6
「…………ん?」
目覚める。
はっきりしない視界が徐々に定まってくると、目の前に眠っているのが夜海だということに気が付いた。
卓に突っ伏して、大口を開けて寝ている。
「ちゃ~、ちゃ~はは~ん♡」
それで状況を理解する。確か、夜海にせっつかれるまま炒飯を作り2人でかっ喰らった後、意識が落ちたのだ。
「ニンニクも葱も減らしたんだけどな…………」
量を調整してなお炒飯は劇物だった。夜海は夢見心地でいる。きっと米と油の夢だろう。随分幸せそうな寝顔をしていた。
「……」
夜海も未神も訳が分からない。人が拒絶しているというのに、それでも俺と関わろうとしてくる。俺の態度や言動は彼女たちにとって不快極まりないはずなのだ。その自覚はある。事実彼女たちも声を荒げ涙した。
不快ならば関わらなければいい。本来、それだけの話なのである。誰に強制されるわけでもなし、それでいいはずだ。けれどそれでも2人は関わるのを止めるどころか、尚更近付いて来ている。あまりに奇妙だった。
いや。その理由が全く以て推測出来ないわけじゃない。好意だ。彼女たちが、俺のことを好きだから関わろうとしているという理由だ。
しかしそれは根拠の無い、愚かな妄想に過ぎない。俺が好かれることは有り得ないはずだから。
……なのに。考えれば考えるほどその好意以外の理由が見当たらない。その他に彼女たちが俺を拒絶しない理由を思い付かないのだ。
「俺は…………」
…………もし、万に一つ。天地がひっくり返るほどの奇跡が起きたとして。彼女たちが俺のことを嫌っていないとして。
俺はその好意に似た何かを受け入れていいんだろうか。自分が好かれているなんて気持ちの悪い考えを持っていいんだろうか。それは加害では無いのだろうか。
頭が痛くなる。もう何年も前、未神に出会う前から答えは出ていたはずなのに。どうして今になって、それがひっくり返るような…………こんなに悩まなければならないんだ。
俺は好かれない。そう弁えたはずなのに……
「ん?」
そんな俺の頭の中を無視して、スマホが鳴った。未神からの着信だった。
「はい、もしもし」
「依途くん。異界が発生した。すぐに来てほしい」
自己と向き合う時間すら無いらしい。考えるな、ということなのか。
「間の悪い……」
「どうしたの?」
「……夜海と2人で炒飯を食った。夜海は寝てるし、俺も意識がはっきりしない」
「ばかちん」
「場所はどこだ? 直ぐに向かう」
未神が指定したのは、ここから30分ほど掛かる古小屋だった。
「今までになく規模がでかい。早く来てくれ」
「了解」
通話を切る。まぁいい、考えるのは後にしよう。
「ラー油〜♡」
夜海はまだお休み中らしい。一人で向かうとしよう。その辺のチラシに書き残しを置いて、玄関を出た。
「遅くなった」
夜8時、夜の帳が下りて人の明かりだけが街を包んでいる。聞いていた古民家の前に未神が待っていた。
「異界の扉はこの先だ」
「大きいと聞いたが」
「何かしら厄介なのがいそうなんだ」
「厄介なのと言うと……去年の自衛隊が動いたやつよりか?」
昨年の夏のことだ。大災害級の異界が出現し、もし俺たちが主を倒せなかった場合の為に国民の避難を行ったのだ。市から丸ごと人が消えた。
自衛隊によって避難誘導が行われたのだが……
「あれほど規模は大きくない。けど、もっと異質な何かを感じる」
「異質?」
「とにかく行こう。一応政府には一報入れておいた」
これはもし、自分たちが事を為し得なかった際の為に準備をしておいてもらうための連絡である。この前夜海と行ったようなおつかいみたいな規模のは勝手に対処するのだが…………それほどの相手なのか。
未神がドアノブを回す。その後ろについていく。歩を進める内に、いつの間にか周囲の風景は変質していた。
俺が銃を構えるのと同時に、やつの背から翼が突き出す。
「小型がいない……?」
「主だけのタイプかな」
いつ見ても不快な、狂気の世界。その只中を慎重に歩み進めていく。確かに、主以外の化物がいない異界のケースは存在した。しかし大概は発生直後の、ごく規模の小さい異界かつ主も弱いものであることがほとんどだ。
これだけ強い存在感を放っておきながら小型の一体もいないなど、これまでにないケースだった。
「…………来る!」
その瞬間、何も無いはずの空間から黒い光線……影が俺たちのいたところを貫いた。間一髪で避ける。
そちらに向かって2、3度引き金を引くと、無の中から何かが現れた。
「…………」
