【番外編】 奇縁
番外編ということで、視点を変えて。
あの文化祭実行委員は、忘れられない。
生徒会執行部の三年生は憧れの的であり、一種のカリスマ的存在だ。
そんな執行部の傍らで、存在感を放った二人の二年生がいた。
一人は、縦横無尽に采配を振るう内田和人先輩。
そして内田先輩の盟友にして、白石副会長の片腕と称された柳恵美先輩。
いずれも後輩達からの評価ではあるけれど。
そんな先輩方の近くで働けた事は大きな経験だと思う。
その中で内田先輩に憧れ、柳先輩に惹かれていった。
内田先輩が白石先輩と別れたと聞いて、僕は焦ったのかもしれない。
気付けば、僕は柳先輩に想いを告げていた。
そして……それは通じた。
そう、思っていた。
僕は生徒会に入り、先輩方の意思を継いだつもりだった。
彼女も、そんな僕の傍にいてくれた。
でも、僕は気付いてしまった。
彼女の中にある、複雑なものに。
それは絡まった糸玉のような何か。
そして、そこに触れる勇気が、僕には無かった。
彼女が卒業すると同時に、関係を解消した。
一年前の内田先輩と同じように。
表向きは、環境の違いを理由にして。
でも、中にあるものに気付いて欲しくて。
『僕には、内田先輩が白石先輩を支えたように、柳先輩を支える事は、出来ないですね』
いつかリアクションが来る事を信じて、言葉を残した。
諸先輩方の意思を継ぎ、生徒会長に就いた僕は学校行事に力を入れた。
あの先輩達を知る最後の代として、尽力したつもりだ。
それでも、あの文化祭を超える事は出来なかったと思う。
比べる意味など、無いのかもしれないけれど。
でも、心のどこかでそれが引っ掛かっていた。
先輩への気持ちと共に……。
比較的円満に別れた先輩とは、時折連絡を取っていた。
いつも近況報告みたいなものだけど。
大学生活へのアドバイスみたいなものも、あったかな。
僕も大学に進み、新しい生活を始め、ペースも掴めてきた。
時折来る連絡も、変わりは無い。
……今年いっぱい、待ってみよう。
可能性は極めて薄い。陳腐な逃げ口上。
それでも、区切りを付けようと思っただけ上出来、か……。
そう思ってたはずなのに。
*
僕はどうしてここにいるのか。
束の間の回想から現実に戻り、周りを見渡す。
いつもの駅の改札前に僕はいた。
今日は大晦日で、大学も無い。
雑踏の人影が多いのは、帰省ラッシュの影響だろう。
そろそろ待ち合わせの時間だよな。
ちょっと腕時計に目をやると、指定された時間を五分程過ぎていた。
あの人らしくないな。
そう思ったときだった。
「田上君」
呼ばれた声に振り返る。
そして……絶句……。
「やっぱりそういうリアクションになるよねぇ」
彼女は……柳先輩は呆れた風に言葉を吐いた。
「すいません。イメージが全く無かったもので……」
ロングヘアーのイメージしか無い人が、いきなりショートで現れたら、びっくりするってものだ。
「久しぶりね。元気だった?」
「おかげさまで。大学生活も順調ですよ」
「そっかぁ。良かった良かった」
何やら上機嫌な柳先輩。
「それで、会いたいだなんて、珍しいじゃないですか」
去年の高校の文化祭に、先輩は顔を出してくれた。
顔を合わせるのはそれ以来だ。
「ま、思うことあってね。行こっか?」
僕は歩き出した先輩の後に続いた。
駅前通りから一本裏に入った所にあるカフェに腰を落ち着けた。
僕は先輩が僕と同じコーヒーを注文した事に驚いた。
当時、この人はコーヒーを好まなかったと記憶している。
「そういう気分の時もあるのよ。それに、今は平気よ?」
これもある意味、成長なのだろうか?
