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ベッドの上。退屈な休日。

「……」

昨日の炒飯騒動が嘘のような、穏やかな時間。空は青いが別に外に出る気にもならない

特にやることもなく、いつか読んだ古臭いライトノベルをパラパラとめくっていた。昔それなりに流行ったような、そうでもなかったような、時代の徒花。

馬鹿馬鹿しい名前の付いた妙な部活。そこにいるエキセントリックな女。現れる敵、障害。定期的に挟まれる低俗なサービスシーン。最終的には、何だかんだ主人公とヒロインが発情しくっついてハッピーエンド。

ベタだかベターだか知らないが、かつてあまりにもよく見た要素と展開を敷き詰めたこの一冊は時代を象徴しているようにも思えて、最早神話だとすら思えた。

物語というのは、基本的に人々の欲求を満たしてやるためのものである。神話は信者の、ラノベはおっさんの、芸術は高尚ぶりたい誰かを満たし肯定しペニスを扱いてやるためのものだ。どんな物語もそうだ。

つまるところこのラノベを読んでいた元若者たちは求めたのだ。素っ頓狂なファンタジーや、自らの秘められた能力や有能さ、そして誰にも心を開かないヒロインが自分だけを好んでくれることを。

それは馬鹿馬鹿しいようでいて、どこか切実だった。みんな欲しいものがたくさんあるのである。そんな中で何が一番欲しいかと言えば、そりゃラブコメだ。可愛い子に好かれたかったのだ。だから物語の締めは敵の撃破でも障害の突破でもなく、ヒロインとの新たな日常なのだろう。

好かれたいという欲求と、いつか俺も好かれるはずだという幻想がそこにある。

思えばこんなラノベはもうあまり見なくなった。単に流行りが過ぎただけとも言えるが、きっと別れたのだ。こんなあまりに都合の良い夢みたいな話が馬鹿馬鹿しくなってしまった人々と、更なる都合の良さが許される異世界へ旅立つ人々に。

いつも思うことだが、俺のこの3年間はそんな古いラノベによく似ていた。謎の部活に謎の女、世界の運命を決めるような戦い。ある一つの要素を除けばその殆どが現実に網羅されていた。随分俺は恵まれている。生きていてつまらないということがない。

けれど一つだけ違うのは、俺のこの日常にラブコメは無いということ。

異世界に旅立つ訳でもない。全てを夢みたいな話と笑うわけでもない。けれど、「好かれる」という神話はもう信じられるはずもなかった。


広げた偽典はちょうどヒロインが主人公に想いを告げようとしているところだった。投げ捨てる前に、スマホがぷるぷると震える。

「もしもーし」

夜海だった。

「はい」

「ねぇあきらっち。今日ひまー?」

「用件によるかなぁ」

昨日の今日ですぐに連絡があるのに驚いた。向こうは結構ヒマそうである。

「んー、あのね。海行きたいなって」

「海?」

「うん」

「なんで?」

「このまえあきらっちがおっぱいで喜んでたから、好きなだけ見せてあげようと思って」

これにのこのことイエスを言おうものなら尊厳の重大インシデントが起こる。父親のAVとかと同じである。

「人を色欲魔みたいに言うのはよしてくれ」

「いいんだよぉ照れなくて。人類みな色欲魔なんだって」

俺どころか人類の尊厳まで嘲笑っていた。ギャル怖い。

「ほらほら。ただで半裸見れるんだよ? お得だよ? 来ないと損だよ?」

今度は消費者心理にまで訴えてこようとしてくる。たしかにそう言われると行くべきのような気がしてきた。

「ほらほら〜世のおじさんたちはお金払ってまでおっぱい見たくて仕方ないんだぞ〜」

「…………」

「胸は見ても見なくてもいいからさっ、一緒に海行こーよぉっ」

「……だいたい、どこの海?」

彼女が述べたのは、ここから電車で3駅ほどで行ける近場だった。行けないことはない。

「今さ、桜が海に散っててすごい綺麗なんだっ」

確かにそれはとても綺麗そうだった。この異常気象下で無ければありえない、今後拝めるか分からない現象である。

「……分かった。駅に集合で良い?」

「えへへ、やった。駅に13時ねっ!」

そういうわけで昨日の妙な疲れの抜けないまま海になんか行くことになった。海なんかあらゆるレジャーの中で一番……山の次くらいに疲れるのだが、そう決まってしまったので仕方無い。

