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帰り道。街は夕焼けに染まり、紅い空を桜が流れていく。暇人はさっきより増えていた。

「ちょっと、夜海さん。そろそろ離れてくれると……」

「えー、だってまだ怖いし……」

夜海さんは未だ俺の腕を抱えながら歩いている。反対側に未神が歩くことで何か妙な階段みたいになっていた。

「ごめんね、怖いもの見せて」

「ううん。怖いけど、新鮮で楽しかったし」

どうもそれも嘘では無いようで、彼女は笑顔でそう答える。

今日も呑気に廻る街を見渡すと、やけにカップルがイチャコラしていた。発情しているのはうちの高校だけでもないらしい。傍から見れば俺も中々世間体の悪い並びをしているかもしれないが。

「でも、3年前からずーっとあんな敵と戦ってるの?」

「うん」

「2人で?」

「そうだね」

「かっこいいなぁ……」

そう言われると照れる。何せ言われたことが無い。

「正義の味方ってやつ?」

「そう言えるかもね」

「未神ちゃんが主導なの?」

「うん、部活を作ったのはぼく。彼は後から入ってきたわけだけど……志を共にした大切ななか……」

「まぁ下僕みたいなもんだ」

ふんふんと夜海が頷いている。何故か未神がこちらを睨んでいた。

「そっか……3年も一緒にいたんだね」

「うん。3年もいた」

食い気味に未神が答える。さっきから何か様子がおかしい気がするが、どうしたんだろうか。

「……ねぇ。違ってたら笑ってほしいんだけど」

コンクリートの床を蹴って、彼女は小さく問うた。

「……二人って付き合ってたりするの」

妙な質問をするな、と思った。何が彼女にそう思わせたのだろうか。

「ふむ。その付き合うというのは言うまでもなく男女交際を意味するだろうがぼくと依途くんはそのような爛れた関係にこそ無いものの互いの信頼も友情もあらゆる恋人たちより深いのは言うまでもないことなのだからこれはもう恋であり愛であり未必の恋でありつまり恋愛感情以上の関係であると言っても過言ではないと考えるのが妥当だとい」

「付き合ってないですよ」

可能な限り簡潔にそう答え、遮った。誰かが何か熱く語っていたような気もするがまぁ虫の鳴き声か何かだろう。

「俺に恋人がいるわけ無いでしょう、はは」

「あーそっか、そうだよね~、えへへ」

未神がまた何か言いた気な顔をしている。何を言いたいのかは知らないが。

「よし。決めた」

「?」

「やっぱり思春期同好会、入ります!」

威勢の良い笑顔で彼女がそう言った。

「お、そうですか。歓迎しますよ」

俺も可能な限り笑顔で返す。

「……いいの? また今日みたいな、怖いこともするけど」

「うん! あんまり役に立たないと思うけど……よろしくね!」

未神が微かに息を吐く。溜息のようにも聞こえた。

「あ、わたしの家こっちなんだ。また明日ねーっ!」

夜海さんが笑顔で手を振り走り去っていく。元気な背中が遠く消えた。

「まさか4年目にして新入部員とは驚いた」

「うん」

「それもいい人そうだ」

「……ううん。本当にいい人だよ」

普段と違う様子でそう呟く。3年越しの新入部員に思うところがあるのだろう。

「よし、俺たちも帰るか」

「……ねぇ、依途くん」

「ん?」

「あえて聞くけど。きみは女の子が好きかい?」

「急に何を言い出すんだ」

「さぁ、なんだろうね」

随分突飛な発言である。

その発言の意図を考えてみるに……そうか、きっと件の想い人のことだろう。卒業式に振られてしまった某である。

一般的に男性が女性を好むのか、というデータが欲しいのである。全く、恋は盲目というやつだろう。自明の理であることすらわからなくなってしまうのだ。

「加えて言うなら……タッパがあって胸とし…………スタイルが良い女性は好き?」

「まぁ嫌う理由はない」

「…………小柄な、平たい子は?」

「そりゃ一般的にでっかいほうが良いだろう」

その回答が何かやつの逆鱗に触れたのか、急に口調の勢いが増し始めた。

「で、でも! そいつは君のことが大好きで趣味も合うし気の置けない仲間で親友だぞっ!」

「はぁ」

「何だ反応が悪いな! よし、ちょっとくらいならいかがわしいことも許そう! その子は心が広いからね!」

「…………」

「まだ足りないのか!? いわば、その……ロリだぞ! 貧乳寸胴つるぺったんだっ! お前の為に世界すら作り変えるような神のロリだぞ!」

貧乳寸胴つるぺったんの語呂の良さはさておき、何の話をしているのだろう。最近こいつの言っている内容の理解が難しい事が多い。一応3年間共にやってきたつもりなのだが……やはり恋というのは人を変えるものである。

