37話 星を映す鏡
四人分の驚きと悲鳴を連れて、奇跡の突風に天井よりさらに上――空へと吹き飛ばされた一行は、拓けた視界から射す眩いほどの夕焼けに、思わず瞳を細めた。
まだ記憶に新しい風の試練で、似たような出来事があったばかりだと、平然と足から風に乗っていたノルンは、眼下になった天井が再び閉じて床をつくる光景を見て、納得にうなずく。
(それなら、この場所は……)
そうノルンが思考する間に、突風は身体を包み込むような優しい風へと、その風圧を変化させる。
そうして、幸いにもふわりと軽やかに、閉じた天井……もとい床へと、ノルンを筆頭に全員が降り立つと、誰からともなく安堵の吐息が零れた。
「びっくりしたーっ!!」
「さ、さすがに、驚いた、な」
たまらず上げたフーヒオの叫びと、思わず零れたキトの呟きが重なる。
二人の言葉に、ウイトもアイルもうなずき、各々忙しなく冷や汗をぬぐい、ドキドキと打つ鼓動を落ち着かせていく。
四人の人間たちが、心の準備をしていてなお驚愕した奇跡に心を落ち着けている間、神の子は吹き抜ける心地好い風に、美しい黒の長髪を流しながら、周囲を見回す。
銀の瞳に映ったのは、眩い夕焼けに染まる空と、広々とした薄黄色の石の床。
(やっぱり、ここは神託迷宮の屋上だ。
さっきまでいた部屋は、屋上のすぐ下にある、本当に最上階の部屋だったのか)
気づき、次いで納得にうなずくノルンのすぐ近くで、四人も改めて辺りを見回し、それぞれが再び驚きに目を見張る。
「まさか……ここは、大迷宮の上、なのか?」
「どうやら、そのようです」
唖然としたウイトの言葉に、ノルンはコクリとうなずきながら、肯定を返す。
いつまでも尾を引く驚きをそのままに、しかし全員の視線は自然と、一点に集まっていく。
空を茜色に染め上げた夕陽が、遠くの山脈へと落ち行くその眺めは、まさに絶景。
ノルンの鏡のように澄んだ銀の瞳が、夕焼けを映して茜色に染まる。
「綺麗な夕陽……」
最上階の部屋の窓から見るよりもなお、鮮やかに広がる美しい光景に、アイルが感嘆の吐息と共に呟きを零した。
誰しもが同感にうなずき、吹き抜ける風の音と、遠くから届く街の喧騒だけが、しばし全員の耳をくすぐる時間が流れ……やがて、ノルンが屋上の床へと視線を落とす。
ゆっくりと、銀色の視線が移動した先――大迷宮の屋上である石の床の中央に、雨風に削られながらも形を残した、神託の文を見つけた。
([ここへたどり着きし者たちよ。
地上へ帰ることを望むならば、神託へ触れ、帰還を願え])
胸の内で読み上げた内容に、一つうなずく。
(これで、長い帰り道を歩く必要はなくなったかな)
小さく微笑み、ノルンはいまだ夕焼けの美しさに心を奪われている四人へと、声をかける。
「地上へ帰してくれる神託を、見つけました」
「なんと!?」
まっさきに絶景から視線を外したのは、やはり神学者のキトだった。
つられるように、他の三人もノルンへと振り向き、導くように足を踏み出した神の子の背に四人共が続く。
屋上の中央に刻まれた、その神託の元へとたどり着いたのち、ノルンはすでに読んでいた内容を、再度銀色の視線でなぞりながら四人へ伝えた。
「[ここへたどり着きし者たちよ。
地上へ帰ることを望むならば、神託へ触れ、帰還を願え]
と、書かれているので、神託に触って帰りたいと願いながら伝えれば、おそらく大迷宮の一階か、あるいは外に移動する奇跡が起こると思います」
とたんに、四人の納得と感嘆の声が重なり、笑顔が浮かぶ。
これで帰り道の心配はなくなったと、誰もが互いに笑みを交し合う。
そのただ中で――ふいに、ノルンがぱちりと銀の瞳をまたたく。
この場を吹き抜ける風とは異なる、神力の高まりによって、ふわりと艶やかな黒の長髪が束の間浮き上がり、すぐにサラリと背に流れ落ちた。
「ノルン様?」
異変を感じたキトの呼びかけに、しかしノルンは答えないまま、滑らせるように銀色の視線を遠くへと注ぐ。
広々とした石の屋上をなぞった銀の瞳が、ある一点でその視線を止め、キラリと星のように煌いた。
「父さんの神力を感じます」
少しばかり跳ねた声でそうとだけ呟き、ノルンはタッと軽やかに視線の先へ駆け出す。
慌てて後を追ってくる四人を背に、立ち止まって両ひざをつき、ほっそりとした手がなぞったそこには、神託が一つ刻まれていた。
「これは――父さんが刻んだ、神託です」
神託の文を映した銀の瞳が、嬉しげに煌く。
ノルンの言葉通り――その神託は、父神アトアが自らの神力を使い、刻んだものだった。
「ノルン様のお父君と申しますと、神の子であることを教えて頂いた際に仰っていた……かの【サンティアスの星】、星の神アトア様の神託、と言うことですか!?」
「はい。間違いありません」
驚きと共に尋ねたキトへ、振り返ったノルンは迷いなく肯定を返す。
そしてまた、戻した銀の瞳に、美しい父が刻んだ神託を映した。
[愛しい我が子に、私を映す鏡の神物をあげましょう。
この神託を解くために、必要な言の葉は、一つだけ。
夜空に煌く、小さな光の名は?]
そう刻まれた神託の文に、神の子はすぅっと息を吸い込む。
次の瞬間、問いかけへの答えであるその言の葉が、凛と紡がれた。
「星」
刹那、星の神アトアの神託が、眩く白光を放つ。
束の間、誰しもが瞳を閉じる中、まっさきに瞼を上げた銀の瞳は、眼前で神託が形を変えた白光が収まり、やがて新たな形に変化する様子をひたと映す。
銀色に煌く、円形の縁。
全てを映し出す、ノルンの瞳によく似た鏡面。
空中からゆっくりと下りてきた、柄のない大きめの手鏡を、ノルンはしっかりと両手で受け止め、手にする。
銀製の縁に刻まれた神の文字は、この手鏡の神物の使い方を説明していた。
「[星空にかざすことで、星の神を映す]」
父からの贈り物に、内心とても喜んでいたノルンは、読み上げた説明の内容に、また銀の瞳を星のごとく煌かせる。
「わあ、すごいです。
これでいつでも、父さんに会えます」
星空が広がる夜の時間に限られているとは言え、限定的な状況など、ノルンにとってはささいなこと。
曇り一つない鏡面に、今は自らの美貌を映す手鏡の神物へ――神の子は嬉しげに、小さく微笑んだ。