どこかにしまった水着を掘り出して、家を出ることにする。

「あれ? あきら? どっか行くの?」

「海」

「え? 海?」

訝しむような視線の後、頭上に電球を光らせた。

「あ、昨日の子たち?」

「何で分かる」

「だって一人で海行かないでしょ」

「あるかもしれないだろ、そういうのも」

「一人ならお姉ちゃんも一緒に行きたいなっ」

「…………昨日の二人と一緒だ」

「ふふふ、最初から素直にそういえば良いのだっ」

靴紐を締めて立ち上がる。

「じゃあ行ってくる」

「お夕飯食べてくるなら教えてねー」

玄関を出る。駅を目指した。




陽の照る砂浜に、終わりのない空と海。桜吹雪が波に飲まれて消えて行く。現実と呼ぶにはあまりに美しい光景がそこにあった。この時期に海で遊ぶなんて発想は無いのか、俺たちの他には誰一人客はいない。

「……何でお前がいるんだ」

「部員同士が不純な親睦を深めようとしているらしいと聞いてね。補導に来た」

普段と違うパーカー……ラッシュガードと思しきそれを着込んだ未神がそこにいた。

「不純な親睦ってなんだよ」

未神が首の動きだけで何かを示す。そちらには青いビキニを着た夜海がいた。両胸が主張しつつ、程よく健康的な足腰が伸びている。ひどく刺激的だった。

「ああいうのだ」

「じゃあ純粋な親睦って何だよ」

「ぼくとの親睦だ」

何を言ってるんだ、お前は。

「えへへ、あきらっち。おっはー!」

水着のまま夜海が抱きついてくる。水着の谷間……生身の胸や腕が俺に纏わりついた。

「ほらほら、生乳だぞーっ」

「ちょっ、離れろって……」

必死に慎吾ママを浮かべて煩悩を発散する。

「その上無料! タダ乳だよ、タダ乳?」

……だめだ、クソ! 慎吾ママが負けるッ! 乳房で潰れるッ!

「…………」

未神が母親の同人誌でも見つけたような顔でこちらを見ていた。

「みかみんはね、わたしが呼んだんだ。あきらっちもいた方が嬉しいでしょ?」

どのように答えるべきか迷って沈黙していると、未神の視線が更に険しくなった。同人誌はBLものだったようだ。

「ああ、嬉しい。ものっそい嬉しい」

「だって。感謝してね、みかみん」

「……そうさせてもらうよ」

何か二人の間に火花が散った気がした。……例の核弾頭か?

