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5話 森の中の旅路

 



 陽光が照る森の中、まばらに立つ樹々の間を、銀色の毛をなびかせて狼は駆け抜ける。


 その背の上に乗り、長い黒髪を跳ねさせるノルンは、無表情のまま、過ぎ行く景色の速さに圧倒されていた。


(速い、すごい、ちょっとしたジェットコースターだ)


 ジェットコースターが何なのか、相変わらずノルンには分からなかったが、とにかく内心では現状を少なからず楽しんでいた。


 狼が大地を蹴るたびに、サークレットの銀環に飾られた、雫型の薄い白石が跳ね、陽光に煌く。

 同時に、艶やかな黒髪もまた、森の緑と陽光の中でいっそう美しく映え、その輝きはノルンの美貌をより際立たせていた。


 鏡のように澄んだ、ノルンの銀の瞳に映るのは、やはり鮮やかな樹々の緑と、キラリと射す陽光の眩しさ。

 それらの輝きに瞳を細め、顔や身体の前面に当たる風に、片手をかざす。


 ノルンにとっては、まだまだ全ての景色が新鮮で――大地も樹々も、陽光も風も、全てがとても綺麗に見えた。




 軽やかに大地を駆ける、狼の背に揺られながら森を進むこと、しばし。


 ふと暗くなってきた頭上を見やり、ノルンは「あっ」と声を零す。


 つい先ほどまで、明るく天から光を放っていた太陽は、いつの間にか分厚い灰色の雲に覆われて姿を隠し、森の中はまたたく間に薄暗さが満ちて行く。


 形のいい鼻をくすぐった、湿った香りに気づき、ノルンは乗せてくれている狼へと声をかけた。


「狼さん、もうすぐ雨が降ってくる気がします。

 雨宿りできる場所を、知っていますか?」


 ひと吠えして答えた狼は、タッと進む方向をずらして、森の中を移動する。


 しばし本来の方向とは異なる方へと駆け……やがて、ぽっきりと幹から折れた、一本の大きな樹の元へとたどり着いた。


 ひらりと狼の背から降り立ち、ノルンは巨木を見上げる。


(私や父さんだと、六人くらいに分身して横に並んでも、まだ幹のほうが大きいかな?)


 そう思いながら幹の横幅を眺め、次いで狼がこの場へ連れてきてくれた意図に気づいた。


 折れた幹の上には、ちょうど他の樹々の枝が伸びて、重なる葉がまるで屋根のようにおおい、残った根元に近い部分には、広々とした洞が口を開けている。


 確かにこの洞の中ならば、問題なく雨宿りが出来るだろうと、ノルンは狼の毛並みを撫でた。


 ぽつり、と頭に落ちてきた一粒の雨に、樹の洞へと歩み寄りながら、少し慌てて狼を手招く。


「狼さん、一緒に雨宿りをしましょう」


 金の瞳をノルンへ注いだ狼は、すぐにその背を追いかけ、ノルンと狼はそろって洞の中へと入り込む。


 間もなく、しとしとと降る小さな雨粒の音が、森の中に満ちた。



 洞の中、土の地面に座り、すり寄り横になった狼の腹部に背をあずけて、しばし透明な雨粒が落ちる様を眺めていたノルンは、はたと気づいて自らの腹部に片手を当てる。


「……お腹がすきました。

 目が覚めてから、まだ何も食べていなかったことを、すっかり忘れていました」


 かすかな空腹感に、そう呟きながら居住まいを正す。

 そして、父アトアが教えてくれた作法にのっとり、両の手をからめて祈り、願う言の葉を唱えた。


「《我が父の許しにて、捧げものの食べ物と飲み物を望む。

 望みのものよ、サンティアスの大神殿より、今我が元へ》」


 ――それは、紋様秘術よりもなお根源に近き、神の力の奇跡。


 神の子ノルンの願いは、すぐさま叶った。


 ノルンの目の前の地面を、ぱぁっとあたたかな白い光が包んだ後。

 その光が収まると、すでにその場には、木の板の上に飾られた食べ物や飲み物があった。


「わあ。本当に父さんの言う通りになりました」


 ぱちり、と銀の瞳をまたたき、ノルンは動かない表情の代わりに、感動を言葉で表す。


 この奇跡は、父神アトアの許可のもと、アトアが居住まいにしている大神殿に捧げられた食べ物や飲み物を、一瞬でこの場に移動させると言う形の奇跡。

 アトアが直々に可愛い我が子に伝えた、食事を用意する方法だった。


 ノルンの銀の瞳が注がれた木の板には、色とりどりの果物と本日の食事が並んでいる。


 焼き立ての薄茶色をした、丸い形のパンが二つ。

 ほかほかと湯気をたてる、野菜と肉が煮込まれたスープ一皿。

 それに、木製のコップへ、なみなみと注がれた飲み物。


 木の板の横には、鮮やかな生肉の塊まであった。


「こっちのお肉は、きっと狼さん用ですね」


 ノルンの言葉に、ウォンと吠えた狼と共に、さっそくとノルンは食事をはじめる。


 香ばしいパンを、少し力を入れてかじり、スープのあたたかさと意外に濃い味を楽しむ。

 果実の汁だろう、飲み物の甘さに微笑みながら食べ進めると、木の板の上はあっという間に、果物だけになった。


「とっても美味しかったです。

 このリンゴのような果物も、美味しいですね」


 満足さに呟きを零しながらも、食後のお楽しみに、熟れた真っ赤な丸い果実を手に取り、一口かじって甘酸っぱさを堪能する。


 狼にも果物を分けて食事を終え、同じ奇跡で器と木の板を大神殿へ返す頃には、降り続く雨による薄暗さではない、夜の気配が近づいてきていた。


 夜の暗さに包まれゆく空を、洞の中から見上げたノルンは、振り返って狼の背中をそっと優しく撫で、穏やかに伝える。


「今夜はこのまま、ここで休むことにしましょう」


 ウォン、と小さく吠えた狼にうなずきを返し、ノルンは横になった狼の隣の地面に、コロンと寝転がった。


 狼の呼吸に合わせて、ゆっくりと動く腹部の温もりを背中で感じながら、ぱたりと身体にかかった尻尾の毛の手触りを、時折そろそろと撫でて楽しむ。


 ふと洞の外を見つめた銀の瞳には、止むことなく降り続く雨粒が、夜色の中にも煌いて見えた。


 樹々が茂らせる葉の上に、天から注ぐ雫が落ちて鳴る音に耳を傾けながら、ノルンは目覚めてから起こった出来事を、つらつらと頭の中で振り返る。


(本当に、色々なことがあったな……。

 混沌の影と戦ったり、父さんに説明をしてもらったり、旅に出て、狼さんと会ったり。

 でも――旅はまだ、はじまったばかりだ)


 むしろ、自らの生と呼べるものさえ、まだはじまったばかりだと、ノルンには分かっていた。


(明日からの旅も、楽しもう)


 そう決め、銀の瞳を瞼の後ろに隠す。


 ノルンのはじめての夜は、静かな雨音と共に過ぎて行った。




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