ヒカリの気持ち
「……その力、どこで手に入れた?」
十一階層の冷たい空気の中、俺はそう問いかけた。
湊はすぐには答えない。
裂けたはずの前腕を、何事もなかったかのように軽く握って、開く。
「……そう簡単には教えられないですよ」
微笑む。
その笑みは柔らかい。
だが、奥に沈んでいるものは深い。
「僕が強くなった理由、知りたいですか?」
「……あぁ」
迷いはなかった。
湊は一歩、こちらに向き直る。
「ヒカリのためです」
即答だった。
揺らぎがない。
「他の誰のためでもない」
空気が、ほんの少しだけ重くなる。
「僕は一度、守れなかった」
その言葉には自嘲も怒りもない。
ただ事実として置かれる。
「あの時、僕がもっと強ければ。もっと速ければ。もっと冷静なら」
一拍。
「ヒカリは、自分を責めずに済んだ」
俺は黙る。
「だから強くなった」
湊の目が、まっすぐに俺を見る。
「どんな方法でも」
その一言が、わずかに引っかかる。
「どんな代償でも払えた」
穏やかに。
まるで当たり前のように。
「ヒカリは優しいでしょう?」
「……あぁ」
「優しすぎる」
湊の目に、ほんの少しだけ影が落ちる。
「自分が傷ついても笑うんです」
静かな声。
「だから今度は、僕が守る番なんです」
そこまでは理解できる。
だが次の一言に、俺は違和感を覚えた。
「これからは僕が彼女の隣に立って、正しい方向へ導いてあげるんです」
「導く……?」
「はい」
湊は微笑む。
「人は選択を間違えた時、心に傷を追う。だったら初めから、選ばなければいいんです。これから彼女の選択は僕が。ヒカリの全てを管理してあげるんです」
耳を疑う言葉だった。
これまで見てきた湊の行動からして、ヒカリのことを大切に想っているのは分かる。
だが、人が人を管理していい理由にはならない。
「人は選択を間違えながら成長していくものだと、俺はそう思う」
そう言い切った。
「ヒカリはもう十分成長してる。一人の立派な大人。これ以上傷つく必要がどこにありますか?」
湊もまたハッキリと言い切る。
「三枝さん」
湊は穏やかに話を続ける。
「あなたたちがヒカリを支えてくれたのは感謝しています」
丁寧だ。
本心だろう。
「でも、最後に隣にいるのは僕です」
静かな断定。
宣言ではない。
当然の帰結のような声音。
重い。
執着というほど露骨でものではない。
だが、確信がある。
ヒカリは最終的に自分の元へ戻る。
その前提で話している。
「……ヒカリは物じゃない」
俺は淡々と言う。
「奪い合うもんでもない」
湊は笑った。
怒らない。
否定もしない。
「ええ。もちろん」
その目は揺れない。
「だから選んでもらいます」
一拍。
「僕を」
当然のように。
「必ず選んでくれる」
そして踵を返す。
「任務は終わりました。早く帰りましょう」
そう言葉を残して。
* * *
俺たち任務を終え、事務所に戻った。
「今日はお疲れさまでした」
社長用デスクの前に立ち並ぶ俺たち五人に対して、神崎社長が柔らかく微笑む。
「今日の残りはフリーにします。皆さん、最近は頑張ってくれてますので、明日はお休みにしましょうか」
「やったー!」
ルナが歓声を上げる。
「ありがとうございます!」
カナデも小さく頷き、ヒカリは少し遅れて笑った。
このまま解散。
自然な流れだ。
だがその瞬間、
「ヒカリ」
湊が声をかける。
柔らかい声。
「少し話せる? この後、時間は――」
ヒカリの肩がわずかに強張る。
「え……っと」
迷いが見える。
そして。
「きょ、今日はダメ」
即答だった。
「修行があるんだ。ね、恒一さん?」
訴えるような目。
助けてほしいのか。
ただ逃げたいのか。
俺は一瞬だけ迷う。
だが。
「あ、あぁ」
頷いた。
湊は一瞬だけ目を細める。
だが怒らない。
焦る様子もない。
「分かった」
微笑む。
「また、声をかけるよ」
それだけ言って去っていく。
背中は穏やかだった。
* * *
貸切の訓練所。
今回も神崎社長を通して予約してもらった。
