14話 読み解き勝負と誘い
小さな奇跡の撃ち合いを、小さな奇跡一つで止めた神の子は、言葉を待つ人間たちへと、穏やかに告げた。
「それでは今から、お互いに神託を読み解いていきましょう。
先に読み解いた方が奇跡を手にする、と言うことで」
そう伝え、テーカと一緒に壁の端へと寄ると、すぐさま対峙していた三人の男たちと、テヌとキクスが駆けて来る。
(結局のところ、要は早い者勝ちということだよね。
読み解き勝負、とでも言うのかな?)
さっそく壁に刻まれた紋様へ、せわしなく視線を送る男性陣を眺めながら、そう胸の内で呟いたノルンは、隣でノルンを見つめていたテーカにこっそりと耳打ちをした。
「あの神託は、読めたとしても、発動しないほうがいいですよ」
「えっ、どうして?」
ノルンに合わせ、こそこそと小声で問い返すテーカに、実際は誰よりも早くすでに神託を読んでいたノルンは、端的に答える。
「あの神託が起こす奇跡は、人間にとって、とても危険な可能性があります」
「わかったぜったい二人にも伝える」
真顔の即答が、ノルンに返された。
一瞬の迷いもなく、一息で紡いだテーカの言葉に、ノルンは小さく微笑んでうなずきを返す。
「はい、お願いします」
「えぇ、任せて」
真剣な表情のテーカが、力強くうなずくのを銀の瞳に映し、次いでノルンは普通に口を開く。
「私は別の神託がないか、探してみます」
「あっ、そうよね!
他の神託も、あるかもしれないわよね!」
「はい。……今ならば、ゆっくり探せると思うので」
「わかったわ。なら、ノルンはそっちをお願いね」
壁に大きく刻まれた神託を前に、うなっている男性陣を流し見たノルンとテーカは、互いに軽くうなずき合う。
テーカはすぐに、テヌとキクスの方へと駆けて行き、ノルンはゆっくりと部屋の中を歩いて観察をはじめた。
銀色の視線が、静かに壁や床をなぞる間も、部屋の中で声が途切れることはない。
「アニキ、この紋様は……」
「だーから! そこはこうだって、前に言っただろ!」
「そういや、そうでした!」
数日前に読んだ記憶を、必死に手繰り寄せる男たちの声。
「キクス、ここってさ……」
「あぁ。この紋様には見覚えがあるな」
「だよな?
――あ、テーカ!」
「怪我はしなかったか?」
「だいじょうぶ!
ノルンが守ってくれてたから!」
なんとか読もうと励んでいる、テヌとキクスの元へテーカが駆け寄り、交わされる会話。
それらの声はやがて、それぞれが神託を読み解くためにと、仲間たちに耳打ちを繰り返す密やかなものへと変わっていった。
小さく漏れ聞こえる声を、それとなく聴きながら、ノルンは入り口側から見て、右側の壁をじっくりと観察する。
(他の部屋には、導きの言葉やただの説明文だけが刻まれた部屋もあったけれど、それでも神託が一つだけ、と言う部屋はなかったから……。
この部屋にも、何か他の神託がある気はする)
呟きを胸の内で零しながら、鏡のように澄んだ銀の瞳が、広い壁の上、中央、そして下を映して行き――ついに。
(――見つけた)
そっと床へ、片膝をつけてかがみ込んだノルンは、壁の下部、床に近いほどの位置に刻まれた、小さな神託を銀色の視線でなぞった。
([神託の近くにて、一に祈り、二に二拍手、三に三度足音を鳴らし、汝の来訪を我に告げよ。
四に吐息、五に仰ぎ、神託の文字に風を与えよ。
六に三度足音を鳴らせば、風の試練へと誘おう])
刻まれた神の文字を見つめ、次いで左斜め後方を振り向き、読み解き勝負が進められている方の神託も見つめる。
片や繊細で美しく、片や大胆不敵かつ豪快な筆跡にて刻まれた神託に、ノルンはふと気づいた。
(神託迷宮に刻まれている神託は、神々が刻んだもの、と父さんが言っていたけれど……この部屋にある二つの神託は、きっと別の神々が刻んだものだ。
内容も筆跡も、あまりにも違いすぎる)
ぱちりと銀の瞳をまたたき、視線を目の前の神託へと戻すと、長く連ねて刻まれた小さく繊細な文字を見つめ、もう一度銀の瞳をまたたく。
(風の試練って、何だろう?)
改めて内容に意識を戻し、サラリと艶やかな長い黒髪を揺らして、首をかしげたノルンは、しかしすぐにかしげた首を元に戻した。
(よし。とりあえず、試してから考えよう。
嫌な感じはしないから、大丈夫なはず)
そう思い至ったノルンは、さっそく行動を開始する。
片膝をつけたまま、まずは美しい筆跡の神託へ向かって居住まいを正したのち。
一に、ほっそりとした両手を組み、銀の瞳の瞼を伏せて、祈りの姿を見せ。
二に、組んだ両手をほどき、丁寧に軽く、二拍手を鳴らす。
こそこそと耳打ちの声だけが零れていた部屋の中、突如鳴った乾いた音に、ノルン以外の全員が肩を跳ねさせた。
「な、なんだ? 何してやがる?」
「あ、お構いなく」
雷の紋様秘術を使っていた男が、いぶかしげに問う声に、サラリと返したノルンはそっと立ち上がり、神託に刻まれた作法を続ける。
三に、右足を三度、床へと踏み下ろして足音を立て。
「アニキ、あのガキ何やってんですかね?」
「知らねぇよ」
無遠慮に交わされる会話を聞き流しながら、もう一度床に近い位置に刻まれた、神託の前へとかがみ込む。
四に、ふうっと、命の息吹たる吐息を神託へと吹きかけ。
五に、腰に巻いた布の垂れている部分を使い、壁の近くで布を仰ぎ、風を神託へと与える。
(書かれている作法を読んで、こうするのかなって思う方法を試しているけれど、神託の解釈として、合っているかな?)
はじめて見る神託の書き方に対し、作法が正しいかを気にしつつも、ノルンは再び立ち上がり、最後の作法をおこなう。
六に、また三度、右足を踏み下ろして足音を鳴らして。
(これで、風の試練へ導いてもらえるはず)
そう、心の中で思った――刹那。
フッと、唐突にノルンの足元の床に、穴が開いた。
「あ」
反射的に零れた声と共に、ノルンは自身がこれから、地下へと落下していくことを察して、なんとか銀色の視線を後方へ流す。
「えっ!? うそっ! ノルン!?」
「だいじょうぶです――」
さっそくはじまった落下に身を任せながら、唯一視線が合ったテーカの慌てふためく声に、かろうじて心配は無用だと返したノルン。
その姿はまたたく間に、暗がりへと落ちて行った。