とはいえ、そこで理解を諦めるのは少々情に欠ける。少し考えてやることにした。

「そうだな……」

…………ああ、そういうことか。こいつは多分性癖の話をしている。自らのような属性が広く男性に好まれるかを聞いているのだ。これも例の件で喪失した自信を取り戻そうとしているのだろう。

そうであるならば、俺もその気持ちに答えてやるべきだ。

「そうだな。二次元ロリは好きだ」

「…………へ?」

「この前読んだ同人誌は最高だった。お前にも貸そうか?」

沈黙。どうしたのだろうと顔色を窺うと絶句していた。

「……帰ろうか」

「ああ2」

夕焼けが沈んでいく。やけに静かな帰り道が続いた。


…………まずは商業から勧めるべきだったかなぁとか、そんなことを思った。




「おっはー!」

部室の扉が勢いよく開けられる。笑顔の夜海さんがそこにいた。

「死語だね」

「死語だな」

「……死語? 何が?」

何を言ってるんだと言う顔で見られる。…………時代に取り残されているのは俺たちらしい。

「いいから。おっはー!」

「おっはー」

「お……おっはー」

「む、何かあきらっち暗いよー?」

俺の肩を掴んでゆさゆさ振るっている。……夜海さんが入部して3日が経った。いつの間にか俺の呼び名はたまごっちの出来損ないと成り果て、部室にギャルがいるのは日常風景となりつつある。

「ほらあきらっち、おっはー!」

「おっはー!」

ヤケクソである。脳裏に浮かぶ慎吾ママをどうにか消し去りつつ叫んだ。

俺は末恐ろしかった。彼女が入部3日でこういう態度を取っているという事実に。いや、別に無礼とか失礼とかそういうことを言いたいのでは全く無い。

相当変わり者だろう未神や、お世辞にも人に好かれるタイプでない俺。彼女とは価値観や普段見ている世界が違うだろうし、相当関わりづらい人種だと思っていたのだが…………

「よしよし。あきらっちもげんきっ」

この通りである。そのコミュニケーション能力だかメンタルの強さだかで、ほぼカルト集団と化していた我が部をすぐさま制圧してしまったのだ。

間違い無い。俺や未神よりよほどこの子の方が危険だ。

ぐいぐいと押し寄ってきて、そのまま距離を離すことを許さないような無慈悲さがある。……警戒しなければならない。

「それで? 今日は何するの?」

「今日も特にないよ。自由に過ごして」

ワクワクとした様子を隠さない夜海に未神がそう答える。これももう3日目だった。

「りょーかいっ」

そう言って、辺りにある俺たちの漫画を引っ掴んで読み始める。これも3日目だ。

「…………」

要するに、特に何も無い日が3日続いていた。俺はプロットやら企画案を書き、未神がネームや本稿を描き、たまに不機嫌になり、夜海は完成済みの漫画を読む。日が沈めば解散する。

別に何の文句があるわけでもない、俺と未神だけならそれでもいいのだが。新入部員を入れて3日間特に何の活動も無しというのは何か気が引けた。

「依途くん。手、止まってるよ」

「なぁ、何かしないか」

あまりに漠然とした提案が口を衝く。

「……なんか?」

「新入部員を入れて3日もこれだ。流石によくない気がしてな」

「んー。でもわたし、これ読んでるの結構楽しいよ?」

「そうです?」

「うん。素人くさいの、いいよねっ」

相変わらずはっきり物を言う子である。オタクに無関心のギャルはいても、オタクに厳しいギャルはあまりいない。

「まーでも、確かに何かしたいかも?」

「来て貰って暇させとくのも、確かにあんまりよろしくないかもね」

「そうだろ。だから何かしないかと提案したんだが……」

「でも、何を?」

「それが思いつかないからこんな漠然とした物言いをしてる」

実際、やるべきことなど思いつきもしない。というか我々は医者やら軍隊やらと同じで仕事がない方がよろしいのである。

「異界だっけ? あれが出ないときはいつも何してたの?」

「こうして漫画でも創ってるか、授業でも受けてたか」

「授業? ここで?」

「はい。未神がやれ世界情勢やらやれ次の作戦についてやら話すんです」

「生徒は? あきらっち?」

コクリと頷く。共に戦うにあたり、未神は色々俺に吹き込んだのである。曰く、「Need to knowは誠実でない」らしい。博識なのはそうだが、このちびっ子は解説や演説の能力もあるのだ。

