模擬ダンジョン、探索開始
視界を埋めていた白が、ゆっくりと薄れていく。
次の瞬間、足裏にざらついた感触が戻った。
石床。
湿った空気。
鼻を抜けるのは、土と岩の匂いだ。
「……地下か」
小さく呟く。
目の前には、灰色の岩壁が続いていた。
幅の狭い通路。
左右には粗く削られたような壁面。
天井は低すぎないが、開放感はない。
ダンジョンタワーの中層ほどの圧迫感はないものの、人工物にしてはよく出来ている。
模擬ダンジョン。
協会が作った試験用施設とは聞いていたが、想像していた以上に本物に近い。
その時、腰のスマホが震えた。
取り出して画面を見る。
【第二試験開始】
制限時間:30分
現在ポイント:0pt
合格ライン:50pt
模擬モンスターを討伐し、ポイントを獲得せよ。
討伐ポイントは個人単位で加算される。
帰還時は支給された転移結晶を使用すること。
模擬モンスターは撃破時、データ粒子へ変換される
――詳細な配点は対象出現時に自動表示されます
「なるほど」
思わず小さく頷く。
実際にモンスターと接触しながらポイントやルールを覚えろ、ということか。
それにしても、最後の一文がいかにも協会らしい。
対象出現時に自動表示。
つまり、モンスターの識別も試験のうちってわけじゃないらしい。
少しだけ気が楽になる。
同時に、気も引き締まった。
制限時間は三十分。
合格ラインは五十ポイント。
魔物の強さや配点がまだ分からない以上、まずは一体倒して感覚を掴むしかない。
スマホをしまい、片手剣の柄に手をかける。
呼吸を整える。
集中。
通路の先から、かすかな音。
爪が石を引っかくような音だ。
気配が一つ。
軽い。
速さ重視のモンスターか。
俺は足音を殺して前へ出る。
曲がり角を一つ曲がる。
そこで、そいつはいた。
灰色の皮膚。
痩せた体躯。
長い前腕。
犬と猿を混ぜたような顔つきの小型モンスター。
目だけが赤く光っている。
画面に通知が出る。
【模擬モンスター:スラッシュインプ】
討伐ポイント:3pt
「三ポイントか」
十層付近に出るD級のモンスター。
この試験に出るにはちょうどいいレベルだな。
向こうもこちらに気づいたらしい。
喉を鳴らし、低く唸る。
そのまま石床を蹴り、一直線に飛びかかってきた。
速い。
だが。
遅い。
半歩だけ引いて間合いを外す。
爪が頬の前を掠める。
その勢いのまま流れた胴へ、片手剣を振る。
横薙ぎ。
斬撃が浅く入る。
血は出ない。
代わりに輪郭がノイズのように揺れた。
「……っ!?」
本物の肉を斬った感触とは違う。
少し軽い。
だが手応えはある。
これが協会最新技術を用いた、模擬モンスター。
スラッシュインプが着地し、再び飛びかかろうと前傾した瞬間。
踏み込む。
刀気を薄く刃に流す。
首元へ、最短。
一閃。
首から上が切り離された瞬間、スラッシュインプの全身が光の粒に崩れた。
パラパラと、青白いデータ片になって飛散する。
床に血も死体も残らない。
代わりにスマホが震えた。
【スラッシュインプ討伐】
+3pt
現在ポイント:3pt
「こういう仕組みか」
なるほど。
倒すとデータのように分解され、アプリに加算される。
本当に試験用の施設なんだなと、今さら実感する。
剣を軽く振り、次へ進む。
通路を進むうち、遠くから爆発音のようなものが響いてきた。
別の受験者か。
と思ったが、一度視線を前に戻す。
今は他人より自分だ。
ちょうどその時。
右側の分岐通路から、二体まとめて飛び出してきた。
スラッシュインプ。
さっきと同種。
同時に来るなら話は早い。
一体目の爪を剣で受け流し、その体を二体目の進路へ押し込む。
僅かに重なる。
その隙に、返す刃で一体目の胴を裂く。
粒子化。
もう一体が横から回り込む。
振り向かず、感知だけで足音を追う。
踏み込みの重さ。
角度。
来る。
半身を捻って避け、背後から心臓の位置へ突きを入れる。
こちらも粒子化。
スマホが二度震える。
【スラッシュインプ討伐】
+3pt
現在ポイント:6pt
【スラッシュインプ討伐】
+3pt
現在ポイント:9pt
「九ポイント」
あと四十一ポイント。
試験開始から早五分。
このペースでギリギリ合格ラインか。
だとするとこの試験、相当難しいな。
もしくはこの先、さらに高ポイントのモンスターが現れるってことなのか?
