体で覚えてもらう
「――兄ちゃん、強くなりたくはないか?」
そう言われて、俺は一息ついて迷わず頷いた。
むしろツバキが俺の進むべき道を印してくれた気がして、やる気が漲ってきたくらいだ。
「ならばさっそく修行を始めるかのぉ」
そう言って不破ツバキは、手にしていた木刀をあっさりと地面に置いた。
二本ともだ。
「……え、使わないんですか?」
思わず聞いてしまう。
てっきり、あれを使って修行するものだと思っていた。
「あぁ」
ツバキは軽く頷く。
「木刀を使うのは二段階目じゃ」
「第二段階……?」
「兄ちゃんは、まだそこに届いておらん」
ツバキは両手を軽く開き、肩を回す。
完全に丸腰だ。
「今回は素手じゃ」
「……素手?」
「そうじゃ。まずは素手の状態で、刀気を全身にまとえるようになれ」
「……で、どうやるんですか?」
当然の疑問だ。
冴斬があってこその身体強化。
それを刀なしでやれと言われても、正直イメージすら湧かない。
すると。
ツバキは、あっけらかんと笑った。
「さぁな」
「……え?」
「妾にも、理屈はよう分からん」
一瞬、思考が止まった。
「……え?」
思わず二回言った。
ツバキは悪びれもせず、肩をすくめる。
「だからの。兄ちゃんには――」
一歩。
ツバキが、地を蹴った。
「体で覚えてもらう」
「――っ!?」
反射的に身構える。
だが、間に合わない。
視界いっぱいに迫る拳。
次の瞬間、腹部に衝撃。
「――ぐっ!!」
息が、強制的に吐き出された。
床を転がる。
体勢を立て直そうとした、その瞬間。
背中。
鈍い音。
視界が跳ねる。
「な……っ!」
殴られた。
蹴られた。
しかも、速い。
次が来る。
確実に、来る。
そう分かっているのに、体が追いつかない。
「止まるな」
ツバキの声が聞こえる。
「考えるな」
言われるまま、必死に立ち上がる。
だが、次の瞬間にはもう――
視界が反転していた。
受け身を取る暇もない。
床に叩きつけられ、肺から空気が抜ける。
――おい。
これ、本当に修行か?
殴打。
投げ。
蹴り。
順番も、間も、容赦もない。
骨が軋む。
内臓が揺れる。
体が、悲鳴を上げている。
俺は必死に、周囲を確認した。
――彩芽。
ちらりと視線を向ける。
だが。
「それでさぁ、その刀鍛冶が――」
「ほう、それは興味深いのぉ。カッカッカ!」
彩芽は。
涼寧と並んで腰を下ろし、楽しそうに談笑していた。
こちらを見てすらいない。
止める気配も。
心配する様子も。
まるで――
これが日常の風景だと言わんばかりに。
……マジかよ。
次の瞬間、視界が揺れた。
腹に再び衝撃。
「集中せい、兄ちゃん」
軽い声。
だがその拳は重い。
肋骨に走る痛みで思考が一瞬白くなる。
逃げる?
無理だ。
受ける?
耐えきれない。
――じゃあ、どうする?
倒れ込みながら、俺は必死に考えた。
冴斬は出せない。
彩芽は助けてくれない。
残された選択肢は――
自分の中にある、何かだけだった。
次の攻撃が来る。
だがこれ以上はマズイ。
自分の中の直感が死を予感した。
そう理解した瞬間、俺の思考は完全に切り捨てられていた。
考えるな。
逃げるな。
受けるな。
――生きろ。
その一心で、俺は体の内側を探った。
冴斬を握った時。
あの冷たい感触。
刀を通じて流れ込んでくる、研ぎ澄まされた力。
だが今はない。
冴斬はない。
彩芽の助言もない。
あるのは――
自分の体だけだ。
そしての俺の中にたしかに眠る冴斬の存在。
「――ッ!」
ツバキの拳が迫る。
致命的な一撃。
本能が、そう告げていた。
その瞬間。
俺は、体の奥から湧き上がる何かを、必死に全身へと押し広げた。
皮膚の内側。
筋肉の表面。
骨のきわ。
魔力とは違う透明白色のエネルギーが、まるで薄い膜を張るように巡っていく。
――ガッ!!
衝撃。
だが。
「……っ!」
体は吹き飛ばされなかった。
足が床を擦り、後退する。
内臓が揺れる。
痛みはある。
だが――
耐えられた。
「……?」
自分でも、何が起きたのか分からない。
ただ、はっきりしていることが一つ。
今の一撃。
さっきまでなら、確実に終わっていた。
「ほぅ……」
感心したような声。
ツバキが、初めて攻撃の手を止めていた。
「今のじゃ」
じっと俺を見る。
「今、兄ちゃんは」
一歩、近づく。
「無意識に刀気を防御に回したのじゃ」
「防御……」
息が荒い。
視界が揺れる。
だが俺は立っている。
「ごく薄くだがの」
ツバキはにやりと笑った。
「致命傷は避けとる。さっきまでとは、雲泥の差じゃ」
……なるほど。
だからか。
痛い。
辛い。
だが――死ぬ気はしなくなった。
それは冴斬を握っている時に感じていた、あの安心感に近い。
「じゃが」
ツバキは容赦なく踏み込んできた。
「それで終わりと思うなよ」
「――っ!!」
追撃。
速い。
重い。
だが――
俺は、さっきよりも速く体の内側に意識を向けていた。
来る。
ここだ。
再び、薄く。
それでも確かに。
全身に、刀気をまとわせる。
――ドンッ!!
衝撃。
体がきしむ。
歯を食いしばる。
だが、踏みとどまった。
「……っ、はぁ……っ」
膝は震えている。
視界も定まらない。
それでも倒れていない。
「……ほぉ」
ツバキの声が、少しだけ弾んだ。
「偶然、ではないか」
楽しそうに、口角を上げた。
「防御に関しては幾分かコツを掴んだようじゃの」
胸の奥にじわりと熱が広がる。
分かる。
今の感覚。
冴斬を通さずに、直接力を扱った。
ほんの一瞬。
ほんの一部。
確かに俺は、前に進んだ。
「よし」
ツバキは、拳を軽く握り直す。
「では――」
嫌な間。
嫌な笑み。
「二回戦、行ってみるか?」
「……っ、ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず声が裏返った。
「ツ、ツバキさん……せめて少しだけ休憩を……」
「ん?」
首を傾げる。
「そんな暇があると思うか?」
ニヤリ。
悪意のない、純粋な笑顔。
鬼だ。
この人、彩芽以上に容赦がない。
「次はその刀気を部分的に発揮しろ。守りたいところだけを覆うのじゃ」
ツバキが、楽しそうに言う。
「――では、準備はいいか?」
「あぁああっ、もう! どうせやるしかねぇんだろ!」
こうなったらもうヤケクソだ。
防御どころか一撃くらいやり返してやる。
アドレナリンが出ているのか、いつもより好戦的な自分がそこにいた。
俺は震える足に力を込め、二回戦とやらに挑むのだった。




