9話 三人のルーンティカ
木漏れ日の下で、銀の瞳がぱちりとまたたき、三人組の男女を映す。
この三人は、ノルンに服の知識と、美しいと言う評価――そして、はじめての小さな救済を、体験させてくれた者たちだった。
「やあ、おれは〈土馴染み〉のテヌ。
ちょいと向こうにある集落の人間さ」
緑の瞳を細め、和やかな笑顔でノルンへと語りかけた、短くザックリと切った濃い茶色の髪を持つ、屈強な若い男性テヌは、たくましい腕を伸ばして、古い神託迷宮の後ろ側を指差す。
挨拶と共に、その動作で集落の位置を伝えたテヌの隣で、まだ少女の面影を残す女性が、ひらりとノルンへ片手を振る。
「あたしは〈土開き〉のテーカよ。
テヌはあたしの兄さんなの」
本人が語る通り、兄によく似た笑顔で挨拶をしたテーカは、眩しげに緑の瞳を細めてノルンを見た後、肩口で切りそろえた薄い茶色の髪を揺らして、もう一人の若い男性へと顔を向けた。
「それから、彼はあたしの旦那さん!」
「〈樹の地〉のキクスだ。
テヌとテーカと同じ集落に住んでいる」
テーカの紹介に、凛とした表情で挨拶を告げた、長身の青年キクスは、切れ長の深緑の瞳をひたとノルンに注いでいる。
首の後ろでくくり背に流している鮮やかな緑の長髪は、森に立つ樹々の葉と同じ色をしていた。
友好的な雰囲気の三人を見上げた銀の瞳は、一様にノルンよりも焼けた健康的な肌や、蔓や花や蔦を模した木製のサークレットをはめている姿を、その内に映す。
――土と樹の香りがする人間たちだと、神の子は思った。
「あなたの名をきいても良い?」
テーカの問いに、ノルンは三人が名乗った、名乗りの法則――名の意味を告げてから、名乗る方法を思い出して、口を開く。
「私は……〈区切り〉の、ノルン、です」
「へぇ、珍しい名だな」
「そう……みたいですね」
言葉をゆっくりと返しながら、ノルンは内心少し困っていた。
(本当の名の意味は……〈全ての人間の区切り〉。
さすがに、そのままの意味を言ってはいけない気がして、縮めた意味を伝えたけれど……父さんは、すごい意味の名を、私に授けてくれたんだな)
父神アトアが与えた、その名の本来の意味するところは、まだノルンには分からない。
それでも、珍しい名だと言われたことで、なんとなく普通の人間に与えられるものではないのだろうと、気づいた。
しかし、ノルンの内心の悩みなど知らない三人は、気にせず会話を続けていく。
「実はおれたち、テーカの怪我を癒す神託を読み解いてくれたのが、きみだって分かってさ」
「お礼を言いに来たの!
本当にありがとう、ノルン!」
「感謝する」
率直な感謝に、一度ぱちりと銀の瞳をまたたいたのち、ノルンは小さく微笑んだ。
「どういたしまして」
胸の内がぽかぽかとあたたかくなる感覚に、つい一日前、ノルンが告げた感謝に父アトアが返した言葉と、同じ言葉を三人へ返す。
ノルンの言葉に、テヌとテーカが笑顔を咲かせ、キクスはかすかに安堵の吐息を零した。
次いで、互いに一度顔を見合わせてから、再びテヌから口を開く。
「それで、ノルンが良ければ、なんだけどさ」
「君の力を貸してくれないだろうか?
俺たちと共に、大きな神託迷宮に入って欲しいんだ」
「お願いっ!」
真剣な響きが込められた願いに――神の子ノルンは、返す言葉を迷わなかった。
「私でよろしければ」
即答で肯定を告げ、しかしとそのままとある問題点を語る。
「ただ、私は一日前から手前の記憶がないので、みなさんのお役にたてるかは、分からないのですが……」
「えっ!? 記憶がないのか!?」
「はい」
驚きに目を見張る三人に、ノルンはコクリとうなずく。
およそほとんどの情報を、いまだ知らないノルンにとって、共に行動を願う人々に自らの無知を伝えることは、とても重要だと感じた。
(私が共に行くことで、三人に負担がかかるようなことは、避けたいな)
内心でそう呟きながら、顔を見合わせている三人を見つめていると、何やら決心したようにうなずき合い、凛とした表情が三つノルンへ向く。
「わかったわ!
それなら、あたしたちがノルンの知らないことを教える!」
「おれたちが知ってることしか、教えられないけどさ」
「ただの辺境の集落の人間が持つ知識でも、知っていればこの先、何か役立つこともあるだろう」
三人の申し出は、間違いなくノルンにとって、ありがたいことだった。
「お願い、しても?」
「まっかせて!!」
尋ねるようなノルンの言葉に、テーカが弾けるような笑顔を咲かせ、テヌとキクスも力強くうなずく。
――ノルンが、貴重な知識を得るきっかけを手にした、瞬間だった。
「う~ん! 頭飾りをつけてるから、たぶん成人の十六歳にはなってると思うのよね~!」
「頭飾りは、成人の証だ」
「そうだったのですね……」
さっそく伝えられた知識に、銀環のサークレットをほっそりとした指先がつるりと撫でる。
改めて、三人から語られた解読者や、神託迷宮の知識は、父アトアが教えてくれたものよりも、ずいぶんと簡単な言の葉で語られた。
それは、彼らや彼女の生き方からにじみ出る、今を生きる人間らしい表現。
神ならぬ人間だからこそ、ノルンが耳にすることが出来る言葉だった。
木漏れ日が落ちる森の中を、ゆったりと移動しながら、ノルンへの知識の提供は続いていく。
「解読者って言っても、協会所属と野良の違いがあってね?
あっ、協会って言うのは、解読者協会のことね!」
「解読者協会で試験を受けて合格をした者を、協会所属と呼んでいる。
協会所属は、各国が認める正式な解読者として、国が管理している神託迷宮にも入ることが出来るようになる」
キクスの説明に、テヌが頭の後ろで両手を組んで続ける。
「協会所属は神学者の集まりみたいなもので、数が少ないんだよなあ。
だから、おれたちみたいな野良の解読者のほうが多いんだ」
「古きかつては、身に宿す神力が強い者しか神託迷宮に入れなかったため、各国は入る者の管理が出来なかったらしい。
今でも野良の解読者が多いのは、そのなごりだ」
「そのような過去があって、現状があるのですね」
加えられた二人の説明に納得を返し、ノルンはふと前方に銀色の視線を向ける。
樹々のすきまから――巨大な灰色の建物が、見え隠れしていた。