「……みかみんって賢いの?」

「うん。賢いよ」

「へー」

あんまり賢くなさそうな会話である。

「でも授業はあんまり受けたくないかなー……他には何かしてたっ?」

「うーん……季節の行事とか?」

「七夕とかだな」

「この時期だとお花見かなーっ?」

花見という単語に夜海さんの表情がぱっと明るくなる。

「花見か。良いかもな」

「うん! みかみんはどう?」

「まぁいいんじゃ……いや」

「どうかしたか?」

「……地べたに座り込むには熱くないかな?」

そう言われるとそうだった。桜の散る割に最高気温は昨日今日と30度近くを記録していて、昨日も地球のご乱心を嘆きながら帰宅したのである。

「確かに花見って気温じゃないかも……?」

一転、夜海さんは残念そうに表情を暗くした。余程悲しいらしい。椅子に背をもたれて、だらーんと上を向く。

「あーあ、なんでこんなにあついかなぁ」

「確かに、異常気象ですね」

未神の方を見る。目を反らされた。

「……まあ、異常気象は人類全体の責任だね」

多分これもこいつのせいだろう。

「2人と仲良くなれると思ったのになぁ」

「…………」

よく考えれば、俺と未神は3年間一緒に一緒にやってきたわけで。そこに新しく入ろうとする人間は本来上手く関わりづらいのかもしれない。

「ん……」

本人が異様な対人接近能力を発揮しているからそう見えないだけで、居心地の悪い思いをしているのでは無いだろうか。そう思うと何か罪悪感が生まれた。

大体、俺と未神、そして夜海さんは基本的にノリも生きる世界も違うだろう。それでも部に入ってくれたのだから、多少なりとも気は遣うべきだったのだ。

「なぁ、夜海さん」

「なーにー?」

「歓迎会、やりませんか?」

一瞬眼を丸くしたあと、彼女が顔を綻ばせる。

「……ほんとっ? うん、やるやるっ!」

良かった。要らぬ気遣いでは無かったようだ。

「珍しいね、依途くん。随分気が利く」

「でも、どこでやろっか?」

「学生が入れるようなところならどこでも。食事代くらいなら払いますので」

「えぇ? でも、そんなの悪いよー」

「いえいえ。こんな部活に入って貰ったので」

見れば夜海以上に未神が目をまん丸くしている。まるでお前にそんな奉仕精神があったのかと言わんばかりだ。

「嬉しいけど、うーん……」

「別に食事でなくても構いませんけど」

「…………あ! ね、あきらっち料理とかできる!?」

「へ? 料理?」

「うんっ! あきらっちのお弁当食べたいなっ! 作れる?」

ふむ、困った。急激に話の流れを変えてきた。

俺は別に料理を作れないわけじゃないし、我らが新入部員が望むなら何か作ってやるのもやぶさかではない。がしかしだ……

「夜海さん」

「え?」

「男が作れる料理は3つだけ。カレー炒飯焼飯、それだけです」

「なっ、なんだってーっ!」

そう。俺の家事は姉のご機嫌取りにたまに行う程度のもので人にお見せできるレベルのものでは無い。調理も同様だ。作れるメニューは限られているのである!

「……って! よく考えたらそれは2種類だっ!」

「はぁ? 炒飯と焼飯は別物だが?」

「え、そうなの?」

「ったりめーだろ舐めんなよ」

「うえーんあきらっちが豹変したよぉー!」

夜海がみかみんに抱き着く。未神が無表情のまま揺さぶられている。ちなみに炒飯と焼飯の違いは卵の有無らしい。

「……ともかく、何か作ろうにもそれくらいなんですが」

「んー。その中なら炒飯がいいかな? ちなみに何の炒飯なの?」

「男の炒飯といえばニンニク納豆葱炒飯と相場は決まっています」

「うへーっ!」

夜海が驚愕している。想像しただけで臭気ダメージを受けてしまったようだ。

「そういうわけです。大体弁当に合うものでもないし、普通にどこかで食事にしませんか?」

流石にニンニク納豆葱炒飯などと脅せば選択を変えようとしてくれるだろう。…………いや、俺にとっては主食だが。

「うーん。確かに炒飯はお弁当だと冷めちゃうし、その炒飯携帯したら異臭騒ぎで警察来そうだしっ……」

このギャル、割と罵倒の語彙が豊富である。

「あ! あきらっちのおうちに行けば良いんだっ!」

「……へ?」

その上思考が突飛だ。手が付けられない。

「あきらっちのおうちで炒飯作ってもらえば良いんだよっ」

この上ない名案が浮かんだかのような表情をしていた。ちょっと待て。それはつまり、この猛獣が家に上がり込んでくるということか?