形容し難い何か。黒く、赤い塊がそこにあった。肉の様な組織が膨張と収縮を繰り返している辺り生物らしいが、おおよそ生物にあるべき器官は見当たらない。ただひたすらに、肉の塊であった。
「消えて」
未神が翼から鋭い羽根を放ち、敵に刺していく。肉塊が血を吹き出す。未神が掌を握ると、羽根が白く爆ぜた。
「…………」
塊は半分ほど損なわれていたが、直ぐに再生して元の大きさに戻った。
「くそっ」
力を込めて弾丸を放つ。所々穴が開くがすぐさま塞がっていく。未神の攻撃に対しても同じだ。
やつの棘の様な部位が切り離されたかと思うと、こちらに飛んできた。撃ち落としつつ回避する。が、避けた先に触手が飛んできた。
「ぐあっ」
吹き飛ばされ、全身で地面を削る。
「依途くんっ」
未神が光波を化物に叩きつけるが、直ぐさま再生していく。俺たちを嘲笑っているかのような……賽の河原を思わせた。
「吹き飛べよぉっ!」
何発も弾を撃ち込む。僅かに間をおいて、また再生が始まる。またこうなる、どうすればこいつを……
「依途くん。ぼくが今から最大の魔法をやつにぶつける。時間を稼いでくれないか」
「了解」
くっちゃべっている暇はない。未神がそう言うならそれが最良の策なんだろう。ならやるだけだ。
未神が後ろに下がり俺が前に出る。こちらへ襲い来る棘を撃ち抜きつつ、魔法の発生を待つ。
銃口から光の刃を発生させ触手を切り落とした。
「……!?」
突如肉の塊がぱっくりと割れ、血が噴き出す。その向こうに赤い輝きが顔を出した。ルビーを思わせる瞬きに刹那目を奪われる。
「あ、あああああああ」
何かが頭に入ってくる。物理的にじゃない。意識を……汚染される?
「ああああああああああああああああああ」
「依途くん!」
だめだ、無理矢理乗っ取られる。壊される。侵される。狂う。
「聞こえるっ?」
染められる。
「依途くん、依途くんッ! 返事して!」
遠くに未神の声が聞こえ
「あ、おかえ…………ってみかみん!? どうしたの?」
どうにか依途くんの家に辿り着く。夜海さんがドアを開けてくれた。
「尻尾巻いて逃げてきたのさ」
リビングのソファに依途くんを下ろし、その場に座り込む。ベッドの足掛けに背を預けた。
「はぁ…………」
「まさか……異界から」
「うん。依途くんを連れてどうにか逃げ帰ってきたけど……その彼が目を覚まさない」
「えっ!?」
「死んでるわけじゃない。けれど意識も戻らない」
「……何か出来ることはないの」
首を振る。あの化物に精神干渉をされたことだけは予測できるけど…………かといって、対処は分からない。祈るくらいしかできなかった。
「どうして……急にそんな」
「突然、規模の大きい異界が発生したんだ。突入したら見たこともないタイプがいてね、このざまさ」
「じゃ、じゃあ次はどうなるの。警察? 自衛隊?」
「現代兵器での撃破は不可能だ。軍隊ではあれを倒せない」
「そんなの、どうすれば…………」
「ぼくと依途くんがどうにかする。でなきゃ、文明が終わるだけさ」
依途くんの寝顔を見つめる。何だか幸せそうな表情に見えて気が抜けた。
「今は異界は閉じてるけれど…………政府に撤退報告をした。もうそろそろ自衛隊が県外への避難誘導を行うだろう。夜海ちゃんも早く逃げるといい」
「…………わ、わたしも」
「戦うって?」
「うん……」
「ぼくと依途くんの勝てない相手にきみは邪魔だ。逃げろ」
努めて低い声で威圧する。あまり得意ではなかった。
「…………」
「夜海ちゃん。この数週間、楽しかったよ」
「え?」
「まぁ腹立つこともあったけど。楽しかった。そういうことにしとく」
「うん」
「だいたい夜海ちゃんのおかげだったから。ありがとう」
…………もしこの子がいなかったら、ぼくはもっとゆっくり依途くんに近付こうとしただろう。心に隠した傷ももっと気付かずに過ごしていただろう。
「ほんとはこのラブコメもどきをもうちょっとやってたかったんだけど。……まぁ、無理やり続けてたんだ。仕方ないのかな」
「なにそれ、まるでもう終わっちゃうみたいに……」
確かに、そういう言い方だった。自分でも気が付いていなかった。
「ぼくはね。この3年間、ずっと依途くんのことが好きだったけど。告白なんて出来なかったんだ」
「ん…………」
「だから驚いたよ。会って半月も経ってないきみが依途くんに告白した時は」
「う…………恨みっこなしだよって言ったじゃん」
「違う。依途くんを幸せにできるのは、多分きみなんだ」
夜海ちゃんが口をあんぐりと開けている。そんなに驚くことだろうか。
