38話 帰還の祝宴
父神アトアが授けてくれた、特別な手鏡の神物を、丁寧に布袋の神物へと入れたノルンは、ようやく立ち上がり後ろを振り返った。
そろって口を閉じ、静かにノルンを見つめていた四人の仲間たちを、銀の瞳が映す。
「お待たせしました。
それでは――帰りましょう」
了承の声が重なり、一行は再び中央に刻まれた神託のそばへと歩み寄る。
全員がそっとかがみ込み、それぞれの手を伸ばして神託に触れ、視線を交わしたのち。
「大迷宮の入り口へ、帰りたいです」
そう、代表して告げたノルンの言葉に、高まった神力の感覚が一瞬、全員の肌を撫で――またたきの間の後、景色が切り替わった。
耳に届くにぎやかな話し声と、瞳に映る人々が行き交う姿。
幾つも並んだ通路が目立つ広々としたそこは、ノルンが帰る場所として願った通り、すぐそばに大迷宮の入り口がある、広間の隅だった。
数名の他の解読者たちが、突然姿を現したノルンと四人に視線を向けたが、疑問を宿した視線はすぐに外れる。
神託迷宮の中で起こる不思議な出来事には、ほとんど必ずと言って良いほど、神託が関わっているのだ。
そういう神託を読み解いたのだろう、と言う認識一つで、疑問は消えていく。
顔を見合わせ、そっと立ち上がったノルンと四人は、自然と微笑みを交し合う。
次いで、茜色の光が漏れる入り口へと、そろって視線を注いだ。
「それじゃ、フーヒオとアイルとノルンさんが服を買ってる間、俺とキトさんは夕食屋で宴の準備だな」
「うむ。任せたまえ。
フーヒオ君とアイル君、ノルン様に無礼がないようにね」
「もー! わかってるって、キトおじさん!」
「はい!」
ウイトとキトがうなずき合い、キトの言葉に少女二人が笑顔を返す。
四人の笑顔を銀の瞳に映し、ノルンもまた小さく微笑みながら、フーヒオとアイルの隣に並んだ。
そうして、軽やかな足取りで大迷宮から出て、大通りへと踏み入った一行は、二組に分かれて行動を開始する。
一組は夕食時に食事を出す店が並ぶ方へ、もう一組は服を売る店が並ぶ方へと、歩み寄った。
フーヒオとアイルに導かれ、色鮮やかな布を使った服が並ぶ店へと訪れたノルンは、きゃっきゃと楽しげに服を選ぶ少女たちを眺めながら、一枚の外套を手に取る。
それはフード付きの深緑のマントで、縁に黄色の糸でムギの穂のような刺繍が綺麗に描かれていた。
(このマントなら、森の中でも目立たないかな?
これからの旅でも、森を進む時間は長いだろうから、これを買おう)
胸の内で呟きながら決め、ノルンは二人の少女たちへと、銀色の視線を向ける。
いまだ楽しげに、鮮やかな布の前を行き来する彼女たちを見つめ、神の子はもう少し待っていようと、店内へ視線を戻した。
夕焼けの空へと、暗い青色が広がり、夜が訪れた頃。
「お! 美人さんじゃあねぇか!」
「こんにちは、店主さん」
この街を訪れた初日、屋台で肉鳥を焼いて串に刺した料理を売っていた壮年の男が、強面に反した気さくな笑顔を浮かべ、開放的な店の調理場からノルンへと片手を振る。
その笑顔と手に、穏やかに挨拶を返したノルンへと、先にキトと共に大きな机を囲む椅子へ腰かけていたウイトが問いかけた。
「ん? ノルンさんも、オヤジさんを知ってたのか?」
「美人さんは、何日か前に俺んとこの昼の屋台で、肉鳥焼きを買ってくれたお客だ!」
ノルンが答えるより先に答えを叫んだ、屋台と夕食屋の二つを営むオヤジの言葉に、ウイトは納得してうなずく。
「んなことより、美人さんと嬢ちゃんたち、ウイトとキトさんから聞いたぜ!
大迷宮で、本当に大儲けしたってなぁ? いやぁ、めでてぇ!!」
「まーねっ!!」
嬉しげに破顔して、そう声を弾ませたオヤジの言葉に、フーヒオもまた鮮やかに笑顔を咲かせて応える。
跳ねるように歩くフーヒオと、ひっそりと嬉しげに微笑むアイルと共に、ウイトとキトがあらかじめ確保してくれていた席へ着いたノルンは、次々と机の上に運ばれてくる料理に、ぱちぱちと銀の瞳をまたたいた。
「今夜はたらふく食っていきな!!」
「おぉ、大盛だな!」
「オヤジさん、あんがと!!」
「ありがとうございます……!」
「うむ。今日は遠慮せず食べさせてもらうとしよう」
そうして、気さくな笑顔を絶やさないオヤジの手料理が、すっかり机を埋めつくした頃。
「――大迷宮の探索の、大成功を祝して!」
「「「生を祝おう!!!」」」
それぞれの飲み物を満たした杯を掲げ、ウイトの言葉に続けて、フーヒオとアイル、キトが生を祝福する言の葉を叫ぶ。
掲げられた杯が、机の上で次々に打ち合わされ、小気味好い音が店内に鳴り響いた。
楽しげな四人につられて、同じように手にした杯を打ち合わせたノルンは、さっそくと料理を食べはじめた四人を銀の瞳に映し、小さく微笑む。
(イアティラ……生の祝福。
素敵な祝福の言葉だから、憶えておこう)
そう胸の内で呟き、店主のオヤジ自慢の肉鳥焼きを、大きな野菜の葉の上に乗せ、くるりと巻いた料理を一口味わう。
串に刺さっていた以前の肉鳥焼きとは異なり、甘辛い味のついた肉と、シャキシャキと新鮮な葉の組み合わせは、ノルンの頬を自然とゆるめるほどの美味しさ。
大量に盛り付けられた食事を味わい、会話を楽しみ、祝宴は大いににぎわう。
強く勇敢な英雄たちが成し遂げた、武勇伝を語るように、貸しきられた店の中で店主のオヤジへと、大迷宮での冒険を語るウイトとキト。
食事の手を止めたフーヒオとアイルは、少しばかりその会話に混ざってお腹を休めた後、机から離れてゆったりと踊りはじめた。
銀の瞳に映る少女たちの踊りは、加速するように少しずつ、踊り方を変えていく。
少し前に大迷宮の最上階にある部屋で見た光景よりも、なお華やかな踊りへと切り替わった時、オヤジのかけ声をきっかけにして、今度は音楽と歌が店内に満ちた。
踊りながら短く歌を口ずさむ、フーヒオとアイルに合わせ、ウイトが頑丈な机を叩いてリズムを取り、キトが布袋の神物から取り出した小さな木製の横笛で、美しくメロディを響かせる。
あっという間にさらに華やいだ空間で、帰還の祝宴を楽しむ人間たちの笑顔を、鏡のような銀の瞳に映し――神の子もまた、小さくも楽しげな微笑みを咲かせ続けた。




