有り得ないもの
十九階層の空気は、相変わらず重い。
さすがB級の探索者パーティでも、気を抜けば命を落とすといわれている中層の階層。
そんな難度のこの場所だが、スリースターズは変わらず慣れた対応で掃討を進めている。
ヒカリの足運びは迷いがなく、ルナの視線は常に周囲を拾い、カナデは隙のない支援。
完璧な連携だった。
それに加えここには俺と、探索者パーティ〈ブルーアーチ〉もいる。
俺はスリースターズのみんなの動きに合わせつつ、前衛で積極的に斬り倒していき、
彼らブルーアーチは、俺たちの連携の間をかいくぐるように、上手く魔法を撃ち込んでいる。
水、青雷、蒼炎。
異なる属性にも関わらず、そ統一されたその色調に十九階層は見事に彩られていく。
もちろん威力もさながらだ。
そしてコメントも大いに盛り上がりを見せる。
“B級でも上位勢のブルーアーチともコラボとか、今考えても相当ヤバいことやってんな”
“こんだけ強いパーティたちが駆り出されるってほんと何事って感じ”
“ブルーアーチの魔法、エモすぎる”
“スリースターズの美貌にブルーアーチの魔法て、相性よすぎるんだが”
“そこに紛れる中年が一人w”
“恒一氏、アンタは何者なんだよw”
「左、二体!」
ルナの声に対し、攻撃の判断が自然に出る。
十一階層で見せた動きが、今も再現できる。
――はずなのに。
ほんの一瞬だけ。
身体が、わずかに遅れた。
遅れたのは剣じゃない。足でもない。
判断。
「ここで踏み込むか」「下がるか」の分岐が、ほんの半拍だけ、曇った。
その曇りを、ヒカリが埋める。
「行きます!」
鋭い踏み込み。
剣閃が通路を切り裂き、モンスターが倒れる。
俺は遅れて息を吐き、背中に冷たい汗が走っているのを自覚した。
今のは――危なかった。
俺が油断したのか?
いや、違う。
なんだ、この感じ。
胸の奥が、ほんの僅かに軋んだ。
それは疲れでも恐怖でもない。
もっと別の形のない感覚だ。
『お主』
頭の奥から、彩芽の声が落ちてきた。
『心が揺らいでおるな』
(……揺らいでる?)
思わず足が止まりかけて、すぐに取り繕うように歩幅を戻す。
(そんなつもりはない)
『嘘をつくでない。揺れておる』
彩芽は淡々と断じた。
前方でルナが軽く振り返る。
俺の様子を確認するような目。すぐに何事もない顔に戻して、俺は小さく頷いた。
大丈夫だ、と。
もちろん口には出さない。
(……さっきのアケボノとの遭遇が、まだ残ってるってことか)
言語化した瞬間、胸の奥がまた軋んだ。
『ほう。自覚はあるか』
(……嫌だった、ってほどじゃない)
自分に言い聞かせるように返す。
(ただ……変なだけだ)
昔いた場所に、他人として立っている。
昔の仲間と、別の隊列で向かい合う。
それだけで、胸の奥に残っていた何かが、勝手に音を立てる。
『恒一。お主はまだ、あの場を終わらせ切れておらぬのじゃないか?』
彩芽の声は、妙に優しくも聞こえた。
(そんなことは……ない)
『ある』
即答。
『それは執着ではない。剣の癖だ』
(……剣の、癖?)
意味が分からず、眉が寄る。
『人はな、同じ場所に戻ると、同じ判断をしようとする』
彩芽は続ける。
『同じ仲間を見れば、同じ立ち位置に戻ろうとする。それが生き物における恒常性というやつだ』
言われて、胸の奥が冷える。
――当たっている。
たしかに俺は、アケボノでの自分の立ち位置を思い出しかけた。
前に出るより支える。
斬るより守る。
勝つより生き残る。
それは間違いじゃない。
だけど――
今の俺は、スリースターズの護衛だ。
俺は、もうあの頃の俺じゃない。
誰よりも一歩早く動き、攻められる前に相手を攻める殺しの剣。
それが今の俺のやり方だ。
そう言い聞かせても、身体が勝手に昔の癖を呼び出す瞬間がある。
やはり彩芽の言う通り、俺は彼らとの関係を断ち切れてないんだろうか。
向き合えて、いないんだろうか。
『それはそうと、恒一』
彩芽はふっと息を吐いた。
声のトーンが少し変わる。
(……なんだ?)
