01 日常
カラン、と氷が動く音がする。
駅前のコーヒーショップの窓際の席で、内田和人はアイスコーヒーのストローを咥えつつぼんやりと外を眺めていた。
今日も暑いったらないな。
梅雨が明けたばかりの街は、太陽光と照り返しで気温以上に暑く感じる。
今年も猛暑確定だな。
和人はストローを離し、軽く息を吐いた。
「お待たせ。今日も暑いねー!」
街を眺める和人の隣にトレイが置かれ、人が座る。
今時珍しい黒髪のストレートに、Tシャツ・ジーンズというラフなスタイル。いや、ラフすぎじゃないか?
「オッス。しっかしこの暑いのに呼び出すか? 普通?」
「どうせウッチーのこと、家で寝てるだけでしょ?」
「う。柳さん、相変わらず手厳しいねぇ」
「大体予想つくよ。皆似たようなものだもん」
言いながら、柳恵美はストローを口に咥えた。
「例のレポート、終わったの?」
「いや、まだ全然。暑くてやる気がしないね」
「そだね。確かに。これじゃあ、気が滅入るわ」
そう言うと恵美はトレイのドーナツに手を伸ばした。
「食欲があるうちは、バテないからな。柳は大丈夫そうだね」
「あはは。せっかくの夏に、バテてなんて、いられないじゃない?」
そのポジティブ思考、見習いたいものだわ。
和人はドーナツを頬張る恵美を横目に、ゆっくりとアイスコーヒーを啜る。
「はい。こっち食べていいよ」
恵美は紙ナプキンにドーナツを1個載せて、和人に差し出した。
「お、ありがと」
「いえいえ。今日来てくれたお礼だよ」
「何か下心があるな?」
和人の問いに、恵美はストローを咥えたまま肩を竦めた。
「さって、今日の本題は何だい?」
ひとしきり話したところで、和人は恵美に問いかけた。
「ん? 特に無いよ? ……なんてのは、冗談なんだけど?」
和人のジト目に気付いてか、恵美は笑顔で切り返す。
あぁ、コイツはこういうヤツだよ。
知り合って五年目になるけれど、頼まれ事ではいつも上手く乗せられてしまう。
「夏会の話、聞いてる?」
「聞いてないなぁ。今回、誰だっけ?」
「たしか、寺岡君だったかと」
夏会とは、内輪での飲み会の事で、当然のように春会、秋会もある。
ま、冬は忘年会か新年会になるのだけれども。
幹事役は、持ち回りという名の指名制で、一つ条件が課せられている。
それは、内輪以外の面子を連れてくる事。
最初に言い出したのは、和人と同じ学部の谷島太一だった。
授業で一緒になったメンバーに、親睦を兼ねて、という建前の集まりをやろう、と。
せっかくの縁だし、と賛成をする面子に和人も続いた。
ただ、その後の一言が意外だった。
「この授業の面子だけじゃなく、幅を広げようぜ!」
サークルやゼミの仲間でもいいし、高校の頃からの同期でもいい。
要は、新しい風が吹き込めばいいのだ。
そんな話で初回はそれぞれが誰かを連れてくる事になり、和人は高校からの友人である柳恵美に声を掛けたのだ。
そんなこんなで初回から十人を超える集まりになり、確かに友人の幅は増えた。
初回以降は幹事役が誰かを連れてくるというのが通例になり、二回生となった今年の夏もやろう、という話になっていた。
「例年だと、八月頭だよな? やるの」
「うん。まぁ、店は取れるだろうけどさ」
「のんびりしてると、テスト期間に入っちゃうしなぁ」
「そうだよね。意外と見つからない、とか?」
恵美は悪戯っぽく笑っている。
「いやいや、宏は地元だろ? 誰かは居るだろー」
地元の人間が誰も捕まえられないようでも、悲しいよなぁ。
「そうだよねぇ。ね、連絡してみてよ?」
「俺が?」
聞き返した和人に、恵美は当然と言わんばかりに大きく頷いた。
仕方なく和人はケータイを取り出し寺岡宏に電話をかけるが、生憎とつながらなかった。
「ダメだね。運転中かも」
「そう。じゃまた後でいいわ」
恵美は答えると、残りのアイスコーヒーを飲み干した。
「今日、なんか予定あんの?」
時刻は、三時半を回ったところだった。
「うん?特に無いよ。……何?」
恵美は微笑みながら小首を傾げる。
「柳ちゃん。もう一つ、目的あるんじゃ?」
「あれ? バレてる?」
「そりゃ、そこそこ長い付き合いだからな。で?」
店を出ると外は灼熱だ。
「ちょと買い物に付き合って?」
さらっと言ってのける。しかも上目遣いで。
「要は、荷物持ち、兼ドライバーって事っすね?」
「そそ。さすがウッチー、察しがいい!」
「褒められても嬉しくないわ。で、いつものモール?」
「うん。よろしく!」
ま、予想通りかな。
和人は車のキーを片手に、先に立って歩き出した。
「毎回ごめんね?」
買い物に夕食といつものコースを辿り、恵美を送る車内で、これまたいつものように謝りの台詞が助手席から聞こえてくる。
「気にすんな、って、いつも言ってるだろ?」
和人がいつもの様に答えると、恵美はちょっと頷いたようだ。
「ウッチーに彼女が出来たら、頼めなくなっちゃうな?」
「はは。いつの話だか……。それにお互いに、だろ?」
「まぁ、そうかもね?」
ちょうど恵美の家の前に車を停めた時、和人のケータイの着信音が響いた。
「あ、宏からだ。もしもし……」
『ウッチー? すまん。何か用だった?』
「あぁ。夏会の話、どうなってるのかな、と」
恵美は隣で聞き耳を立てている。
『夏会ね。今日、日程決めてきた。後で皆にメールするよ』
「そか。ならいいんだけどさ」
『何? 何か期待してんの?』
「どんな風が吹くのかな、と。色んな意味で」
『お前には、柳が居るだろうに……』
バカヤロウ、と思いながら一瞬目が恵美の方へ泳いでしまった。
その視線に気付いたのか、和人が言葉を返すより一瞬早く恵美の手が和人のケータイを奪い取った。
「こんばんは。寺岡君?」
『げ! 柳さん……居たんですか?』
「居ちゃ悪いワケ? 終わった話題を蒸し返すくらいだから、想定してると思ったけど?」
恵美の目。確実にイジめる気全開だ。
すまん、宏。だが、お前の不注意が悪いんだぞ……。
「んじゃもう余計な事言わない事、いい? ……またね?」
恵美は勝手に通話を終了させると、和人にケータイを返す。
「余計な事、言ってないでしょうね?」
「まさか。第一何も言うよな事、何も無いだろうに」
昨年の初回の宴の後、和人と恵美はその関係を邪推される羽目になった。
周りいわく、あまりにも自然体だから、だそうで。
やんわりと否定と火消しに努めていたが、一度恵美がバッサリ断言してからは言ってはいけない禁句みたいになっていた。
それは多分、一刀両断した時の彼女があまりに怖かった為だろう。
普段温厚な彼女とのギャップに驚いたんだろう。
かくいう和人もそんな彼女を見たのは、それを含めて二回しかないのだが。
まぁそんな悶着があったにも関わらず、恵美の和人へ対する態度や行動に全く変化が見られなかった事が、噂を沈める一因にもなったみたいだ。
バッサリやられたこっちは、ちょっと複雑だったのだが。
ま、今のこの距離感が心地いいのは事実なんだけどね。
「さて、どうもありがと。またね?」
「おう。またな」
恵美は和人の車が角を曲がるまで手を振っていた。