「ぼくには3年も出来なかったことが、きみには出来た」
「そうかな……」
「全てが終わった後、作戦を完遂するのは……依途くんを救うのはきみなんだ。
ぼくは自分の出来ることをする。きみもいつか出来ることをするために早く逃げて欲しい」
唇を噛んで俯いている。多分自分が同じ立場でもそうしただろう。それでも彼女にしか依途くんが救えないのは事実だ。
「いやだ」
「夜海ちゃん。頼むよ、依途くんのためなんだ」
「わたしが役に立たないから逃げろって言うならそうする。でも、みかみんが帰ってこないのは絶対だめ」
「………………」
「約束して。帰ってくるって。あきらっちのためだけじゃなくて、わたしのために」
つい、笑ってしまった。
「ああ、誓おう。ぼくは帰ってくる」
それから暫くして、夜海ちゃんが玄関を出ていった。気休め程度に銃を渡しておいたけど……自衛隊も避難誘導を始めたらしい。
依途くんが家を出るときに遺していたらしい書き置きには『直ぐに帰ります』とあった。その上に『さっさとして下さい』と書き足されている。
午後11時50分。夜が更ける。日付が変わる。
眠ったままの依途くんはあまりに安らかな顔をしていた。
気が付くと、どこかの島にいた。
どこかは知らんが、島であることは分かった。日本列島も島といえば島だがそういう話じゃなく、小さな孤島にいるようだ。
「さ、もう一度説明するね」
未神が俺に話しかけている。俺はそれに頷いて、ああとかうんとか言った。俺が喋ったんじゃない、目の前の俺がそう言った。何だこれ? 映像?
「この真代島に巨大な異界が発生した。今までで最大規模のものだ」
真代島。その単語で思い出す。どうやらこれは、俺の過去のようだった。なんでか知らないが必死に過去を思い出しているようである。
そうだ、俺はあの妙な亜獣のせいで倒れて…………それでこんなものを見ているのか。
単なる昼寝の夢なのか、走馬灯ってやつなのか。
「このまま放置すればそれだけの亜獣が街に解き放たれることになる。それだけは避けないといけない」
感謝されずに戦うのにも慣れてきたな、と俺が呟く。これもかつて本当に言った台詞だった。
「これより思春期同好会は作戦を発動する。作戦名に希望は!」
「ねぇな」
「そう。さ、行くよ」
説明を終えた未神と俺が異界の中に走っていく。中には砂糖に集る蟻のごとく亜獣が湧いていて、もう一人の俺が冷や汗をかいていた。
そうだ、こんな感じだった。バッカみたいな量の敵だったなぁと他人事のように懐かしくなる。
数としては通常の異界の6倍。あの時は中々肝が冷えたが当時の俺は絶頂期だった。戦うのも3年目で、妙な精神的動揺もない。
あんなちっこい銃で未神と同じ数の敵を倒していた。結局2人で蟻どもを全て駆逐したのである。我ながらよくやったと褒めてやりたい。その時点で未神はスタミナ切れで動けず、俺も右腕が動かなかったが。
そんな状態で異界の主……四足歩行の亜獣が出てきた時はもう笑うしかなかった。
「クオオオォオォォオオ」
「躾てやるぜ、犬っころ」
銃口から光剣を発生させ、利き腕でない左で獣を斬り刻んでいく。倒れた未神に狙いを定めた亜獣の首をはねた。
「そいつは俺のご主人さまなんでな」
そんな事も言っていたようだ。覚えてないが。
そのまま光景が切り替わり、今度はどこかのビルの上にいた。ここは……
「ロマンティックじゃないか、依途くん」
雪夜。人の明かりのない街を月と星だけが薄く光らせている。
…………ああ、そうだ。ここはアキバだ。秋葉原、ラジ館の屋上。隕石の降るクリスマス。
走馬灯は更に過去へと流れ続けているようだった。これは一昨年のクリスマス。何でも巨大隕石が地球に接近していて、聖夜に人と地球が滅ぶとか騒いでいた。核ミサイルでも吹き飛ばせないらしい。
それをたった2人で迎撃しようと未神のやつが言い出したから、溜息吐きながら秋葉原に向かったわけである。着弾予想地点がそこだったのだ。
「まぁこれだけ星があるんだ。一つくらい降っても不思議じゃないだろ?」
落ちてくるのは恒星じゃないぞ、と突っ込む。
「さ、あの隕石の迎撃がぼくたちの今夜の仕事のわけだけど」
サンタに任せとけよ。
「彼らはケーキを売るのに忙しい。作戦名に希望は?」
特にねぇっての。
「つまらない。何か言いたまえよ」
…………そうだな。オペレーション・ピースオブケイク、とかどうだ。
「クリスマスだしね。きみにしちゃいいセンスだ」
そのまま羽を広げた未神に連れられて空へ。俺は銃口を隕石の方向に向ける。
未神、支えてろよ!
