#2
「本日の院内ヘッドライン──東棟エレベーターにて、耳鼻科のR・ブラフスキー医師と脳外科T・ボイド医師の恋は破局を迎えた/南旧館に続く屋外通路脇のアザレアの茂みに捨て犬が三匹いる/小児科№1美人看護師A・ジェンダーに恋人発覚。但し、院外一般人……
おっと、今日のイチオシ! 十一階VIP棟から患者が逃走して大騒動らしいぞ。セレブな名家で病院側も最高機密扱い。箝口令が出て関係者一同ピリピリしてる」
院内報道官の異名を持つロベルト・バルバは職員専用食堂で教えてくれた。
ウォルターはダナ・ズールカ、アレク・ソントンと一緒に窓際の丸テーブルに座って聞いていた。
いつもながらバルバは何処でこういった情報を仕入れて来るのだろう、と少々ビビりながら。
これじゃ、俺がホームレスの男の子を拾った話が彼の口から語られる日もそう遠くないかも。
なにせ、駐車場前のバス停だし、ナースやスタッフが一部始終を見ていたとしても俺は驚かないぞ。
「驚いちゃうわね!」
隣りのズールカが口に出して叫んだ。
「毎度ながら、あんた、何処で集めて来るのよ、そんなガセネタ……」
「コイツはさぁ」
と、ソントン。この男はいつも眠そうな間延びした話し方をする。
「医者じゃなくてぇ、ジャーナリストになるべきだったんだよなぁ」
「今からでも遅くないわよ?」
バルバを含む丸テーブルの研修医四人組はハッとして顔を上げた。
すぐ後ろに座っていたサンドリーヌ・ファーブルの意見だった。
B・D病院の花形。若き──確かまだ四十前?──心臓外科の名医。彼女を師と仰ぐバルバはオーケストラの指揮棒よろしく硬直してピョンと突っ立った。そして、そのままランチの盆を抱えて出口へ一目散。
「近頃の研修医は暇そうね?」
と、ファーブルが言ったのと、
「あ! 私、クリストフ先生に呼ばれてるんだった!」
と叫んでズールカが立ち上がったのはほぼ同タイム。やや遅れてソントンが続く。
「俺も!」
いつも眠そうなくせに、こういう時の反応はすこぶる速い。
「俺はリベイロ先生。何でも珍しいロウショウ患者の問診に立ち会わせてくれるって──」
気づくと丸テーブルにいるのはウォルター一人だけだった。
「君、確か──外傷外科の……ヴァレン君よね? ウチのお喋りバルバと同期だったんだ?」
最後に残ったウォルターにサンドリーヌ・ファーブル医師は問いかけてきた。
「君もバルバ同様、そんなに院内ゴシップに興味があるの?」
「うーん……」
トマトジュースを飲み干しつつウォルターは何と答えようか迷った。
ここは正直に言うべきだろうか? 本当のところ、ウォルターは他人のことなんてどうでも良かった。
毎回(時間が合えば)一緒のテーブルに座るのは同期の嘉、友情の証、友達の儀式……みたいなもの。
例え、話の内容などほとんど聞いていなくとも、そもそも、友達などと思っていなくとも。
自分には友達なんていない、とウォルターは思っていた。欲しいとも思わない。
いつだって、恋人は欲しいけど、な。
「そうですね。ゴシップは僕、物凄く興味があります」
ウォルターは嘘をつくことにした。
「子供の時から好奇心の塊で。それで、医師を志したんです。医者って、知りたがりにピッタリの職業だし。ファーブル先生もそうですか?」
ファーブルは何も言わなかった。
綺麗な女性だった。
ずっと、誰もが思いもし、口に出して言ってもいるが。
後ろのテーブルで微笑む女医を間近に見て、ウォルターも改めてそう思った。
いつもは引っ詰めている、今は肩先で揺れている砂色の髪。
緑から金茶までの微妙なグラデーションを有す瞳。
小さめの白い歯でベーグルサンドを噛み切りながらサンドリーヌ・ファーブルは言うのだ。
「医者は平気で嘘をつける人にピッタリの職業なのよね。思ってることを決して顔に出さない人向き。
君なら……その点、合ってるわね?」
右手首に留めていた若草色のゴムバンドを外して、ウォルターの目の前でサンドリーヌ・ファーブルは髪を束ねた。
「君、ベッドの中でもそんなクレイジークールな顔してるの? だとしたら、ぜひ、見てみたいものだわ」
ファーブルはさっさと先に出て行ってしまった。
「──」
誘われたんだろうか?
ウォルターは食堂で座ったまま暫く考えた。
結局、臓腑を抉る強烈な嫌味だろう、と言うところに落ち着く。
流石、有能な心臓外科医ならではのことはある。このスパッとした切り口。
夕食用の買い物をして、昼過ぎ帰って来るとフラットの玄関ドアが薄く開いていた。
居間スペースの籐椅子に座って、スケッチブックを広げ、少年はデッサンに没頭していた。
モデルは同じ階に住むバレエ・ダンサーのキキ・バイアライだ。
「あら、お帰りなさい、ウォルター!」
少年より早くキキの方がウォルターに気づいて声をかけてくれた。
「牛乳を分けてもらいに来て仲良くなったの。可愛いじゃない、あなたの新しい同居人。画家志望ですってね?」
ウォルターはキッチンへ行ってテーブルに一先ず買い物包みを下ろした。
通りがかりに少年の肩ごしに盗み見たデッサン画に感動した。
(何てこった……!)
