08 昔馴染みの評価
結局、七海とゆっくり会う時間を取るどころか、会うことも無いまま、お盆期間に突入してしまった。
ちょいちょいメールのやり取りはしてるんだけどなぁ。
実家暮らしの和人にとって、お盆は墓参りに行く、程度のイベントでしか無いワケだけど。
父も母も地元出身なので、里帰りってのも無い。
ただ、年の離れた姉が帰ってくるという点でのみ、普段とは違う日常となる。
姉の内田雅美は、今年で二十八になり、結婚の話も着々と進んでいるという。
「で、あれから彼女の一人も出来ないわけだ?」
親も部屋に戻った午後十一時過ぎ。
リビングで姉の土産のワインを空けつつ、姉弟の時間を過ごしていた。
「残念ながら。姉さんの期待には応えられてないかな」
ソファに座り、姉のグラスにワインを注ぎながら答える。
「ま、アンタはマイペースだからねぇ」
ワイングラスを傾ける姉の姿は、完璧に大人の女性だった。
和人が思うよりも、色々な経験をしているんだろう。
その中で、パートナーとなるべき男性を見つけたんだし。
俺はまだ会ったことないけれど。
「一個だけ、気になる事あるんだけど?」
「何?」
「アンタは、少し優しすぎるのよね」
姉の言葉を聞きつつ、残りのワインを口に運ぶ。
「まぁ、悪いことではないけれど。あんまり優しすぎると、女の子、泣かすかもよ?」
「……ご忠告として承っておくよ。俺も一つ質問」
「何?」
「俺、ガキの頃に、何か事故に遭ったこと無い? 頭打ったとか、さ……」
あったならば、何か知っているはずだ。
「……そんな記憶はないなぁ。体は丈夫な方じゃ無くて、寝込んでたりしたけど」
そっか。
「あ、でも、事故じゃないけど、一度大変な事あったね?」
え?
姉は残りのワインを口に含み、ゆっくりとグラスをテーブルに置く。
その動作が、ひどく緩慢に思えた。
「一度、何が原因か忘れたけど、アンタが大泣きしてね。三日くらい、ご飯も食べず泣き崩れてたこと、あったね」
とくん、と鼓動が跳ねる。
「あの時は、親もすごく心配してたこと覚えてる。もちろん、アタシもよ?」
姉は和人を見据えて、そっと微笑む。
「何かあったと言えば、そのくらいかな。さ、アタシはもう寝るよ?」
姉は空のワイングラスを手に、そっとリビングを後にする。
「姉さん、ありがと。おやすみ……」
姉の後ろ姿にそっと声をかける。
そんな和人の言葉が聞こえたのか、雅美は和人に軽く手を振り、部屋へと引き上げていった。
姉さんの言った事は、おそらく事実だろう。
ただ、そんな大泣きをした記憶も……。
空のワイングラスを見つめる。
欠落した記憶。
その関連性。
多分、七海がこの街を去った時だろう。
子供ながら、二度と会えないと思ったのかもしれない。
だから……。
思考の途中で、和人の記憶は途切れた。
ソファで寝てたと気がついたのは、それから三時間後だった。
翌日。
姉を駅まで送った和人は、そのまま車を隣町へと向ける。
司から、メールで呼び出されていた。
集合場所は、高校時代によく使っていたファミレスだった。
以前は電車で行ったけれども、車で移動するようになってから行くのは初めてな気がする。
夕飯にはちょっと早いけど、まぁいいか。
タイミング良く、と言うか。
和人が駐車場へ車を乗り入れたとき、駐車場を歩く司と一人の女性の姿が目に入った。
向こうも和人の車に気がついたのか、入り口で待っている。
「オッス。珍しい組み合わせだな?」
司と一緒にいたのは、柳恵美だった。
いつもなら和人の車に恵美が乗るのだが。
「たまにはこんな面子もいいだろ?」
確かに、いつもは愛だったり沙紀だったり、大学で知り合った面子がいる事が大半だ。
「高校生に戻った感じ、かな?」
「あの頃は、他の皆も居たけどな」
しばし、思い出話に興じる。
普段聞かない友人の話が聞けるのも、嬉しいんだけどね。
「で、今日の本題なんだけど」
メインが終わったところで、司が切り出す。
「ウッチー、報告があるんじゃないのか?」
司は和人を見てニヤリと笑う。
ち、姫から七海の話を聞きやがったな?
それとも、日頃の仕返しか?