「ああ、親友。明日をプレゼントしてくれ」
最大出力の一撃が成層圏を貫いて、隕石は塵と化した。吹き飛んだ石っころの欠片が流星となって夜空に瞬く。
こんなこともあったなぁ、と懐かしくなる。1年半ほど前のことなのに遠い昔のようだった。
未神とは本当に、本当に色んな経験をした。こんなにも人類を救った人類は俺と未神だけだろうし、こんなにもワクワクドキドキの毎日を送っていたのも俺たちだけだろう。
「流れ星か……なにか願い事はないのかい?」
流星を見上げて、俺が願ったのは確か…………「こんな毎日が、続きますように」。
不謹慎ではあるが、ごく自然な願いだ。…………そうだ。続けばいいなと思ったのは、未神だけじゃなかった。4年目の高校生活を俺も願っていたのだ。
更に場面が移り変わって、校庭にいた。朝焼けが世界を染めている。
これは…………そうだ。入学して直ぐの頃、4月。屋上から飛び降りて死に損ねた。原因は言うまでもない。未神蒼。
「残念だったね、死ねなくて」
俺は動揺を顔一杯に浮かべて目の前の天使を見つめている。これが未神と俺のファーストコンタクトであり、今思えば全ての物語の始まりだった。
俺は問う。何故、俺の命を救ったのかと。
「ぼくは死が嫌いなんだ」
沈黙。
「死ぬくらいなら戦いたまえ。ぼくと一緒に」
彼女が銃を俺に手渡す。その銃は今でも俺の手にある。此処から今日に至るまでの全ては、何もかも未神がくれたのだ。
「依途空良。今この瞬間から、きみが主人公だよ」
俺の死も退屈も、この日こいつが殺したんだ。
こうして見る走馬灯はどれもあいつのことばかりで。俺にはきっと未神の他に何も無かったのだ。
更なる過去へ。
次に見えたのは……俺だった。
「…………」
蟬の泣く夕暮れの公園。
今より幼い俺がベンチに座ってスマホをいじっている。多分、中学生の頃だった。もう捨てたTシャツを汗で濡らしている。
いつの間にやら、こんな昔まで遡ってしまったらしい。
「なぁ」
俺はつい、隣に座って声を掛けていた。聞こえるかも分からないのに。
「ん?」
「俺」は反応を返した。少なくともここでは俺が認識されているらしい。
「お前、依途空良か?」
「そうですけど。おっさん、だれ」
おっさんと来たか。中学生から見た高校生ってそんなもん……いや、俺が老けてるのか。
「俺もな、依途空良なんだ」
「はぁ?」
「信じられないかもしれないがな、未来から来たんだよ」
胡乱な目で見られる。自身にそんな顔をされたことのあるやつは俺くらいだろう。
「……忙しいんで。失礼します」
「待て」
「いやです」
「よく見ろ。俺の顔、よく似てるだろ」
「…………確かに。老けてるけど」
中学の俺はこうも生意気だったろうかと思って虚しくなる。……が、よく考えたら未来のお前だとか声を掛けてくるやつがいたらこうもなるかもしれない。
「……でも、似てるだけかも」
「じゃあそうだな。一つ、言い当ててやるか」
「ん?」
「今、同級生の女子に告白しようとしてたろ?」
途端、やつが目を見開く。
「ま、俺からすれば過去だからな。それくらいわかるさ」
「……本当、なのか」
やっと信じたようだった。疑り深いやつである。
「不思議なこともあるんだな」
「まぁたまにはそういうこともあるだろうよ」
「どうして過去になんかやってきたんだ?」
「さぁな。俺も知らん」
「……普通そういうのって、未来を変えるためにやってくるもんじゃないのか」
「映画の見過ぎだ」
自分で言っておいて、大して映画なんて見てなかったと思い出す。もうすぐ日が落ちるってのに風は熱いし蝉は延々と鳴き続けていた。
「なぁ、それならこの後どうなるかも知ってるんだろ」
「ん?」
「だから告白がどうなるのかだよ」