胸の震えを抑えながら呟く。こりゃ、、やっぱり、凄い拾い物だ!
見せかけじゃない。あいつは本物のアーティストじゃないか……!
後でゆっくりスケッチブックを見せてもらおう、とも思った。
買って来たばかりの牛乳パックを一本抜き取って、その他諸々は冷蔵庫にしまって、居間へ引き返す。
「ほらよ!」
牛乳をバレリーナの小さいピンク色の乳首目掛けて放り投げた。
キキは冷たいじゃないの、と不平を言ったが、それを抱えて裸のまま自分のフラットへ帰って行った。
戻る途中で脱ぎ捨ててあった衣類を器用に一つ一つ爪先で抓み上げながら。
「素敵な隣人だな!」
「気に入ってくれて俺も嬉しいよ」
手を差し出すと少年は素直にスケッチブックをウォルターに渡した。
そこには様々なポーズの踊り子が何枚にも渡って描かれていた。
どれも素晴らしかった……!
力強くて、嫋かで、傲慢で、儚い──
何と表現すればいいだろう? つまり、この子にはリアルな才能があるのだ。
自分なんかではどんな高級なカメラを使っても、こういう風には決して、永遠に、写し撮れない。
あのバレリーナの源……真髄……みたいなもの。畜生!
「あの娘と寝たことある?」
籐椅子に寄りかかったまま足をコーヒーテーブルに乗せて少年が訊いた。
スケッチブックのページを夢中で繰りながらウォルターは答えた。
「うん」
「やっぱりな! だろうと思った」
勝ち誇って少年は言う。
「だって、あの娘、モロ、あんたの好みだもんな!」
「俺の好みを知ってんのかよ?」
「勿論」
少年は指をパチンと鳴らした。
「じゃさ、あの娘はあんたの恋人?」
ウォルターは、違う、と首を振った。スケッチブックを少年に返しながら教えてやる。
「現在、あの娘には俺なんか足元にも及ばない素敵な恋人がいるよ」
ウォルターは、その時まで胸元まできっちり上げていた革ジャンのジッパーを下ろした。
それを見た少年、裸足の足を美しい松材の床に戻して、自分もジーンズのジッパーに手をかける。
「ここで?」
「バーカ」
引っかかったな? ウォルターは笑った。そして、下げたジッパーの懐から暗い色の塊をゆっくりと取り出した。
平べったい耳が垂れている子犬だった。
「ひゃ! 」
吃驚して、少年は跳び上がった。
「ど、どうしたんだよ、これ?」
「拾ったのさ。病院の裏庭の茂みにいた。三匹いたって話だけど、俺が覗いた時はこいつだけだった」
子犬を抱き上げて少年は擽ったそうな声で笑った。
笑いながら、言う。
「な? 俺の言った通りだろ? あんたの好みを知ってる。コイツもまんまだなあ!」
「そうかい?」
「気づかない? あんたと来たら、こういうタイプにてんで弱い。細っこくて、華奢で、哀れっぽいの。
賭けてもいい。今まで付き合った奴、皆、そうだろ?」
「そうかな?」
ウォルターはデジタルカメラを持って来て子犬を抱いている少年を何枚か撮った。
この手のカメラのいいところは効果の程をすぐに見られる点だ。
悪くない。久々に──本当に久々に──自分の撮った写真を見てウォルターは思った。
まあ、少なからずモチーフのせいもあるだろうけど。
特に気に入った一枚をプリントして少年にも見せてやった。
少年は何も言わなかった。両手で──その頃には子犬はミルクをたらふく飲んで、ソファの横、古いバスタオルを重ねた特製ベッドで丸まって眠っていたので──写真の両端を持って、黙って見つめていた。
その様子をウォルターはまた撮りたくなったほどだ。
祈っているように見える角度。
街の灯をステンドグラスのように輝かせている、古い商業用のビルの馬鹿でかい窓が、この時ばかりは教会のそれに見えた。
「信じらんないよ!」
とうとう少年は顔を上げて叫んだ。
「これが俺だって?」
これにはウォルターの方が吃驚した。自分が撮影した写真を引き寄せると、矯めつ眇めつして一体何が信じられないのか探した。最後にはこっそり思った。今まで、写真を撮ったことがないんじゃないのか?
何処から見ても少年に生き写しの写真だ。よく撮れている。
「何か、変か?」
「こんな笑い方をしてる自分を見たことがなかった。つまり、こんな幸福そうな顔って意味だけど」
「おまえはいつもそれだけど?」
と、ウォルター。
「俺の知る限り、それだったけどな?」




