残り三分
白い光が、ゆっくりと視界を塗り潰していく。
そして次の瞬間、足裏に確かな硬さが戻り、湿った空気と岩の匂いが肺に流れ込んできたことで、自分が再び模擬ダンジョンへ戻ってきたのだと理解する。
スマホが震えた。
【第二試験 継続中】
残り時間:2分51秒
現在ポイント:35pt
合格ライン:50pt
「……三分弱、か」
時間はあまり残されていない。
あと十五ポイント。
普通にモンスターを探して、戦って、倒して、そんなことをしていれば確実に間に合わない時間だ。
だからこそ、やることは一つしかない。
探すという工程を、丸ごと切り捨てる。
俺はその場で足を止めると、ゆっくりと目を閉じ、呼吸を深く落とし込みながら、意識を内側へと沈めていった。
そして、刀気を体から解き放つ。
それは放つというよりも、染み出すに近い感覚だった。
自分の内側にあったものが、境界を失って外へと広がっていく。
空間へと滲み、壁を抜け、通路の先へと滑り込んでいく。
視界ではない。
聴覚でもない。
もっと曖昧で、それでいて確かな感覚。
魔力の濃淡が、空間の中に浮かび上がる。
弱いものはぼやけ、強いものほど輪郭を持つ。
その質までもが、分かる。
おそらく探索者でいう探知と同種の力。
刀気の使い方の一つで【刀索】というらしい。
俺は三ヶ月の間で、この力を彩芽から教わった。
――十九階層。
あの時『懐かしい気配がする』と、彩芽は誰よりも早くフロアボスのことに気づいていた。
当時は何をどうやって感じ取っているのか分からなかったが、今は違う。
モンスターの位置だけじゃない。
強さ、質、密度。
すべてが、曖昧な輪郭として浮かび上がる。
まるで自分がレーダーそのものになったかのような感覚だ。
小さな反応がいくつもある。
だが位置がバラバラだ。
あれを一つずつ倒す時間はない。
「だったら――」
さらに意識を集中させる。
次は一体一体の濃さ。
ポイントの高そうなモンスターから叩いていく。
すると、一つだけ異質な反応があった。
重い。
深い。
明らかに他とは格が違う。
それはまるで、空間そのものが沈み込んでいるかのような存在感を放っていた。
「……あれだな」
迷いはない。
というか選択している時間すらない状況。
俺は考えることをやめ、とにかく走った。
ただ一直線に、その対象へと向かう。
通路を抜け、角を曲がり、最短距離を駆け抜ける。
そして――
開けた空間に出た。
そこに、いた。
巨体。
圧倒的な存在感。
空気が重い。
スマホに通知が表示される。
【模擬モンスター:グレートオーガ】
討伐ポイント:20pt
時間を見る。
残り時間:1分30秒
「……これを倒せば終わりか」
大当たり。
この一体で、俺は試験クリアだ。
とはいえコイツは模擬ダンジョンでいう、ボスクラスのモンスター。
実際のダンジョンでもグレートオーガは二十階前半、下手すれば後半にも出てくるようなB級レベルの強さを誇る。
試験としては荷が重いが、試験をクリアするにはコイツを倒さない選択はない。
「グォォォォォ……ッ」
低く唸る咆哮。
それと同時に、グレートオーガは地面を砕くような勢いで踏み込んできた。
巨体に似合わない速度。
だが、俺は即座に横方向へ躱す。
そしてその懐へと、迷いなく踏み込む。
水平に一閃。
刃が肉を捉える。
硬い。
だが。
通る。
刀気のまとった剣は、グレートオーガの胴体を横一筋に斬り裂いた。
「ガァァァッ!!」
声をあげるが、隙をみせることはない。
グレートオーガはそのまま剛腕を振り下ろしてきた。
俺は後退して避ける。
重い一撃。
地面が拳状にへこんだ。
よし、落ち着いて対応できてる。
攻撃、防御、立ち回り、全てにおいてB級レベルのグレートオーガに通用してる。
この間まで一階層で無難に探索していた俺が。
身の丈にあった生活を望んでいた俺がだ。
時間にしてほんの一瞬。
脳裏にこれまでの光景がよぎる。
彩芽に出会い、妖刀【冴斬】を抜いたあの日。
スリースターズのみんなとダンジョン探索。
十九階層、二十階層のフロアボスとも、なんとか渡り合えた。
それから不破ツバキに刀気を学ぶべく、またも死ぬほどしごかれる日々。
何度も死にかけた。
何度も限界を超えた。
それでも。
俺は食らいついてきた。
三ヶ月。
必死に積み重ねてきた。
俺はこの期間に学んだ全てをこの剣技に乗せ、
――そして踏み込む。
刀気を、一点へ。
収束させる。
身体能力を極限に引き上げ、
最速、最短で、
「――斬る」
一閃。
グレートオーガの懐に深く入り、巨体がその場に倒れ込む。
輪郭が崩れ、粒子となって消えていく。
スマホが震える。
【グレートオーガ討伐】+20pt
現在ポイント:55pt
「……到達」
小さく息を吐く。
時間を見る。
残り時間:52秒
「……よかった」
安心のせいか一瞬だけ足の力が抜け、膝折れしそうになる。
なんとか間に合ったな。
たまたま近くにグレートオーガがいたから良かったものの、コイツがいなけりゃ、俺はおそらく失格になっていた。
あとは会場に戻るだけ。
俺は再び転移結晶を砕いた。
青白い光が足元から一気に広がり、視界が白に染まっていく。
そして模擬ダンジョンを後にした。