そう考えたところで、
「その他のおじさーん!」
間の抜けた声が、通路の先から響いた。
思わず眉をひそめる。
「……嘘だろ」
本当に来たのか。
まだ試験開始五分だぞ。
数秒後。
分岐の向こうからひょこっと顔を出したのは、見慣れた赤メッシュ入りのボブヘアーだった。
「やっほー」
霧島セナ。
にこにこと笑いながら、こちらへ軽く手を振っている。
「……本当に合流したのか」
「言ったでしょ?」
セナは短杖を肩に担ぐ。
「どうにかするって」
「どうやって」
「それは企業秘密」
気の抜けた返事。
だが息一つ乱れていない。
余裕そうだ。
セナは俺の横まで来ると、床に残るデータ粒子の残滓を見て、感心したように目を細めた。
「おぉ」
「さすが怪物」
「それ、褒めてないよな?」
「褒めてる褒めてる」
適当な調子で頷く。
「怪物って、私の中では最上級の賛辞だし」
「そんな文化は知らない」
俺がそう返すと、セナはけらけら笑った。
「やっぱおじさんだね〜」
このセナという女性、妙に距離感が近い。
だが不思議と嫌な感じはしない。
「ほらさっさと歩かないと、試験終わっちゃうよ!」
そう言って、セナは先に歩き始めた。
俺はその後一歩下がった位置からついて行く。
結局一緒に行動するかたちになってしまった。
少し進むと分かれ道が現れる。
「こっち!」
セナは迷わず右を選び、足を進ませる。
「分かるのか?」
「まぁね。モンスターがいる方向に進めばいいわけだし」
そう言って、セナは杖を前に突き出す。
「ほら、きた」
直後。
前方の広間から、低い唸り声。
飛び出してきたのは、狼型の模擬モンスターが三体。
灰色の体躯。
鋭い牙。
筋肉質な四肢。
スマホに通知が出る。
【模擬モンスター:ストーンウルフ】
討伐ポイント:5pt
三体で十五ポイントか。
剣を構える。
「やっちゃってよ、おじさん」
横でセナが笑う。
どうやら戦いに混じるつもりはないらしい。
ストーンウルフ一体目が飛びかかってきた。
速い。
だが一直線だ。
重心を沈めて潜り込み、喉元を斬る。
粒子化。
二体目が横から噛みつこうとする。
体を回しながら剣を返し、前脚を断つ。
バランスを崩したところに追撃。
こちらも粒子化。
三体目が距離を取った。
模擬モンスターとはいえ、知能は高いな。
「へぇ、すごいすごい」
横でセナが感心したように声を漏らす。
「本当に見てるだけなのか」
「だって邪魔したらもったいないでしょ?」
なにがもったいないのかよく分からないまま、俺は距離を詰めてくる三体目へと剣を構える。
そして刀気を刃に薄く乗せた。
踏み込み。
最短。
首筋へ一閃。
ストーンウルフは抵抗する間もなく、光の粒になって霧散した。
スマホが三度震える。
【ストーンウルフ討伐】
+5pt
現在ポイント:14pt
【ストーンウルフ討伐】
+5pt
現在ポイント:19pt
【ストーンウルフ討伐】
+5pt
現在ポイント:24pt
これでようやく半分弱。
思ったよりも好調だな。
セナがヒュー、と口笛を吹く。
「早っ、さすが怪物ぅ〜」
「やっぱりバカにしてる?」
「褒めてるって」
セナはニヤッと笑った。
「ハハッ、やっぱついてきてよかった〜」
その言い方に、いくつか引っかかりを感じる。
「……でもなんで、俺なんだ?」
でもその中でも一番気になること。
「この試験にはもっと強いやつ、いっぱいいるじゃないか」
俺はそれを彼女に問うた。
セナは少し考える素振りを見せる。
「んと、例えば?」
「そうだな、例えば十河湊とか」
