21話 豊穣の街
森の小高い場所から下り、広がる黄金色の植物の間をまっすぐに伸びた、土道が見えてきたところで、ノルンは狼の背から軽やかに降り立った。
「今回も乗せてくれて、ありがとうございました。
ゆっくり休んでくださいね」
そう伝え、ノルンが銀色の毛並みを優しく撫でると、狼はひと吠えして身をひるがえし、森の中へと戻って行く。
あっという間に、樹々の奥へと身を隠した狼の姿を見送った後。
風にそよぐ植物と共に、艶やかな長い黒髪を揺らして、ノルンもまた街の方へと土道を歩みはじめた。
街を目指す道中、ノルンは時折すれ違う、動物に引かせた箱型の乗り物に乗って進む人々を、銀の瞳でちらちらと観察する。
(あの動物は、馬みたいだな。
それなら、あの色々な物を詰んだ箱型の乗り物は、荷馬車かな?
……あれらをそう呼ぶのかは、分からないけれど)
相変わらず、不鮮明な表現を頭の中でたぐりよせながら、自らの肩に届くほど丈を伸ばした、黄金色の植物の横を進むこと、しばし。
――街を囲う高い壁を、大きくくり抜いて造られている入り口の前へと、ノルンはたどり着いた。
巨大な両開きの扉を開け放ち、槍を持つ人間たちが数名で左右を守護する街の入り口を、ノルンは出入りする人々と共にゆっくりとくぐり抜ける。
とたんに、銀の瞳がキラリと、星のように煌いた。
(すごい、たくさんの知らないものがある……!)
入り口を通るその手前から、銀の瞳が映していた街中。
それは――まさしくノルンにとって、新鮮さに溢れた場所だった。
にぎやかに響くのは、会話の声や、何かを焼く調理の音や、石畳を駆ける音。
繊細な模様を描いた鮮やかな色の布の服と、木製だけではなく、金属製の腕輪や耳飾りの装飾品を身にまとう人々の姿は、実に鮮やか。
石畳を敷いた、大きくまっすぐに伸びた通りは、中央にある巨大な神託迷宮まで続き、ノルンを誘う。
左右には様々な屋台や家々が建ち並び、頭上では青や黄色や薄赤の大きな布が、天井のようにかけられて、風になびいていた。
銀の瞳をまたたき、ノルンはゆっくりと大きな通りを進みはじめる。
多くの知らないものに圧倒されながらも、はじめて見るにぎやかな街の光景に、その口元には微笑みが浮かんでいた。
「おうい、そこのたくましい体をした兄さん! 新鮮な果物がそろってるよ!」
「そこの花冠を飾った子! 実りの時期ならではの、美味しい物を食べて行かないかいっ?」
「今は食い物が多く採れる実りの時期だから、食うには困らなくて助かるぜ!」
「なぁに言ってんの! たくわえておく時期でもあることを、忘れないでよね!」
周囲から聞こえてくる、人々の声に耳を傾け、ノルンはまた一つ学びを得る。
(今は、実りの時期と呼ばれる、食べ物がたくさん採れる時期なのか)
その事実を知ると、銀の瞳には多くの食べ物が売られている様子が、先ほどよりもよく映った。
食欲をそそる香りが近くから届き、半ば反射的にそちらを向くと、屋台の店主らしき壮年の男と、銀色の視線が交わる。
「おう、そこのすっげぇ美人さん!
俺んとこで育てた肉鳥を焼いたやつ、一本どうだい?」
「いただきます」
強面に反して、気さくな笑顔の店主に、ノルンは素直にコクリとうなずきを返す。
「おお、恵みをよぉく味わって食べてくれ!
銅貨二枚だ」
告げられた言葉に、ピタリ、と動きを止めたノルンを見やり、店主の男は不思議そうな表情を浮かべた。
「どうした? 美人さん」
「あの、今は、銀貨しか……持っていないのですが……」
店主の問いかけに、少し間をあけ、ノルンはたどたどしくそう現状を伝える。
(私が持っているお金は、古神殿の神託迷宮で手に入れた銀貨だけだ。
銅貨は、一枚も持っていない……)
胸の内でも、そう困りながら呟いたノルンの目の前で、店主はふいに大口を開け、豪快な笑い声を上げた。
「ガッハッハ!!
返す分の銅貨は十分あるから、心配すんな!
ちょいと待ってな!」
そう自慢気に言葉を続けた店主は、後ろに置いてあった箱から、ジャラリと音を立てる布袋を取り出すと、紐で絞り閉じられていた口の部分を開く。
中には大量の銅貨が入っており、店主は声に出して数えながら、器用に素早く指先で摘み、木製の器に銅貨を積み上げていった。
「銀貨一枚が、銅貨五十枚の価値だからな、肉鳥焼きの分を引いて、返し分は銅貨四十八枚ってな!」
「お手数、おかけしました」
「ガッハッハ!!
気にすることはねぇ。
それより、美味しく食べておくれ!」
木の器に積まれた銅貨四十八枚と、銀貨一枚を交換し、素直にうなずきを返すノルンへと、小枝のように細く整えた小さな木の棒に、焼いた鶏肉を突き刺した売り物を手渡した店主は、気さくな笑顔で言葉を続ける。
「美人さん、あんたルーンティカ――今だと、解読者って言うやつだろ?
ここの大迷宮は、昔から有名でなあ。
今でも宝の山だって、若いやつらが言ってるのを聞いたことがある。
ま、気をつけて冒険しろよ!」
「はい、ありがとうございます」
優しい店主に感謝を告げて、ノルンは引き続き、店主が宝の山だと教えてくれた神託迷宮を目指す。
歩きながら、ノルンはさっそく、串に刺さるよく焼かれた鶏肉をかじり、濃い塩味がよく合う肉の美味しさを堪能したのち。
他にも飲み物や食べ物を買いながら、銀貨と銅貨の価値についても、学びを深めていった。
(前にキクスが教えてくれた、一人の一日の食事に必要な銅貨が、五枚だと言う言葉は……キクスやテヌやテーカたちの集落の基準であって、このような街ではもっと必要なのだろうな)
最終的に、ひとまずそう理解したノルンは、歩きながらの新鮮な昼食を終えると、前方に佇む巨大な薄黄色の建物を、銀の瞳で静かに見上げる。
(この神託迷宮には、どのような神託があるのかな?
過去のなごりを見つけることは、簡単なことではないと分かったけれど……何かが見つかれば、嬉しいな)
疑問と期待、そして好奇心を抱いて、ノルンはそう胸の内で呟いた。
大きな通りを吹き抜けた風が、サラリとノルンの美しい黒の長髪を揺らす。
荘厳な神託迷宮を見上げ、穏やかに歩むその姿を――行き交う街人たちの幾人もが見つめ、性別さえ超越する美しさに、感嘆の吐息を零していた。




