#8
銀青色の壁に直接、犬を抱いた少年が描かれていた。
だが、それだけではなかった──
こういう絵は初めてだった。
つまり、それは、厳密には〈自画像〉ではなくて、〈人物画〉だった。
少年の後ろに自分がいた。
いつもの、籐椅子に腰掛けた少年の後ろで、肘を突いて寄り添っているウォルター・ヴァレン。
とても良く描けている、とウォルターは心底、感心した。
本当にあいつは才能があったんだ!
鏡を見ているような気分になる。
或いは、自分の方が壁で、あっち側に幸福な恋人たちがいるようだ、と。
大人気なくヤキモチを焼いて馬鹿だったな、とも後悔した。
届かない……通り過ぎる……漂って定まらない……〈少年の微笑〉の謎が解けたぞ!
あいつの微笑の方向は前にはない。
いつだって、少年を後ろから抱きしめている自分に向けられているのだから……!
振り返って壁の真正面にある窓を見る。
その窓ガラスに写っている絵の中の少年の視線を追うと、真後ろの、寄り添っている自分にピッタリ照準がと合うのだ。
── これを完成させたかったんだな、おまえ?
この構図が最終目的だったのだ。
自惚れでもいい。
ウォルターはそう思うことにした。
自分を描いてくれた、最初で最後の作品でもあった。
それだから、絶対に、破壊させはしない。傷一つ入れさせるつもりはない。
例え、この壁画の一部分に何が塗り込まれていようとも。
ウォルターは二ヶ月近くも、一番間近にいた恋人の深刻な病状も気づかないくらい愚かな研修医だったが。
言い訳を許してもらえるなら、ひとえに、それは恋をしていたせいた。
昔から言うではないか? 『恋は人を盲目にする』。
そして、今、愛する人を失って、多少は正常な研修医に戻った。
その立場から考えると、少年がこの二ヶ月、何ら医療上の援助もなしに体調を維持できたはずはない。
定期的に──それもかなり頻繁に──専門医のバックアップが必要だったはず。
その、少年の専門医は今、壁の後ろのクローゼットの中に埋められている──
他には隠しようがないもんな?
「あいつに協力して……脱走の手引きをしたのも、それから、俺の情報を提供したのも、あなただったんですか、サンドリーヌ・ファーブル先生?」
無論、今となっては、流石の女医も答えてはくれなかった。
ウォルターは寝室から自分のベッドを引っ張って行って、肖像画の描かれた壁の前にピッタリと寄せた。
いつの日か、事件の真相に気づいた警官たちがやって来て、この壁画が破壊されることを恐れた。
少年の最後の傑作に一ミリでも傷をつけて欲しくはない。
そう言うわけで──
以来、壁の前で寝ている。
── あんたは何だよ? 〈墓守〉か?
全く。あんなこと言うんじゃなかったな?
ペンキ──もしくは、それ以外の──匂いに敏感な《雪解け》は決してこの新しい寝室に入ろうとはしなかった。
そこで寝起きを始めて、数日後。
朝、目醒めると、今年最初の雪が降っていた。
そろそろ来る頃だとわかっていたが、目の当たりにして、ウォルターはハッとした。
重くてくすんだ銀青色の空から、幾千もの白い断片が後から後から落ちて来る。
すると、壁画の背景も〝空〟で、描かれた自分と少年も雪の中にいるように見えた。
雪の中で、相変わらず二人は幸福そうに笑っている。
それから、もっと気づいた。
ベッドに腰掛けたまま、美しい松材の床に裸足の足を下ろして、雪の振り続く窓の外を見ていると、
自分のいるこの部屋がどんどん上へ昇って行くように感じられる──
〈飛翔する街〉がここにあった。
ずっとこうして座っていたら?
あっちにいるおまえにまた会えるといいのに。
俺は、寂しくて仕方がないよ、
チェリー……?
《 カタコンベ 了 》
For Tom Reamy
読んでくださってありがとうございます!
この雰囲気がお嫌いでなかったなら……
〈フワフワ〉恋愛・短編
〈天国の扉〉恋愛・中編
〈HERDー群れー〉推理・長編
〈とくべつの夏〉 推理・長編
も覗いて見てください。同じ傾向かと (//∇//)




