03 記憶と現実
あれはいつの話だろう。
まだ可愛らしい少女が、涙を流しながら手を振っている。
必死に笑顔を作ろうとしてるけど、涙に濡れた顔はくしゃくしゃだった。
寂しいと思っていた。
でも離れ行く少女に比べれば、大した事は無かったのかもしれない。
事実、その記憶はちょっとずつフェードアウトしていった。
そして思い出すことなく、数年が過ぎていった。
今、和人の頭にはそんな懐かしい記憶が蘇っていた。
まさか、と思う。
記憶の少女と、目に映る女性の姿を重ねる。
やはり、どこか、重なる気がする……。
「はーい、ではグラス持ってー?」
宏の声に和人は我に返り、慌てて目の前のグラスを掴む。
「では、今日も盛り上がって行こう! 乾杯!」
「乾杯!」
高々と宣し、周りの仲間とグラスを合わせる。
この昂揚の一杯が、また格別なんだ。
あっという間に周りは喧騒に包まれる。
そんな喧騒の中、和人の回想はどこかに吹っ飛んでいた。
「どうもー。よろしくお願いしますね」
座が乱れ始めた頃、和人の隣に一人の女性が移動してきた。
「こちらこそ。俺、内田和人。よろしく。前に一回会ったよね?」
「そうでしたっけ? ……あぁ、去年、ウチに遊びに来ました?」
隣に来た寺岡詩織は、和人の顔を見て手を叩いた。
「そう。思い出したかな? まぁ話をするの初めてだけど」
「そうですね。あ、どうぞ?」
詩織は、和人のグラスが空なのを見ると、ビール瓶に手を伸ばし、グラスに注ぐ。
気が利く妹さんだな。
「ありがと。そういや、今日の事はどちらから?」
「私から頼んだんです。楽しみにしてる兄貴を見て、羨ましかったんですよー」
詩織が浮かべた笑顔も、人懐っこそうだ。
そういう性格なんだろう。
宏の方がもうちょっと控えめ、かな。
「んじゃ、あっちの水沢さんは?」
和人の視線の先には、恵美と沙紀に挟まれ談笑する水沢七海の姿があった。
「私の友達です。お前を連れてく代わりに誰か連れて来い、て言われたんで」
「なるほどね」
宏との間に直接の接点があるワケじゃなさそうだ。
「しっかし、こんな妹さんがいるなんて、知らなかったよな?」
和人から詩織を挟んだ向こう側から、長身のイケメンが口を挟んできた。
「司か。いや、俺は知ってたけど?」
「そなんだ? あ、割り込んでゴメンね? 俺は鈴木司いいます。ありきたりの苗字なんで、司と呼んでね?」
「わかりました、司先輩。よろしくお願いします」
「うんうん。よろしく」
司は終始笑顔で頷く。
「司? あんまり調子乗ると、刺されんぞ?」
「う……。ウッチー、よしなに……」
司も恵美と同じ高校の同期であり、気の置けない友人の一人だ。
家から大学まで車で十分ほどであり、和人の今日の宿泊先候補第一位でもある。
「俺は愛さんに言うつもりないけど、他から言われるぞ?」
と、和人は手振りで周りを指す。
司の恋人である同期のツンデレ姫こと小野愛は、バイトの都合で今回の集まりには参加していない。
けれども周知の仲であるため、司が羽目を外しすぎないように監視しとくよう、愛から指令が下っているのだ。
特に高校時代からの仲である和人と恵美への期待は大きい? らしい。
「彼女さん、いらっしゃるんですか?」
「う、うん。まぁね」
「司、曖昧な返事すんなよー?」
とりあえず茶々をば。
「そうですかー。幸せそうですねー」
幸せそう、だろうね。
司とツンデレ姫のやり取りは、仲間内の名物なんだけども。
今日はそれが見れないのが、少し残念だったりする。
「はは。まぁ、そうかな?」
司の満更でもない表情を見れば、皆そう思うだろう。
そんな司が面白いのか、詩織が矢継ぎ早に質問を繰り出す。
頑張れ、司。
心の中で応援しながら、和人はそっと席を離れた。
「お、柳」
部屋からトイレに向かう通路で、向こうから戻ってくる恵美に声を掛ける。
「ウッチー、今日はペース早いんじゃない?」
あの中でも人の飲むペース見ていたんですか?
「気のせいだよ。どう? 新しい子は?」
ちょいと誤魔化しつつ、話題を変える。
「いい子だね。大人しそうだけど、しっかりと芯は持ってる感じかな?」
「なる。宏の妹は、どちらかというと元気娘だな」
「そうだね。そういや水沢さん、こっちの出身みたいよ?」
どくん、と大きく胸が響く。
「え……マジで?」
かろうじで普通の声を出した、と思う。
「うん。意外と、ウッチーと同じ街の出身だったりして?」
恵美はいつものような悪戯まじりの笑みを浮かべる。
「……まさか?」
普段より一拍ほど、返事が遅れた。
「詳しくは聞いてないから分かんないけど。そうだったら、面白いかなって?」
「詳しくは、って?」
「え……んと、大学でこっちに戻って来たって言ってただけだよ? こっちの何処の出身なのかは聞いてないわ」
普段とは違う和人の反応に、ちょっと不思議なようだ。
「なる……。ありがと」
和人は恵美に手を振り、トイレへと向かう。
用を足しながら、恵美との会話を思い出す。
まさか、本当に……?
記憶の中の少女の姿。
泣きながら手を振る、あの……。
手を洗い、鏡の自分を見つめる。
彼女は、覚えているだろうか?
確かめるには、自分自身で聞くしか無い。
これも、何かの縁、かな。
和人は大きくふっと息をつくと、部屋へと足を向けた。