確かにそうなる。当然だが、この愚かなガキの告白の結果を俺は知っていた。
「まぁそりゃあな」
「教えてくれよ」
そいつにとって切実な疑問だった。そりゃ誰かが知っているのならぜひにでも聞きたいだろう。
俺は知っている。その始まりそうだったラブコメが始まることは決して無い。寧ろ、それから今に至るまであらゆるラブコメは失われる。
今俺は何年もの絶望を味わうかどうかの分岐路にいた。
「…………」
簡単だ、こんなのは。素直に伝えてやればいい。お前が好かれることはないのだ、と。そうすれば俺はこんな嫌な思いを何年もしないのだから。これが現実である確証は無いが、万に一つそうかもしれないのだから。
「答えろよ」
「そうだな……」
でももし、それで未来が変わったら。未神に会うことも無くなってしまうのではないか。思春期同好会に入らなくなってしまうんじゃないか。
……いや、そうだ。屋上から飛び下りることも無くなる。未神と出会うこともない。
「……まあいいや。大体わかった」
「え?」
「上手くいくならそんな難しそうな顔で黙らないだろ」
俺が喋るより先に見透かされていた。未神にもよくそうされる辺り、俺は相当分かりやすいらしい。まぁ、バレちまったものは仕方が無い。
「ああ。お前の……いや、俺の告白は失敗する。それもまぁ、結構酷い振られ方をする」
「憂鬱だなぁ、そりゃ…………」
「先に聞けてよかったろ?」
「まあな」
もう一人の俺はベンチにぐったりと背をもたれて溜息を吐いた。この頃から俺も大して変わらんなと思った。
「まぁ、それでも告白するんだけどな」
「…………は?」
やつが馬鹿なことを言い出した。暑さで頭がやられたのか。
「言ったろ、失敗するんだぞ」
「その上でやるっつってる」
「…………馬鹿なの? お前?」
「うるせーな。俺が馬鹿ならお前もだぞ!」
「いや違うな。俺は失敗するって分かってたら告白なんかしないからな。馬鹿じゃない」
頭の悪い言い合いを始める。
「いや、馬鹿だね」
「なんだと」
「俺は告白するぞ! 何故ならその方がかっこいいからな!」
…………ああ。こいつは、いや俺は。救いようの無い馬鹿だった。かっこいい? 何言ってんだ。俺ほど格好悪い人間はいない。
それなのに…………それなのに、一瞬こいつがあまりに羨ましかった。正しいとすら思えた。
少なくとも俺よりも、こいつの方がかっこいい。人の好意から逃げてる自分を理性的だと思ってる俺より。
「…………そうか」
「何だよ、止めないのかよ」
「ああ、止めん。せいぜい爆死しろ」
「まだまだ若いからな。一回くらい大丈夫だろ」
分かったふうな口を利く。
思えば、俺はこれくらい馬鹿で勢いで生きてるようなやつだった。これといった能力も経験も無い、努力をしているわけでも無かったけれどそれでも謎に自信だけがあった。
それを世間的に愚者と呼ぶことも、当然知るはずもない。
嘲笑って然るべきのそれが眩しく思えたのは、今の俺がそれより愚かだからだろう。
……だから、止めない。その代わりに少しだけ話しておいてやることにする。
「…………暫く、いや長いこと辛いかもしれないけどよ。お前の手を取ってくれるやつがいる。絶対にいる」
「そうなのか?」
「ああ。そいつの手は絶対に取るんだ。離すなよ」
「おっさんは? 取ったのかよ」
痛いところをついてくる。他人の揚げ足ばかり…………って、自分だったな。
「…………これから取るさ」
「何だよ、情けねぇな」
その瞬間、世界が薄れ始めた。時間なのだろうか。
「もう時間らしい」
「延長は?」
「出来ないようだな。……ま、あんまり気張らずに生きろよ」
「おっさんこそな」
いつの間にかガキの姿は消えていた。