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2話 空白を埋める声

 



 少年は、その麗しい美貌に感情を乗せないまま、静かに戸惑う。


(そもそも、私自身の名前さえ、思い出せない。

 何故ここにいるのか、ここはどこなのか、何をするためにここにいるのか……すべて、分からない)


 ただ一つ、少年にも感覚的に分かることがあり、それだけは不思議と確信が持てた。


「もうすでに……全てが終わったあと」


 静かな呟きが、部屋に落ちる。


 ここへ訪れた理由も、ここに居ることも、ここに居た意味も。

 そして、自身の存在さえも。


 ――全てがすでに、終焉へたどり着いているのだと。


 何故かそれだけは、確かに少年にも分かっていた。



『――いいえ。

 これからが〝あなた〟のはじまりです』


 唐突に部屋で反響した声に、少年の肩が跳ねる。


「わあ、驚きました」


 少年の高めで穏やかな声には、言葉で語るほどの驚きの感情は含まれていなかったが、それでも驚いたことには変わりない。


 少年だけが立つ場所で、突然響いたその声は――少年を目覚めさせた、あの声だった。


『驚かせてしまいましたか』


 かろうじて若い男性の声だと分かる、声の不明瞭さに反して、どこか優しげに少年へと語りかける言葉は、何故かとてもあたたかく。


 それは例えば、長雨が続いた空に広がる、分厚い灰色の雲のすきまから、神々しい太陽の光が射し込むように。


 ――少年にとっては、確かな安心感を覚える、信頼できるもののように聴こえた。


「えっと、いえ、お気になさらず。

 ところで……あなたは?」


 そっと首を横に振った少年は、どこからか届く声に問いかける。

 少年の問いに、声は答えた。


『私については、またのちほど。

 今は、この場所の説明をしましょう』

「あ、はい。

 よろしくお願いします」


 この場所、と言われた少年が、銀の瞳で軽く部屋を見回す。


『かなり特殊な形をしていますが……ここは【神託迷宮】と呼ばれる場所の一つです』

「しんたく、めいきゅう」


 少年にとって、それは知らない言葉だったが、口にすると不思議なほど馴染んだ。

 まるで――よく知っているものだったかのように。


『神託迷宮には、その名の通り神々が刻んだ神託があり、それを読み解くことで、さまざまな出来事が引き起こされます。

 ちょうど、あなたの正面にある壁にも、刻まれていますよ』


 なめらかに語られた説明と導きの言葉に、少年は美しい黒髪を揺らして、正面の壁へと歩み寄る。


 銀の瞳が見つめた先には、確かに何やら文字のような記号の連なりが刻まれていた。

 その記号たちを見つめ、少年はふいに首をかしげる。


「あれ? これは……」

『あなたが先ほど使っていた、体内の神力を奇跡に変える力――【紋様秘術】で使う文字と、同じ文字です』

「やっぱり、そうですよね。

 これは……もんようひじゅつ、と言う力なのですね」


 姿なき声の解説に、少年は呟きながら、スルリと体内の神力を動かした。

 かかげた右手の上に白く光る記号が現れ、すぐに白色の光球へと変化する。


 じっくりとその変化を見つめていた少年は、光る記号が[光]と書かれていたことを読み取り、ぱちりと瞳をまたたく。


 闇色の何かと戦っていた時は、あまりにも全てがとっさの出来事であったため、気づくことが出来なかったが……記号は確かに文字として、少年の瞳に映った。


『人間たちが【紋様】と呼ぶその文字は、元は天の神々が使っていた文字で、【神の文字(ティアルーン)】と呼ばれるものです。

 ……今のあなたにならば、壁に書かれた神託の文も、読むことが出来るでしょう』


 その言葉に、右手の上の光球から、壁に刻まれた文章へと、少年の視線が移る。

 連なる記号はすぐに、文字としての意味を表した。


「[この神託を光で照らし、帰路を開け]」


 少年は静かな声で刻まれた文を読み上げ、右手で輝く光をかかげて、壁を照らし出す。


 瞬間、ゴゴゴ……と石どうしが擦れる音と共に、壁がゆっくりと左右に開き、奥からまっすぐに伸びた通路が現れた。


 しばし呆然と、その光景を眺めていた少年が、つと天井を見上げる。


「天の声さん」

『天ではなく、地上域からの声なのですが……何でしょう?』


 少年の呼びかけに、姿なき声が訂正を入れつつも、問いかけを返す。


「えっと、では地上からの声さん。

 優しい初心者への説明(チュートリアル)を、ありがとうございます。

 とってもありがたいです」


 呼び方の訂正と共に、少年は素直に感謝の気持ちを言葉にする。

 姿なきその声が語る言の葉が、空白の知識を少しずつ埋めていくことは、少年にとって本当にありがたいことだった。


 少年の告げた言葉に対して、姿なき声はふっとやわらかに、小さく笑む吐息を零す。


『……どういたしまして。

 ただ、ここは遊戯盤の上ではなく、あなたは今、本物の世界で生きています。

 この事実は、忘れないで』


 優しく諭すような言葉に含まれた真剣さを、少年は確かに感じた。


「はい。色々教えてくださって、本当にありがとうございます」

『どういたしまして。

 この後ももう少し、あなたに伝えたいことがあります。

 まずは――この神託迷宮から、外に出ることを優先してください』

「分かりました」


 声の導きに従い、タッ、タッ、と鳴る編まれた靴の足音を連れて、少年は通路へと踏み入る。


 すぐに、紋様秘術によって出現させた、少年の右手に浮かぶ光球が、あたりを照らし出した。


 少年の銀の瞳に映ったのは、つるりとした黒に近いほど濃い灰色の石を、同じ四角の大きさに揃え、ピタリとすき間なく積み上げて形作られた、ひどく整った形状の通路。


 人工物にしても、やや整いすぎている石造りの通路には、どこか神秘がにじみ出ていて、少年は歩く速度を少し速める。


 艶やかな長い黒髪と、布の服の裾がひるがえり、銀環のサークレットに飾られた雫型の薄い白石が揺れて、白光に煌く。


 感情の乗らない、表情を消した麗しい美貌の中、銀の瞳だけは前方にある石の扉を見つめて、かすかな好奇心を灯していた。


『刻まれた神託を読み解き、外へ』

「はい。

 えっと……[光をここに]」


 姿なき声と、扉にある丸いくぼみに刻まれていた神託に従い、光球をくぼみへと当てる。

 刹那、音を立てて開いていく石の扉の奥から、眩い陽光が射し込んだ。


 とっさに閉じた銀の瞳が、再び開かれた時。

 外から射し込む光の先に――その光よりも神々しい、白い姿が映った。




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