「……よーっし、じゃあ遊ぶかぁっ! えいえいおーっ」

夜海が腕を高く掲げる。胸が揺れた。

「あきらっちも、おーっ」

「お、おー」

「みかみん?」

「おー」

二人で夜海に腕を引っ張られる。結構な馬鹿力だった。

「ばっしゃーんっ!」

そのまま海面に顔から突っ込んだ。

「うう……」

どうにか顔を上げる。桜の海が間近にあった。

「って、いきなりはやめてくれよ」

「だって早く遊びたいしーっ」

夜海の身体が濡れていた。腕から雫が垂れている。

「……未神は?」

夜海の向こうを見ると未神が平然と水面に立っていた。

「なにそれっ! みかみんすごい!」

「おい未神、目立つから止めてくれ」

「…………だって。泳げないし」

「へ?」

「水、嫌い」

意外だった。こいつにも弱点があるのか。

「聞きました? あきらの旦那?」

「ああ」

夜海が顔を寄せてくる。

「やることは一つっ」

夜海が素早く未神の後ろに回り込み両腕を押さえる。

「さああきらっち! やってしまえーっ」

「な、は、離せっ」

未神が細い手足をばたばたと暴れさせる。やはり夜海はパワータイプらしい。両掌を海中に沈める。

「や、やめろ親友! 裏切るのかっ!?」

「海に来て濡れない馬鹿がいるものかっ」

思いっきり海水を未神にかける。

「わっ」

もっとかける。

「わわっ」

更にかける。

「うわあーっ」

…………何をやってるんだ。俺は我に返ってやめることにする。

「あきらっち、なにやめてんの! 裏切りものーっ」

「……依途くん。きみがそんな人間だとは思わなかったよ。裏切りもの」

……何で双方から口撃されなければならない。

「そろそろはなせっ、その脂肪をぼくに押し付けるなっ」

未神がまた暴れている。

「だいたいみかみんさー、そんなラッシュガードなんか着ちゃって。海だってのに、それじゃあきらっちに見てもらえないよ?」

「うるさいっ、そんな性欲で釣るような下品な真似……」

暴れているおかげでバシャバシャと水が跳ね、会話は聞き取れない。

「もー下品だなんて。みかみんだってあきらっちのことやらしい目で見ないの?」 

「ぼ、ぼくはそんなこと……」

「………………えいっ!!」

目にも留まらぬ早業。未神の拘束が外れたかと思うと、ラッシュガードのファスナーが外れていた。

「……なっ!」

未神の水着が露わになる。白い肌、腰回りがわずかにくびれていた。何と形容して良いのか知らないが、スポブラみたいな感じだった。

「あれっ、あれっ?」

ファスナーを閉め直そうとして混乱している。だがそれは今夜海の手元にあった

「あっれー? みかみん、意外と大胆?」

「き、きみに言われたくない!」

「だってわたしはそういう要員だし」

こちらの視線に気が付き、未神が無理矢理ラッシュガードで肌を覆う。親の仇を見る目でこちらを見ていた。

「……なぁ、夜海。直してやってくれないか?」

「みかみんが単に肌を見られたくないだけならそうするんだけど。そういう訳でもないからねー」

理由はよくわからないが、ファスナーを戻してやる気はないらしい。

「よしよし。みかみんの面倒も見てあげたし、遊ぶぞーっ」


それから夜海を中心に暫く海で遊んだ。桜と海と女の子。実に絵になる取り合わせである。

海になんか来るのは随分久しぶりで、友達と来たのはもしかすると初めてのような気もした。水中で動いた後の妙な疲労感はあるものの、結構満足していたのだ。

桜の木を見やると、いつの間にか花びらは半分くらいに減っていた。これだけ景気よく散らせばそうもなろう。妙に長いこの春もいつか終わりが来るのだ。

「じゃじゃーん!」

夜海が見せびらかしたのはネットとポール、そしてボールだった。

「どこから持ってきたんだ、これ」

「どこでもいいでしょ。…………思春期同好会女子ビーチバレー最強決定戦をここに開催するっ!」

俺の質問を無視して夜海が叫んだ。

「はぁ。ぼくもう疲れたんだけど」