さっきの一次試験。
あの数値を見た後だと、真っ先に名前が出る。
「あぁ〜」
セナは露骨に顔をしかめた。
「でもあの湊ってやつ、なんか胡散臭くない?」
「胡散臭い?」
「うん」
セナは指を一本立てる。
「あの笑顔に裏がありそうで、なんかキショい」
散々な言われようだ。
キショいとまでは言えないが、少し分かる気もした。
ヒカリへの執着。
あれを見れば、彼を普通の人間とは思えない。
なぜか今、そんな影はみえないが。
「じゃあ結城カズマは?」
「カズマ?」
今度は一瞬、セナの目から笑みが消えた。
「あいつは、そもそも論外」
「論外?」
「なんで?」
少しの沈黙。
セナは前を向いたまま、ぽつりと言う。
「今回の受験者の中で、一番イカれてるから」
「イカれてる?」
「うん」
気の抜けた声のまま、内容だけが重い。
「まぁ、そのうち分かるんじゃない?」
そして、あっさりと続けた。
「アイツはね、人を人だと思ってない」
「本物のクソ野郎だよ」
空気が少しだけ冷える。
その言い方に、これまでの彼女から発せられた軽口は一切混じっていなかった。
* * *
結城カズマは、無表情で通路を歩いていた。
地下模擬ダンジョン。
人工の岩壁。
薄暗い通路。
こんなもの、本物と比べれば遊びだ。
前方に模擬モンスター。
オーク型。
スマホに通知が出る。
【模擬モンスター:ヘヴィオーク】
討伐ポイント:8pt
「ふーん」
興味なさそうに呟く。
その瞬間には、もう踏み込んでいた。
カズマの拳の表面に、淡い光が走る。
雷属性の魔力。
ただ身体を強化しているだけじゃない。
拳そのものに魔力を直接乗せている。
速い。
重い。
次の瞬間。
拳が振り抜かれた。
バチンッ――
鈍い雷鳴音。
ヘヴィオークの首が弾ける。
巨体が一瞬揺れ、そのまま青白い粒子へと崩れた。
【+8pt】
現在ポイント:26pt
「ふぅ……こんなもんか」
カズマが息を吐いたちょうどその時、すぐ端で、別の受験者が息を呑んでいた。
「あ……」
二十代後半くらいの男だ。
槍使い。
汗だくで、今まさにそのオークに向かおうとしていたらしい。
「それ、今俺が……」
カズマは振り返る。
「え?」
柔らかい声。
にこっと笑う。
「あぁ。横取りしちゃったみたいで、ごめんね」
だが、目は笑っていない。
「いや……別に、大丈夫です」
受験者の男が一歩退く。
その姿を見たカズマは何かを思いついたように目を見開いた。
「あっ、そうだ」
カズマは一歩、男に近づく。
「ちょっと付き合ってよ」
「え?」
「なにが――」
言い終わる前に、拳が腹にめり込んだ。
魔力を乗せた重い一撃。
鈍い音が空間に響く。
男の体がくの字に折れる。
「が……っ」
呼吸が潰れる。
槍が手から落ちる。
膝から崩れ落ちた。
「なん、で……」
カズマはその言葉を最後まで聞かない。
ただスマホを取り出して、画面を見る。
数秒。
「……あぁ、なるほど」
納得したように呟く。
「人を倒してもポイントにはならないのか」
床にうずくまる受験者を一瞥する。
まるで石ころでも見るような目だ。
「……あるいは殺すまで、ポイントは反映しない?」
カズマは不気味に口角を上げる。
「いや、それじゃつまらないな。せっかくの昇格試験、正々堂々楽しまないとっ!」
そう言って、カズマは男に背を向ける。
「ごめんね、痛いことして」
そしてそのままこの場を立ち去っていく。
背後では、倒れた受験者が痛みに呻いていた。
だが。
カズマが振り返ることは、最後までなかった。