言ったら怒られそうだけど。
「まずは……私は君に謝らないといけないね」
「僕に、ですか?」
「うん。君と……ウッチーを重ねていた事、本当にごめんなさい」
その言葉に、僕はカップを持つ手を止めた。
いや、止まってしまった。
自分が設定したタイムリミット。
その限界で、彼女がリアクションを起こしたことに、驚き半分嬉しさ半分だ。
「……気付いたんですか?」
そんな僕の言葉に、今度は彼女の手が止まる。
「……そっか。君は気付いていたから、あの時にああ言ったのね?」
「それが内田先輩である、という確証はありませんでしたけどね」
いや、信じたくなかっただけかもしれない。
僕はゆっくりとコーヒーを啜る。
「私は白石先輩に憧れてた。……でも本当は、先輩の傍に居た、ウッチーが欲しかったのよ。そんな先輩に、自分を重ねていた……」
僕が感じた複雑なもの。
それは文字通り、複雑に絡み合った感情だったのか。
盟友と言われ、親友であったと思う二人の先輩の仲は、本当に良かった。
憧れと同時に、嫉妬を抱くほどに。
「内田先輩と……付き合ってるんですか?」
カップをソーサーに戻す手が微かに震えた。
自覚し、そうあったとしても何の不思議も無い。
「ううん」
僕の質問に、彼女はゆっくりと首を横に振り、言葉を続ける。
「言ったでしょ。『欲しかった』って。彼には……幼馴染みの恋人がいるわ。向こうは十年越しの愛よ? 勝てるワケが無いわ」
僕は、ほっとした。
そしてほっとした自分が、情けなかった。
「きっちりと、フられてきたわ」
そう言って彼女は微笑みを浮かべた。
「何で……何で笑えるんですか?」
それが理解出来なかった。
「何でって……そうね。おかげで、自分と向き合うことが出来たから、かな」
その視線は、真っ直ぐ僕の目を捉えていた。
本当、なんだろう。
嘘で誤魔化すような真似をする人じゃない。
そして、やっぱり強い。
あの先輩達に総じて感じたもの。
それは強さだ。
認めてもらう、のではなく、認めさせるんだ。自分達の力で。
そんな強さが、先輩達には在った。
「強いですね……。白石副会長の凛とした姿を思い出しますよ」
「あの人と一緒にしないでよ。先輩は別格よ? でも……あの先輩も、生徒会に入る前はそんなんじゃ無かったのよ?」
そう言うと、彼女は僕が入学する前の文化祭の話を語りだす。
それは、僕のイメージよりもちょっと弱気な白石副会長の姿と、当時からその力の片鱗を見せていた内田先輩の話。
経験が人を変える……か。
何気なく出た文化祭実行委員会。
それが無ければ、僕が生徒会長をやる事も無く、先輩達に惹かれる事も無かった。
奇縁……かな。
そしてその縁で、また先輩と会えた。
僕も、先輩方のように強く在れるのだろうか?
「それで今、内田先輩とは?」
「うん? 変わってないよ。そうするって決めたから」
これまた信じ難い返答だ。
だが、先輩達ならあり得るのかもしれない。
「過去にあった事は変えられない。でも、それを乗り越えなきゃいけない時もあると思うの」
「それで……その髪、ですか?」
僕の言葉に、彼女は満面の笑みで頷いた。
その笑顔が僕の心を揺さぶる。
「先輩は……僕にどうして欲しいんですか?」
「どうして欲しいとも、思ってないわ」
バッサリと彼女は言う。
「私は君に謝りたいと思った。それが、自己満足であったとしても。君がそれを受け入れず席を立つなら、それはそれで構わない。咎は、私が背負うものだから」
そこで一呼吸、彼女は置いた。
「君が謝罪を受け入れてくれるなら、私はもう一度向き合ってみようと思う。でも君の行動は、君自身が決める事。……自分勝手な言い分と思ってくれて、構わないわよ?」
最後に先輩らしくない、自嘲的な笑みが見えた。
カップを手に取ったが、中身が無い事に気付いて二杯目をオーダーすると、彼女もそれに続いた。
僕が席を立つ、なんて思ってないだろう。
自己満足……それを否定すべき材料を、僕は持っていない。
僕は……何を望む?