ヒカリは少しうつむいたまま立っている。
「恒一さん、すみませんでした」
「何が?」
「……利用するみたいな形になっちゃって」
俺は肩をすくめる。
「気にしないでいいよ。ヒカリこそ、大丈夫か?」
少し間が空いて、ヒカリはゆっくり息を吐く。
「分からないんです」
正直な言葉。
「初めは嬉しかった。体が治ったって聞いて」
視線が揺れる。
「でも、同時に怖かった」
「怖い?」
「変わりすぎてて」
拳を握る。
「前の湊と違うんです」
俺は少し考えてから言う。
「……違うって?」
ヒカリは少しだけ迷ってから、言葉を探すように口を開く。
「昔の湊は、もっと……ちゃんと話を聞いてくれる人だったんです」
ゆっくりと。
「強くなろうって言っても、一緒にだった」
拳を握る。
「私が悩んだら、一緒に悩んでくれて。私が迷ってたら、一緒に迷って答えを探そうとしてくれた」
少し視線を落とす。
「でも今は……」
言葉が詰まる。
「もうすでに答えが決まってるような言い方だった」
俺は黙って聞く。
「昨日だって」
小さな声。
「迎えに来たって」
少しだけ苦笑する。
「私、まだ何も言ってないのに。私の気持ちより、正しい形の方が先にあるみたいで」
その一言。
そこに全てが詰まっている。
一方通行に感じる感情。
考えを押し付けてくるような迫力。
それにヒカリは違和感を感じているみたいだ。
「それが、ちょっと……私には苦しくて」
同時に俺も思った。
湊には危うさがあると。
ヒカリを想うあまりに溢れ出る狂気さが。
まるでヒカリを守るためには、何をしてもいいと本気で思っているような。
「私、どうしたらいいんでしょうか?」
ヒカリは震える声でそう言い切る。
何をどう迷っているのか。
なぜ迷っているのか。
その答えは全て、ヒカリの心の中にある。
俺がヒカリに問い、紐解いてもいい。
だがそうすれば、それは俺の答えになってしまう。
「ヒカリがどんな答えを選んでも、ルナやカナデは否定しない。神崎社長も受け入れてくれる」
ヒカリの目が揺れる。
「もちろん俺だって応援するよ」
押さない。
引かない。
ただ寄り添う。
それが俺の役割だと思った。
ルナやカナデ、スリースターズの二人じゃなく、
俺だからこそ。
私情を挟まず、俯瞰して伝えられる立場だから。
俺がそう言ってしばらく、ヒカリは黙っていた。
拳を握ったまま、視線を落とす。
訓練所の静寂が、やけに広い。
「……ずっと」
小さく呟く。
「逃げてたのかもしれません」
俺は何も言わない。
「怖いから、考えないようにして」
一拍。
「でも、それじゃダメですよね」
顔を上げる。
その目は、もうさっきほど揺れていない。
「私、ちゃんと話します」
はっきりと。
「明日、湊と」
俺はゆっくり頷く。
「迎えに来てくれたことの答えも」
一瞬だけ間が空く。
「それと……伝えたい気持ちも」
そこに、覚悟がある。
もう逃げないと。
「決めたんだな」
「はい」
震えていない。
「私は、守られるだけじゃないって」
少しだけ笑う。
「ちゃんと、自分で選びたいって」
その言葉は、湊への否定ではない。
対等でいたいという意思だ。
ヒカリは小さく息を吐いたあと、ふっと肩の力を抜いた。
「……よし」
自分に言い聞かせるように頷く。
そして、少しだけ照れたように俺を見る。
「恒一さん」
「ん?」
「修行、お願いします」
その言い方が、いつものヒカリだった。
弱さを隠すためじゃない。
強がりでもない。
前を向こうとする声。
俺は思わず、ほんの少しだけ笑う。
「おっけー。任せろ」
さっきまでの重さが、少しだけ薄れる。
ヒカリは木刀のラックへ歩いていく。
その背中は、もう逃げていない。
木刀を一本、手に取る。
くるりと回し、構えた。
「今日は本気でいきますからね」
「お手柔らかに頼むよ」
向かい合う表情をみて、安心した。
いつものヒカリだ。
ルナとカナデと笑い合ういつもの彼女。
きっと明日は大丈夫。
湊との対話は上手くいくはずだ。
そう確信を持ちながら、俺はヒカリと木刀を重ねた。




