4話 旅のはじまり
父アトアの問いに、ノルンは束の間瞼を伏せ、答えを考える。
(この世界のことも、消えてしまった過去のことも……何も分からないからこそ、知りたいとは、思う)
胸の内の思いを、ノルンは素直に伝えた。
「知りたいです。
私が知らない、世界や過去のことを」
アトアは静かに、夜の瞳でノルンを見つめ、先をうながす。
父の瞳を見つめ返し、ノルンは目覚めてからの記憶を思い出しながら、言葉を続けた。
「父さんが地上からの声で、色々なことを教えてくれた時……安心と一緒に、なんだか楽しい気持ちになりました。
私は何も分からないから、知っていくことが生き方になるのかも、分からないのですが……」
拙く伝えたノルンの言葉に、アトアはまたふわりと美しく微笑む。
「ノルンがそうして生きるのならば、それはあなたの生き方になりますよ」
アトアの肯定を聴き、ノルンの銀の瞳が刹那、星のように煌く。
降り注ぐ木漏れ日の中、アトアはゆったりと語った。
「知らないことを知っていく、消滅した過去の軌跡のなごりを、探していく。
これらを、もっとも直接的に叶える方法は――解読者、ルーンティカになること、でしょうか」
「かいどくしゃ……解読者?」
サラリと黒髪を揺らし、首をかしげたノルンに、アトアは説明をしていく。
「各地に在る神託迷宮に潜り、刻まれた神託の謎を解き、天と地の神々へと返還することで奇跡を授かる者たちを、そう呼びます。
神秘の探究者や、迷宮に隠された宝を求める者など……解読者になる者たちの目的は、さまざまです。
神託には、傷を刹那に癒すような奇跡以外にも、神の力のひと欠片が宿る神物を授けるものもありますし、迷宮内には金貨や銀貨などが隠されているのです」
つらつらと語られた説明に、ノルンはすぐに納得した。
「つまり私にとっては、知らないことを知りながら、生きて行く上で必要なお金も稼ぐことができる、仕事なのですね」
「えぇ。それに――神託の中には、消滅した過去の軌跡のなごりを探すのに、役立つものもあります」
つけ加えられたアトアの言葉に、ノルンは大きくうなずく。
「それはたしかに、私にぴったりな仕事ですね」
どちらからともなく、ふっと小さく笑みを零した息子と父は、小川のせせらぎを聞きながら、もう少しだけ語り合う。
一番近い、神託迷宮の場所。
その場所へと運んでくれる、賢い獣がこの森にいること。
それから、食事について。
それらを聴き終えたノルンは、しっかりとアトアへ思いを伝える。
「分かりました。
まずは解読者として、生きてみます」
アトアはコクリとうなずき、思いを返す。
「えぇ。――きっと、あなたらしい生き方になりますよ」
「私らしい……それは、良いことでしょうか?」
優しげに返された言葉に、また首をかしげて、ノルンは問いかけた。
我が子の問いに、父神アトアは静かに、首を横に振る。
「良いも悪いも、選べないことも、元よりあなたにはありません。
あなたの可能性は広く深く、それは本来誰にも何からも、押し留められるものではないのです」
偉大にして慈愛深き星の神は、生まれたばかりのような我が子に、真理の一端を告げた。
「私も、他の神々も、あなたを祝福し、あなたの可能性を認めています。
心のままに、魂が願うように、あなたはどのようにも生きることが出来るのです。
多くの人間たちが気づいていないだけで、本当は全ての生命を、その魂の願うままに輝けるようにと、私たちは祝福していますから」
「しゅくふく……」
父神の言葉を、神の子はまだ、全て理解することはできない。
それでも、確かに感じた言葉のあたたかさに、小さく微笑む。
ノルンの微笑みを見つめた後、美しく流れる白髪を揺らして、アトアは岩から立ち上がった。
つられて立ち上がるノルンの頭を、優しくひと撫でしてから、口を開く。
「それでは、私はサンティアスの大神殿から、ノルンの旅路を見守っていますね」
別れを意味する言葉に、素直にうなずきを返しながらも、ノルンは小さな祈りと共にアトアへ問う。
「あの、父さん。
……また、会えますか?」
不安げな問いに、もう一度花がほころぶように微笑んだアトアは、我が子へ祝福の言葉を贈った。
「――私はいつも、ノルンのそばにいますよ」
ふわりとそよ風が吹き、白髪を揺らす。
淡い白光をまとったアトアの姿は、その煌きだけを残して、ノルンの目の前から一瞬で消え去った。
しばしの間、銀の瞳はアトアが立っていた場所を見つめ……次いで、外れる。
アトアが伝えた通り、これはさようならの形ではないのだと、ノルンには分かっていた。
煌く木漏れ日が降る森を、緑の中では目立つ黒髪をなびかせて、ノルンは軽快な足取りで歩く。
まだまだ明るい陽光は、あたたかに少年の旅路を照らしている。
小川にそって進み、ほんのひと時足を止めてせせらぎを聞いて涼み、また進む。
そうして、しばし歩いた頃。
ガザリと、揺れた前方の茂みの中から――大きな狼が姿を現した。
艶やかな銀色の毛並みに、太陽のような金色の瞳。
美しい色を身に宿すその狼を、ノルンは一目見るだけで、特別な獣だと察した。
――彼こそが、父アトアが教えてくれた、神託迷宮まで連れて行ってくれると言う、強い神力を宿した賢い獣だと。
大きな体躯を地面に伏せ、恭順を示す姿のまま、金の瞳でじっと見上げてくる狼に、ゆっくりと近寄ったノルンは、少しかがんで声をかける。
「こんにちは、狼さん。
私を、向こうの方にある、ここから一番近い神託迷宮まで、運んでもらえませんか?」
ノルンの願いに、狼はひと吠えして、ふさふさの尻尾を振った。
つい手を伸ばして、銀色の毛並みを撫でたノルンは、ぱちりと銀の瞳をまたたく。
「もふもふ、です」
無表情を器用に煌かせ、ひとしきりその毛並みを楽しんだのち。
何となく、狼が伝えたい意思を読み取り、その背にまたがった。
(これは、神の子の力?
それとも、この狼の力かな?)
胸の内の問いに、自然と双方の力だと理解する。
それさえも、神の子の力なのだと察しながら、再度狼に一声をかけた。
「よろしくお願いしますね、狼さん」
ウォン! と吠えた狼は、軽やかに地を蹴る。
そうして――狼の背に乗り神託迷宮を目指す、ノルンの旅がはじまった。