「ね、いいよね! あきらっちっ!」

「え、あ、うん」

両手を握ってぶんぶんしてくる。勢いに負けて頷いてしまった。……まずい。実にまずい。

「よしっ、決まり。日程はいつにする? 時間何時にする?」

「えっと、そうだな……」

くそ、どうすればいい。このままでは俺のパーソナルな居住空間をコミュ力お化けに踏み荒らされてしまう。どうすればここからこの侵略者を食い止められるんだ。神よ、我を救い給え……

「あー、こほん」

と、何を思ったか未神が神妙な顔をして咳払いする。

「夜海さん、いきなり家に来られると言われても依途くんも困るだろう? だからどこか別の場所の方が……」

神が応えた。こ、これで救われた……

「そっかな? んー、じゃああきらっち。仲良くなったらわたしだけでおうち行っても良い?」

「っ!」

途端、未神が般若のような顔をし始めた。この前の卒業式と同じ……どうしたんだ。

「……決めた。歓迎会は依途くんの家で行うよ」

「えぇっ?」

さっきまでの気遣いはどこへやら、急に手のひらドリルを繰り出した。

「でもみかみん、あきらっちも困るって……」

「これは部長命令だ。部員である依途くんに拒否する権限は無い。速やかに開催可能な日程を提出すること」

神は急激に独裁圧政を敷き始めた。プライバシーなる概念は手のひらドリルに貫かれ、最早俺のパーソナルスペースを守ろうとする者は誰一人いなかった。

「依途くん。返事は?」

「……」

「返事」

「……別にいつでも構わないよ」

陥落。守られるべき聖域への侵略が確定してしまった。人権の二文字は儚くも消え去ったのである。国連は早く俺を助けろ。

その後諸々の会議若しくはトップダウン的絶対命令により次の土曜に俺の家で歓迎会、炒飯3人前が確定した。……夜海さんに気を遣うべきかとか思ったらいつの間にかこれである。慣れないことはするとろくなもんじゃない。

「……ふっふーん、みかみん」

「……どうかしたの?」

夜海さんが未神に絡んでいる。何か話しているようだ。

「欲しいものは早い者勝ちだからね?」

「……随分挑戦的じゃないか」

内容まで聞き取れない。が、仲の良いことは良いことである。

俺はといえば陽が落ちて空が薄明に染まるまで、孤独に土曜に作る炒飯のことを考え続けていた。




そして宿命の土曜日がやってきた。

天気良好、食材万端。普段より早めに起きてイメージトレーニングを済ませておく。

「んー? あきら、早起きだねぇ」

自分の部屋を出ると姉がそう声を掛けてきた。

「ああ。今日は決戦だからな」

「なんの?」

「油と米の、だ……」

階下に降りて冷蔵庫の中を確認する。葱納豆ニンニク、大丈夫全てある。米を洗い、水少なめで炊飯。あいつらが着く頃に丁度炊きあがるだろう。保温は厳禁だ。

座してその時を待つ。黄金色の米粒たちがパラッパラに仕上がるのを思い描いて黙する。

「あきらー? おーいあきらー? 大丈夫ー?」

不審そうにこちらを見る姉を受け流していると、やがてその時が来た。

『ピンポーン』

チャイムが鳴った。時刻は12時。姉が玄関に出向く。

「えーと、どちらさま?」

「依途くんの友達です」

「そっか! 今あけるねー」

おじゃましまーすと声音が2つ聞こえてくる。

「未神ちゃんと……えっと」

「あ、夜海彩夏です。よろしくお願いしますね、お姉さん!」

「うんうん! 可愛い子は歓迎だよー!」

「あはは、そんな可愛いだなんて。おねーさんの方が綺麗ですよ!」

「やーん、口説かれちゃった♡」

夜海がいつもどおりのコミュニケーション能力を発揮している。本当に初対面なのか怪しんでいると、未神と夜海、姉がリビングに入ってきた。

未神は見慣れた私服、夜海は白いシャツにジーパンだった。脚が長い。

「……よく来たな」

「依途くん? どうしたの、何か変だけど」

ハチマキ姿の俺へ未神が疑問を呈する。

「変?……そうかもしれないな」

「あきらっち?」

「今から最強無敵の炒飯を作る。その為の精神集中を行っていたんだ」

姉貴が溜息をつきながら部屋を出ていく。未神と夜海が目を合わせていた。

「精神集中っ?」

「そうだ。生半可な覚悟では至高の炒飯には至れない。その意識が米にまで伝播しベッチャリとした炒飯、略してベッチャーになってしまうのだ」

「ねぇみかみん。何かあきらっちが変」

「さぁ…………」

別に俺は料理人では無い。人の為に炒飯を作りたい理由も無い。が、作らねばならぬのなら全力を以て作る。それだけだ!