呟く未神。いつの間にやらファスナーどころかラッシュガード自体消えていた。どこ行ったんだよ。

「優勝賞品はあきらっちね」

「……へ?」

「今日一日独り占めってことで」

「おい、勝手に決めるな」

夜海がまた未神の首に腕を掛けて、何か話し始める。また内容は分からない。

「ねぇみかみん?」

「……なに?」

「みかみんにとっても悪い話じゃないでしょ?」

「……そうかもね」

何かの合意を得たのか二人でコクコク頷き始める。夜海がこちらへ振り返った。

「はーい! 優勝賞品はあきらっちに賛成のひとーっ」

女子2人が手を挙げる。

「はい、総票数の2/3が集まったので決定でーすっ」

「それはズルだろ」

「ずるくないよ、依途くん。ずるくない」

数の暴力によって決まってしまった。民主主義の腐敗ここに極まれり。

「じゃあ審判はあきらっちね! 会場設営開始ーっ!」


暫くして砂浜にポールが2つ、間にネットが張られた。迷惑極まりないが他に客もいないので許してほしい。

「さーいくよーっ」

夜海がボールを上空に放り、跳び上がる。ジャンプサーブ……いや、掌じゃない、拳をボールに叩きつけていた。

「おらぁッ!」

強烈な角度から放たれる一撃。やはり夜海はただのギャルじゃない。一般人に拾い上げることのまず不可能な弾丸が砂を叩こうとしていた。

……が。相手は未神なのだ。次の瞬間にはその地点に現れ、ボールを蹴り上げていた。

「ボール、何回触れて良いんだっけ?」

「……3回」

夜海は弱いわけじゃない。身体能力も一般人類の中では高い方だろう。が、この勝負はやる前から決まっている。……未神の能力は人のそれじゃない。

やつはふわりと宙に浮かぶと、2枚の大きな翼を背から伸ばす。髪が銀色に染まる。…………水着の天使がそこにいた。

「そんなにいらないね」

「おい未神ッ! 待て!」

やつが掌を前に突き出す。その先の空間をちょうどボールが通過する瞬間、光が瞬いた。

「!」

光が失せる。粉々になったネット、抉れた砂浜。そして破裂したボールの残骸が夜海のコートに散っていた。

腰を抜かした夜海が近くに座り込んでいる。

「ボールはそちらにあるようだね。ぼくの勝ちかな?」

「…………」

彼女は目の前に起きた現象を認識しかねているらしい。破裂したボールを見つめてバタリと倒れた。

「馬鹿言え。反則負けだ」

「……え?」

未神の羽と神が元に戻っていく。 

「依途くん! それはあまりに卑怯じゃ……」

「ネットごと吹き飛ばすやつが卑怯を語るな」

「……」

「無闇に力を使うな。そう約束したはずだよな?」

かつて、未神とそう約束したことがあった。そもそもは俺のために力を使ったことに由来するが…………

「夜海ー! 大丈夫か!」

倒れた夜海の方へ歩み寄る。未神は何も言わなかった。




「ん…………?」

夜海が瞼を開く。

「あきらっち……?」

「起きたか」

夕焼けの砂浜。桜の海に夕焼けというのは盛りすぎな気がする。

「ああ。バレー、負けちゃったんだっけ?」

「いや。あいつの反則負けだ。無闇に力を使うなと約束してたからな」

「約束かぁ」

夜海が起き上がる。砂が肌を伝って落ちた。

「膝枕ぐらいしてくれてもいいのに」

「法に触れるからな」

「なんの?」

「迷惑防止条例とかそういうの」

「なら、法律変えなきゃね…………あ、みかみんは?」

「へそ曲げて帰っちまったよ」

「……そっか」

夜海が何か呟いたが聞こえない。

「本当は自力で勝つつもりだったんだけどなぁ」

「そりゃ無理があるだろ」

「実は昔バレーやってたことあるんだよね」

初耳だった。

「結構運動能力は高いほうだからさ。頑張ったらそっちでご飯食べられたかもしんないけど」

「でもやめたのか」

「うん。わたし、体育会系きらいみたい」

彼女が身体を寄せてくる。風でも吹いたのか、近くの草むらが揺れた。

「思春期同好会に入ってまだそんなに経ってないけどさ。こっちのほうが楽しくやってける気がしてるんだよね」