『この先に、懐かしい気配がする』
その一言で、景色が変わった気がした。
(懐かしい気配……?)
俺は周囲の気配を拾い直すが、彩芽の言っている意味が全く分からない。
『わっちの生きていた時代、つまり三百年ほど前に感じた魔力とよう似ておる』
(三百年前……っ!? お前、そんな昔に生きてた人だったのか!?)
思わず表に声が漏れそうになるのを抑える。
だが今はそこじゃない。
その懐かしい気配、魔力。
それがなんなのかってことだ。
『……死ぬ気で戦えよ。わっちはまだお主に憑依してやれぬからな』
(いやいや、だから奥に何がいるんだって――)
「ま、待って!」
俺の思考を遮るほど張り上げた声。
その声主を見て、俺は少し驚いた。
カナデ。
いつもは落ち着いた口調、小さな声、それでも戦闘中ハッキリと聞こえるような透き通った声音。
そんな彼女から初めて聞いた、明らかに怯えの混じった声調だったからだ。
「どう、したの……カナデ?」
その異変に、ルナも恐る恐る訊ねる。
そして同時に、この場の空気が止まり、全員が息を呑んだ。
「この先……この魔力……多分、いる」
「何が、いるの……?」
ヒカリの問い。
それからわずかな静寂。
ダンジョン内の魔力探知に優れた支援は、この中でカナデのみ。
彼女は、俺たちよりもかなり遠い気配を感じ取ることができる。
何を、感じたんだ。
この場に緊張が走る。
俺も思わず拳に力が入る。
すると――
「……っ!」
前方から、かすかな声が聞こえた。
最初は風の音かと思った。
だが、それにしては――生々しい。
「……たす、け……」
途切れ途切れの、声。
人の声だ。
「誰かいる!」
ヒカリが駆け出そうとするが、その前に声の主は通路の奥から姿を現した。
探索者だ。
特に怪我をしたり、出血をしているわけでもない。
だが異常に顔色が悪い。
息もしくは荒く乱れている。
「奥に……」
男は、こちらを見た瞬間、膝から崩れ落ちた。
ルナが即座に支える。
「ちょ、ちょっと! しっかりして!」
「奥にヤバいのが……」
男は必死に息を整えながら、震える指で奥を指した。
この先でヤバいのっていえばもう、それは一つしか思い当たらない。
「フロアボス……」
ボソッと漏らした一言で、場の空気が凍りつく。
「そんなはずないですよ。だって……この十九階層のフロアボスは、もう――」
倒されている。
それが常識だ。
フロアボスは一度討伐されれば、基本的に再出現しない。
それがダンジョンにおける不変のルールだった。
「いや……」
男は首を横に振る。
「違う……あんなの……」
言葉が、続かない。
「とにかく、先に行こう!」
ブルーアーチは先に進む覚悟ができているようだ。
「分かった!」
いつまでもここに居たって何も解決しない。
だからこそ、俺たちは奥へ駆けていった。
そしてたどり着いた最奥部。
開かれた石造りの大扉。
ひび割れた壁。
円形の広い大空間。
嫌というほど、覚えのある。
だがその中に、一つ有り得ないものがいた。
「……なにあれ」
ヒカリが絞り出すように言う。
本来なら静まり返っているはずの場所。
だが今は違った。
広間の中央。
そこに――それは立っていた。
一見すると、人型に近い。
身長は二メートルを優に超え、四肢は異様に長く、関節の位置がどこかおかしい。
全身を覆う外殻は黒く、まるで焦げた鎧のように硬質だが、その隙間から覗く肉は――蠢いていた。
「……記録と違う」
ブルーアーチの探索者が、声を漏らす。
「前に討伐された時のボス、こんな見た目じゃなかったよな?」
それは俺も思った。
昨日十九階層についての予習をしたところなので、しっかりと覚えている。
たしか十九階層のボスは大型の鳥類だったはず。
だったらコイツはなんなんだ!?
その瞬間。
『……懐かしいのぉ』
頭の奥で、彩芽の声が低く響いた。
『それはな、恒一』
一拍
『わっちが刀を造り――そして自ら振るっていた時代のダンジョンタワー。あの頃のフロアボス、回帰の死王〈リグレッサー〉だ』
彩芽は耳を疑う事実を口にした。




