11話 深淵をのぞく
お金の価値を学んだノルンに、テヌとテーカがほっと安堵していると、キクスがテヌへと切れ長の深緑の瞳を向けた。
「だが、ノルンが見せた警戒は、テヌも俺たちも学んだほうがいい」
「うっ! そうだよなあ……助かったよ、ノルン」
「兄さんを助けてくれて、本当にありがとう!!」
「はい。ご無事で良かったです」
キクスの言葉に、反省しつつ感謝を告げるテヌと、ノルンの両手を握って気持ちを伝えるテーカに、ノルンも小さく微笑みながら安堵を返す。
続けて、今度はぐっと力こぶをつくりながら、テヌが笑顔を見せた。
「こうなったらなるべく奥に進んで、ノルンの銀貨を取り戻せるくらいの収穫を目指そう!」
「名案だわ兄さん!!」
「その案に異論はない」
あっさりと決まった、奥に進み多くの収穫を目指すと言う方針に、ぱちりとノルンの銀の瞳がまたたく。
「やるぞー!」
「おーっ!!」
「……おー?」
テヌとテーカが気合いの声と共に、天井へと突き上げた拳を見上げ、無言で同じく拳を突き上げたキクスに続けて、ノルンも真似をしてそっと拳を突き上げる。
(これが、一致団結?)
胸の内でそう零した、生まれたてのような神の子には、人間の強い意志が導く力強い言動はまだ、不思議なものに思えた。
それでも、意気揚々と再び足を踏み出した彼らや彼女の心が、今とてもやる気に満ち満ちていることだけは、ノルンにも分かっている。
前を行く三人の後ろを、ノルンの足もしっかりと追いかけた。
長い通路を進み、他の解読者たちが少ない部屋へと踏み入ると、三人とノルンは興味深げに部屋の中を観察していく。
またもや、淡く橙色の光を放つ不思議な石が照らす部屋には、石の長椅子がぽつんと置かれ、壁に幾つかの紋様が刻まれていた。
いそいそと紋様の一つを囲む三人の横で、ノルンはこの部屋に思いをはせる。
(この神託迷宮は、古い神殿の形をしていると言っていたから……この部屋は、長椅子に腰かけて、祈りを捧げるような場所だったのかな?)
心の中の疑問に、自然と肯定の感覚があり、ノルンはかすかになるほどとうなずく。
そんなノルンの様子を横目に見たテーカが、ぱぁっと咲かせた笑顔をノルンに向けた。
「ノルンは、この神託をもう読み解けたの?」
テーカの問いかけに、ノルンは美しい黒髪を揺らして、首を横に振る。
「残念ながら、そちらは神託ではないようです」
「えっ!?」
驚愕するテーカと、驚きにノルンを振り返ったテヌとキクスに、ノルンは壁に刻まれた神の文字を、穏やかな声で読み上げた。
「[ここはただ、静かに祈る場]――とだけ、書かれています」
「そ、そっか……すぐに読めるノルンは、やっぱりすごいね!」
「で、でも、そうするとさ」
「この部屋に刻まれている、他の紋様も、もしや」
テヌとキクスの悩ましげな言葉に、ノルンは素直にうなずきを返す。
「はい。全て、神託ではないようです」
ガックリと、他の解読者たちまでもがそろって、盛大に肩を落とした。
それでも、気を取り直して探索を進めたのち。
次の部屋へと踏み入ったとたんに――銀の瞳が、まっすぐに部屋の奥を映し出す。
その正面の壁際には、深さの浅い大きな石の器が一つ、石の台座の上に置かれ、壁には神託が刻まれていた。
「この部屋は、今までの部屋とは中に置かれている物が違うな」
見回したキクスが、長椅子の代わりに置かれた石の台座と器を見て、そう呟く。
「あっ、神託も刻まれてるよ~!
……神託だと良いけど!」
「とりあえず、まずはここから読まないとな。
えっと……水、の紋様があるのは分かる」
「俺も、その部分しか読めないな……」
緑の瞳に神託を映したテーカが上げた声に応じて、テヌとキクスも紋様を視線でなぞるが、彼らには読むことができないようだった。
三人の後ろで、じっと銀色の視線を神託へ注いでいたノルンが、ゆっくりと壁側へ歩み寄りながら、口を開く。
「[水満ちた器は、過去を映す鏡となる]」
静かに、そしてあっさりと読み解き紡がれた神託の内容に、ノルンの細い背を追う三人が、ハッと瞳を見開いた。
「過去!」
「まさか、ノルンの記憶が映るのか!?」
「あり得ない話ではないだろう。
――神託迷宮に刻まれた、神託ならば」
三人の驚きと期待がこもった言葉を聞きながら、石の台座へと歩み寄ったノルンは、右手を器の上に差し出し、身体の内側にある神力を動かす。
「《水》」
発動した紋様秘術により、掌の上に出現した水球を、ノルンはそのままたぷん、と石の器に落として満たした。
刹那、過去を映す水鏡の奇跡を与えるはずだった水面は――ゾッと背筋に冷ややかさを這わせる、深淵のような闇色を映し出す。
「っ!」
銀の瞳に映った闇色の光景に、ノルンは一瞬息をつめ、思わず数歩水鏡から距離を取る。
そのノルンの肩を後ろから掴み、さらに後方へと移動させたテヌが、心配そうにノルンを見下ろした。
「大丈夫か? ノルン」
「は、い。少し……予想以上だっただけなので、大丈夫です」
「びっくりしたよな」
「……はい」
身を固くしたノルンの緊張をほぐすように、ぽんぽんと両肩を軽く叩くテヌの横で、テーカとキクスがそうっと、石の器をのぞき込む。
「あ、もう水も消えてるよ」
「どうやら、短い間の奇跡だったようだな。
……だとしても、十二分に驚いたが」
「うんうん」
二人の会話を聞きながら、ノルンは束の間、胸の内で思考を巡らせる。
(消滅した過去を探すとは……こういうことなのか。
父さんはたしかに、過去の私の存在性は、ほとんど消滅している、と言っていた。
それは、過去を映す水鏡にさえ、映らないと言うことだったのか)
父神アトアが告げた言葉を思い返し、心の中に渦巻いた小さな不安を、しかしノルンは刹那でかき消した。
(私が選んだ、過去の軌跡のなごりを探す選択を、父さんは止めなかった。
だから――大丈夫)
それは、迷いのない確信。
不安になる必要はないのだと、それだけはたしかに、ノルンにも分かっていた。
束の間、石の床を映していた銀の瞳が持ち上がり、再度前方を映す。
(過去のなごりは、欠片さえ簡単には見つからないようだから、気長に探して行こう)
すでに奇跡を映し終えた器を見つめ、全てを知る過程の神の子は、そう思った。