アケボノの戦闘
二十階層、アケボノ――
巨大な石扉が完全に沈み切り、逃げ道が断たれたその瞬間、この空間が「戦場」になったことを、オレ、吉祥寺を含め全員が理解した。
パラパラと土埃が舞う中、オレはゆっくりと視線を上へ向ける。
「……なんだ、あれ」
天井。
そこにそれはいた。
岩盤のように広がる天井に張りつく、巨大な蜥蜴型の影。
全長は目測で十メートル近い。
鱗は鈍く光り、体の節々に歪んだ金属のような模様が走っている。
何より異様なのは――空間そのものが、そいつを中心に歪みを見せているということ。
「見たことない」
柊が、かすれた声で言う。
「二十階層のボス、記録では大型獣型のはずです。蜥蜴型なんて……記録にない」
市村が短く言い切った。
「……やるしかねぇだろ」
オレは剣を握り直した。
「閉じ込められた以上、倒すしかねぇ」
分かってる。
自分の不注意が、今の現状を作り出したことを。
だが市村と柊はそんなことで不貞腐れるような探索者じゃねぇ。
「当然。アケボノで、ここまで来てるんだから」
柊が一歩前に出る。
「ええ。連携が崩れてなければ、いけます」
市村も頷いた。
そうだ。
オレたちはこれまで何度も想定外を越えてきた。
二十階層だろうが、未知のボスだろうが――アケボノなら、倒せる。
その確信が、まだこの時はオレたちにはあった。
だが次の瞬間。
天井に張りついていた蜥蜴が、喉の奥を震わせるように低い音を鳴らした。
「――ッ!」
空気が、揺れた。
いや違う。
押さえつけられている。
金属が軋むような音と共に、オレたちの身体が、下に押し潰される感覚。
「磁場……?」
市村が即座に判断する。
「吉祥寺、足元気をつけて!」
「分かってる!」
オレは踏ん張り、磁力の流れを読む。
身体が引かれる瞬間と、抜ける瞬間。
完全じゃないが、対処はできる。
「今よ!」
柊が炎魔法を展開する。
轟音。
天井に向かって撃ち出された高出力の炎球が、蜥蜴の腹部を直撃した。
――ギィィィィィィッ!!
耳を裂くような咆哮。
蜥蜴は天井から剥がれ、重力に引きずられるように床へと落下する。
ドンッ!!
床が揺れ、衝撃波が走った。
「吉祥寺くん!」
市村の支援魔法により防御、速度補正、感覚強化が一気に重なる。
「あぁ!!」
オレは一気に距離を詰めた。
磁場の揺らぎを読み、踏み込み、斬り込む。
一閃。
確かな手応え。
「……効いてる!」
蜥蜴の鱗が裂け、血が飛ぶ。
「まだまだァ!」
続けて二撃目。
同じ角度、同じ踏み込み。
三撃目。
柊も炎を絶え間なく撃ち続ける。
だが――
「……効いてない?」
いや、そんなことはない。
一撃目は確かに手応えがあった。
だがそれ以降、蜥蜴の表皮に刃が通りにくくなった感じがしている。
柊の魔法も同様だった。
初撃に比べて、蜥蜴の反応も薄くなっている。
「なんだこれ……」
オレの胸に、嫌な感覚が広がる。
攻撃は通っている。
だが決定打にならない。
それどころか、効きが弱くなっている。
「――ォォォォォッ!!」
再び、咆哮。
今度は――強い。
磁場が一気に強まり、床が軋み、歪む。
「っ――!」
一瞬、足元が崩れた。
その瞬間。
巨大な尾が、横薙ぎに振るわれる。
「吉祥寺!」
防御が――間に合わない。
――ドンッ!!
衝撃。
身体が吹き飛ばされ、床を転がる。
浅い。
だが確実にダメージだ。
「くっ……!」
立ち上がろうとした瞬間、遅れて市村の防御が重なった。
「吉祥寺くん、ごめんなさい!」
ほんの一瞬、ほんの一拍、防御が間に合わなかった。
そのズレが、今までアケボノにありえなかったダメージを生んだ。
胸の奥がざらつく。
「……くそ」
歯を食いしばりながら、オレは立ち上がる。
「吉祥寺、大丈夫!?」
柊の声。
「あぁ……問題ねぇ」
そう答えながら、オレは自然と戦況を追っていた。
おそらくあの蜥蜴は、もうこちらの攻撃を学習し初めている。
剣筋。
踏み込み。
魔法の属性。
一度見せたものは、二度と深く通らない。
斬れば斬るほど、
撃てば撃つほど、
攻撃は効かなくなってくる。
耐性とか免疫に近いものだろう。
そして蜥蜴が再び喉を鳴らす。
――ォォォォォォ……!!