「さあ調理を開始する」

「おおー」

台所へ。ガスコンロに鉄鍋。炒飯には必須のアイテムだ。

「先ずは油にニンニクの香り付けをする」

すりおろしたニンニクと一味を弱火で炒め、その間に葱を刻んで卵を溶く。ニンニクと油を適量取り出し、米と混ぜる。この時点でパラパラにするのがポイントだ。

「……炒飯ってあんな作り方だっけ?」

「さぁ……」

卵をアッツアツのパンに載せ、軽く混ぜてから米を投入する。

「ハァーーーッ」

「何か掛け声まで出し始めたよー?」

「依途くん……炒飯に取り憑かれてる……」

ここでフライパンを煽ってはいけない。家庭用のコンロの火力ではNGなのだ。ある程度炒めたら葱、醤油と酒を投入する。そして納豆。

「よし」

火を止め、お椀に炒飯を敷き詰める。更にどっさりと盛った。

「ニンニク納豆葱炒飯一人前お待たせーッ」

「え? 一人前……?」

「2、3人前を一気に作ればベッチャーと化すからな。夜海さん、先ずは貴方が」

「あ、うん」

「先に食べていてくれ。冷めると良くないからな」

「え、でも……」

夜海さんは申し訳無さそうな顔をしている。しかし熱々の炒飯を放置するなんて、そんなことは認められない。

「冷めた炒飯は炒飯じゃない! 今直ぐ食べるんだ!」

「あ、はい」

この日のために用意した客用のレンゲと皿を掴んでテーブルへ。

「未神。少し待て」

「……」

やつは沈黙していた。戦慄いているようにも見える。

「うわぁっ!」

と、テーブルから叫び声。

「夜海さん? どうしたんだい?」

「何だこの炒飯……体が、熱いっ……!」

「当然だ。多量の臭気と滋養強壮食材によってこの炒飯には覚醒作用がある」

「美味いっ、美味いよぉーっ」

更にもう一皿。客人用の炒飯が出揃う。

「もしかして……依途くんが変なのってこの炒飯のせいじゃ……」

「なにか言ったか?」

「いや……」

「ほら未神。出来たぞ」

綺麗に更に盛られた炒飯を眼の前に置く。

「……」

「食べないのか……?」

「う、ううん」

未神がおずおずと炒飯を運んでいく。よし、後は俺の分だ。完成が待ち遠しくて涎が出そうになる。

「ちゃ~っ! チャハーンッ! とまんないよぉーーー♡」

「…………」

夜海さんも美味しく食べてくれているようだ。既に部屋全体が芳香に包まれ、俺も炒飯のことしか考えられなくなっている。

「ちゃーはん……ちゃーはん……」

……はっ! 危ない、つい炒飯の誘惑に負けフライパンを振りそうになっていた。そんなことをしてはいけない。鍋の温度が下がってしまう。それだけは禁忌(タブー)なのだ。

「……」

でも…………でも一回だけなら……

「っ!」

我慢出来ずに鍋を降る。黄金に輝く米たちが宙に舞う、ニンニクと葱と油が秘めた臭いを解放する。

「……………………んほぉ〜〜〜ぉっ♡」


気が付くと俺は皿を抱えて食卓にいた。いつの間にかニンニク納豆葱炒飯は完成していたようだ。星屑たちをレンゲによそい、口へ運ぶ。

刹那、世界が輝き始める。美しいこの地球(ほし)の上に自分がいることがたまらなく愛おしい。俺が神だったのだ。更に炒飯を口に運んでいく。その度に全身が熱くなり、失くした情熱の息吹が身体を突き抜けた。