恵美は何も言わず、紅茶を飲んでいる。
「愛さんから、聞いたな?」
「あぁ。だが本人の口から言うのが、筋、だろ?」
相変わらずだね。
「仕方ないね。話すとしましょう」
和人は軽くため息をついてから、以前と同じように経緯を話し出す。
リアクションが楽しみであり、不安でもあるけれど。
「へぇ。私の冗談が事実だったとはね?」
「柳から言われたとき、正直ドキっとしたぜ?」
「ふふ。ちょっと反応が遅かったのは、お酒のせいだけじゃなかったワケ、かぁ」
思い出して微笑む恵美。
何の事やら、という顔の司に、掻い摘んで説明を入れる。
「なるほどね。しっかしまぁ、事実は小説よりも奇なり、てか」
「あぁ。だがお前が言うのは似合わんな」
「確かに。そうね」
「う……。たく、お前ら相手じゃ分が悪いわ」
と、司はお手上げモードだ。
俺と柳に口で勝とうなんて、百年早いわ。
「で、どうなの? 記憶の方は?」
「さっぱりだね。昨日姉貴にちょっと聞いたけど、別に頭打つような事故なんて無かったみたいだし」
「そっかぁ。手がかりは無し、か」
恵美は神妙な面持ちで考え込む。
「あいつ等にも言ったけど、なるようにしか、ならないよ」
考え込む恵美に、和人はそっと微笑みながら言う。
「で、いつ会うのさ?」
「決まってない。明日こっちに戻ってくる、って聞いてるけど」
今度は司。
しっかし、俺の話まで伝わってるとは。
司と姫の間はツーカー(死語)だと認識を改めねば。
「司。旅行の話も聞いたのか?」
「ん? あぁ。聞いてるよ?」
「え? 旅行って、何?」
柳にはまだ話は行ってなかったか。
「司、説明任せた」
めんどくさいので、丸投げで頼む。
おかげで話題のすり替えには成功したかな……。
「ごめん。よろしくな?」
「あぁ」
旅行の話も尽きたところでお開きとなった。
司は今日戻ってくる愛を迎えに行くと言うので、和人が恵美を送っていく事になった。
ま、いつも通りって気もするけど。
「ちょっと変な事聞いていいか?」
送る車内で、助手席の恵美に話しかける。
「何? 変なことって?」
「俺のこと、優しい人、て思うか?」
運転中だからこそ、出来る質問と言える。
こんなん面と向かって聞けるか、と言うに。
「え? 何それ……」
恵美の反応は、ちょいと訝しげだ。
まぁ、当然の反応だろうけど。
「いや、姉貴から、アンタは優しすぎる、て言われたんでね?」
顔は真っ直ぐ、正面を向いたまま。
そりゃ、運転中だし。
「ふーん。そうねぇ……」
ちょっと考える間、だと思う。
「人一倍、気を遣う所、あるよね? それを持って優しいと言うなら、間違ってないと思うけど」
恵美の言葉に、和人は曖昧に頷く。
「落ち着いてて、気遣ってくれるから、居心地いい、てのはあるかもね。それに、あまり好き嫌い出さないでしょ?」
「確かに。あまり出さないね」
その場の雰囲気を壊すような事は、極力したくないんでね。
「皆に等しく優しい、と言えるのかもしれない。それをお姉さんは、甘い、と思ってるんじゃないかな?」
なるほど……。
そんな些細な事から起こり得る物事もある、と姉は言いたかったのかもしれない。
経験値では、勝てるワケ無いからな。
「そうかもな。サンキュ」
「いえいえ。どういたしまして?」
「そういうお前も、十分気遣う人、だと俺は思ってるけど?」
和人の言葉が意外だったのか。
横から恵美がじっと見つめてる、それがはっきりと分かった。
「私は……そんな人間じゃないわ……」
ちらっと横を見ると、恵美は視線を正面に戻していた。
「そう? 俺はそう思ってるけど。居心地いいと思うし。皆、そう思ってんじゃないかな?」
「そんなこと……無い、と思うけど」
珍しく、歯切れの悪い返事だった。
「そう、かな……?」
なんか悪いこと言ったかな? 俺……。
いつもの位置に車を停める。
「ごめんね。ありがと」
「あぁ。こっちこそ、変な質問して悪かったな」
「ううん。気にしないで。じゃ、またね?」
「あぁ。じゃあな」
恵美はいつもと変わらず、和人の車が角を曲がるまで見送っていた。