新しく来たコーヒーを啜る。
今までは、リアクションを待ち続けていた。
あり得ないと思いながら、逃げていた。
囚われていたのは、僕の方なのかもしれない。
誤魔化して、別れを切り出したあの時から。
僕自身も、知らず知らずに自分を内田先輩に重ねていたかもしれない。
だとしても、あの人に僕はなれない。
そんなの、当たり前の事だ。
ああ……そうか。
僕自身を、見て欲しかったのか……。
そして、認められたかった。
後輩としてでなく、一人の男として。
「先輩。この後、時間あります?」
時刻は四時を回ったところだ。
「六時までなら大丈夫だけど?」
まぁ手ごろな時間か。
「では、その二時間、僕に付き合ってもらいましょうか?」
「お望みとあらば」
「じゃ、行きましょう。あ、謝罪の件は、ここのコーヒー代って事でいいですよ?」
「仕方ないわね」
彼女は微笑みを絶やさずに伝票を手に取った。
駅ビルは新年ムードだ。
今年も残すところ数時間だもんな。
テナントの店を二人で覗いていく。
二年前も、こんな事してたけれど。
幾分か、センスも変わった気がする。
たった二年。されど二年、か……。
思い出話も交えながら、ゆっくりと見て回る。
「そういえば、田上君はコンタクトよね?」
「そうですね」
「眼鏡は?」
「家ではしてますよ。普通のですけど」
何の変哲もない、メタルのフルフレームのものだ。
「じゃあさ、こういうの、どう?」
彼女は立ち止まり、店頭の眼鏡を手に取った。
所謂、オシャレ眼鏡というやつだ。
「その色は合わないと思いますけどねぇ」
僕は受け取って掛けてみるが、やはり変だ。
「そうだね。こっちのは?」
気付けば、とっかえひっかえの試着タイムになっていた。
「やっぱり、これがいいよ」
彼女が最後に手に取ったのは、シンプルな形の緑色したセルフレームの眼鏡だ。
「僕、買うって言いましたっけ?」
「え……。あは。言ってないね」
彼女は苦笑いを浮かべながら、そっと棚に戻す。
それを見て、ふと思い付く。
変えるのも一興、か。
髪を切った先輩の様に。
「まぁせっかくなんで、買いますか」
僕は再びその眼鏡を手に取る。
「似合わない、って言われたら、先輩のせいですからね?」
僕はそう言い置いて、スタッフを呼んだ。
視力検査と会計を終えたが、受け取るまでには一時間程かかるという。
さすがにそれは、彼女との約束時間外になる。
「見たかったなぁ」
「すぐに見れますよ」
残念そうな彼女の口ぶりに、僕は切り返す。
彼女は一瞬僕の顔を見たが、「そうね」とすぐに頷いた。
時間が迫る中、僕達は改札前へと戻ってきた。
「お願いがあります」
「何?」
僕の言葉に、柳先輩は小首を傾げた。
「内田先輩と会う機会を、作ってくれませんか?」
「構わないけれど……伏せて、って事かな?」
さすが先輩。話が早い。
彼女の言葉に僕は頷く。
「彼に聞きたい事でも?」
「……そうですね。強いて言えば、直に聞きたい言葉、ですかね」
内田先輩にも聞いてみたい。
彼女の存在が、どうであるか。
「分かったわ。直ぐには無理かもしれないけれど、必ず作るわ」
「ありがとうございます」
僕は軽く頭を下げる。
「……相変わらず硬いわねぇ。シンは」
その声に僕は驚いて顔を上げる。
シン……それは当時、先輩が呼んだ、僕の愛称。
本名の違う読み方という安易なものだが、とても嬉しかった記憶がある。
「言ったでしょ? もう一度向き合ってみよう、って」
「先輩。それは……」
「残念だけど、時間切れよ。続きはまた今度ね?」
言葉つられ腕時計に目をやると、六時ジャストだ。
「それじゃ、またね?」
「はい。良いお年を」
彼女は微笑みを残し、手を振って去っていく。
それから僕はちょっと時間を潰し、眼鏡を受け取って家路に着いた。
柳先輩は、僕以上に冷静だったと思う。
冷静に、自分の意思を通し、僕の行動を待った。
僕が去るにせよ去らないにせよ、彼女の取るべき立場は変わらないのだろう。
それは彼女の清算の意思。
その上で、フラットにした上で、もう一度向き合おう。
それは彼女の甘さか、優しさか。
でも、それでもいい。
僕も気付く事が出来た。
そして、彼女自身も重ねていた事に気付いた。
それだけで、十分だ。
これから先は、また自分達が作り上げるもの。
これからの、行動次第。
その為に、内田先輩の言葉が聞きたい。
柳先輩と、どこか深いところで繋がっているあの人も、同じように見てくれるのか。
それが、僕の望む事。
*
「内田先輩」
僕の声に、彼は驚きの表情で顔を上げた。
どんな言葉が聞けるのか。
楽しみ半分、不安半分。
でも、向き合うんだ。
引け目なく、堂々と。
僕は眼鏡越しに、彼の柔和な顔を見つめた。