「……」

「譲れないから争ってるけど、みかみんは結構好きなタイプだし」

「そうなのか?」

「うん。一途なのもぴゅあっぴゅあなのもかわいいし、多分わたしが男の子なら好きになってた。……それとね」

「ん?」

「好きな男の子といられるのが一番いいかなぁ」

夜海が身体を擦り付けてくる。見た目の印象ほど強くない香り。

「おい、離れてくれ」

「やだね」

更に強く彼女の腕が俺を繋ぐ。

「あきらっち。わたしと付き合って」

鼓膜を震わせる音声。その意味を反芻する。何度かそうしてみると、どうやら彼女は俺に交際を申し込んだようだった。

「だめかな」

ならば俺に返すべき言葉は何か。少しだけ時間を掛けて、小さな脳味噌が答えを出した。

「おかしな冗談はやめてくれ」

「冗談なんかじゃないっ」

「……何故そんなことを言うのか分からんが、好きでもない男に告白しちゃいけない」

「好きだからしてるのっ!!」

彼女は叫んでいた。分からない。何が夜海をこうさせているのか。

「……何で嘘だなんて思うの」

「当然だろ。女の人が俺を好むはずがないじゃないか」

「じゃあわたしはなにっ!?」

「分からない。嘘をついているのか、冗談を言っているのか、何かを演じてるのか。さもなければ俺を誰かと間違えてるのか」

「…………」

みるみるうちに彼女の表情が歪んでいく。

「もしかすると、俺が何か勘違いをしているのかもしれない。気を違えてるのかもしれない。

何にせよ、俺が好かれることは有り得ない」

「どうして……そんなふうに考えるのかな……」

「どうしても何も、自分が好かれると思うほうが異常だろ」

彼女をそう諭すと、草むらから何かが飛び出てくる。猪か何かだと思って振り向くと、そいつは俺の胸ぐらを掴んで頬を思い切り叩きやがった。

「…………何だよ」

「きみはいつからそんな人間になった」

未神。烈火のような表情で拳を握っている。

「答えろ。いつからそんな人間になったッ」

「何が言いたいのか知らないが。俺はずっとこういう人間のつもりだぞ…………お前と会った時からな」

「ぼくの親友を侮辱するな」

「そんなことを言われてもね」

俺はこの顔を知っている。歯を食いしばり、自らの発動できるはずの力をどうにか押さえようとしているのだ。……いつか、俺がやられたときにもこの顔をしていた。

「違う。きみは他人にさして興味の無いふりをしながら、いつだって人の心に思いを馳せていた。他者を傷つけることを恐れていた。この前ぼくと出かけた時もそうだ。

…………いつからそんなに人の気持ちを理解しようとしなくなったんだ」

「他人のことは知らん。俺は俺のことを知っているだけだ。身の程を知っている。分を弁えている」

「なにを…………」

「親友よ。お前も見れば分かるだろう? こんな人間を女性が好きになるはずはないんだ。そんなことを言ってくるとしたらそいつは画面の向こうか、俺の都合の良い妄想でしかない」

未神は沈黙していた。俺の言動の意味を図りかねているようにも見えた。

「……親友。ぼくはきみのことをもっと分かったつもりでいた。間違えてたよ」

「仕方無いな。他人のことを理解なんて出来るわけが無い」

夜海は涙を流していた。未神は唇を噛んでいた。彼女たちが何故こんなことを言ってきたのか、俺には分からない。

仕方が無い。他人のことは分からない。

けれどきっとこいつらが不快そうなのは俺のせいなのだろうから、俺はさっさとその場を立ち去ることにした。

ふと、今日の朝読んでいたライトノベルのことを思い出す。あんな古びた神話が今更繰り返されるはずもなかった。


ラブコメディの成れの果て


部室のドアを開く。

いつもと変わらない部屋の中に、普段と違う様子のあいつがいた。

「よぉ」

「おはよう、依途くん」

声色こそ聞き慣れたそれだが、表情は違った。薄く微笑んでいるようなやつのデフォルトの柔和な表情に、怒りや憎悪といったアクセントを一滴だけ垂らしたような、そんな顔をしていた。

