36話 吹き上がる風の導き
その後、また順に湯につかっておおいに癒され、そろそろ夕方が近づく頃には、一行はすっかり無事に大迷宮を出た後へと、意識を向けはじめていた。
「やーっぱ、宴よ!!
パーッとお祝いしよっ!!」
「帰った、あと?」
「そ!!」
手にした、水が湧き出る杯をさっそく使い、湯上りののどを潤しながら、フーヒオがそう笑う。
神物の杯から、コップに分けてもらった水を飲みつつ、問いかけたアイルも微笑んでうなずいた。
二人の少女たちの近くで、風の紋様秘術を上手く活用してキトと自らの髪を乾かすウイトが、爽やかな微笑みを浮かべる。
「それは俺も考えていた。
大迷宮のこんな場所まで来た解読者は、きっと少ないだろうからな」
「うむ、今回は相当に大変な思いをしたからね。
神託迷宮から無事に帰りついた後は、帰還の宴と洒落こもうではないか」
深々とうなずき同意を示したキトは、ふとそばで静かに四人の会話に耳を傾けていたノルンへと、視線を注ぐ。
キトにつられて、じっと見つめて来るそれぞれの瞳に、ノルンもコクリとうなずきを返した。
「名案だと思います。
宴、私も楽しみです」
無表情ながら、素直にそう伝えるノルンに、四人は笑顔を咲かせる。
ノルンもまた、つられるように小さく微笑みながら、ゆっくりとこの大迷宮の神託迷宮から出た後のことを、考えていく。
(順調に帰り道を進んでも、今夜の内に大迷宮を出るのは、難しいかな?
明日の朝に出ることが出来れば……朝からにぎやかに、帰還の宴を楽しむことになりそう)
すぐそばで、どこの店で宴を開くか、何を食べるか、いや宴の前に新しい服を買いたい、と語り合う四人が、笑顔で宴を楽しむ様子がノルンの頭に浮かぶ。
次いで、ふとその先に続く旅路を思い、閃いた。
(そうだ、寝る時のかけ布代わりに、街でマントでも買っておこう)
少し先の予定を決めたのち、ノルンは今度こそ四人の会話に混ざりつつ、帰るための準備がそろそろ終わることを察して、忘れ物がないかと部屋を見回す。
その時――少し後ろの床に、さきほどまでは確かになかったはずの、見慣れない神託が刻まれていることに気づいた。
「ノルン様? いかがなさいました、か……」
後ろを振り返った姿勢のまま、小首をかしげて動きを止めたノルンへと、キトが不思議そうにかけた声が、徐々に小さくなっていく。
薄緑の瞳を、ノルンの銀色の視線の先へと向けたキトにも、いつの間にか床に刻まれていた神託が、しっかりと見えた。
「どしたのー?」
「なにか……あっ」
「うん? どうした? ……おぉ」
不思議そうな声を上げたフーヒオに続けて、振り向いたアイルとウイトも、神託の存在に気づく。
思わず、全員が一度神託から視線を外し、互いの顔を見つめ合う。
束の間落ちた沈黙を破ったのは、フーヒオだった。
「まーた戦わないといけない神託じゃないよね?」
眉根を寄せる少女の言葉には、はっきりとした不服が乗る。
「さすがに、また戦うのは……わたしもちょっと」
続いたアイルもまた、それはちょっと遠慮したいと、下がる眉が物語っていた。
「……どうでしょう。
また別の場所へ、移動することにはなりそうですが」
「移動か……」
チラリ、と銀色の視線を神託へと流したノルンの言葉に、ウイトが苦笑を零す。
「ふむ、なになに……」
キトだけは平然と、変わらない興味を抱いて神託の近くへと移動して行き、さっそくと紋様を読み解きはじめた。
しばし、布袋の神物から取り出した、薄い石盤に刻まれた文字と神託の文とを、片眼鏡越しの薄緑の瞳が行き来したのち。
「[神託の近くで集まり、同じ時に二度手を打て。
風の流れに従い、戻るしるべの場所へ向かえ]
……ううむ。私ではここまでしか読み解けないな」
なんとか全ての紋様を、分かる範囲で読み解いたキトは、しかしこれではまだ不十分だと言いたげに力なく首を振る。
「いや、十分だと思うぞキトさん」
「そーだよキトおじさん! 自信もって!!」
「神託の解き方はわかりましたよ……!」
ウイトとフーヒオ、それにアイルの慰めを受け、少し気分を持ち上げたキトは、片眼鏡を直してノルンへと視線を注ぐ。
薄緑の瞳に見つめられたノルンは、再度床へ視線を流し、前に訪れた神託迷宮でも見た、繊細で美しい筆跡にて刻まれた神託を、そっと読み上げた。
「[神託の近くへと集い、時を揃えて二拍手せよ。
我が風の導きに従い、帰るしるべの元へ行け]」
ノルンの解読を聴き、四人はまた顔を見合わせる。
「つまり、この神託を読み解くことで、帰り道が見つかるってことでいいのか?」
「んー、たぶん?」
ウイトの問いかけに、フーヒオが首をかしげながら返す。
同じく首をかしげるアイルが、キトを見上げると、神学者は深々とうなずいた。
「――これもまた、神託に秘された神々のお導きに、違いない」
キトの言葉に、四人とノルンは自然とうなずき合う。
一行は全員、すでにある事に気がついていた。
それは、この部屋へとたどり着くまでの出来事も、そしてこれから起こる出来事も、全て等しく――神々の導きなのだと言うこと。
(導きのままに、と言う顔だ)
銀の瞳をまたたいた神の子は、以前から薄々感じていたことを、ここで確信した。
神託による数々の奇跡を授かってきた、三人の解読者と一人の神学者である人間たちには、元より最大限神託の内容を尊重すると言う思考が根付いているのだろう、と。
あるいは、たとえそのような考えが根付いていなくとも。
この大地で生きる人間たちにとっては、神々の導きをわざわざ拒否する意思など、ほとんど無いのだろう、と。
四人の表情を映した銀の瞳を、もう一度またたき、ノルンは小さく微笑んだ。
その方針は自らも同じだと、肯定するように。
神託のそばへと集まった一行は、神託の内容通り、そろって両手を打ち鳴らした。
パンパンと乾いた音が、静かな部屋に二度響いた、次の瞬間。
銀色に輝いた神託が――上へと巻き上げる突風を放った。
突然の出来事に、少女たちが上げる悲鳴と、男性陣の驚愕の声が零れる中、ノルンはふいに天井へと視線を向ける。
まるで木の葉のように、全員の身体を持ち上げた、神力を宿す力強き風は――いつの間にか開いていた天井へと、勢いよく全員を吹き飛ばした。




