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家に戻った莉奈は、乱暴に玄関を閉めるとそのドアに背をつけたまま座り込んだ。心臓が乱暴に踊っているのは、全速力で飛んできたからだけではない。
見られてしまった。
拓巳がサン・チルノに行くと聞いて、嫌な予感がしたのだ。拓巳がナイトフェアリーに対してどういう感情を持っているか、それを知っている莉奈は、今の拓巳の気持ちを考えるのが怖かった。怖いと思っている自分に、莉奈は自分で驚いていた。
「落ち着いて。大丈夫。もう、終わったことだわ」
胸に手を当てて、声に出して自分に言い聞かせる。
もう、会うこともないから。
「準備……しなきゃ……」
莉奈は、ふらつく足を玄関のドアにすがって、なんとか立ち上がらせた。
廊下の突き当たりにあった階段を、手すりに頼りながらあがっていく。あがりきったすぐのドアが、莉奈の部屋。そこを素通りして、突き当りの扉に手をかける。
一呼吸置いたあとそっとノブを回すとそこは、かすかな機械音に満たされた部屋だった。その部屋は、壁一面がめまぐるしく点滅する色とりどりのパネルやスイッチであふれていた。
慣れた手つきで片手を振ると、次々に透明なパネルが空中に出現する。莉奈が指を滑らせるごとに、モニターにうつしだされていた記号のようなものが変化した。おそらく、その文字が理解できるのは、この地球上では彼女だけだろう。そこに使われているのは、彼女の星の文字だったから。
最後のキーを押すと、ぴこんと軽い音がして緑の文字が点滅した。これで時間が来れば、自動的に莉奈の星へと向かうはずだ。示された数値は、約二時間後には彼女の望む値になることを示していた。
思ったより時間がかかることに、莉奈は肩を落とす。
高木が、莉奈のいるところを突き止めることができると言ったのは、単なるはったりではないと彼女もわかっている。いずれ、ここも突き止められるだろう。だが、その時にはもう、彼女は高木の手の届かないところにいるはずだ。
いや、この星の誰も手の届かないところに。
システムが正常に動いていることを確認して、莉奈はよろめきながら自分の部屋へと向かう。そのままどさりとベッドへ倒れた。
体一つで乗り込むために、通常使用している重力制御装置のパワーを最大にして使った。その反動は思ったより大きく、倒れた体は疲労困憊している。
「大丈夫、間に合うわ……。私、ちゃんと、やりとげることができたのよ、兄様……」
最後に見た拓巳の顔が頭をよぎって、莉奈はぎゅっと目を閉じる。そして、そのまま深い眠りへと落ちていった。
☆
薄闇の中に見えたその後姿は、彼女のよく知っているものだった。だから、まだ夢うつつだった莉奈は、考えるよりも先にその人物の名前を呟いていた。
「拓巳……?」
小さな声に振り向いた拓巳は、薄く目を開いた彼女に小さく微笑みを返した。
彼女の横たわるベッドに寄りかかって、拓巳はじゅうたんに座りこんでいた。ちょうど、二人の目線が同じ高さになる。
「目、覚めたか?」
「ん……」
まだ目覚めきっていない視線は、それでもしっかりと拓巳をとらえていた。それを見て拓巳は、莉奈が眠っていたのは具合が悪いからというわけではなさそうだと、とりあえず安心する。
「わり。勝手に入った。まーた鍵、かけ忘れていたぞ」
いつもの口調と笑顔で言われて、ぼんやりとしたまま莉奈は体を起こす。
「……そう? 私、またやっちゃったの……?」
「無用心だっつーの。気をつけろよ」
部屋の中は、薄く月明かりで満たされていた。