32話 混沌の影
突如として現れた神託を見下ろし、思わず沈黙を落とした部屋の中。
銀の瞳をまたたき、ノルンがそっと口を開く。
「おそらく、ですが。
……私たちは、この試練を乗り越える力がある者として、この場所へ導かれたのではないかと」
「導かれていた、のか」
ノルンが告げた言葉に、ウイトが緊張に乾いた声で呟きを零す。
一方で、フーヒオはキラリと赤い瞳を煌かせた。
「それってつまり、アタシたちが強いってこと?」
「そう判断されたのは、間違いないと思います」
「ふふーん! 神様たちも、わかってんじゃん!!」
期待を宿した問いに対し、ノルンが返した肯定に、フーヒオは腰に手を当てて胸を張る。
「で、でも!
神託を読み解くより……混沌の影と戦うほうが、ずっと危ない、ですよね?」
「はい。危険です」
フーヒオの隣で、眉を下げた不安な表情のまま、慌てて問いかけたアイルの言葉にも、ノルンは肯定を返す。
「我々が強いと判断されたからこそ、この危険な試練へと導かれたことは……納得できますが、歓迎するには不安が大きいですな」
神妙な表情で、そう呟いたキトに、ノルンも同感だとうなずき、再度神託の文を銀色の視線でなぞった。
「だからこそ、[願わくば、その力を貸しておくれ]と書かれているのでしょう」
「……ん? それって、もしかして」
再度、ノルンが読み上げた神託の一部を聴き、ウイトが何かに気づいたように声を上げる。
それにコクリとうなずいたノルンは、半ば確信していることを告げた。
「えぇ、どうやら――戦わずにこの部屋から出る、と言う選択肢も、まだ残されているようです」
銀の瞳が映したのは、部屋の入り口でいまだ開いたままの、扉。
自然と全員の視線が注がれたその扉の奥には、帰り道である階段が、暗がりの中で姿を見せていた。
「どうしますか?」
短く、神の子は問う。
戦おうと鼓舞することも、逃げようと導くこともなく。
ただ静かに、今ここにいる戦友たちに問いかける。
戦うか、逃げるか。
その単純な二択を前に、四人の人間たちは互いに視線を交し合い――次いで、そろって不敵な笑みを咲かせた。
「この神託は、神様の導きと同じだ。
それなら、覚悟を決めるだけの価値があると、俺は思う」
凛と、銀色の大きな盾を持ち上げて、ウイトが語る。
「アタシは最初から、逃げるつもりなんてないけど?」
深紅の剣を手に、フーヒオはニヤッと好戦的な笑みを浮かべた。
「ほんとうは……すごく、こわい、です。
でも……わたし一人じゃできないことも。
みなさんとなら――きっと、できると思うんです!」
小さく震えながらも、ぎゅっと両手で長い水色の杖を握り、アイルはハッキリと意志を示す。
「うむ。幸い、私も幾らか護りの奇跡をもたらす、紋様秘術を使えます。
これが神々のお導きと言うのであれば――微力ながら、私も精一杯戦いましょう」
片眼鏡をかけ直し、そうひたすらに信心深く告げたキトは、身にまとう薄茶色の外套をそっと撫でた。
続けて、四人の戦友に見つめられたノルンもまた、授かった首飾りの神物をひと撫でして、それぞれの瞳を見つめ返しながら紡ぐ。
「みなさんの覚悟は、分かりました。
私も、ここへ導かれたことには……試練を乗り越える以上の意味があると、そう思います」
だから、と神の子は銀の瞳に、星のごとき煌きを灯す。
「戦い、必ず勝利を手にしましょう。
――この大迷宮と、私たち全員の平穏のために」
小さな微笑みと共に告げたノルンの言葉に、力強く応える声が返される。
覚悟と戦意を宿した全員の瞳が、神託へと注がれたのち。
「試練を、受けます」
そう告げたノルンの言葉に、二つの神託が淡い白光を放ち、薄れ消えていく。
次いで、音を立てて閉じはじめた入り口の扉を反射的に見やり、誰からともなく自然と視線を外して――全員が静かに、武器を構えた、刹那。
ぞわりと、冷ややかな感覚が、全員の背を奔った。
「部屋の端」
短く、神の子が伝えた忠告の言葉に、四人がそろって身体を反転させ、ゆるく弧を描く壁へと視線を注ぐ。
円形の部屋の端――壁と床が交わるその隅から、煙のような闇色がぶわりと立ち昇る。
「混沌の影の、お出ましか」
「うー、なんか、ピリピリする!」
「や、やっぱり、こわいです……!!」
鋭い眼差しを向けたウイトの言葉に続けて、フーヒオとアイルが闇色の脅威への思いを零す。
「……流石に、終わりをもたらす存在は、恐ろしく感じるものだな」
頬を伝う冷や汗を拭えないまま、ぽつりと呟いたキトを銀の瞳に映し、ノルンは指示を飛ばした。
「キトは私以外の護りを――今すぐに」
「は! 《葉の盾》!」
キトが発動した紋様秘術は、幾つもの小さな緑色の文字から、淡く光る大量の木の葉に姿を変えて、四人の周囲を風に舞うように回りはじめる。
刹那、ウイトが視線を向けていた混沌の影が、闇色の球体をウイト目がけて放った。
三つの闇色の球体は、素早く空中を飛来し、葉で出来た守護の盾と、銀色の神物の盾によって、弾かれて消える。
「うお、キトさんの紋様秘術が凄いのは知ってたが、神物も凄いな!」
「褒めて貰えて光栄だが、それどころではないようだぞ!?」
予想以上の護りの厚さに、ウイトが喜んだのも束の間。
キトが叫ぶと同時に――混沌の影の一斉攻撃がはじまった。
飛来する闇色の球体へと駆けたフーヒオが、火をまとわせた神物の剣を素早く振り、球体を斬る。
「《水の矢》!」
アイルが紋様秘術を唱え、振るった神物の杖の先から、数本の水の矢が放たれて、脅威を弾いた。
「《光の剣》」
光の短剣を幾つも出現させたノルンは、自らとキトの近くに飛来する闇色の球体を斬りながら、混沌の影へも少しずつ、白光をまとう剣を飛ばして消していく。
銀の瞳はしっかりと、奮闘する四人を映し、頭の中では戦況の確認をおこなう。
(四人共、焦らず確実に対処出来ている。
護りも堅いし、混沌の影の攻撃を受けてもいない。
ただ……混沌の影への攻撃が出来ているのは、まだ私だけ)
冷静に状況を判断した結果、戦いが長引く予感を察する。
同時に、この緊迫した戦いの中でも、最初に訪れた古い神託迷宮の時のような、既視感を覚えた。
(――今は、戦いに集中しよう)
刹那の決意に、混沌の影へと光の剣が閃いた。