「へへ! あ~きらっちぃ、これサイコー♡」

同じく真理に辿りついたらしい夜海がとろけた笑みを浮かべている。あまりにも幸せそうでこちらまで嬉しくなった。

「あぁ! サイコーだ……」

「あっつい♡ 服じゃまぁん♡」

夜海がシャツを脱ぎ始める。

「ちょ、夜海さん! 何して」

「ほえぇ?」

未神が夜海の腕を抑えようとしている。

「暑いから脱ぐんらよぉ?」

「え、依途くんの前! だめっ」

「んー……知らなぁいっ!」

未神を振り切って夜海がシャツを脱ぎ捨てる。たわわなそれが顔を出した。

「ちょ、依途くんっ、何にやにや見てるのっ!」

「だってー、ぼいん!」

「えへへー、ぼいんっ!」

夜海が抱きついてくる。大きな胸が俺の顔を圧迫した。

「サイコー♡」

「イエー♡」

未神が殺意を含んだ眼でこちらを見ていた。

「なんだぁ? みかみぃ、つまらなそうだなぁ……」

よく見たら未神の皿の炒飯は全く減ってない。そうか、そのせいだ。こいつ炒飯食べてないからそんな目をするんだ。不幸なんだ。

「みかみ〜ん、炒飯食べてないねぇ」

「だ、だめだ。それを食べたらぼくまで……」

「えいっ」

夜海が未神の顔を掴んで無理矢理口を開く。

「うあ、あにをうるんだっ」

「さ、ダーリン♡ この子にも♡」

「ああ……」

高鳴る鼓動。レンゲに輝きを載せて、未神の口へ近づける。

「ひゃ、ひゃめろっ!」

「あーん♡」

「うわわわわわわ」

炒飯を口に入れ、飲み込ませる。未神は壊れた機械の様に振動した。

「あうーん」

その場に倒れてしまった。

「あ、倒れちゃったねぇ。お子さまには早かったかなぁ」

夜海がこちらに向き直る。

「2人で楽しんじゃお♡」

「ああ! 勿論だ!」

互いの顔が近付く。吐息はニンニクを帯びている。長い睫毛、とろけた瞳。

唇が触れそうな距離。

「あきらっち……」

「夜海さん……」

五月蝿い心臓。

「そこまでだ!」

ガスマスクを付けた何者かが部屋に入り込んでくる。

「誰だ! 鳥山明!」

無言のままそいつの投げた何かが俺の口の中へ。夜海も同じく。

「!」

突如、全身を突き動かしていた炎が消火されていく。まさか、これは……

「ブレスケア。さっさと買いに行って正解だったね」

マスクの向こうから姉の声。

「ああ、あ……」

急激な虚脱感が俺を襲う。力が入らない。体が動かない。夜海も同様に卒倒していた。

「お休みなさい……」

未神も夜海も、そして俺もその場に倒れていた。思春期同好会はこの日壊滅した。

消えゆく意識の中で、今日の名目は歓迎会であったことを思い出す。でもそんなことはどうでも良くなるくらい臭かった。




「ふー……」

目を覚ますと、あらゆる部屋の窓を開けていた。時刻は16時。風の入る向こうを見ればさっきまでの青空でなく、金色の西陽があった。

「俺は……」

「3人で炒飯中毒になって倒れてたよ?」

姉がそう声を掛けてくる。そうだ、3人でニンニク納豆葱炒飯を食べて暴走していたんだ……

「夜海ちゃんはすぐに起きるだろうけど……未神ちゃんはもう少しかかるかもねぇ」

「……悪い。迷惑かけた」

「それはそこの二人に言いなって」

「そうだな」

「大体、おうちに女の子連れ込んでニンニク食べさせるなんて異常だよ」

ぐうの音も出なかった。

「炒飯は用量用法を守って摂取しないとだめ。依途家の教え」

「そうだった……」

「よしよし。じゃあお姉ちゃんは出かけてくるから」

「どうかしたのか?」

「姉がいたらイチャイチャできないでしょっ」

「元からする気は無いぞ」

姉が玄関の戸を開けて出ていく。

「炒飯とラブコメはほどほどにねー」

「おう」

馬鹿らしい遺言を残して姉が去っていく。いや死にかけたのは俺達の方だが。すると、後ろから足音がした。

「あきらっち……」

「意識、回復したみたいですね」

夜海さんが復活していた。服も着ている。

「……大変な粗相をしたようで申し開きのしようもなく」

「いやいや。そもそも俺の炒飯のせいだしな……未神は?」

「まだ寝てる」

リビングに戻るとソファに未神が寝かされていた。夜海が置いたのだろう。

「すみません。迷惑かけました」

「ううん、忘れられないくらい美味しかったし…………あ、でもお詫びって言うならお願いがあるな」

「?」

「あきらっちの部屋行きたい! いい?」

「…………あれは女子を入れるような部屋じゃないので」

俺の部屋はアレである。魔境である。天外魔境な魔界村であり、土俵以上に女人禁制なのだ。決して夜海なぞ入れてはいけない。入れたが最後、永遠に笑いの種確定である。

「あー、あきらっち、何かやらしいものでもおいてるんでしょ?」

「否定はしません」

