8話 瓦礫に埋れた既視感
にぎわう小部屋から出た後、ノルンは再び通路を歩きながら、小部屋の内側を観察していく。
入り込んだ小部屋の中、すでに蓋があいている石の宝箱をのぞき込み、サラリと前へ流れた黒髪を手で押さえながら、金銀財宝が入っていたのだろうかつてに思いをはせる。
(この宝箱を最初にあけた解読者たちは、きっとすごく嬉しかっただろうな。
まさに――これぞロマン、だ。
……やっぱり、ロマンが何かは分からないけれど、たぶん心が楽しくなるものだから、表現として間違ってはいない、はず)
石の宝箱から顔を上げ、空白の記憶の中から時折ぽんっと飛び出てくる知識を、ノルンは冷静に受け取り、曖昧ながらも自らの今の知識に変えていく。
生まれたてのようなノルンにとっては、それもまた一つの未知の知り方だった。
小部屋を出て、また次の小部屋を眺め、通路を進む。
ゆったりとした、それでいて軽快な足取りは、しかし通路を進み切った先で、一度止まった。
目の前の壁と、突き当たった通路が今度は左右へと続く光景を銀の瞳が映し、またたく。
左側の通路は、樹の根が少し壁を突き抜けて伸びてはいるものの、通路と幾つかの小部屋への入り口は、綺麗にその形を保っている。
反して右側の通路は、その半ばで天井が崩れ落ち、瓦礫に埋れてしまっていた。
左右の通路を交互に見つめたノルンは、艶やかな黒髪を揺らして首をかしげる。
「どっちから、見に行きましょう?」
誰にともなく呟きを零し、次いで閃きに銀の瞳をぱちりと一度またたき、小さく微笑んだ。
(こういう時は……アレをしよう)
名案を得た、という風に軽くうなずいたノルンは、心の中で呟く。
(ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な、と・う・さ・ん・の・い・う・と・お・り)
軽く右手の指先を動かし、右から左へと言の葉ごとに左右へ移動していた指先は、二択を選ぶための言葉の終わりで、右を示した。
「右からにしましょう」
示された右側の通路を、銀の瞳で見つめ、そこはかとなく満足気にそう告げたノルンは、すぐに足をそちらへと進める。
所々に欠けた石が散乱する通路を、危なげなく歩いて行くと、大きく崩れた天井から注ぐ陽光と、その下に積み重なった瓦礫の壁が、ノルンの足を止めさせた。
薄暗い通路を照らす、眩い陽光に銀の瞳を細め、流れるように下げた銀色の視線が、立ち塞がる瓦礫へと移動した――刹那。
ふいに過ぎった、懐かしさのような感覚に、ノルンは不思議そうにその銀の瞳をまたたいた。
銀の瞳はそのまま、鏡のように目の前の瓦礫を映し続ける。
(気のせい、かな?
はじめて入った神託迷宮の中を見て、懐かしく感じるなんて……)
胸の内で自問する間、重なる樹の葉と快晴の空が見える天井の穴から、ふわりと吹き込んできた風が悪戯に、ノルンの長い黒髪とサークレットに飾られた白石を、揺らしていく。
その風にもう一度、銀の瞳をまたたき、くるりと後ろを振り返ったノルンは、ひとまず刹那の感覚を気のせいと言うことにして、今度は左側の通路へと足を進めた。
壁の天井に近い場所を貫き、下り伸びた大きな樹の根をくぐり抜けて、左側の通路を進むと、またじっくりと銀の瞳は観察を続ける。
崩れ落ち、木漏れ日が射し込む小部屋の一つへ入り込んだノルンは、見回した室内に違和感をおぼえ、そしてすぐにその違和感の正体に思い至った。
(神託のなごりだ。
この辺りの小部屋に刻まれていた神託は、もう消えてしまっているのか)
銀色の視線がなぞった、壁や床の一部には、不思議とかつて神託が刻まれていて、今はもうないのだと分かる。
(これも、神の子の力なのだろうな)
そう解釈して、注ぐ木漏れ日の下へと足を踏み出す。
右側の通路と同じく、天井が崩れ、落ちてきた石が床に積み重なっている状況が、この小部屋には幾つもあった。
それらを、じっくりと見つめる銀の瞳には、小さな好奇心が灯っている。
(あ、ここにはかつて、何か石に関わる神託が刻まれていた気がする。
こっちは……砕く? 何かを砕くための神託があったのかな?
二つの神託を組み合わせて、出した石を砕くようなことも、していたのかもしれない)
神の子の力で、次々と神託のなごりを感じ取り、それを拙く言葉として理解しながら、ノルンは小部屋の中の探索を楽しんでいく。
軽い足取りで端の壁まで移動して、そこにも散らばっていた瓦礫を見下ろし……ぱちりと銀の瞳をまたたいた。
長い黒髪を垂らして細い身をかがめ、瓦礫へと手を伸ばしてその内側から引き抜いたのは、くすんだ銀色の薄く丸いもの。
何かの鳥の姿を掘り描いた、一枚のそれを陽光にかざし、ノルンは呟く。
「――銀貨だ」
瓦礫の色に同化して、挟まったままになっていた銀貨を掌に乗せて、じっと観察するノルンに、ふと閃きが降る。
(小部屋のすみを探っていた人は、もしかしてこういう物を探していた……のかな?)
癒しの雨の神託があった小部屋で、不思議に思っていた解読者の行動に、ようやく答えが出た。
一枚の銀貨を、腰に巻いている布に押し込み、はじめての収穫物としたノルンは、とたんに胸に溢れた満足感に、小さく微笑む。
少しだけ、まだ他にも何かないかと期待をして、銀色の視線が隣の瓦礫をなぞる。
――刹那、再び真っ白な記憶からにじむ、懐かしさを感じた。
ほっそりとした手が、胸のあたりの服の布を軽く握り込む。
ノルンはしばし、黙したまま考えた。
はじめて見るはずの場所で感じた、この懐かしさは何なのか。
そして、一つの可能性にたどり着いた。
(もしかすると、私は――いや、記憶を失う前の、私は。
……この神託迷宮に、来たことがあるのかもしれない)
そう仮定してみると、この不思議な感情の動きにも、納得ができると、ノルンは思う。
(それなら、この感覚は……既視感、と言うことか)
布越しに届く、かすかな鼓動に合わせるように、巡らせる視線の先で既視感が積み重なっていく。
(前の私も、解読者だったのかな?)
浮かんだ疑問の答えは、まだ分からない。
ふっと零した吐息で既視感を払い、ノルンは神託迷宮の探索を切り上げ、来た道を戻る。
遺跡から森へ出ると、眩い木漏れ日に細めた銀の瞳に――三人組の男女が、ノルンへと手を振る姿が、映った。