34話 己が生を喜びて
ゆっくりと休憩することを決めた一行は、まずはと湯に浸かり、疲れを癒すことにした。
「それでは、最初はノルン様がお使いください」
「私が?」
「神に連なるお方が、はじめの清らかな湯をお使いになられるのは、至極当然のことでございましょう」
堂々と胸を張って告げたキトに、そういうものかと納得して、ノルンはうなずきを返す。
そうと決まれば、さっそく。
まずは身を清めるためにと、浴場の隣にある小さな水場へ歩み寄り、そのそばでスルスルと布の服をほどいて、床に落とす。
壁から伸びた小さな水路から、少しずつ石造りの水場へと流れる湯を両手に溜めて、自らの色白の肌へとかける。
不思議と清められる心地がして、神の子は直感的に、これは身を清める特別な湯なのだと察した。
どこも汚れたところがなく、そもそも汗を感じたこともなかったとは言え、身体や長い髪を湯で流し終えて、体感としてはとてもスッキリした気分になった後。
たっぷりと湯を満たした大きな浴場へ、そっと足先から身を沈めたノルンは、ふぅと自然に零れた吐息に、小さく微笑む。
(とっても癒される……。
こういう湯に浸かる時は、髪が湯につかないように気をつけていた気がするけど……たぶん、この場では関係ないかな)
あたたかな湯に癒されながら、そう胸の内で自問に自答したノルンは、次が控えているのだからと、あっという間に温まった身体を湯から引き上げる。
――しかし、浴場の外へと雫を滴らせながら出たノルンは、そこではたと気づいた。
(何も考えなくても、服を脱ぐことは出来たけど……着方が分からない)
束の間、途方に暮れた神の子は、素直に分かるだろう男性陣に尋ねることにして、浴場に背を向け、大きな木の机のそばで談笑している面々の内の二人に声をかける。
「キト、ウイト」
「はい、如何いたしましたかな?」
かすかにこちらへと振り向いたものの、ノルンを見ることはなく、キトが問いかけを返す。
ウイトの青い瞳がノルンを映し……しっとりと濡れた黒髪が身体を隠していてなお、美しく雫をまとう神の子の姿に、反射的にバッと視線を外した。
それを見て苦笑したキトへ、ノルンは困りごとを問う。
「服って……どう着ればいいのでしょう?」
「は、え、あ……」
あまりにも素朴すぎる疑問に、キトの思考が停止した。
その姿を見て、さきほどのお返しにと苦笑を零したウイトは、そのままなんとかノルンを振り向いて、口を開く。
「あー……キトさんには刺激が強いだろうから、俺が手伝おう」
「お手数おかけします。よろしくお願いします」
「ああ。……あーっと、これはな――」
もはや気合と根性、とでも言わんばかりに内心を奮い立たせて、ノルンへと駆け寄ったウイトは、しっかりと今後のことを考え、ノルンに服の着方を教え込んだ。
その後、無事にフーヒオとアイル、ウイトとキトの順番で入浴を楽しんだ後。
「ふむ、ふむ……。
この紋様はたしか[サンティアスの大神殿]を示すもの。
それから、これは[食べ物]……隣は[飲み物]と刻まれているようだな」
「それって……ノルン兄さんの奇跡に似てる!」
机に刻まれていた神託を、じっくりと読み解くキトに、フーヒオが赤い瞳を煌かせてノルンを振り返る。
チラリと神託を見た銀の瞳は、すぐにわくわくと笑むフーヒオを映した。
「はい。本当にとても似ていますよ」
コクリとうなずきながら、肯定を返したノルンに、じぃっと神託を見つめていたウイトとアイルも、ノルンを振り向く。
「ってことは、これも食べ物や飲み物を出してくれる神託だったりするのか?」
ウイトの問いかけに、またもやうなずきを返して、ノルンは解読に励むキトへと視線を注いだ。
「ううむ、つまり……。
[サンティアスの大神殿から、食べ物や飲み物を呼び出すことを、許可する。願いを告げよ]
と、刻まれているのではないでしょうか?」
「はい。だいたい合っています」
神託の文を見事読み上げたキトに、ノルンは小さく微笑みを見せる。
長時間の戦いを終え、湯で癒され、全員が空腹を感じていた今――もっとも魅力的な神託を前にして、読み解くことを悩む者はいなかった。
神託の奇跡によって、机の上に並んだ料理を前に、一行は本格的な宴をはじめる。
「ほんとーに! どーなるの!? っておもったわ!!」
「うん……生きててよかったなぁって、わたしも思うよ」
「だよね!?」
甘い果汁がたっぷりと入ったコップを手に、フーヒオとアイルが心底からの言葉を語り合う。
「癒しの神物がなかったら、かなり危なかったけどな」
「うむ。まさしく、治癒の奇跡のおかげだ」
焼かれた肉やパンをかじりながら、ウイトとキトも二人の少女たちに同意する。
四人の会話に耳を傾けながら、薄く焼かれたパンの上に具を乗せて巻いた、好みの料理をぱくぱくと食べ進めるノルンは、ふと四人と自らとの認識の差に気づいた。
(私は特に、命の危機までは感じなかったけれど……みなさんにとっては、本当に命がけだったのか)
ぱちりとまたたく銀の瞳に、カラリと憂いなく、鮮やかに咲く四人の笑顔が映る。
己が生を喜ぶその表情は、神の子には眩しいものに見えた。
「よーっし! おどろおどろ!!」
「うん!」
「お! いいぞいいぞ~!」
「ふむ。手拍子でも打つとしようか」
机から少し離れた場所で、手を取り楽しげに踊りはじめたフーヒオとアイルに、ウイトが歓声を上げ、キトがテンポよく手拍子を鳴らす。
誰かが踊る姿を、はじめて銀の瞳に映したノルンは、ウイトとキトへ問いかけた。
「この、踊りは……?」
「おや? ノルン様ははじめてご覧になられましたか?」
意外そうに、片眼鏡をかけ直して問い返したキトに、ノルンが素直にうなずくと、キトはすぐに説明を紡ぐ。
「これは、我々人間が古くから、豊穣を願って捧げる、豊穣の踊りです」
「この街だと特に、料理に使う植物をたくさん収穫してるから、よく踊るんだ」
「――そうでしたか」
続くウイトの言葉に、感慨深くうなずくノルンは、はじめて目にした豊穣の踊りを、じっと見つめる。
軽くステップを踏む足と、天へかかげ、また重なる手。
服の布を翻し、くるりと舞う少女たちと、手拍子の音。
にぎやかな宴は、夜が深くなるまで続いたのだった。