「そう言われると気になるーっ、ね、いいじゃん! 馬鹿にもしないし、引いたりもしないからさー」

「俺の部屋に来ても仕方ないでしょう」

「男の子の部屋にどんな魔物がいるのか気になるのっ。おねがいっ」

抱きついてくる。また大きな両胸が当たった。それはこう……ノーと絶対に言わせない凄みがそこにあった。

「……分かりました」

「やったっ」

ソファですやすや眠っている未神をおいて、階段を登る。部屋のドアを開けた。

「ここ」

「おーっ!……ってあれ?」

そう。夜海が驚くのも無理はない。もっと乱雑で猥褻な部屋を想像していたかもしれないが、こういう事態を予測し既に片付けは済んでいる。危険物も処理済みだ。

「何か……思ったより普通の部屋」

「何か変です?」

「ううん……変じゃないのが変っていうか。あきらっちむっつりそうだからもっと色々あるかと思った」

「聞き捨てならない言葉が聞こえたんですが」

夜海さんがベッドにぽふっと座った。部屋に長身のギャルがいる、という光景がファンタジーのように思える。

「……まぁ、わたしもけっこうアレな方だし。ってそんなのはいいの。ほら、あきらっちも座んなよっ」

自分のベッドかのように隣を叩く。黙って前に座ると、不機嫌そうにまた隣を叩いてきた。仕方無く隣に腰掛ける。

微かに体温が感じられ、思いの外強くない香りが鼻をくすぐった。

「えへへ。やっとふたりきりっ」

「普通ベッドに座ります?」

「そんなことはいいのっ。それよりさ、その敬語やめてよ。同級生じゃん」

「はぁ」

「ほら。彩夏って読んでくんないかな?」

「…………」

まあ確かに同級生に敬語も不自然かもしれないが……一定以上の距離を作らねば、彼女はあまりに危険な気がした。

「呼んでくれないとベッドの下漁っちゃうからね」

「……夜海」

舌打ちされた。これでも十分妥協した方である。

「あきらっちさぁ。わたしのこときらい?」

「そういうわけじゃ……」

「なーんか距離遠いし。たまにお客様なんだなーって感じるし」

「そうです?」

「敬語だめ」

「……そうかな?」

「うん。あんま関わりたくないのかなーって」

見るからに悲しそうな顔をされると、やはり申し訳無い気持ちになる。

「……普段女子と話さないからな。慣れてないんだ」

「えー。たまにみかみんと夫婦みたいな時あるよ?」

「……親友だからな」

あいつもよくもまぁ3年も俺と同じ部活にいられるものである。女子が俺を気持ち悪がらないだけで珍しいまであるのだが。

「……妬けるなぁ」

「まだ炒飯が残ってるのか」

「胃の話じゃないよ」

頬をつねられる。痛い。夜海は立ち上がると、開かれていたカーテンを閉めた。

「どうしたんだ?」

「ねぇ、依途くん。まだ炒飯残ってるっぽい」

「マジかよ。大丈夫か?」

「だめ。身体熱い」

夜海が覆いかぶさってくる。

「お、おい! さっきから何なんだよ、男にそんなくっついてくんな!」

「……ふふ。やっと本音で話してくれた」

夜海が顔を上げる。色香を帯びた微笑み。

「何でもないふりされると結構悲しいんだよね」

「……」

あまりに大きなそれを押し付けてくる。それも今までよりも強く、深く。息を呑んだ。

「んー。あきらっちわたしのおっぱいいい感じなん?」

「別に……」

「えー、これがだめならわたし何も無いじゃん」

表情が歪む。……そこにある諦念のような何かが、俺を刺した。

「好きって言ってくれたら何でもさせてあげるのに」

「……」

「ねぇ、あきらっち。…………あの子じゃなきゃだめかな」

「だめって、何がだよ」

ばたんといい音がした。

「…………」

「…………あちゃー」

開かれた扉。未神がそこにいた。

「お楽しみのようじゃないか」

「まあねー」

「……」

「歓迎会だなんて言って、薬を盛って女と盛って……猿と変わらない。脳味噌までペニスで出来てるんじゃないのかい、レイパーめ」

「いや、あのこれ向こうが押し倒してきたっていうか」

「だまらっしゃい!」

激昂している。未神がここまで酷い語彙で罵倒してくるのは初めてだ。相当怒ってらっしゃる。

「だいたい、夜海さんも、早く依途くんの上からどいて!」

「えー。やだ」

「どけ゚よ゙っ!」

「でもさぁ。みかみん別に依途くんの彼女ってわけじゃないんでしょ?」

「…………はぁ?」

未神が今まで見たことない表情をしていた。般若より上の何か、人殺しの目。

「それにちゃんと言ったよ? 早い者勝ちだって。ちゃんと宣戦布告した上での戦争は違法じゃないの」

「…………」

夜海が微笑む。未神が憤怒する。

不味い。一触即発、爆発寸前の睨み合いが続いている。このままだと殲滅戦争になりかねない。この前まであんなに仲良そうだったのに、今はキューバ危機の如く核爆発一歩手前だ。

