彩芽の戦い方
二十階層。
目の前に広がる円形の広間の中央で、異様な存在感を放つ影がうごめいていた。
――でかい。
思わずそんな感想が俺、三枝恒一の脳裏に浮かぶ。
床を支配するように身をくねらせる、巨大な蜥蜴。
鱗は鈍色に光り、金属のような紋様が全身に走っている。
ただ立っているだけで、この空間そのものが歪んで見える。
これが、二十階層のフロアボス
「いやしかし恒一」
頭の奥から、軽やかな声が響いた。
彩芽の声だ。
いや俺に憑依して彩芽が喋っているので、俺の声ではあるのだが言葉は彩芽で……という、なんというかややこしい状況。
「十九階層から上がるのではなく、まさか二十一階層から降りるとはの。よく思いついたではないか」
感心したように、と鼻を鳴らす。
(……上下の階層が階段で繋がっているってことを思い出しただけだ。もしかして、って思っただけで)
「それが思いつく者は、案外少ない」
彩芽は満足そうだった。
「視野が狭くなれば、選択肢は見えん。追い詰められた時ほど、冷静に思考できるかどうかが、この世を生き残る上で大事なことだ」
まぁ彩芽にここまで褒められるのは、意外と悪い気がしないな。
だが今はそれどころじゃない。
(それより……なんだ、あれは)
視線の先。
蜥蜴が、低く喉を鳴らした。
空気が、震える。
彩芽の声音が、わずかに変わった。
「今日は懐かしい顔ぶれによく会える」
(懐かしい?)
嫌な予感が、胸の奥をなぞる。
「反響蜥蜴じゃ」
その名を告げた瞬間、蜥蜴がゆっくりと首を動かし、こちらを見た。
(……やっぱり、コイツもか)
「あぁ。大昔のフロアボスだ」
彩芽の声には、迷いがなかった。
「わっちが戦っていた時代にもおった。力押しの探索者を、何人も屠ってきた厄介な個体よ」
(なんで、そんな昔のフロアボスが今になって……)
「さぁな」
彩芽は淡々としている。
「理由は分からん。だが――今はそれよりも」
空気が、一段階重くなる。
「わっちが憑依できるのは、せいぜい二十分程度。この時間を無駄にする気はないぞ」
この間、彩芽は言っていた。
憑依にはそれなりのエネルギーがいる。
今はそれを使い切ったから、次に憑依できるのは来月辺りだと。
にも関わらず、彩芽は唐突に憑依してきた。
なぜか理由も語らない。
だが一心同体がゆえに、彼女の感情もわずかばかり俺に伝わってくる。
悔しさ――
そしてちょっとした憤り。
そんな負の感情。
何に対してか分からないが、今は彩芽の思うままに動いてもらうとしよう。
次の瞬間、自然と前に出る。
冴斬から伝わってくる魔力の流れ。
俺が握っている時とは、明らかに違う。
魔力量、密度、質。
どれをとっても一級品だ。
感じたことのない魔力が、体内を巡り巡っている。
今の自分じゃ絶対に扱えないような桁違いな魔力が、自分の体に流れていると思うと、不思議で仕方ない。
だがこれは、感覚を掴む大チャンスだ。
俺は洗練された魔力の流れに意識を集中させる。
そしてそれは一点に集中し、刃へと収束していく。
「……いくぞ!」
彩芽の合図と同時に、強い踏み込み。
一閃。
――ズバァンッ!!
音が遅れて追いつくほどの速度。
蜥蜴の前脚が深く裂け、鈍色の鱗が弾け飛んだ。
確かな手応え。
だが彩芽は、追撃しない。
刃を下ろしたまま、じっと蜥蜴を見据えている。
「……なるほどの」
小さく呟く。
蜥蜴が身を捩り、低い咆哮を上げる。
だが、その動きに先ほどの鋭さはない。
「見たか、恒一」
彩芽の声が、静かに響く。
「今の一撃は、通った。だが次は――同じようにはいかん」
(……なんでだ?)
