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ガラスの割れる音を聞いた瞬間からその場に伏せていた警察官達は、その後何も起こらない様子におそるおそる起き上がる。
開いた窓から、重さを感じさせない仕草で、ナイトフェアリーがふわりと床に降り立った。警官たちは、その姿に再び目を疑う。
暗い館内で、相変わらず彼女の姿はシルエットのままだ。だが淡い月明かりの中でうごめき続けるその長すぎる髪が、自然にはあり得ない瑠璃色をしているのだけが見て取れる。
なんだ? あれは……
「何をしている! 捕獲!」
空気を震わせて響いた梶原の声に、警察官たちは我に返った。
得体の知れない人間とはいえ、相手は一人。数にものを言わせて、捕獲できないことはない。そう判断した警察官達が、青く光るその人影に飛び掛かろうとした時だった。
シューという微かな音がして、部屋の中が白い霧で包まれる。
「な、なんだ?」
その煙は、二つある入り口の両方から吹き込んできていた。微かに吸い込んで梶原は気付いた。
「吸うな! これは……」
あわててハンカチを口にあてるが、既に遅かった。強い麻酔を噴霧されたホールでは、窓が割れて空気がもれているのにもかかわらず次々に警察官が倒れていく。
「安心してください。眠っていただくだけです。少々頭痛が残るかもしれませんが、命に別状はありません」
入り口のうちの一つから、不恰好な酸素マスクをつけた高木があらわれた。背後には、同じように酸素マスクをつけた男が数人、めいめいサイレンサーのついた銃を持ってそろっている。
「やあ、会いたかったよ。レイディ」
彼女は、高木をみつめる。氷のような声が、彼女の唇からこぼれた。
「同じ国民なのに眠らせるの?」
「彼らは知らなくていいことだ」
自分に突きつけられた無骨な銃口を見ながら、彼女は動かなかった。
「罠だということはわかっていたんだろう? ご丁寧にお知らせをいただいていたのでね、それなりに用意させてもらった。……今日こそは、一緒にきてもらう」
口調は丁寧だが、そこには有無を言わさない強さがこめられている。
「これまでお前が持ち去った宝石も全部返してもらおう。お前には、不相応なものだ」
「あなたにも不相応だと思うけれど」
その言葉を聞いて、高木が目を細めた。
「お前、あれがなんだか知っているのか」
「あなたこそ、あれが何に使われるものか知っているのね」
「……どこまで、知っている?」
「さあ? 全てかもしれないし、何も知らないかもしれないわね」
高木が無言で片手をあげる。男達が、銃を構えた。それを見ても、彼女の表情は変わらない。
「私が死んだら、残りの宝石は手に入らないわよ」
「お前のアジトなど、すぐに割り出してみせる」
決して脅しではない。高木には、それが出来るだけの組織がついていることを、彼女は知っている。館内はもちろんのこと、美術館の外にまで、彼の仲間は水も漏らさぬ体勢をとって彼女を待ち構えていた。今度こそ取り逃がすことはないと高木は確信する。
マスクの中から、高木が聞いた。
「お前は、何者だ?」
「私は、私」
そう言うと、彼女は歩き始めた。己に向けられている銃口など、まるで気にすることもなく。
「これは、私の、私たちを救う石」
彼女は高圧電流の消えたガラスケースをそっとはずすと、カボションカットされたルースの石を取り出す。
『海の涙』
青みを帯びた透明なそれは、月明かりの中でぼんやりとした輝きを放っていた。だがその本質は、地球上のあらゆるものと異なることを、そこにいる二人は知っている。
「イシカワは、気付いてしまったの」
鶏の卵より一回り小さいくらいのそれを手にした彼女は、静かに話し始めた。