「お、おい、止めてくれよ……」

問題はその核弾頭の正体がよくわからないということなのだ。二人が何故そこまでいがみ合わなければならないのか。別に未神も、そこまで風紀や男女道徳がどうこう言うようなやつではない。

「……はぁ。ごめんね、あきらっち」

夜海が俺の上からどく。

「まあでも、収穫はあったかな。あきらっち嫌がるふりしてるけど、おっぱい好きみたいだし」

「気のせいだ、気のせい」

「不埒っ、尻軽っ」 

「いや尻軽はわけがわからんが……」

未神が父親のAVでも見つけたかのような目でこちらを見ていた。怖いので目を逸らす。さらに視線が厳しくなった気がする。

「ねぇみかみん。わたし、べつにみかみんのことが嫌いなわけじゃないよ」

「……」

「でもね。欲しいものが同じだった。それだけなんだ」

「……そうだね」

欲しいもの。……それが「核弾頭」ということか。冷戦の終結と東西の和平、そして俺の安寧を願うばかりである。

「さて、わたしはそろそろお暇しようかな。美味しい炒飯、ありがとね」

「いや……すまん、歓迎会と言いながらこんなことになってしまって」

「また作ってくれたら許す。んじゃねーっ」

夜海が階段を降りていく。付いていこうとすると、

「お見送りいらないよーっ」

そのまま玄関の戸が開いて、閉まる音がした。妙な1日になってしまったと思う。

「未神も済まなかったな。おかしなもん食わせて」

「いいよ、それは。それよりも話さなきゃいけないことがある」

未神がじっとこちらの目を見てくる。俺の意思を問おうとするような、鋭い瞳。

「なんだよ?」

「きみは、彼女のことが好きなのかい?」

はっきりとそう聞いてきた。

「彼女……夜海か?」

「そう」

溜息を吐く。何かと思えばそんな質問だった。

卒業式以来、ずっと未神はおかしかった。何だかやけに色恋のことばかり頭にあるようで、人が変わったようだ。これまでの3年間の理知的で理性的なこいつはどこかへ消えてしまったのか。

「なぁ未神。お前どうしたんだ?」

「どういう意味かな」

「お前、誰が好きとか嫌いとかで騒ぐような人間じゃなかったろ。よく言ってたじゃないか。人は何故性欲を忌避するくせに愛や恋を公衆の面前で高らかに叫べるのかって」

かつて未神がそう言っていたのだ。確かに俺もなるほどと思った気がする。

「……確かに言ったね。でも関係ない。そもそもぼくは性欲も恋愛も否定してないよ」

「そうなのか?」

「うん。人間は結局、性欲の産物だ。幾ら理性を振りかざしてみたって無駄なんだよ。最近になって分かってきた」

「そんなもんか」

夜海が閉めたカーテンを開く、夕陽すら沈んで昏い夜闇が顔を見せ始めていた。

「……遅くなってきたな。そろそろ帰った方がいい」

「誤魔化そうとしてるよね」

俺の言葉を遮るかのように……いや、遮ったのだ。

「きみはまだ答えてない。ぼくの質問に」

「……そうかな」

「うん。話題を変え、帰宅の理由を提示し、明らかに話を終わらせようとしたね。……そんなに言いたくないのかい?」

ここで俺が言いたくないと言えば多分未神は問うのをやめるだろう。けれどなんだか癪だった。素直にそう言うのも、こいつの態度も。

「確かに、最近ぼくはおかしいかもしれない。それは認めざるを得ないよ。

……でも、きみもだ。きみもおかしい。明らかな意思を持ってはぐらかし、誤魔化し、あやふやにしようとしている」

「お前がそう感じてるだけだろ」

「その通りだ。でもそれだけで十分だよ。……これまでの3年間、きみにこのような感覚を抱いたことはない。いつだって依途くんは素直で、バカ正直だった」

「……」

「ぼくはこのままにしておくつもりはない。今のきみは好きじゃないからね。

覚悟しておいて、親友」

未神が部屋を後にして去っていく。ついさっきまでの喧騒はあっさりと失われた。

暗い部屋に沈黙だけが残る。むしゃくしゃしたが、物に当たるのも馬鹿馬鹿しくてやめた。


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