般若面は脱いだのか、と軽口を言いそうになったがどうにかやめた。喧嘩をしたいわけではない。

「それで、話っていうのは?」

部屋にいるのは未神だけで夜海はいなかった。教室でも姿を見ていない。休んだのだろうか。

「言わなくてもわかるだろ。昨日のことだ」

努めて冷静にそう述べているようだった。

「事情聴取だよ」

「昨日話した通りなんだがな」

「まず聞きたい。夜海さんには謝ったの?」

「いや。していないが」

未神がまた昨日の顔に戻りつつあった。

「なぜ」

「なにをどう謝れっていうんだ」

「……彼女を傷つけた、という自覚もないのか」

「ある」

「なら何で謝ることすらしないんだっ!」

結局怒鳴るあいつを見て溜息を吐きたくなった。

「そう言われてもな。だから何を謝ればいいのかさっぱり分からんよ。泣かせてしまったのだから、何かしら精神的動揺を与えてしまったんだろうということくらいは分かるが」

溜息を吐いたのは未神だった。

「……昨日たまたまきみがおかしくなってしまっただけで、今日になればいつものきみに戻ってる。そう思いたかったんだけどな」

俺はずっとこうだ。昨日だってそうというだけなのだ。

「……彼女はね。きみに告白をしたんだ。それはわかる?」

「まあそう聞こえるな。何でそんな冗談言ったか分からんが」

「冗談じゃない。全て真実だ。彼女は好きでもないのに好意を告げるほど愚かじゃない」

「いいやつだとは思うが……それはそれとして告白は事実じゃないな」

なぜ彼女があんな告白擬きをしたのか、それは分からないけれど。

「それはきみが決めることじゃない!」

「いや。もう決まっている。俺が好かれるなんてのは物理的に有り得ないからな」

「どうしてそう思う……?」

「理由なんてない。そういうものだからだ」

自明の理は証明する必要もない。わざわざ呼び出して話をされたところで、昨日と同じ会話を繰り返すだけだった。

「自身が非論理的な言動を取っている自覚はある?」

「無いな。女性が俺に対し好意を吐露するとすれば、そこには何かしらの誤認があるか、何かしらの利益の為の演技か、冗談か」

「それが非論理的だって言ってるんだっ!」

「やめてくれよ。喧嘩したい理由は俺には無い。……だいたい、何でそんなに怒ってるんだ」

未神は色恋やらにそう関心のある方ではなかったはずだ。

「俺とお前の付き合いだ。夜海だって部員だしな。だからお前と無関係とは言わんが、かといってそこまでお前が気にすることか?」

「…………なぁ、依途くん。もしもぼくがきみを好きだと言ったらどうする?」

また何か、昨日夜海と話した時のような違和感を覚えた。怒りだか喜びだか絶望だか言語化のできない感情が渦巻いて、脳が拒絶を示す。

「どうもしないさ。お前でも冗談の1つや2つ、別に言うだろう」

「違う。本気で言っている。本気できみに好意を告げている」

「やめてくれ。お前までそんな馬鹿なことを言うのか」

全く。夜海にしろこいつにしろどうしてしまったというのか。この世界がおかしくなってしまったことに関係でもあるのだろうか。

「なぁ未神。こんな説教をお前にしたくはないが、好きでもない人間に好きだというのは非倫理的だ。褒められたことじゃない」

「…………」

「しかし、どうしたんだ。お前も夜海も。男遊びがしたいならもっとマシなツラのやつがいるだろうし、承認欲求だってなら……」

視界が揺れる。天井と馬乗りになった未神が映った。

「きみはこの3年間を否定するのか?」

「ああ?」

未神の表情にあったのは、殺意とすら言えそうな程の憤怒だった。

「ぼくの3年間を、きみは…………」

「俺は楽しかったぞ、親友」

彼女の髪が白く透く。蒼い波動、辺りの空気が揺らめいていた。かつて世界と俺とを救った翼は今俺への怒りに震えている。

「なぁ、どうしたらいい。きみという人間を理解するには」

…………いや。涙だった。怒りを浮かべながら、あいつは泣いていた。

「無理だ。他人だからな」

全く憂鬱である。怒鳴られるのも嫌だが、泣かれるのは更に責められているような気分になるのだ。

そうされるくらいならのこのこ部室になんか来なければよかった。

「……話が終わったならどいてくれ」

「…………」

「お前が俺をどう思うかも、どうするかもお前の自由だ。腹の底から苛立って仕方ないなら殺してくれても良い。

だが、俺という人間は変わらない。どうにもならない。諦めてほしい」

そのとき未神の表情にあったのは多分、絶望とかそういうのだったと思う。けれど俺がどんな顔をしていたのかまでは分からない。

窓の外。桜はとうに散っていた。




暗い部屋。

視線の先には真っ黒な天井が有るが特に何も見てはいない。ベッドの上に寝転んで石のように固まっていた。自分が今正気なのかそうでないのか、或いはこれが現実なのかさえふと分からなくなるようなそんな感覚がした。

ぼんやりとした思考の中に、うっすら浮かぶ要らない記憶。

他人のことも自分のことも分かってない馬鹿なガキ。別に思い出したい理由も無いのに、そいつは勝手に湧き出てくる。もう脳みそに焼き付いてしまっているのだ。

暴れ出したいような気持ちになって、でもそんなことに意味がない事は知っているから、ただ唸った。やはりいくらそうしても、そのくだらない記憶は消えずに浮かび上がる。

……そいつは中学生だった。普通のガキだ。これといって取り柄の無い…………いや、一般よりも劣った中坊だった。見目とか活力とか、どっかにあったらしい校内の序列とかな。

