12話 ティア・ル
ノルンが心の中で、新たな決意をした、そのすぐ後。
「よし! いったん休憩にしよう!」
そう、テヌが明るい声を響かせた。
「お腹すいた~っ!!」
「ちょうど対面の部屋は、何もない部屋だったな。
そこで昼の食事をしよう」
テーカが抗議めいた声を上げ、キクスが続けた提案に、ノルンもうなずきを返す。
「私も、お腹がすきました」
「それじゃあ、あっちの部屋に行こう」
振り向き、三人を見上げて告げたノルンに、テヌが穏やかに先導をはじめる。
二本の柱の間を通り、踏み入った対面の部屋は、キクスの言葉通りにガランとした、何もない空間が広がっていた。
入り口近くの隅へと移動し、床へ腰を下ろした三人に続き、ノルンが座ったところで、ハッとキクスが深緑の瞳をノルンへと注ぐ。
「……すっかり失念していたが。
俺たちはパンと干し肉を持って来ているが、ノルンは何か食べ物を持って来ているか?」
キクスのもっともな問いかけに、早くも腰に下げていた布袋から、パンと干し肉を取り出していたテヌとテーカを見やり、ノルンは答える。
「食べ物……食事でしたら、出せるので大丈夫です」
「「出せる??」」
綺麗に疑問の声を揃えた仲良しな兄妹に、コクリと一度うなずいてみせたノルンは、居住まいを正して、ほっそりとした両手を組んだ。
「《我が父の許しにて、捧げものの食べ物と飲み物を望む。
望みのものよ、サンティアスの大神殿より、今我が元へ》」
そう、願う言の葉を唱えたとたん――ノルンの目の前の床には、またたく間に昼の食事が並び現れる。
刹那の奇跡に、共に床に座っていた三人は、瞳を見開いて驚愕した。
「へ……」
「え、えぇっ!?!?」
「な……!」
三人の驚きを、特に気にすることもなく、ノルンはその銀の瞳に昼食を映す。
(リンゴとバナナみたいな果物と、薄い黄色の……たぶん、果汁の飲み物。
あと、平らに薄く伸ばしたパンの上に、葉物野菜と焼いた何かの動物の肉を乗せて、包んでいるもの?
手で持って食べるのかな)
父神アトアがいる、神王国サンティアスの大神殿から、一瞬でこの場に出現した美味しそうな食事を前に、ノルンは小さく口角を上げる。
まずは喉を潤そうと、ほっそりとした手が伸びて、果汁の飲み物が入った木製のコップを掴んだ、その時。
ふいに響いた軽い咳払いの音に、顔を上げたノルンは、いまだに緑の瞳を見開くテヌとテーカ、そして咳払いをしたキクスの真剣な表情を見て、ぱちりと銀の瞳をまたたく。
不思議そうに、サラリと長い黒髪を揺らして小首をかしげたノルンへと、キクスはやや緊張した面持ちで、静かに問いかけた。
「失礼な問いだとは、よくよく分かっているが……ノルン、君は一体何者だ?」
キクスの問いに、鏡のように澄んだ銀の瞳をひたと注ぎ、ノルンは答える。
偽りも誤魔化しもない、真実を。
「私は、ティア・ル――神の子、です」
一拍ののち、今度こそ声にもならない驚愕が、三人の人間たちから溢れ出た。
驚きのあまりのけぞった兄妹と比べ、かろうじて冷静さを残したキクスが、それでも涼やかだった表情を驚きに染め上げて、口を開く。
「か、神の子……ですか?」
「はい。
えっと、父さんは、サンティアスの星です」
「サッ、サンティアスの星!
神王国サンティアスにおわす、かの星の神ですか!?」
残していたはずの冷静ささえ、消し飛んでしまうような真実に、キクスまで信じられないと仰天して声を上げる。
三人の人間たちによる、驚愕と動揺で満ちた部屋の中、神の子ノルンは事もなげにうなずきを返した。
「そうです。
あ、今まで通りに接してくださいね」
ノルンのさらっとした言葉に、三人はもはや声もなく、いやいやそれはさすがに、とでも言いたげに首を横に振る。
三人のその様子に、心底不思議そうに銀の瞳をまたたいたノルンは、さらに言葉を続けた。
「凄いのは父さんであって、私はまだ特に何も成していませんから。
それに、一応かつては、私も人間だったようですし」
その言葉には、三人の方が顔を見合わせて、首をかしげる。
「……正確には、人間であった頃の存在性と記憶を失い、父さんに助けられて目を覚ました、生まれたばかりのような神の子、なのです。
ですから、そんなに気を遣わないでください」
じぃっと三人を見つめ、かすかに潤んだように揺れた銀の瞳を見返し――三人は、ようやく気合いで驚きを押し込み、うなずいて見せた。
「いやあ、さすがに驚いたなあ。
あっという間に紋様を読んだ時も驚いたけど、神の子なら納得だな」
「まさか、ノルンが神の子だったなんて!
それも、あの神王国の大神殿で祝福と癒しを与えてくださっている、サンティアスの星が父さん!?」
短い濃茶色の髪をかくテヌと、身を乗り出して興奮して語るテーカに、そっと持ち上げたコップの中の甘い果汁を楽しみながら、ノルンはコクリとうなずく。
「父さんではなく、父神と言うんだ、テーカ。
しかし、まさかと言う気持ちは大いに同感だ」
「でしょう!?」
表現を訂正するキクスと、興奮冷めやらぬ様子のテーカを見つめ、今度はノルンが問う。
「みなさんは、父さんのことをご存知なのですか?
私は少し会話をしただけで、まだ父さんのことをあまり知らないのです。
よろしければ、知っていることを教えてください」
ノルンの願いに、顔を見合わせた三人の内、一番博識なキクスが口を開いた。
「天と地下の果てにおわす神々の中で、唯一地上におわす、慈悲深き御方。
神王国サンティアスの初代神王……今は陽光そのものである、光の神サンサ様と、かつてサンティアスの大神殿を寝所になさっていた、夜の神ライラ様の御子らしい」
「光の神と、夜の神……その神々が、私のおじいさまとおばあさまなのですね」
刹那、ノルンの銀の瞳が星のように煌く。
この場にてようやく、ノルンはサンティアスの星と呼ばれる父神アトアと、そのアトアの父と母、ノルンにとって祖父母にあたる神々のことを、知ることが出来た。
同時に――人間にとっての神や、神の子の姿も。
(思っていた以上に、神聖なる存在は、人間にとって特別なのだろうな)
具を乗せて巻いた薄パンを手に取り、一口かじって味わい。
好きな料理を見つけた神の子は、小さな微笑みを咲かせた。