面食らった。何も知らない、と最初は馬鹿にしていたが、真剣に自分の教示を聞く拓巳にディルは、次第にその考えを変えざるをえなくなる。
もしかしたら、これが普通ということなのかもしれない。そう、ディルは思うようになっていた。
何の特技も持たないそんな拓巳が普通だというのなら、そして、それでも莉奈にとって拓巳が大きな意味を持つ存在というのなら、それはディルにとって、今までの価値観をまるきり覆す存在ということになる。
「わからないってことは、僕は、お前に負けているのか?」
「違うよ」
めずらしく心細げな顔になったディルの色の薄い青い髪を、拓巳はくしゃりとかき回した。
拓巳の仕草にディルは驚いたように目をみはってその手を振り払おうと両手をあげたが、思い直してそのまま拓巳のしたいようにさせた。
くすぐったいことが、不思議と嫌な気分ではなかった。
「お前、俺のこと嫌いだろ?」
「嫌いだ」
素直に即答するディルに、拓巳は声をたてて笑った。
「な? ちゃんと、好きだとか嫌いだとか、お前は思えるじゃないか。それが普通ってことだよ」
その言葉の意味を、ディルはじっと考える。その間、中途半端にあげた両手を無意識にわきわきと動かしていることには、ディルは気がついていないようだった。
「思いに勝ち負けなんかない。好きなように思っていればいいさ。それが、俺が今やっていることの理由だ」
「タクミ、いるか?」
その時、ゼダがオペレーションルームに入ってきた。
「ここです、ゼダさん」
パネルを手にしたまま、拓巳は立ちあがる。
「なんだ、ディルもいたのか。打ち合わせの最中か?」
「すごく大事な会議中です。議題は、いい男について」
真面目な顔で言った拓巳に、ゼダも真面目な顔で言い返す。
「そりゃあ、重要な議題だな。なら、俺が講師をやってやろう」
「お前のどこがいい男だ」
冷めた目に戻ってディルが言った。
「なにを言う。俺のどこをとってもいい男じゃないか。特に俺の……」
「何しに来た」
取りつく島もないディルに、ゼダは本来の用事を思い出す。
「そうだ、タクミを呼びに来たんだ。タレードが呼んでる。時間だってさ」
それを聞いて、拓巳の表情が引き締まった。ディルもチェアから降りる。どうやら、一緒に行く気らしかった。
「はい」