第8話 異変
朝の空気が、いつもと違って感じられた。
理由は単純だ。
――体が、よく動く。
寝起きの重さがない。
立ち上がる動作が、自然に出る。
足に、余計な力が入らない。
「……慣れた、な」
村の外れへ向かう道を、軽く走る。
呼吸は一定。
視界も、安定している。
十分快走っても、息は乱れない。
「一週間前の俺が見たら、腰を抜かすだろうな」
苦笑しながら足を止めると、背後から声がかかった。
「……おい」
振り向くと、訓練を続けていた若者の一人が立っている。
額に汗。
だが、表情は落ち着いていた。
「今の……本気で走ってたか?」
「まあ、七割くらいだな」
「……冗談だろ」
彼は、目を見開いた。
「俺、全力だったぞ」
少し前なら、考えられない光景だ。
だが、今は事実としてそこにある。
「比べるな」
俺は肩をすくめる。
「続けた分だけ、差が出ただけだ」
若者は、唇を噛んだ。
悔しさ。
だが、諦めではない。
「……もう一回、教えてくれ」
「昨日の呼吸と、足の出し方」
「いいぞ」
そのやり取りを、遠くから見ている視線があった。
古参の男だ。
「……異変、だな」
ぽつりと、そう言う。
「ええ」
俺は、否定しなかった。
「村の基準を、超え始めてます」
それは、喜ぶべきことでもあり、危険なことでもある。
その日の昼前。
村に、行商人がやってきた。
荷馬車。
革袋。
そして――武器。
「おや、随分と元気な村だね」
行商人は、訓練風景を眺めながら言った。
「最近、魔物でも出たのかい?」
古参の男が答える。
「少しな」
「だが、もう問題ない」
行商人は、俺たちを見る。
特に――俺を見る。
「……あんた、冒険者か?」
「いいえ」
「そうか。なら、珍しいな」
視線が、鋭くなる。
「動きが、街の若手より洗練されてる」
……早い。
気づく人間は、気づく。
「鍛え方を、少し工夫しているだけです」
そう答えると、行商人は楽しそうに笑った。
「工夫、ね」
「それができる人間は、少ない」
彼は、さりげなく言った。
「この先の街には、冒険者ギルドがある」
「最近、人手不足でね」
古参の男が、ちらりと俺を見る。
……来たか。
「考えておきます」
俺がそう答えると、行商人は深追いしなかった。
だが、確実に――覚えられた。
午後。
訓練は、模擬戦に移った。
二対二。
役割固定。
合図は一つ。
結果は――一方的だった。
連携が、途切れない。
下がる判断が、早い。
無理をしない。
「……これ、前と同じ人間か?」
誰かが、呆然と呟く。
俺は、少し距離を置いて見ていた。
嬉しい反面、はっきり分かる。
「……ここが、限界だな」
村では、これ以上は伸ばせない。
相手が、弱すぎる。
環境が、穏やかすぎる。
夜。
焚き火の前で、古参の男が口を開いた。
「お前……この村を出る気だな」
「ええ」
即答した。
「このままだと、停滞します」
男は、深く息を吐く。
「……そうだろうな」
しばらく沈黙が続き、やがて彼は言った。
「だが、感謝している」
「ここまで、村を変えてくれた」
俺は、頭を下げた。
「俺も、助けられました」
お互い様だ。
焚き火が、静かに爆ぜる。
「次は、どこへ行く?」
「冒険者ギルドです」
「もっと、分かりやすい世界で試したい」
古参の男は、笑った。
「……災難だな、ギルドの連中も」
俺も、少し笑った。
外では、夜風が吹いている。
この村で起きた異変は、
もう、隠しきれない。
――次は、外の世界だ。
そこで、このやり方が通じるかどうか。
試す時が来た。




