16話 風の試練
たどり着いた、通路の突き当たり。
ピタリと閉じられた、両開きの大きな扉の前で、銀の瞳がぱちりとまたたく。
風の模様が縁を飾るその扉には、神託が刻まれていた。
「[扉を開き、我が風の試練を乗り越えよ。
部屋の最奥にたどり着きし汝にのみ、我が神物を与えよう]」
静かに神託の文を読み上げたノルンは、ふっと小さく笑みを零す。
「風の試練も、神物も……どちらもとっても気になります」
微笑みながらそう呟くと、ほっそりとした両手で扉に触れる。
ぐっと細身の体重をかけて、ゆっくりと押された両開きの扉が、石を擦る音を連れて少しずつ開いていく。
ふわりと白い頬を撫でたそよ風が、美しい黒の長髪を揺らし、身にまとう布の服まで小さくはためかせる頃には、開ききった扉の内側――広々とした部屋の中へと、ノルンは入り込んでいた。
広さは、この神託迷宮の入り口にあった、柱が並ぶ広間と同じ程度。
淡い橙色の光る石が、天井や壁に幾つも埋め込まれて、部屋の内側を照らし出している。
ふわり、ふわりと揺れる長い黒髪が、この部屋に弱い風が吹いていることを表していた。
銀環のサークレットに飾られた、雫型の薄い白石の装飾さえ、時折揺らす風の中。
広い部屋を見回していた銀の瞳が、部屋の奥でピタリと止まる。
その場所には、石の台座の上でキラリと煌く、銀環が二つあった。
「あれが――神物」
瞬間的にそう思ったのは、神の子としての直感。
遅れて、神託の文も、部屋の奥で神物を手にする、と解釈が出来る文だったことを、ノルンは思い出した。
同時に、この後どのような行動を取ればいいのか、と言うことも。
「つまり……あの神物まで、たどり着けばいいのですね」
静かに呟いた神の子は、自らの銀の瞳を刹那、星のように煌かせる。
小さく楽しげに弧を描いた口元が、ノルンの好奇心を表していた。
「――行きましょう」
誰にともなくそう告げ、ノルンはタッと軽やかに駆け出す。
瞬間――風の試練がはじまった。
はじめに、ぶわりと渦巻くような突風が、床から吹き上げ、ノルンの細身を軽々と木の葉のように、空中へと放り上げる。
見開かれた銀の瞳が、ぱちりとまたたく間にも、今度は右から、次は左からと、次々と吹きつける突風がたやすく、ノルンの身を舞うように吹き飛ばしていく。
吹きつけてくる突風に、ひとまず身を任せ、空中に留められながらも、ノルンは胸の内で気づいたことを呟いた。
(この風は、普通の風とは感覚が違う。
紋様秘術で起こす奇跡のような……神力で形作られた風だ)
風を見つめる、鏡のように澄んだ銀の瞳には、突風の中に宿る神力が、淡い銀色の帯のように流れる様子が映る。
(この流れが……風の試練の、目印かな?)
上に、左に、右にと吹き飛ばされながら、そう解釈したノルンは次いで、身を軽く捻った。
ぶわりと巻き上がる風に、今度はしっかり足から乗る。
銀の瞳が映した、神力が示す風の流れを見極め、右から吹いてきた風の前方へ身体を当てると、くるくると回転しながら少しだけ、ノルンは目指す奥へと空中で前進した。
次の瞬間――前方から足元へと飛来した風の刃を、ギリギリで回避する。
(なるほど、たしかに。
これは〝試練〟だ)
胸中で納得を呟く間にも、左から吹きつけた突風の流れを見て身体を捻り、少し前へ。
先ほどから、ノルンの全身へと容赦なく吹きつける風によって、細い身体と共に艶やかな黒の長髪も、巻き上がり撫でつけられ舞い踊りと、せわしない。
それでも、淡い橙色に照らされた部屋の中、風に舞う姿は、やはり美しかった。
突如追加された、後方右斜めからの突風にも焦らず、背をあずけてぐんっと前へ身を躍らせたノルンは、前方から飛来する風の刃を避け、また下から巻き上がった風に乗る。
広々とした部屋で繰り広げられる神託の試練は、ノルンにとって乗り越えるまでの道のりが、少々遠いものに思えた。
(この風の試練は、人間に乗り越えることが出来るものなのかな?)
思わず胸の内に浮かんだ疑問に、神の子として反射的に理解した答えは、肯定。
自然と理解した疑問の答えに、次いでぱちりと、銀の瞳がまたたいた。
「あ」
風の中にいるのだからと、ずっと閉じていた口が開き、衝動的な声が零れる。
ノルンは一つ、初歩的なことを忘れていた。
(そうか、紋様秘術を使いながら、進んで行けばいいのか)
閃きのように思い出した戦法を、神の子はすぐさま、活用することにした。
風の流れを見つめ、飛んで来る脅威的な刃を避けた後、一瞬だけ訪れる平穏な時に、口を開く。
「《風》」
意図して、自らの背中へと当たるように、紋様秘術の奇跡を展開。
銀色の神の文字が、刹那に風球へと転じ、ノルンの背中をしっかりと前方へ押し込む。
瞬間、さらに様々な方向から吹きはじめた突風の中、突風と紋様秘術を上手く活用し、飛び交う風の刃を避け切ったのち。
最後に《風》で背中を押して――見事、神物のすぐ近くの空中へと、たどり着いた。
トン、と久しぶりに足をつけた床の感触に、ノルンはふぅと吐息を零す。
後方の突風は収まり、またそよ風が頬を撫でる。
眼前には、石の台座に置かれた銀環が二つ。
少々幅のある銀環には、風の模様が細やかに刻まれている。
つと台座へと移した銀色の視線が、そこに刻まれていた繊細な筆跡の文をなぞった。
「[神力を与える限り、空で駆ける力を授ける、風の足環]」
神物の説明だろう文を読み上げ、ノルンはほっそりとした手を伸ばして、アンクレット型の神物を掴み、見た目よりも軽いそれらをさっそく、両の足首へと飾る。
キラリと橙色の明かりに煌いた、銀環の神物は――ノルンにとてもよく似合っていた。
はじめて手に入れた神物を見つめていた銀の瞳が、ふいに上を見上げる。
何も無かったはずの天井には、四角い穴が開き、通路が上へと伸びていた。
神の子は、納得にうなずく。
「神物の力を使って、空中を駆けて上へ帰るのですね」
示された帰り道を見上げ、ノルンは迷わず神物へと神力を注ぎ入れる。
とたんに、力強い風が両足を持ち上げ、次いで空中を蹴った足の動作で、ぐんっと身体が上へと飛ぶ。
「わあ、すごい」
感嘆の声を一つ流し、ノルンはそのまま、開いた天井の通路を駆け上がって行った。