「同じ動き、同じ属性、同じ攻撃、二度受ければ、それに耐えるようになる」
彩芽は即答した。
「あらゆるものに耐性を得る。それがこやつの持つ、厄介な能力よ」
理解が一気に繋がる。
それがアケボノがやられていた理由。
「パーティが優秀であればあるほど、詰む。連携が洗練されておるほど、同じ攻めを繰り返してしまうからの」
蜥蜴が、再び喉を鳴らす。
磁場が、空間に満ち始める。
「さて」
彩芽が冴斬を軽く振る。
「能力は分かった。なら――」
刃先が、蜥蜴を真っ直ぐに捉えた。
「次は、それを斬るとしようかの」
蜥蜴が低く唸った。
次の瞬間。
空間が軋み、磁場が一気に強まる。
床の石が浮き上がり、砕け、見えない力で押し潰される。
「――ッ」
重力。
いや、違う。
引き寄せられている。
身体が床へ叩きつけられそうになるその瞬間――
冴斬が、音もなく振るわれた。
ザン――ッ!
そこには何もないはずなのに、まるで何か硬いものを断ったような澄んだ音が、この空間に響いた。
すると、
押し潰していた重圧が霧散し、空間の歪みが取り払われた。
「なるほどの」
彩芽の声が、楽しげに響く。
「磁場を発生させる力か。おもしろい」
(……分かるのか?)
内側から問いかけると、即座に返答が来た。
「あぁ」
どこか誇らしげに。
「わっちのレベルになればな、斬った事象の仕組みまで筒抜けよ」
冴斬を軽く回す。
蜥蜴が再び喉を鳴らす。
だが磁場が発生する直前、軽やかに躱していく。
「一度、見せてもらえば十分」
彩芽は、淡々と告げた。
「――対処法は、もう分かった」
「――ォォォォォッ!!」
咆哮。
だがその瞬間、俺は地を蹴り、蜥蜴との距離を一気に詰めた。
冴斬が静かに振り抜かれる。
一太刀。
蜥蜴の胸元を、斜めに裂く。
だが、肉体を狙ってはいない。
「ここだ」
彩芽の声が、鋭くなる。
「あらゆる耐性を生みだす源」
冴斬が、さらに深く沈み込む。
――バチンッ。
空気が弾けるような音。
次の瞬間、蜥蜴の体表を覆っていた歪みのようなものが、霧散した。
「……っ!?」
蜥蜴が、初めて明確に体勢を崩す。
(今のは……)
「能力そのものを斬った」
彩芽が淡々と告げる。
「攻撃に耐性を生む仕組み。それを存在ごと断ったのだ。お主が十九階層で行ったことと同じでな」
蜥蜴が後退する。
ヤツが危機を感じた証拠だった。
「ふむ。次はこれだな」
冴斬が、軽く回される。
蜥蜴の脚部。
異様に発達した筋肉と、床を掴むための爪。
「壁を伝う時、逃げる時、どうしても必要になってくる、その足がいらぬな」
二太刀目。
水平。
脚の付け根を、力ごと切断。
肉体が裂ける音と同時に、蜥蜴の動きが完全に止まった。
バランスを完全に消失する。
「――ァ……」
喉を鳴らすだけの、弱い声。
巨大な身体が、ぐらりと傾く。
「さて、恒一」
彩芽の声が、少しだけ柔らぐ。
「覚えておけ」
冴斬が、最後に構えられる。
「この刀はな、自らを写す鏡と言ったな」
刃が、蜥蜴の正面を捉える。
「だが使いこなせば――」
一閃。
音すらなかった。
巨大な蜥蜴の身体が、綺麗に左右へと分かれる。
「相手がどんな能力を持ち、はたまた何を得意とする体質なのか――」
遅れて、巨体が崩れ落ちる。
ズゥン――。
「――これは相手すらも、写す鏡にもなり得るのだ」
床が揺れ、完全な沈黙が訪れた。
(……これが)
内側で息を呑む。
(冴斬の本来の力……?)
彩芽はふっと笑い、
「そうだ、恒一。これがこの先、お主が到達する新たな境地となる」
冴斬を下ろしながらそう告げた。