次の瞬間。
床が歪み、身体が下に押し潰される。
「っ……!」
踏ん張るだけで精一杯だった。
一方の二人は磁場に耐えきれず、柊は地に片膝をつき、市村は両手両膝を突いたまま、完全に動きを封じられている。
くそ……!
やべぇ、やべぇ、やべぇ……!
焦りと恐怖が、一気に胸を締め付ける。
――ドンッ!!
その刹那。
巨大な前脚が、オレの頭上から振り下ろされた。
「――ぐっ!!」
反射的に、利き腕で剣を構える。
受けるしかない――そう判断した、まさにその瞬間だった。
重い。
いや、そんな言葉では足りない。
次の瞬間、視界が天地ごと反転した。
剣ごと。
腕ごと。
そのまま地面へと叩きつけられる。
――バキッ。
鈍く、嫌な音が響いた。
一拍遅れて、それが自分の利き腕から鳴った音だと理解する。
痛みが来ない。
いや――違う。
遅れて、爆発する。
「――ッ、あぁぁぁぁっ!!」
喉が勝手に悲鳴を吐き出す。
腕が、ない。
そう錯覚するほど、感覚が断ち切られていた。
「――ッッ!!」
焼け付くような痛み。
声にならない悲鳴が喉の奥で詰まる。
歯を食いしばり、必死に叫ぶのを堪えた。
右腕が不自然な方向に折れ曲がっている。
骨が、完全に潰れているのが分かった。
再起不能。
探索者として。
直感的に、そう理解した。
「吉祥寺くん!!」
市村の声。
すぐに駆け寄ってくる気配。
震える手で、回復魔法を展開する。
光が走る。
潰れた肉が戻り、裂けた皮膚が塞がっていく。
だが――
「……っ」
痛みは引かない。
いや、それ以前に。
力が、戻らない。
指が、動かない。
魔力が、通らない。
「……すみません……っ!」
市村の声が震えている。
「治療は……これ以上は……!」
それで十分だ。
回復できる怪我じゃない。
市村が悪いわけでもない。
だが。
胸の奥に、黒い何かが溜まっていく。
「……くそ」
歯の隙間から、吐き捨てるように零れた。
蜥蜴が、こちらを見下ろしている。
確実に、仕留めに来ている目だ。
柊と市村は動けない。
オレも、片腕を失った。
完全な詰み。
その時だった。
脳裏に、自然と浮かんだ男がいる。
――前なら。
ここに、必ず立っていた男。
無言で前に出て。
盾になるように立ち。
苦しい顔一つせず、仲間を庇っていた背中。
派手でもない。
自慢もしない。
ただ、当然のように。
「……っ」
胸の奥が、軋んだ。
そうだ。
オレは――
あの男の凄さを、分かっていた。
分かっていたからこそ、目を逸らした。
歳を食ってるくせに、功績を誇らない。
自分が支えている自覚があるくせに、前に出ようとしない。
そんな謙虚さが、腹立たしかった。
強さこそ誇り。
強さこそ人気。
強さこそ正義。
探索者ってのは、そういうもんだ。
オレだって、そう思ってる。
なのに、アイツはそれを行動で否定しやがる。
だから追い出した。
アケボノから。
ついでに探索者すら、辞めちまえと――
心の底から、そう願っていた。
なのに。
なのにだ。
アイツがいなくなった瞬間――
パーティは、確実に脆くなった。
「……っ!」
蜥蜴が、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
終わりだ。
こんなところで。
こんな形で。
アケボノは――
終われねぇはずだったのに。
その瞬間。
蜥蜴の動きが、ぴたりと止まった。
「……?」
首が、別の方向を向く。
そして――
「やれやれ……」
聞き覚えのある声。
だが、違う。
どこか、妙に軽くて。
ふざけたような。
「わっちが来なければ、どうなっていたことやら」
全員の視線が、そちらに向いた。
そこに立っていたのは――
「……三枝?」
間違いない。
三枝恒一。
今、オレが一番会いたくなかった男が、二十階層のボスエリアに立っていた。