んでもってそいつはよく話す女子がいた。これと言った変哲の無い、普通の子だ。話すのは何てことのない、天気がどうとか成績がどうとかそんな意味もないけど害もない話。けれどまあ、その子にとっては無意味でも女子と話すことのないそいつにとってはそうでなかったわけで。

好かれたことのない人間は勘違いをしやすい。そいつも例外ではなく、その女子に好かれているのではないかと狂った発想に至った。更に好かれたことのない人間は、好意を寄せられていると認識した相手を好きになりやすい。まあ一般的な傾向だと思う。

そしてあろうことか、そいつはその女子に告白した。交際して欲しい旨をメッセージで送ったのだ。何と愚かしいことだろう。もはや過去恥部(ラブコメディ)の擬人化である。しかし、今思えばこれが電話か口頭だったらこの後のことは起こらなかったのだ。

男が返信を待ちながら某SNSを見ていると見覚えのある画面が映った。実に最近見たはずの画面だったが、だがしかしそれはパーソナルでないネット上で見るはずのない表示だった。

信じられずに何度か見直してみたが、それはやはり俺の送った告白であるようだった。

たっぷり三十分ほどして、俺は事態を把握した。

俺の送った一世一代の大勝負は「オタクキモい 困る」との文章付きでインターネッツにスクショが投稿され大いに拡散、バズりにバズっていたのだ。いいねが10万ついていた。

その後はインターネット男女論ジジイ・ババアに目をつけられ格好の題材となった。止めときゃいいのに中坊のそいつはそれらを読み漁った。

延々と思考を繰り返しながら学校に行けば、その一件についてからかわれたり気を使われたりした。当然クラスにも知れ渡っていたようだ。仕方が無いので笑って返してやることにした。当然と言えば当然だが、その女子と話すこともなくなった。向こうも可哀想である。

それから、そいつは反省した。自らの言動や考え方を顧みることにしたのだ。慢心や奢り、自意識その他。

今回の件、その投稿への返信やその後一連の論争、今までの人生。それら全てを考えるに、そいつが……要するに俺が女性に好かれること自体、幻想であるのだと判明した。

そんなことは絶対にあり得ないし、あると思ってもいけない。何故ならそれを期待するのは醜いし、他人に迷惑になる。今回の女子だって俺に関わられ気持ち悪いという当然の反応をした結果、批判的な投稿に心を痛めアカウントを削除している。実に申し訳無い。

そもそもの話として、俺のような劣った人間が女性に関わろうとすること自体加害なのだ。もっと早く気が付くべきであった。彼女にも謝りたいが、それも加害だろう。

見目であれ中身であれ、何かしらその他の要素であれ俺は欠陥に満ちている。それ故に異性に好かれることはない、好いてもいけない、自ら関わろうとしてもいけない。そう戒めることにした。今回の件はそういう意味で、俺にとって学習の機会ではあったのかもしれない。

それから暫くして高校に上がり、未神と出会った。

変なやつだった。世の悲しみを全て自分のことのように受け止めるような。

だが良いやつだった。俺を笑いも拒絶もせず、友と認めてくれた。共に戦ってくれた。そして、ライトノベルみたいな大冒険をくれた。主人公にしてくれた。

俺はやつに心の底から感謝している。幾ら感謝してもしきれないほど。未神がいなければこの3年間に何の価値も無かっただろう。俺の手に入れられないはずの全てを、あいつがくれたのだ。

もしいつか、あいつが死ぬ日が来たとしたら俺はあいつの墓を磨き続けるだろう。俺が死ぬならば、遺書にやつへの感謝を綴るだろう。

……そんなあいつを泣かせたのだ。それはどんなことよりも重い罪だ。しかし全ての結論はとうに出ている。覆ることはない。

「…………」

銃。3年間共に戦い続けた、もうひとりの相棒。矛盾から逃げる方法はこの他にない。

それ強く握りしめて、先端を頭に押し付ける。暫くそうしている。


どれだけそうしていても、結局引金は引けない。部屋の隅に放り投げた。明かりを付ける為に起き上がるのが面倒で、暗闇に寝転んだまま再び思考は渦巻いていく。

「……ラブコメディには遅すぎる」


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